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浅井氏の興亡

命の使い道

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「あの策はそこもとか?」
浅井長政は言った。


 開城の臨検役として俺が山内伊右衛門と胤舜を連れて小谷城の浅井長政の前に控えている。

 場には久政やお市様とその子どもたち、浅井三将と呼ばれる三人の家来達もいる。


「は。お久しぶりでございます」


「ふむ…一別以来じゃの」

「この地では地球儀の話や政策の話などをさせていただき、楽しい時間をすごさしていただきました」

「ふむ。あの時は楽しかったな。今では、遠い昔の出来事であったかのようにも思えるが…。さて、開城の話をしようか」
 長政殿は一瞬、昔を懐かしむような顔をしてから、真面目な顔になった。

「はい」


「今更、言ってもせんなきことではあるが…四面楚歌に倣ったであろうそこもとの策。我らの戦意をくじいて無血開城させようという謎かけであったろうが…市が自害すると騒いで、止めるのに苦労しましたぞ?」


「……覇王別姫ですか?…お市様は〝史記〟に殉じて虞美人草におなりになるところだったのですね…」

 意図しなかった事態に、俺は危ないところだったと冷や汗をかく。

〝虞や虞や汝をいかにせん〟と辞世の句を詠んだ項羽。それを聞いた虞は項羽の最後の突撃の邪魔をしないように自害する。その故事をお市様もご存知だった。

 浅井長政を項羽に自身を虞美人になぞらえて最後の突撃をうながす献身を示そうとされたのだろう。

「それは予測できませんでした。あの策の意図はあくまで浅井方の降伏をうながし、城兵や侍女、お市様や子ども達、そして、…浅井様親子の命を救うためのものだったのですが……」


「……妻子や城兵はともかく……それがしと父もでござるか……そんなことを義兄上殿がゆるされたのか⁉︎」

「はい。弾正忠様とはかり、降伏の条件を取り纏めて参りました。これがその条件です。」

 俺は降伏の条件をまとめた書状を長政殿に渡す。


 長政殿はその書状に目を通してから口をひらく。

「ふむ…〝無条件に降伏し開城すれば、家臣達やお市、子ども達だけでなく浅井長政・久政両名の命も助ける。そのかわりお市とは離縁。娘達とともに織田家へ返すこと。領地は没収の上、浅井親子および浅井家の男子とその家臣達は国外追放に処す〟義兄上を裏切って挟み討ちにし、3年に及んで抵抗を続けた我らを生かすとは……信じられぬ」


「我々は金ヶ崎での備前守様(長政のこと)の裏切りを予期し備えておりました」


「な、なんと?どうやって??」

 長政殿が目を丸くする。

 まあ、浅井の裏切りを予測できた1番大きな要因は、俺が歴史を知っていたこと。

 さらには、式神を用いて浅井の動向を見張ってもいたというのもあるのだが…そうとも言えないな。

「この近江の地で以前、会食した際に備前守様が最後に〝朝倉を攻める際には事前に浅井に相談して欲しい〟とおっしゃられたからですかね?」

「あの一言でか??…そういえば市もそんなことを申しておったな…。儂の一言はそんなに軽率であったかの?」

 長政殿は苦笑する。

「「いえいえ」」

 俺とお市様の声が揃う。

「しかしながら、そなたらの息のあいようはなんなのじゃ。全く」

 そう言って、長政殿の苦笑は深くなる。

「「そうですか?」」

「ほら、また。まあ…よい。話を進めようか」


「はい。事前に金ヶ崎での備前様の裏切りを予期していた弾正忠様は、実際に備前守様が裏切ってもそれほど動揺も激怒もされませんでした。それがしの提案にも最初は難色を示されましたが…。それがしが金ヶ崎以降、必死で働きもあったのと、事理を説いたら納得されました」


「事理とは?」

 俺は今の世界ではポルトガルとスペインが世界を二分しようと競って攻略していることを伝えた。そして、うかうかしているとこの国――日本も侵略されると。

「南蛮の植民地や奴隷の扱いはそれは酷いものです。この国を気に入っているそれがしとしましては…この国とこの国の国民をそんな酷い目に合わせたくないのでございますよ」



「ほう…南蛮人とはそんなに残酷なのか…」

「はい。例えばスペインという国に占領されたフィリピンという国は国民に重税と重い労役をかし、国民がことごとく餓死するところでした」

「国民がことごとく餓死するところまで搾取したのか?」


「はい。そのこと問題視して、改めさせようとする正義感の強い南蛮の宣教師達もいたようですが…。そういう者たちは強欲な南蛮の貴族や商人達、あろうことか他の強欲な宣教師達までもが潰しにかかり、正義感の強い宣教師はいつのまにか消されるといった始末。私はこの国がそんな目にあうのも嫌ですが、この国と国民が酷い状態になってから声を上げて、消されるのも御免こうむります。そうなる前に、今のうちに動こうとしているわけです」

