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遠征に出ていた部隊は滞りなく帰還したようで、フェリセットは間近で見ていてもその練度に驚いてしまう。いくら身体能力の差があるからといっても、ハイ・オークの若者だけで立ち向かうのは過分に無理があったと今になると理解できる。
「祝勝会の準備をしますので、どうぞ楽しんでいってくださいね」
ネイサンはまるで何事もなかったかのようにフェリセットに向けて愛嬌のある笑顔を向けた。彼はそうする事に決めたのだ。態度がすぐ顔に出る自分とは大違いだとフェリセットは思う。
「はい、ありがとうございます」
視界の端にルイが映ってフェリセットは走り寄って自分の決断を伝えたい衝動に駆られたけれど、それをぐっとこらえた。人生の方向性を決めた今、時間はたっぷりあるのだ。
どこにこんなに隠していたのか? と思うほどの食材が一気に放出され、ゴルヴィア城の地下にある酒蔵からは酒が一滴残らず運びだされる。山から引きずられて運ばれてきた大蛇は肉や皮、牙などが良質の素材になり、それらの売却資金を復興の予算に充てるのだと言う。
ゴルヴィア城の広間ではすでに祝勝会の準備が進められている。
──夕暮れとともに、祭りがはじまる。
フェリセットは会場がどんどんと出来上がっていくのを遠巻きに眺めた。ここで自分がすべきことは既になく、ただもてなされるのを待つばかりなのだった。
「帝国万歳!」
良く言えば雄々しい、悪く言えばけたたましい乾杯の挨拶とともに祝いの場は始まった。
普段のフェリセットならば、この状況にとてもワクワクしただろう。かしこまったパーティーよりずっと気持ちを沸き立たせるのは間違いない──しかし、それも普段の自分だったらのこと。
「我らがルイ皇子に乾杯!」
はしゃいでいる人間達の中で、ルイは広場の一番高い所で薄い微笑みをたたえて座っているだけだった。達成感や高揚感などの感情はなく、彼はただ静かに──醒めた瞳で民衆を見下ろすばかりで、褒め称える人々の事なんてまるで気にしていない様に見えた。
──お酌にでも行くべきかしら?
フェリセットはテーブルにうず高く積まれたご馳走の間をうろうろとした。ルイは食事も取っていないし、酒を飲んでいる様子もない。ただひたすらに、まるで一人だけ違う世界に居るみたいに冷ややかな視線を向けているのだ。
──眠いのかな?
フェリセットの仕事は交代要員がいくらでもいるが、ルイはただ一人しかいない。疲れている。眠い。あるいは。
「おい」
フェリセットを後ろから小突く人がいる。デュークだ。
「さっさと行けよ」
「どこに」
「殿下の所に」
「とは言ってもぉ……」
何時の間にかルイの周りには人だかりが出来ている。ほとんどは女性だ。
彼女たちは紛れもない「立候補者」だった。一仕事を終えた男性が羽目を外したくなる心理をフェリセットは否定できないし、一目皇子を見たいとか、あわよくば一夜の慰めを──そうして立身出世の足がかりを掴もうとする女性達の事を批判しようとも思わない。
このまま広場を突っ切って女性陣とルイの間に割り込むことは十分に可能だし、それで首が飛ぶことは多分ないだろう。
「皇子はみんなのものですからね」
フェリセットは肩をすくめた。フェリセットが自由なように、ルイもまた自由なのだ。独占したいと言うのは一方的なわがままでしかないし、何よりルイが他の女性を選ぶところを間近で目撃してしまったらどうしようと言う不安もあった。男性には男性の付き合いというものがあるわけだし。
「お前はどうあっても俺の円形脱毛症を悪化させたいようだな」
「公私混同はよろしくないかと」
楽しいパーティーに水を差すつもりはない。ここは一旦引くべきだ──後日、日を改めて、じっくり行動すればそれでいいのだと、フェリセットは退席する事にした。もちろん、それは自分の機嫌が悪くなりたくない言い訳でしかないのだが。
こざっぱりした寝室は静まり返っていた。窓越しに見える広間には煌々と明かりが灯っていて、耳をすませばまだまだ騒ぎ声が聞こえる。宴もたけなわと言うやつだ。
扉の向こうで足音がした。誰かまでは判別できないものの、同僚のだれかだろう。今頃一晩の恋物語がどんどんと生まれていてもおかしくないと、フェリセットは上着だけ脱ぎ、着衣のまま寝台に潜り込んだが、思考がぐるぐると渦巻いて落ち着かず、全身の毛がぞわぞわとした。
「変に強がるんじゃなかったかな……」
宴の会場にいた女性達の誰かが今頃廊下の奥──ルイの私室におじゃましているかもしれないと思うと、とうてい安らかな眠りが訪れるはずもなかった。
──散歩でもするか。
魔の森で育ったフェリセットにとって城の裏手の森や湖は例え夜だとしても恐れるような場所ではなかった。
知らぬ女の喘ぎ声を聞くぐらいなら、虫の鳴き声や獣の唸りの方が百倍マシである。フェリセットの部屋からは中庭が見える。手入れの行き届いた花壇には夜にだけ咲くらしい、白い花が咲いている様だ。
──花を愛でようなんて、あたしも随分感傷的になったよね。
