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144 救えない命を前に
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鐘楼の頂上、夕日に照らされて光を鈍く反射している鐘の下で、わたしは怒りに打ち震えていた。
歯茎がきしむほど歯を食いしばり、強く握りしめた拳は爪が掌に食い込んでいたが、痛みは感じなかった。
その理由はわたしの目の前にある、爆発すれば町中に猛毒を撒き散らす爆弾と、その爆弾に繋がれた少年の姿だ。
・・・早く爆弾をなんとかしないと。
遠くに飛ばすか海に沈めるか地中深くにでも埋めてしまおうと思っていたけれども、そのためにはこの子を犠牲にしないといけない。
この子も救って、爆弾を撤去するにはどうすれば・・・
爆弾は時限式で、夕の鐘の頃に爆発する仕組みだ。
それに加えて、この少年の体に刺された針が爆弾に直結しており、センサーのような役割を果たし、もしも少年から針を抜いたり少年が死亡するとそれを検知して爆発するらしい。
針といっても結構太く、少年に深々と刺さっているように見える。
少年は折れた足だけではなく、その針の痛みにも耐えているに違いない。
・・・人の命を何だと思っているよ。
ふざけやがって。
考えている間にも夕刻は迫る。
気持ちは焦るばかりだ。
「何か、何か方法は・・・」
「あの・・・お姉さんは、勇者様ですよね?」
ふと、少年がわたしに問いかける。
「ええ・・・そうね。そう呼ばれてるわ」
「そうですよね、直接見たのはこれが初めてですけど、その髪型と、そっちの猛々しい鳥を見て勇者様だと思いました。嬉しいなあ・・・最後に会えて、本当に嬉しいです」
そう言って少年は力のない笑顔を浮かべた。
「最後って・・・最後なんて、そんな事言わないでよ。まだわたしは・・・」
「もう、時間が無いんですよね。いいんです。助けてなんて言ってごめんなさい。勇者様を困らせるつもりは無かったんです」
「困ってなんて、そんな・・・」
わたしの返答を待たずに少年は首を振り、再び謝った。
「ごめんなさい、僕が勇者様を困らせていることは分かっているんです。僕、もう助からないんですよね。だったら気にせずに僕を見捨ててください」
「見捨てられるわけないじゃない!」
少年の言葉に反射神経でどなり返す。
見捨てられない、見捨てたくないという気持ちは本当だ。
しかし、少年の命ひとつの犠牲で大勢の命を救えるということも、頭の中では分かっている。
自分は偽善者だとつくづく感じる。
しかし、頭で理解はしていても、心が許さない。
「ねえ、ディーネちゃん、ミっちゃん。何かいい方法は無いかな?この子を救って、爆弾を止める方法、無いのかな!?」
「・・・」
ディーネを見る。
ディーネは無表情だった。
ハシビロコウは基本的に無表情だが、今日はより一層無表情に見える。
ミネルヴァを見る。
目が合い、そしてミネルヴァがやれやれといった表情で口を開く。
「爆弾だけだったらどうにかできるだろうけどね。まあ仕方ないんじゃない?一人よりも大勢よ。もう時間も無いんだし、その子の言う通り、悪いけどその子に犠牲になってもらうのが建設的だと思うわ」
「・・・ミっちゃん、わたしが聞いているのは助ける方法よ」
ミネルヴァの言い様に小さな怒りがこみ上げてくる。
しかし、ミネルヴァの放言に対する怒りなのか、そうするべきだと同意できる自分に腹が立っているのか判断できない。
「でもユリ、あんた勇者なんでしょ?町の人達を救えるのに、みすみす見殺しにするようなことがあっちゃ駄目なんじゃないの?」
「・・・だからこの子を犠牲にしろと?」
「・・・ええ、まあ、結果的にそうなるんだけど」
「ふざけんじゃないわよ・・・こんな罪の無い子を犠牲にして町を守って、何が勇者よ!そんな勇者なんていらないわよ!!」
「じゃあどうするのよ!」
声が裏返るほど叫んだ声も、自分の無力さを一層際立たせるだけだった。
自分に腹が立って仕方がない。
ミネルヴァと不毛な言い合いになり、わたしはほとんど八つ当たり気味にミネルヴァに食って掛かる。
そんなわたしとミネルヴァの間に、ディーネが割り込んだ。
「ユリよ、まずは落ち着くのじゃ。それとミっちゃんよ。一つ聞くが、もしもこの少年がメティスであればどうじゃ?犠牲になって死んでくれと頼むかの?」
「それは・・・イヤよ」
メティスはミネルヴァのお気に入りの人間だ。
わざわざロイドの町から連れてきて、ミネルヴァの右腕として仲良くお手伝いをしている。
「でもそれはあたしがメティスをよく知っているからよ。見ず知らずの人間ならば仕方がないじゃない」
「仕方がない、とは思うのじゃな。ミっちゃんは人間と接した時間がまだ短いから分からぬかもしれぬが、人間は同族を大切に思うものなのじゃ」
「・・・知らない人でも?」