 エンコミエンダ制。それがスペインの植民地の民達を強制的に改宗させ、スペインの貴族や軍人、商人や一部の強欲な宣教師たちを植民地の人達から酷薄な搾取と強制労働に駆り立てさせた元凶だ。それを止めようとして消された正義感を持ったごく少数の宣教師達がいたことも事実。


「ふーむ…。なるほど。で、そのフィリピンという国はどうなったのじゃ?」


「植民地の国民がことごとく餓死してしまっては支配層も困るということで、ほんの少しだけ手を緩めました。餓死するほどから、生かさず殺さず本当にぎりぎりな状態にしといてやるわ。ってくらい、ほんの少しだけ」


「むう…酷い話じゃ」


 それから俺は日本は小国に分かれて争っている情勢ではスペインやポルトガルにとても対抗できないから、日本を統一して何者にもゆるがされることのない大きな国にする必要があること、それができるのは織田信長であること。

 そしてポルトガルやスペインに対抗する為には海外に侵略を食い止める防波堤のような拠点を作り、有能な武将と忠実で精強な兵達にそこを守らせることが必要であることなどを信長様に説いたと長政殿に説明した。 


「そのために我らを3年もの間苦しめた浅井親子と、苦境の中、最後まで付き従った400もの将兵の命をもらい受けたいのです」

 浅井は確かに裏切った。しかも、最悪のタイミングで。命を助けるには、国外追放くらいはしないと。しかも、俺たちの今後の戦略のために役立つくらいのこともしてもらわないと無理。

 これが俺が御免状をかがげた上でこの一年、戦場で命がけで戦いぬいて信長様から得たギリギリの条件である。


「ふーむ…。」


「この日本という国、全体のことを考えた上でのお願いです。以前にもこの国のことや家族のこと、家臣達のことを考えて決断してくださいと申し上げたはずです。そのお命を浅井家が三代受け継いだ領地のためにではなく、この国全体のためにお使いになる気はございませんか??」

 そういうと、長政殿は考えこんだ。


「浅井の家や領地にこだわって、義兄上に反旗を翻した儂は器が小さいと申すか…。この際、そのような小さな考えは捨てて、この国全体のことを考え、世界に目を向けよ…と」


「その通りです」


「言ってくれるな…。しかし、あの時、フロイス殿は極端な選択をせよと申されましたな。極端な選択とは何だったのです?それがしは義兄上を裏切って討ち果たすことなのでは?と判断いたしたのですが…。謎かけのようなあの言葉。儂は解釈を間違えたかの?」


「それに関しては…少し言葉の選択を間違えたかもしれぬと反省しております。織田家の軍師を任されておるそれがしが、備前守様に織田家を裏切れなどと申すわけがございますまい。ただ…」


「ただ?」

「織田家に味方するにしても対等な同盟関係を維持することは難しい状況でした。天下布武のために朝倉を攻めるのはあの時点で決定していましたから。織田と浅井が良好な関係を保つにはしっかりと浅井が織田に臣従することを誓っていただく必要があったのです。備前守様にその決断ができたかどうか…」


「それは家臣や父の反対にあったであろうし、難しかったであろうな」

 二城城での宴会。そして、近江での会食。これらは史実では行われなかったもの。南蛮の宣教師である俺が信長様に仕えたからこそ行われたものだったのである。

 史実では浅井長政殿は将軍にも挨拶にこなかなかった。将軍に挨拶に行くことはすなわちその後ろ盾となっている織田信長に臣従することに等しかったから父である久政や家臣達が猛反対したのである。この世界ではそれらの反対を振り切って来たことになる。

 浅井3代にわたって力を蓄えてきた北近江という天下の要衝たる領地。難攻不落の小谷城、そして総兵力1万人の強兵達。

 それが浅井家のプライドだったのだろう。

 浅井長政はそれにとらわれずに時代を見据えていたようで、器が小さかったわけではあるまい。父たる浅井久政や家臣達の〝新参者の織田など何するものぞ〟という家中の雰囲気に抗えなかったといったところだろう。

 その弊害は、俺がこの城を兵力差100倍で取り囲むという状況を作ったことで取り払らわれたはず。


「そうでしょうね。だから、あの時はこちらの味方をするべきとはっきりとお誘いできなかったのです。しかし、越前守様が無血開城を決断された今なら〝どうかこの国の為に我らに協力してくださいませんか?〟とお誘いすることができます。世界に興味があったからこそ、弾正忠様とそれがしをあの日の会食に誘われたのでしょう。生きて、その目で世界を見に行く気はございませんか?」

 

「うーん……」

 長政殿は、考え込んだ。

 

「どうする?新九郎。我らとの約定を破った信長を信用するのか?」

 信長呼び……この時代の名前呼びは失礼であり、不信感とか軽蔑感とかを表している。


「越前攻めに関して約定を破ることになったことは申し訳なく思っております。浅井氏がどちらにつくかわからない状態で浅井に軍事機密を漏らすのは戦略上できないことでした。平にご容赦くださいませ。今回の約定はそれがしの身命と我らが信奉する天照大神にかけて誓います。その証人として朝輝教の教主・胤舜殿を伴っております。朝輝教の教主がたちあった契約を破ることはすなわち朝輝教を敵にまわす行為です。朝輝教を敵に回したらどうなるかは皆様が体感されたでしょう。今の状況です」

