偏食の吸血鬼は人狼の血を好む

琥狗ハヤテ

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偏食の吸血鬼は人狼の血を好む・5

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 真紅の虹彩が揺れる。
 それは私の行った凌辱に怒り、炯々と光っていた。けれどそれさえ美味そうに見えたのは、流石にはしたないと思った。
 強い衝動から我を忘れ、私は二百年ぶりの「食事」をした。乾きに乾いていた体に甘露が染み込んでいく愉悦に酔いしれた。何の手加減もなく、貪った。
 けれど、同時に「どうして」とも考えていた。

どうして
こんなにこの男の血は美味いのか
どうして
ずっと血を受け付けなかったのに、今更
どうして…
この男は、死なない?

 強い芳香を放つ温かい血を飲みながら、加害者であるのに身勝手に思っていた。
 しかし今、男は力なく床に倒れていた。私の首からずるりと指がはぐれてゆく。慌ててその体を追いすがった。
「あ、ああ…!」
 殺してしまったと思った。我に返り、欲望のままに吸血した罪悪感と羞恥心が後になって身体を覆う。急速に力が漲るのを感じたが、目の前で力なく目を閉じている巨躯の男を揺り動かす。
「レオニス! 大丈夫かっ!?」
 クリスチャンの声だとわかったが、私はそちらを見ず、力ない男の頭を膝に抱えるように持ち上げる。
「彼が…、彼が死んでしまう…!」
「……ゥ…」
 腕の中で男が呻く。
 生きてる。
 また思う。「どうして」と。
 私に致死量の血を奪われても、クリスチャンに渾身の力で殴られたにも関わらず。
「……何者だ…?」
 安堵に肩から力が抜ける。瞼を閉じたままの男の浅い息遣いを聞きながら問うても、答えはなかった。
「おい、大丈夫なのか? コイツに乱暴されてたんじゃ…いや、お前が人間にやられるとは思ってねえし、侮ってるわけじゃないけどよ…」
「違う、乱暴したのは私の方だ…彼は、ただ反抗を…」
「お前が? コイツが反抗??」
 馬鹿なと言いたげにクリスチャンは屈みながら言ったが、私の血に濡れた口元で察したのか、目を丸く見開いた。
「食事したのか、レオニス! やったじゃねぇか!」
 嬉しそうに破顔しながら、私の肩を掴んで揺らす。だがハッと手を離した。その目に一瞬恐怖がよぎる。私の中に戻ってきた「力」の気配を感じたのだろう。
「けれど、彼が…っ」
「生きてるじゃねえか、加減して吸ったんだろ? 俺が殴ったから目を回しただけさ」
「……ち、ちが……」
 慌てて首を振ったが、クリスチャンは私の久しぶりの食事のことばかり嬉しいようで。
「そっか、そっかぁ! よかったじゃねえか、これで万年貧血からも解放されるな! 何ならこの男はお前が自分とこに連れて行きゃいいさ。ほらさっきお前が食ってた料理を作ったのはコイツだ。ちょーっと癖の強い無愛想な男だが、お前ならチョイチョイっと手懐けられんだろ?」
 自分の目尻を突きながらクリスチャンは言う。
 「魅了(チャーム)」の力を指しているのだろう。さっきも私は無意識にこの男に使ったはずだ。けど…男は途中で正気に戻って私を引き剥がした。
 何故、そんなことができたのか。
 答えない眠ったままの男を見下ろす。
 滑らかな額を撫でる。酔客にワインボトルで殴られたはずなのに、傷ひとつない。
 不思議な男。
 未だその身体から匂い立つ、食欲をそそる香り。
 話したいし、無体を詫びたい。
 いいや、本心を隠して取り繕ってもしょうがない。