「その通りじゃ。それが思いやりというものなのじゃ。もちろん今の王やこの爆弾を仕掛けた者のように非道な人間たちもおる。しかしユリはそうではない。たとえ見知らぬ人であってもその生命を救いたいと考えておる。だからこそユリはこれほどまでに苦しんでいるのじゃ」
「・・・」
「妾もユリだけではなく、先王やアドルや、たくさんの人間たちと接してきた。人間というのは愚かな面もある。人間に絶望して心を閉ざしたこともある。しかしその心を開いてくれたのはユリなのじゃ」
ディーネはバルゴと火の精霊の企みによって捕まりそうになった事で、人間を、世界を見捨てて結界に籠もっていた。
わたしもバルゴに騙された口だが、色々あってディーネに出会い、ディーネももう一度人間を信じてみる気になってくれた。
「ミっちゃんの言も正しいのじゃ。正しいゆえに残酷なのじゃ。それはユリも分かっておるのじゃ。そうであろう?」
「・・・うん。ディーネちゃんの言う通りよ。ミっちゃん、八つ当たりしてごめんね」
「・・・あたしも悪かったわよ」
つまらぬ喧嘩は収まったものの、何一つ進展していないどころか、無駄に時間を食っただけである。
「わたし、馬鹿だ・・・馬鹿で無能だわ。結局また助けられないじゃない・・・」
アキムを失った記憶が蘇る。
あんなことを二度と繰り返さないために強くなると誓ったのに。
頑張って強くなったのに、またしても目の前の命が救えないでいる。
「助けられなければ、強くなんてないじゃないの・・・」
「いいえ、勇者様は強いです。そして優しくてかっこいいです」
少年は、申し訳無さそうな表情を浮かべてわたしを見ていた。
「全然知らない僕のために、こんなに心を痛めてくれて嬉しいです。やっぱりあなたは勇者様です。それに僕が死んでしまうのは勇者様のせいではありません。本当に気にしないでください」
「でも、でも・・・」
「それに僕だって生まれ育ったこの町を守りたいです。だから僕を助けようなんて思わないでください。僕も勇者になれるんです、この町を、本当の勇者様と一緒に救った勇者に・・・」
その言葉が胸に突き刺さる。
わたしが勇者と呼ばれることが心苦しい。
今はそれが疎ましくさえ思う。
わたしは床に崩れ落ち、床についた手の甲が濡れた。
悔しさで涙が溢れて止まらない。
「ごめん・・・ごめんね!!本当にごめんなさい・・・わたし、君に何もしてあげられない。何もしてあげられないの・・・」
「僕のために喧嘩してくれて、泣いてくれてありがとう。だからもう大丈夫です。僕ごと爆弾を・・・町を守ってください」
少年はもう覚悟ができている。
ならばわたしも覚悟を決めないといけない。
唇から血が流れる。
悔しさに耐えるために唇を噛み切るなんて、漫画の中でしか見たことがなかった。
まさか自分の身にも起きるなんて思いもしなかった。
「ユリよ、もう時間がないのじゃ」
「うん、分かってる・・・」
やるしかない。
でもその前に聞いておかなければいけない大切なことがあった。
「ねえ、君。今更で申し訳ないんだけれども・・・名前、教えてくれないかな」
「名前・・・僕、レオって言います」
「レオ・・・素敵な名前ね。その名前、わたし一生忘れないわ」
それからわたしはミネルヴァに頼んで、レオに眠ってもらった。
あの悪辣な侵入者に見せた悪夢ではなく、幸せな夢を見られるようにとお願いをして。
そして最後の時はせめて眠ったまま、苦しまないようにと・・・
「・・・じゃあ、レオと爆弾を運ぶわ。できるだけ遠くに行って、そこで爆弾を・・・」
「ユリちゃん、お待たせええええええ!」
「えっ!?」
聞き慣れた声がする方向を見ると、そこには鐘楼に向かって飛んでくるサラと、その背に乗ったエスカとエスカの助手であるルルの姿があった。
エスカがブンブンと手を振っている。
「エスカ・・・エスカああああああ!」
わたしも声を上げて手を振り返し、サラが鐘楼に到着するまで手を振り続けた。
◇
「まだ爆弾と男の子はそこね。間に合って良かったよ」
鐘楼に到着してサラから降りたエスカはすぐに周囲を見渡し、爆弾とレオを視認してそう言った。
「エスカ、それにルルもどうして・・・」
「ユリちゃん達がこっちに向かった後で、あの侵入者達の尋問が続けられたみたいでさ・・・」
カークはそこで爆弾に関する追加情報や、起爆装置に少年の命が使われていることを聞いた。
爆弾の解除の方法までは侵入者達も知らなかったようだが、わたし達が少年の救出に困っているかもしれないと考えたカークがサラに頼んで、魔道具に詳しいエスカを急遽こちらによこしてくれることになったそうだ。
「でもエスカ、聞いているなら分かっているとは思うけど、ここにあるのは爆弾なのよ。エスカだって危ないのに・・・」
「何言ってんのよ。こーゆー時こそあたしの出番じゃない。それに生体に魔道具を作用させる技術も多少は知ってるから役に立つかもよ。その子を助けたいんでしょ?」