 今の状況――朝倉義景は朝輝一揆に国元を脅かされて引きかえす途上で、織田軍に追撃され切腹に追い込まれた。

 小谷では朝輝教の教主の呼びかけにより、立て篭もっていた1万人近くの将兵のほとんどが寝返り、小谷城に向かって地元の舟唄を合唱せよという命令に嬉々として従った。


「ふーむ…」

 唸っているのは久政殿だ。

「ふむ。この約束を破ったら朝輝教が敵に回るというのか…」

「朝輝教の教主まで連れてきたフロイス殿の言には説得力があります。信用してもいいのではないでしょうか?フロイス殿は膨大な数の信徒と強大な力を持つ朝輝教を敵に回すほど、愚かではありますまい。このことはわらわも身命をかけます」

 お市様が静かに。だが決死の表情で言った。

 最後の突撃を前に自害すると覚悟したお市様ならばこの約定が守られなかった暁には本当に自害するであろう。



「この約定にフロイス殿と市の両名が命をかけると申すか……」

「はい。嫁いだ先と実家が相争い、婚家が滅びるのはとても辛いです。所領を没収されるのもお辛いでしょうが……せめて、夫と子どもには生きていて欲しいです。それが叶わぬなら、わらわも自害いたしますっ」

 お市様は長政どのを潤んだ目で見つめ、懇願している。

 それをみて、長政どのは思案顔だ。長政殿とお市様の夫婦は仲睦まじいと評判であり、二人の間には三人の姉妹と一人の息子がいる。長男の万福丸は庶子であったが次男の万寿丸は3年前にお市様が産んでいたのだ。お市様は今年の初めにも女児を産んだ。江姫である。

 万福丸と万寿丸、そして、父・久政。それから妻・お市の命が長政殿の決断一つにかかっている。  

 …。

 ……。

 ………。

 重く静かで、深い黙考の末、浅井長政は口を開く。

「……ふむ。義兄上も市は可愛いがっておる。市の命がかかるのであれば約束も守ろう。実際、市とその娘たちは引き取ろうとしておるしな。外国で妹や姪達には苦労をかけさせまいという配慮か……。それから、フロイス殿は義兄上の今後の世界戦略に欠かせない人物であろうし、死なれては困るだろうな……。して、我らはどこに追放されて、どこで戦えば良いのであろうか?」


「地球儀を持ってきてください」

 地球儀を持ってきてもらい、東南アジアにある半島を指さす。

「ここに私の知己が仕官しております。倭寇と呼ばれる海賊の大頭目だった男です。その男の配下となって傭兵として働いてもらいたいのです。働き次第では浅井の家を再興することも叶いましょう。この国ではなく海外の地で…ではありますが」

 俺は、浅井屋敷での会食から浅井長政に対する処置をずっと考えていた。

 浅井氏に近江にいられるのはいつ裏切るか分からないし危険なのだが……おれは彼らと会食してその家族や家臣達とも交流してしまった。

 浅井長政親子やその子供たちや家臣達を処断する気にはどうしてもなれなかったのである。

 史実においては小谷の地を恩賞として拝領した木下藤吉郎は、浅井長政の長男、万福丸を処刑しなければならなかった。その立場に俺が立たされるのは勘弁してほしい。

 どうしようかと考えていたが…倭寇の大頭目・林道乾と接触して織田家の協力のもとタイのパタニ王国へ赴いたことで浅井長政・久政親子とその息子達を助命する算段がまとまった。


 戦国屈指の精強さで有名な近江兵――それが海外で傭兵として働く。ニーズがあるだろう。江戸時代には多くの大名が改易され、浪人となった武士たちが活躍の場を求めてタイに渡ったのだ。その代表格が王にまでなったと言われる山田長政である。

 浅井長政と名前が同じなのは偶然であってなんの関係もないが、野良田の戦いで数倍の敵を撃ちやぶった浅井長政とそれに最後まで付き従った400もの精鋭たち。その実力は山田長政に決して劣るものではないと信じる。


「この地ならば浅井の再興も叶うのか……願ってもないこと。是非とも協力させて下され。それと…」

「はい?」

「いや…市のことじゃが…。義兄上にお返し致す。市とそこもとはどういう星の巡り合わせか、よほど気が合う様子。義兄上も妹の市のことを可愛がっている様子なので粗略には扱わぬであろうが…。市と娘達のこともよろしくお願い致す」

「は。微力を尽くします。浅井の将来についてもこのルイス・フロイスが一命をとして保証いたします」


「うむ。市は義兄上の妹なだけあって人を見る目がある。市が一目で気に入ったそこもとを、儂も信じてみよう」

 こうして小谷城は無血開城。お市と浅井家の三姉妹は織田家にもどされ、浅井親子と二人の息子、浅井家の家臣達はタイに旅立つ日まで捕虜として織田家あずかりとなったのだった。
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