フェリセットは上着を手に持ち、部屋の扉を開け、そこにいた人物を見て鋭く叫んだ。
「ひゃーーっ!」
「祝勝会の準備をしますので、どうぞ楽しんでいってくださいね」
ネイサンはまるで何事もなかったかのようにフェリセットに向けて愛嬌のある笑顔を向けた。彼はそうする事に決めたのだ。態度がすぐ顔に出る自分とは大違いだとフェリセットは思う。
「はい、ありがとうございます」
視界の端にルイが映ってフェリセットは走り寄って自分の決断を伝えたい衝動に駆られたけれど、それをぐっとこらえた。人生の方向性を決めた今、時間はたっぷりあるのだ。
どこにこんなに隠していたのか? と思うほどの食材が一気に放出され、ゴルヴィア城の地下にある酒蔵からは酒が一滴残らず運びだされる。山から引きずられて運ばれてきた大蛇は肉や皮、牙などが良質の素材になり、それらの売却資金を復興の予算に充てるのだと言う。
ゴルヴィア城の広間ではすでに祝勝会の準備が進められている。
──夕暮れとともに、祭りがはじまる。
フェリセットは会場がどんどんと出来上がっていくのを遠巻きに眺めた。ここで自分がすべきことは既になく、ただもてなされるのを待つばかりなのだった。
「帝国万歳!」
良く言えば雄々しい、悪く言えばけたたましい乾杯の挨拶とともに祝いの場は始まった。
普段のフェリセットならば、この状況にとてもワクワクしただろう。かしこまったパーティーよりずっと気持ちを沸き立たせるのは間違いない──しかし、それも普段の自分だったらのこと。
「我らがルイ皇子に乾杯!」
はしゃいでいる人間達の中で、ルイは広場の一番高い所で薄い微笑みをたたえて座っているだけだった。達成感や高揚感などの感情はなく、彼はただ静かに──醒めた瞳で民衆を見下ろすばかりで、褒め称える人々の事なんてまるで気にしていない様に見えた。
──お酌にでも行くべきかしら?
フェリセットはテーブルにうず高く積まれたご馳走の間をうろうろとした。ルイは食事も取っていないし、酒を飲んでいる様子もない。ただひたすらに、まるで一人だけ違う世界に居るみたいに冷ややかな視線を向けているのだ。
──眠いのかな?
フェリセットの仕事は交代要員がいくらでもいるが、ルイはただ一人しかいない。疲れている。眠い。あるいは。
「おい」
フェリセットを後ろから小突く人がいる。デュークだ。
「さっさと行けよ」
「どこに」
「殿下の所に」
「とは言ってもぉ……」
何時の間にかルイの周りには人だかりが出来ている。ほとんどは女性だ。
彼女たちは紛れもない「立候補者」だった。一仕事を終えた男性が羽目を外したくなる心理をフェリセットは否定できないし、一目皇子を見たいとか、あわよくば一夜の慰めを──そうして立身出世の足がかりを掴もうとする女性達の事を批判しようとも思わない。
このまま広場を突っ切って女性陣とルイの間に割り込むことは十分に可能だし、それで首が飛ぶことは多分ないだろう。
「皇子はみんなのものですからね」
フェリセットは肩をすくめた。フェリセットが自由なように、ルイもまた自由なのだ。独占したいと言うのは一方的なわがままでしかないし、何よりルイが他の女性を選ぶところを間近で目撃してしまったらどうしようと言う不安もあった。男性には男性の付き合いというものがあるわけだし。
「お前はどうあっても俺の円形脱毛症を悪化させたいようだな」
「公私混同はよろしくないかと」
楽しいパーティーに水を差すつもりはない。ここは一旦引くべきだ──後日、日を改めて、じっくり行動すればそれでいいのだと、フェリセットは退席する事にした。もちろん、それは自分の機嫌が悪くなりたくない言い訳でしかないのだが。
こざっぱりした寝室は静まり返っていた。窓越しに見える広間には煌々と明かりが灯っていて、耳をすませばまだまだ騒ぎ声が聞こえる。宴もたけなわと言うやつだ。
扉の向こうで足音がした。誰かまでは判別できないものの、同僚のだれかだろう。今頃一晩の恋物語がどんどんと生まれていてもおかしくないと、フェリセットは上着だけ脱ぎ、着衣のまま寝台に潜り込んだが、思考がぐるぐると渦巻いて落ち着かず、全身の毛がぞわぞわとした。
「変に強がるんじゃなかったかな……」
宴の会場にいた女性達の誰かが今頃廊下の奥──ルイの私室におじゃましているかもしれないと思うと、とうてい安らかな眠りが訪れるはずもなかった。
──散歩でもするか。
魔の森で育ったフェリセットにとって城の裏手の森や湖は例え夜だとしても恐れるような場所ではなかった。
知らぬ女の喘ぎ声を聞くぐらいなら、虫の鳴き声や獣の唸りの方が百倍マシである。フェリセットの部屋からは中庭が見える。手入れの行き届いた花壇には夜にだけ咲くらしい、白い花が咲いている様だ。
──花を愛でようなんて、あたしも随分感傷的になったよね。
フェリセットは上着を手に持ち、部屋の扉を開け、そこにいた人物を見て鋭く叫んだ。
「ひゃーーっ!」
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