エスカがウインクする。
ルルもニコニコしながら後ろで大量の道具を並べて、なにやら準備を始めている。
わたしの目に再び涙がこみ上げる。
でも今度の涙は先程までのものとは違う。
希望と喜びに満ちたものだった。
「エスカ・・・エスカあ・・・」
「よしよし。ユリちゃん、頑張ったね。さあ、やるわよ!」
「うん!」
「何と言ってもカーク様たってのお願いだしね!」
「・・・」
・・・これが本音っぽいな。
でも、それでも構わない。
エスカが最後の頼みの綱なのだ。
それから急ピッチでエスカの爆弾検分が進められた。
エスカとルルは爆弾とレオを何度も触り、爆弾の構造や針の刺さっている部分を何度も確かめたり、魔道具を使って検査をしている。
好き放題に若い女性に体をベタベタ触られるレオを見て、寝かしておいたのは正解だったかもしれないと思った。
「なるほどね・・・うんうん・・・よし。ルル、例の魔道具を!」
「はい!」
ルルがなにやら小さめの魔道具を持ってきた。
そしてその魔道具をレオに刺さっている針にくくりつけ、魔道具を起動させる。
エスカは別の魔道具を取り出して、それを調整しながら爆弾と針についてわたし達に説明をしてくれた。
「まずこの爆弾だけど、やっぱり爆弾自体も魔道具だね。無効化しようとして外部から強い魔力を作用させると爆発するわよ」
「そうなの!?わたし、アレだったら氷漬けにしちゃおうかと思ってたんだ」
昔、軍事モノのテレビ番組で爆弾を解除できない場合、液体窒素の中に沈めて凍結させて無効化するような話を聞いたことがあるので、当初はそれを真似しようかと思っていた。
しかしレオが爆弾にくくりつけられているために実行できなかったのだが、おかげで命拾いしたようだ。
「それとユリちゃん、この少年に刺さっている針も魔道具なんだけど、この針を人に刺すとその人の魔力の紋・・・指紋みたいにひとりひとり違うんだけど、その魔力の紋と、心拍、あとはもしかしたら体温も見てるかな?とにかくそれらを記憶する。そしてその紋や心拍の信号が途切れると、針の魔道具が活性化して爆弾に信号が送られる。そんな仕組みになってるの」
「なるほど・・・」
ちょっと調べただけでそこまで分かるエスカ、凄すぎる。
「あたしが針に取りつけた魔道具は、遠隔で人体の信号を受け取れるものなの。投影の魔道具みたいにね」
「なるほど・・・」
「で、今あたしが持っているこの魔道具は、さっき針に取りつけた魔道具に向けて信号を送ることができる魔道具。もう少しで調整が終わるわ」
「じゃあその魔道具をわたしが使えば、わたしがレオの代わりになれるってこと?」
「んー、それはちょっとやめたほうがいいかな」
エスカが難色を示す。
「さっき説明した通り、針は最初に刺した人の情報を記憶している可能性があるの。ユリちゃんがこの少年と全く同じ魔力の紋を作り出せるのならば代われる可能性はあるけど、それは流石に無理だと思うからね」
「ということは、それをレオに?」
「そそ。一番無難なのは、この魔道具を少年に使うことだわね。本人ならば間違いなく魔力の紋が同じだからね。そうしておけば、少年の体に刺さった針を抜いても針への信号が途切れることがない。つまり少年と爆弾を引き離せる」
・・・引き離せれば、爆弾だけを持ち出すことができる。
「エスカ、凄い、凄いよ!」
「よし、じゃあ早速やるよ。ではこちらの魔道具を少年に刺さないといけないから・・・えい」
「ちょっ!エスカ!エスカ!?」
エスカは少年のズボンを一気に引き抜いた。
少年の大事な部分が丸見えになってしまっている。
「何してんのよエスカ!あなたそんな趣味が・・・」
「いやいや、この魔道具、そっちの凶悪な針に比べれば痛くないけど、やっぱり針で刺さないといけないし、ちょこっと深く刺さないといけないから、おしりが一番いいんだよ」
「そうなの?」
「そうなの!」
そしてエスカは魔道具の針の部分を、少年の臀部に横からブスッと突き刺した。
すると魔道具の持ち手部分が青白く光り出し、同時に爆弾側の針にくくりつけた受信側の魔道具も光りだした。
「よし、うまくいった。さ、ユリちゃん。少年を自由にしてあげて」
「・・・うん」
レオを縛っている紐をほどき、倒れないように体を支える。
背中の針を抜いたら血が吹き出るかもしれないので、すぐに応急処置ができるようにしておいてほしいとルルにお願いする。
また、もしかしたら抜いた瞬間に爆弾が爆発するかもしれないので、念のために皆には少し下がってもらい、ミネルヴァに結界を張って守ってもらった。
なお、爆弾に余計な魔力を浴びせないようにするため、わたしとレオはノーガードだ。
もしも爆弾が爆発すれば、わたしとレオは助からないかもしれない。
・・・でもわたしはエスカを信じてる。
それにエスカが来てくれなかったら、レオを助けられる希望の欠片すら見えなかった。
躊躇なんて必要ない!