欲しい。
この男が、欲しい。
食欲が隠せない。

もう一度……血が飲みたい。


「私が、連れて帰る」
 クリスチャンに言うと、彼はにまりと笑って、背後に従えていた黒服を呼び寄せた。
 私の膝から男が引き上げられる。今の私ならば彼くらい担げただろうが、任せることにする。
 部屋を出ると、トラブルなどなかったかのようにフロアは音楽で満ち、客達はいつも通り騒いで踊っている。
 けれど、忙しなくうごく天井のスポットライトの明滅も、重低音の響きも、何ら負担を感じなかった。螺旋階段を降りる足がふらつくこともなく、身体が羽のように軽い。億劫さはなく、眩暈も感じなかった。心さえ澄み渡っていた。
 血を、飲んだからだ。
 快適さというものを、数百年ぶりに味わう。
 温かな男の血が、私を満たしている。生気に溢れ、生き生きと体内で蠢いている。人間の血とはここまで力強かっただろうか。それとも私がそれほど渇望していたからだろうか。
 眼前を引きずられてゆく男の項垂れた背中を見ていると、気づいた。周囲を取り巻く黒服やバウンサー達が、怯えた気配を醸しているのを。
 私を畏れている。
 何か間違いがあれば、自分達もあの昏倒した男のように蹂躙されるのだと。
 強い疎外感を覚えた。
 だが、何を言っても溝は埋まらないだろう。生物である以上、恐怖をなくすことは不可能だ。なるべく物静かに装いつつ、店の出入口に向かうことしかできなかった。
 店の前に横付けされていた車から運転手が驚いて出てくる。開かれた後部座席に昏倒したままの男が入れられるのを、少しハラハラしながら見ていた。
 乱暴に扱わないでくれ、私の大事なものなんだ…そう何度も言いそうになるのを、飲み込んだ。すぐに車に乗り込み、男の傾いだ身体を自分に引き寄せた。重い頭が肩にのし掛かる。
「じゃな、レオニス」
 ついてきていたクリスチャンが手を振る。取り囲んでいた黒服やバウンサー達は憐れみのような表情で、私に抱かれる男を見ていたが、何も言わず立っていた。
「部屋をすまない。後で改めて詫びを」
「気にすんなって! 大事にするんだぜ。ソイツの私物は後で送ってやるさ」
 子犬でも引き渡すかのように言うクリスチャン。車が動き始めると、彼はまた一団を引き連れて店の中に戻って行った。
 運転席と後部座席は今、スモークのパワーウィンドで隔離されている。車内に、2人きりになった。
 男の小さな息遣いが聞こえる。髪はワインに濡れ香る。わずかに甘やかな血の香りがして、思わず鼻を寄せてしまう。
(いい匂い…)
 額に鼻筋を擦り付け、堪能する。
 精悍な眉骨に唇が触れると、伸ばしたくなってしまう舌を何とか我慢する。
 眼帯の下がどうなっているのかはわからなかったが、プライベートな部分ではないかと思い、触れないようにしながら顔を覗き込む。生きているか心配だった。
 堀の深い瞼には思いの外長い睫毛が並んでいる。まっすぐで高い鼻梁は少し尖り気味だったが、がっしりとした顎のラインには程よくあっていた。武骨で屈強だが、目の下は隈が滲み、薄い唇は少し乾いて割れていて、男の疲弊した生活をにおわせた。
 樫のように硬い腕。投げ出された長い足も、スラックスの中で窮屈そうで、筋肉のラインを浮き上がらせている。私が破ったシャツからのぞいている胸板も厚く、今はゆっくりと上下している。緩やかな強い鼓動まで聞こえた。浅黒い張りのある皮膚の下に、あの甘露な血が流れているのかと思うと……指を弾力ある胸筋に這わすだけで、何とか欲望を押し殺す。
 さっき見た、怒りに満ちた瞳を思い出す。

 すまない、私を許して欲しい。
 きっと、目覚めても怒るのだろうな、私を好いてくれることなど未来ないかもしれない。いや、それでいいし高望みはしない。
 せめて、安寧の生活を与えると約束するから。
 だから……

 そう心の中で懺悔しつつも、私は眠り続ける男の香りを楽しみ、舌舐めずりをしていた。
 久々に感じる背徳感。
 人間らしい食事をして、長く渇いた年月を生き、もはや清貧といえる生活に勤しんでいたのに、強い食欲の前に、貪欲さと傲慢さは瞬時に頭をもたげた。
 それに抗えなかった。


 血が血を求める。


 やはり、私は吸血鬼なのだと。





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