レオを正面から抱きしめ、そっと針から引き剥がしていく。
徐々に針が体から抜けていき、やがて針の先端が見えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やった」
爆弾は何事もなかったかのようにそのまま鎮座していた。
レオのおしりの魔道具と、爆弾の針にくくりつけられた魔道具は規則正しく点滅している。
作戦は大成功だった。
皆も安堵のため息を漏らしたり、ハイタッチしたり、羽をバタバタさせたりして喜びを表現していた。
わたしはレオのお尻に刺さった魔道具が外れないように気をつけながら、レオをそのままうつ伏せに寝かせると、ルルとエスカに背中の傷と骨折の応急処置を頼んだ。
ディーネにお願いすればすぐに治療もできるが、それよりも先にやることがある。
「ディーネちゃん、サラちゃん、ミっちゃん、急いで海に向かうわ!」
わたしは爆弾を抱え、サラの背に乗った。
自力では飛ばない。
纏った魔力が爆弾に影響を与えるかもしれないので念のためだ。
ミネルヴァはディーネの背に乗り、わたし達は一目散に海に向かって飛んだ。
夕の鐘までもう数分もないが、ここから海までは近い。
できればもっと遠くまで行きたかったが、コーラル近郊の海でも対処の方法はある。
コーラルの海岸から百メートルほどの海上で空中停止し、ディーネに指示を出す。
「ディーネちゃん、海を割って!」
「承知!」
ディーネが水の魔力を海に充満させ、まるでモーゼのように海を割る。
すぐに海底が露見する。
「ミっちゃん、ちょっと爆弾を持っててね」
「早く済ませなさいよ」
わたしはミネルヴァに爆弾を渡すと、サラの背中から飛び降りて、露見した海底に向けて落下する。
海が割れている時間は十数秒。それだけあれば十分だ。
「うをりゃああああ!」
落下しながら手に土の魔力を込め、海底の地面に向けて放つ。
轟音と共に海底が大きく揺れ、まるでクレバスのような大きい亀裂が海の底に生まれた。
「ミっちゃん、亀裂に爆弾を投げて!サラちゃんは風を!」
ミネルヴァが亀裂に向かって爆弾を投下する。
うまく亀裂の間に落ちるよう、サラが複雑な風を起こして爆弾の落下軌道を微調整する。
わたしは爆弾とすれ違うように海底から飛び上がり、そのままディーネ達と合流した。
爆弾は亀裂の間に吸い込まれるように消えてゆき、それと同時にディーネが海を閉ざす。
そして、夕の鐘が鳴った。
わずかに遠くで地響きのようなものが聞こえたような気はしたが、海は穏やかなままだった。
そんな穏やかな海を眼下に、全ての緊張から解き放たれたわたしは、しばしの間放心していた。
「・・・よ、ユリよ」
「え?あ?ディーネちゃん?」
「ユリの勝ちじゃ。よくやったのじゃ」
「うん・・よかった。本当に良かった。みんなのおかげよ」
ようやく実感が湧いてきた。
本当に皆のおかげだ。
侵入者の尋問から始まり、レオの救出と爆弾処理。
集まってくれた皆のおかげで掴むことができた大勝利だ。
美しい夕焼けを反射する水面の眩しさを眺めながら、しみじみとそう思った。
「ユリ、エスカ達を連れてきた私にも感謝しなさいよ」
「うん、ありがとうサラちゃん。かわいいサラちゃん。久しぶりにあの歌を聞きたいわ」
「絶対歌わないし!」
それからわたしたちは、レオをちゃんと治療するために鐘楼に戻った。
無事に戻ったわたし達をエスカとルルは最高の笑顔で迎えてくれた。
私もエスカに改めて感謝を伝えた。
『これでまたきっとカーク様のあたしへの好感度が上がる・・・』とつぶやく声が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。
それからわたしとディーネはすぐにレオの傷を治すと、ミネルヴァに頼んで夢の世界からレオを引き戻してもらった。
◇
「レオ・・・レオ、聞こえる?」
「・・・あれ、勇者様?なぜ?僕は一体・・・」
「レオ、あなたは助かったのよ。わたし、いえ、わたし達は、あなたを助けることができたのよ」
レオはキョトンとしていた。
そして思い出したようにハッとして後ろを、その周囲を見る。
そしてあの忌まわしい爆弾がないことを確認したレオは、ようやく状況を理解した。
レオは嗚咽し、泣いた。
一度は諦めた命。
命と引き換えに託した未来。
本音を言えば死にたくなんて無かった。
怖くて仕方がなかった。
でも町の人達の命と引き換えに生きていけるほど心は強くない。
だから僕は死ぬ以外に方法はないと思っていた。
しかし、その命を失うこともなく、町も救われた。
レオは命の実感と、助けてくれた感謝と、安堵の脱力感が一気に押し寄せて感情が爆発し、長い間、大声を上げて泣きまくった。
◇
わたしももらい泣きしつつ、レオが泣き止むまで待つことにした。
「・・・ねえ、ユリ」
「ううっ・・・何?ミっちゃん」
ミネルヴァがレオを凝視したまま、わたしに声をかける。
しかしミネルヴァは話を続けず、沈黙している。
「・・・」
「ミっちゃん?」
「いいものね、人間ってのも。あたし、もう少し深く人間を知ってみたくなったわ」
「そっか・・・そう思ってくれて嬉しいよ」
しばらくしてようやく泣き止んだレオは、涙でグシャグシャになった顔を袖で拭くと、わたしに笑顔を向けた。
「勇者様、助けてくれて嬉しいです。本当にありがとうございます!」
「うん!私も嬉しい!」
「ただ、その、勇者様・・・」
「ん、何?」
「あの・・・なぜ僕は、ズボンを脱がされているのでしょうか・・・」
「あっ!・・・違うよ!そういう趣味とかと違うからね!」
治療した後、服を戻すのを忘れてたよ・・・
その後、あらぬ誤解を招かぬように必死に理由を説明させていただいた。
・・・これも元はといえばあの侵入者達のせいだし!
レオにひどいことをした分だけは絶対に泣かす!
しかし既に侵入者達は全員死んでいた。
拷問や死刑ではなく、突如として発生した火に焼かれ、焼死していた。
歯茎がきしむほど歯を食いしばり、強く握りしめた拳は爪が掌に食い込んでいたが、痛みは感じなかった。
その理由はわたしの目の前にある、爆発すれば町中に猛毒を撒き散らす爆弾と、その爆弾に繋がれた少年の姿だ。
・・・早く爆弾をなんとかしないと。
遠くに飛ばすか海に沈めるか地中深くにでも埋めてしまおうと思っていたけれども、そのためにはこの子を犠牲にしないといけない。
この子も救って、爆弾を撤去するにはどうすれば・・・
爆弾は時限式で、夕の鐘の頃に爆発する仕組みだ。
それに加えて、この少年の体に刺された針が爆弾に直結しており、センサーのような役割を果たし、もしも少年から針を抜いたり少年が死亡するとそれを検知して爆発するらしい。
針といっても結構太く、少年に深々と刺さっているように見える。
少年は折れた足だけではなく、その針の痛みにも耐えているに違いない。
・・・人の命を何だと思っているよ。
ふざけやがって。
考えている間にも夕刻は迫る。
気持ちは焦るばかりだ。
「何か、何か方法は・・・」
「あの・・・お姉さんは、勇者様ですよね?」
ふと、少年がわたしに問いかける。
「ええ・・・そうね。そう呼ばれてるわ」
「そうですよね、直接見たのはこれが初めてですけど、その髪型と、そっちの猛々しい鳥を見て勇者様だと思いました。嬉しいなあ・・・最後に会えて、本当に嬉しいです」
そう言って少年は力のない笑顔を浮かべた。
「最後って・・・最後なんて、そんな事言わないでよ。まだわたしは・・・」
「もう、時間が無いんですよね。いいんです。助けてなんて言ってごめんなさい。勇者様を困らせるつもりは無かったんです」
「困ってなんて、そんな・・・」
わたしの返答を待たずに少年は首を振り、再び謝った。
「ごめんなさい、僕が勇者様を困らせていることは分かっているんです。僕、もう助からないんですよね。だったら気にせずに僕を見捨ててください」
「見捨てられるわけないじゃない!」
少年の言葉に反射神経でどなり返す。
見捨てられない、見捨てたくないという気持ちは本当だ。
しかし、少年の命ひとつの犠牲で大勢の命を救えるということも、頭の中では分かっている。
自分は偽善者だとつくづく感じる。
しかし、頭で理解はしていても、心が許さない。
「ねえ、ディーネちゃん、ミっちゃん。何かいい方法は無いかな?この子を救って、爆弾を止める方法、無いのかな!?」
「・・・」
ディーネを見る。
ディーネは無表情だった。
ハシビロコウは基本的に無表情だが、今日はより一層無表情に見える。
ミネルヴァを見る。
目が合い、そしてミネルヴァがやれやれといった表情で口を開く。
「爆弾だけだったらどうにかできるだろうけどね。まあ仕方ないんじゃない?一人よりも大勢よ。もう時間も無いんだし、その子の言う通り、悪いけどその子に犠牲になってもらうのが建設的だと思うわ」
「・・・ミっちゃん、わたしが聞いているのは助ける方法よ」
ミネルヴァの言い様に小さな怒りがこみ上げてくる。
しかし、ミネルヴァの放言に対する怒りなのか、そうするべきだと同意できる自分に腹が立っているのか判断できない。
「でもユリ、あんた勇者なんでしょ?町の人達を救えるのに、みすみす見殺しにするようなことがあっちゃ駄目なんじゃないの?」
「・・・だからこの子を犠牲にしろと?」
「・・・ええ、まあ、結果的にそうなるんだけど」
「ふざけんじゃないわよ・・・こんな罪の無い子を犠牲にして町を守って、何が勇者よ!そんな勇者なんていらないわよ!!」
「じゃあどうするのよ!」
声が裏返るほど叫んだ声も、自分の無力さを一層際立たせるだけだった。
自分に腹が立って仕方がない。
ミネルヴァと不毛な言い合いになり、わたしはほとんど八つ当たり気味にミネルヴァに食って掛かる。
そんなわたしとミネルヴァの間に、ディーネが割り込んだ。
「ユリよ、まずは落ち着くのじゃ。それとミっちゃんよ。一つ聞くが、もしもこの少年がメティスであればどうじゃ?犠牲になって死んでくれと頼むかの?」
「それは・・・イヤよ」
メティスはミネルヴァのお気に入りの人間だ。
わざわざロイドの町から連れてきて、ミネルヴァの右腕として仲良くお手伝いをしている。
「でもそれはあたしがメティスをよく知っているからよ。見ず知らずの人間ならば仕方がないじゃない」
「仕方がない、とは思うのじゃな。ミっちゃんは人間と接した時間がまだ短いから分からぬかもしれぬが、人間は同族を大切に思うものなのじゃ」
「・・・知らない人でも?」
「その通りじゃ。それが思いやりというものなのじゃ。もちろん今の王やこの爆弾を仕掛けた者のように非道な人間たちもおる。しかしユリはそうではない。たとえ見知らぬ人であってもその生命を救いたいと考えておる。だからこそユリはこれほどまでに苦しんでいるのじゃ」
「・・・」
「妾もユリだけではなく、先王やアドルや、たくさんの人間たちと接してきた。人間というのは愚かな面もある。人間に絶望して心を閉ざしたこともある。しかしその心を開いてくれたのはユリなのじゃ」
ディーネはバルゴと火の精霊の企みによって捕まりそうになった事で、人間を、世界を見捨てて結界に籠もっていた。
わたしもバルゴに騙された口だが、色々あってディーネに出会い、ディーネももう一度人間を信じてみる気になってくれた。
「ミっちゃんの言も正しいのじゃ。正しいゆえに残酷なのじゃ。それはユリも分かっておるのじゃ。そうであろう?」
「・・・うん。ディーネちゃんの言う通りよ。ミっちゃん、八つ当たりしてごめんね」
「・・・あたしも悪かったわよ」
つまらぬ喧嘩は収まったものの、何一つ進展していないどころか、無駄に時間を食っただけである。
「わたし、馬鹿だ・・・馬鹿で無能だわ。結局また助けられないじゃない・・・」
アキムを失った記憶が蘇る。
あんなことを二度と繰り返さないために強くなると誓ったのに。
頑張って強くなったのに、またしても目の前の命が救えないでいる。
「助けられなければ、強くなんてないじゃないの・・・」
「いいえ、勇者様は強いです。そして優しくてかっこいいです」
少年は、申し訳無さそうな表情を浮かべてわたしを見ていた。
「全然知らない僕のために、こんなに心を痛めてくれて嬉しいです。やっぱりあなたは勇者様です。それに僕が死んでしまうのは勇者様のせいではありません。本当に気にしないでください」
「でも、でも・・・」
「それに僕だって生まれ育ったこの町を守りたいです。だから僕を助けようなんて思わないでください。僕も勇者になれるんです、この町を、本当の勇者様と一緒に救った勇者に・・・」
その言葉が胸に突き刺さる。
わたしが勇者と呼ばれることが心苦しい。
今はそれが疎ましくさえ思う。
わたしは床に崩れ落ち、床についた手の甲が濡れた。
悔しさで涙が溢れて止まらない。
「ごめん・・・ごめんね!!本当にごめんなさい・・・わたし、君に何もしてあげられない。何もしてあげられないの・・・」
「僕のために喧嘩してくれて、泣いてくれてありがとう。だからもう大丈夫です。僕ごと爆弾を・・・町を守ってください」
少年はもう覚悟ができている。
ならばわたしも覚悟を決めないといけない。
唇から血が流れる。
悔しさに耐えるために唇を噛み切るなんて、漫画の中でしか見たことがなかった。
まさか自分の身にも起きるなんて思いもしなかった。
「ユリよ、もう時間がないのじゃ」
「うん、分かってる・・・」
やるしかない。
でもその前に聞いておかなければいけない大切なことがあった。
「ねえ、君。今更で申し訳ないんだけれども・・・名前、教えてくれないかな」
「名前・・・僕、レオって言います」
「レオ・・・素敵な名前ね。その名前、わたし一生忘れないわ」
それからわたしはミネルヴァに頼んで、レオに眠ってもらった。
あの悪辣な侵入者に見せた悪夢ではなく、幸せな夢を見られるようにとお願いをして。
そして最後の時はせめて眠ったまま、苦しまないようにと・・・
「・・・じゃあ、レオと爆弾を運ぶわ。できるだけ遠くに行って、そこで爆弾を・・・」
「ユリちゃん、お待たせええええええ!」
「えっ!?」
聞き慣れた声がする方向を見ると、そこには鐘楼に向かって飛んでくるサラと、その背に乗ったエスカとエスカの助手であるルルの姿があった。
エスカがブンブンと手を振っている。
「エスカ・・・エスカああああああ!」
わたしも声を上げて手を振り返し、サラが鐘楼に到着するまで手を振り続けた。
◇
「まだ爆弾と男の子はそこね。間に合って良かったよ」
鐘楼に到着してサラから降りたエスカはすぐに周囲を見渡し、爆弾とレオを視認してそう言った。
「エスカ、それにルルもどうして・・・」
「ユリちゃん達がこっちに向かった後で、あの侵入者達の尋問が続けられたみたいでさ・・・」
カークはそこで爆弾に関する追加情報や、起爆装置に少年の命が使われていることを聞いた。
爆弾の解除の方法までは侵入者達も知らなかったようだが、わたし達が少年の救出に困っているかもしれないと考えたカークがサラに頼んで、魔道具に詳しいエスカを急遽こちらによこしてくれることになったそうだ。
「でもエスカ、聞いているなら分かっているとは思うけど、ここにあるのは爆弾なのよ。エスカだって危ないのに・・・」
「何言ってんのよ。こーゆー時こそあたしの出番じゃない。それに生体に魔道具を作用させる技術も多少は知ってるから役に立つかもよ。その子を助けたいんでしょ?」
エスカがウインクする。
ルルもニコニコしながら後ろで大量の道具を並べて、なにやら準備を始めている。
わたしの目に再び涙がこみ上げる。
でも今度の涙は先程までのものとは違う。
希望と喜びに満ちたものだった。
「エスカ・・・エスカあ・・・」
「よしよし。ユリちゃん、頑張ったね。さあ、やるわよ!」
「うん!」
「何と言ってもカーク様たってのお願いだしね!」
「・・・」
・・・これが本音っぽいな。
でも、それでも構わない。
エスカが最後の頼みの綱なのだ。
それから急ピッチでエスカの爆弾検分が進められた。
エスカとルルは爆弾とレオを何度も触り、爆弾の構造や針の刺さっている部分を何度も確かめたり、魔道具を使って検査をしている。
好き放題に若い女性に体をベタベタ触られるレオを見て、寝かしておいたのは正解だったかもしれないと思った。
「なるほどね・・・うんうん・・・よし。ルル、例の魔道具を!」
「はい!」
ルルがなにやら小さめの魔道具を持ってきた。
そしてその魔道具をレオに刺さっている針にくくりつけ、魔道具を起動させる。
エスカは別の魔道具を取り出して、それを調整しながら爆弾と針についてわたし達に説明をしてくれた。
「まずこの爆弾だけど、やっぱり爆弾自体も魔道具だね。無効化しようとして外部から強い魔力を作用させると爆発するわよ」
「そうなの!?わたし、アレだったら氷漬けにしちゃおうかと思ってたんだ」
昔、軍事モノのテレビ番組で爆弾を解除できない場合、液体窒素の中に沈めて凍結させて無効化するような話を聞いたことがあるので、当初はそれを真似しようかと思っていた。
しかしレオが爆弾にくくりつけられているために実行できなかったのだが、おかげで命拾いしたようだ。
「それとユリちゃん、この少年に刺さっている針も魔道具なんだけど、この針を人に刺すとその人の魔力の紋・・・指紋みたいにひとりひとり違うんだけど、その魔力の紋と、心拍、あとはもしかしたら体温も見てるかな?とにかくそれらを記憶する。そしてその紋や心拍の信号が途切れると、針の魔道具が活性化して爆弾に信号が送られる。そんな仕組みになってるの」
「なるほど・・・」
ちょっと調べただけでそこまで分かるエスカ、凄すぎる。
「あたしが針に取りつけた魔道具は、遠隔で人体の信号を受け取れるものなの。投影の魔道具みたいにね」
「なるほど・・・」
「で、今あたしが持っているこの魔道具は、さっき針に取りつけた魔道具に向けて信号を送ることができる魔道具。もう少しで調整が終わるわ」
「じゃあその魔道具をわたしが使えば、わたしがレオの代わりになれるってこと?」
「んー、それはちょっとやめたほうがいいかな」
エスカが難色を示す。
「さっき説明した通り、針は最初に刺した人の情報を記憶している可能性があるの。ユリちゃんがこの少年と全く同じ魔力の紋を作り出せるのならば代われる可能性はあるけど、それは流石に無理だと思うからね」
「ということは、それをレオに?」
「そそ。一番無難なのは、この魔道具を少年に使うことだわね。本人ならば間違いなく魔力の紋が同じだからね。そうしておけば、少年の体に刺さった針を抜いても針への信号が途切れることがない。つまり少年と爆弾を引き離せる」
・・・引き離せれば、爆弾だけを持ち出すことができる。
「エスカ、凄い、凄いよ!」
「よし、じゃあ早速やるよ。ではこちらの魔道具を少年に刺さないといけないから・・・えい」
「ちょっ!エスカ!エスカ!?」
エスカは少年のズボンを一気に引き抜いた。
少年の大事な部分が丸見えになってしまっている。
「何してんのよエスカ!あなたそんな趣味が・・・」
「いやいや、この魔道具、そっちの凶悪な針に比べれば痛くないけど、やっぱり針で刺さないといけないし、ちょこっと深く刺さないといけないから、おしりが一番いいんだよ」
「そうなの?」
「そうなの!」
そしてエスカは魔道具の針の部分を、少年の臀部に横からブスッと突き刺した。
すると魔道具の持ち手部分が青白く光り出し、同時に爆弾側の針にくくりつけた受信側の魔道具も光りだした。
「よし、うまくいった。さ、ユリちゃん。少年を自由にしてあげて」
「・・・うん」
レオを縛っている紐をほどき、倒れないように体を支える。
背中の針を抜いたら血が吹き出るかもしれないので、すぐに応急処置ができるようにしておいてほしいとルルにお願いする。
また、もしかしたら抜いた瞬間に爆弾が爆発するかもしれないので、念のために皆には少し下がってもらい、ミネルヴァに結界を張って守ってもらった。
なお、爆弾に余計な魔力を浴びせないようにするため、わたしとレオはノーガードだ。
もしも爆弾が爆発すれば、わたしとレオは助からないかもしれない。
・・・でもわたしはエスカを信じてる。
それにエスカが来てくれなかったら、レオを助けられる希望の欠片すら見えなかった。
躊躇なんて必要ない!
レオを正面から抱きしめ、そっと針から引き剥がしていく。
徐々に針が体から抜けていき、やがて針の先端が見えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やった」
爆弾は何事もなかったかのようにそのまま鎮座していた。
レオのおしりの魔道具と、爆弾の針にくくりつけられた魔道具は規則正しく点滅している。
作戦は大成功だった。
皆も安堵のため息を漏らしたり、ハイタッチしたり、羽をバタバタさせたりして喜びを表現していた。
わたしはレオのお尻に刺さった魔道具が外れないように気をつけながら、レオをそのままうつ伏せに寝かせると、ルルとエスカに背中の傷と骨折の応急処置を頼んだ。
ディーネにお願いすればすぐに治療もできるが、それよりも先にやることがある。
「ディーネちゃん、サラちゃん、ミっちゃん、急いで海に向かうわ!」
わたしは爆弾を抱え、サラの背に乗った。
自力では飛ばない。
纏った魔力が爆弾に影響を与えるかもしれないので念のためだ。
ミネルヴァはディーネの背に乗り、わたし達は一目散に海に向かって飛んだ。
夕の鐘までもう数分もないが、ここから海までは近い。
できればもっと遠くまで行きたかったが、コーラル近郊の海でも対処の方法はある。
コーラルの海岸から百メートルほどの海上で空中停止し、ディーネに指示を出す。
「ディーネちゃん、海を割って!」
「承知!」
ディーネが水の魔力を海に充満させ、まるでモーゼのように海を割る。
すぐに海底が露見する。
「ミっちゃん、ちょっと爆弾を持っててね」
「早く済ませなさいよ」
わたしはミネルヴァに爆弾を渡すと、サラの背中から飛び降りて、露見した海底に向けて落下する。
海が割れている時間は十数秒。それだけあれば十分だ。
「うをりゃああああ!」
落下しながら手に土の魔力を込め、海底の地面に向けて放つ。
轟音と共に海底が大きく揺れ、まるでクレバスのような大きい亀裂が海の底に生まれた。
「ミっちゃん、亀裂に爆弾を投げて!サラちゃんは風を!」
ミネルヴァが亀裂に向かって爆弾を投下する。
うまく亀裂の間に落ちるよう、サラが複雑な風を起こして爆弾の落下軌道を微調整する。
わたしは爆弾とすれ違うように海底から飛び上がり、そのままディーネ達と合流した。
爆弾は亀裂の間に吸い込まれるように消えてゆき、それと同時にディーネが海を閉ざす。
そして、夕の鐘が鳴った。
わずかに遠くで地響きのようなものが聞こえたような気はしたが、海は穏やかなままだった。
そんな穏やかな海を眼下に、全ての緊張から解き放たれたわたしは、しばしの間放心していた。
「・・・よ、ユリよ」
「え?あ?ディーネちゃん?」
「ユリの勝ちじゃ。よくやったのじゃ」
「うん・・よかった。本当に良かった。みんなのおかげよ」
ようやく実感が湧いてきた。
本当に皆のおかげだ。
侵入者の尋問から始まり、レオの救出と爆弾処理。
集まってくれた皆のおかげで掴むことができた大勝利だ。
美しい夕焼けを反射する水面の眩しさを眺めながら、しみじみとそう思った。
「ユリ、エスカ達を連れてきた私にも感謝しなさいよ」
「うん、ありがとうサラちゃん。かわいいサラちゃん。久しぶりにあの歌を聞きたいわ」
「絶対歌わないし!」
それからわたしたちは、レオをちゃんと治療するために鐘楼に戻った。
無事に戻ったわたし達をエスカとルルは最高の笑顔で迎えてくれた。
私もエスカに改めて感謝を伝えた。
『これでまたきっとカーク様のあたしへの好感度が上がる・・・』とつぶやく声が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。
それからわたしとディーネはすぐにレオの傷を治すと、ミネルヴァに頼んで夢の世界からレオを引き戻してもらった。
◇
「レオ・・・レオ、聞こえる?」
「・・・あれ、勇者様?なぜ?僕は一体・・・」
「レオ、あなたは助かったのよ。わたし、いえ、わたし達は、あなたを助けることができたのよ」
レオはキョトンとしていた。
そして思い出したようにハッとして後ろを、その周囲を見る。
そしてあの忌まわしい爆弾がないことを確認したレオは、ようやく状況を理解した。
レオは嗚咽し、泣いた。
一度は諦めた命。
命と引き換えに託した未来。
本音を言えば死にたくなんて無かった。
怖くて仕方がなかった。
でも町の人達の命と引き換えに生きていけるほど心は強くない。
だから僕は死ぬ以外に方法はないと思っていた。
しかし、その命を失うこともなく、町も救われた。
レオは命の実感と、助けてくれた感謝と、安堵の脱力感が一気に押し寄せて感情が爆発し、長い間、大声を上げて泣きまくった。
◇
わたしももらい泣きしつつ、レオが泣き止むまで待つことにした。
「・・・ねえ、ユリ」
「ううっ・・・何?ミっちゃん」
ミネルヴァがレオを凝視したまま、わたしに声をかける。
しかしミネルヴァは話を続けず、沈黙している。
「・・・」
「ミっちゃん?」
「いいものね、人間ってのも。あたし、もう少し深く人間を知ってみたくなったわ」
「そっか・・・そう思ってくれて嬉しいよ」
しばらくしてようやく泣き止んだレオは、涙でグシャグシャになった顔を袖で拭くと、わたしに笑顔を向けた。
「勇者様、助けてくれて嬉しいです。本当にありがとうございます!」
「うん!私も嬉しい!」
「ただ、その、勇者様・・・」
「ん、何?」
「あの・・・なぜ僕は、ズボンを脱がされているのでしょうか・・・」
「あっ!・・・違うよ!そういう趣味とかと違うからね!」
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その後、あらぬ誤解を招かぬように必死に理由を説明させていただいた。
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