とらわれ少女は皇子様のお気に入り

のじか

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「はい、なんでしょう」

 部隊全体としては女性がちらほらいるものの、騎士としての身分を持つのはフェリセット一人だ。なにか地元の女性と関わる仕事でもあるのだろうか──と背筋を伸ばす。

「ありがとう。殿下の入浴中に入り口で護衛しつつ、水をくれと言われたら水を出す。それだけだ」

 フェリセットは硬直したまま先輩騎士の次の言葉を待っている。一見簡単そうな仕事に聞こえるがそれは護衛任務であるし──そもそも異性である点は考慮されないのだろうか?

 フェリセットの微妙な反応に交代要員を逃すまいと思ったのか、なぜ休みを代わって欲しいかの説明が続く。

「実は今、子供が生まれそうで。予定より帰還が遅れているだろう。隙間時間に部隊の魔導通信を使わせていただいているんだが、昼前に連絡を取ったときには陣痛が始まっていたんだよ……どうなったのか、心配で心配で」

 ──この人、確かに顔が厳つい割に心配性なんだよなあ……。

 家族が心配で一刻も早く連絡が取りたい、と言われるとフェリセットは文句のひとつも言えなくなる。

 そもそも、なんだかんだでまだルイとフェリセットの関係は続いていると思われていて、だからこんな事を気軽に頼んでくるのだ。先輩にとっては、自分よりお前の方が殿下のそばにいて緊張しないだろう? と言う扱いなのだ。

 もしかしなくても、遠回しに上司の機嫌が悪い事を責められていて、この機会に何とかしろと暗に指摘しているのかもしれないと穿った見方をしてしまう。

「わかりました」
「では、よろしく!」

 フェリセットは覚悟を決めてルイの居室へ向かった。別に、生まれて初めてルイに接近するわけでもないのだ。

 貴賓客のためにしつらえた部屋は来客用の棟の最奥にある。フェリセットがねぐらとしている部屋はその部屋に続く廊下の一番手前にあった。

 ──奥に行くのははじめてだ。

 つまり、元々フェリセットとルイはその気になれば簡単に逢い引きできるような状況にあった。ルイが通りがかった時に自室に引きずり込むか、フェリセットが奥の部屋に行けばいいだけなのだから。

 しかしそのようなアバンチュールが起きないと言うことは、これからも起きないのだ。

「失礼します……」

 フェリセットは極力キリリとした顔を作りながら、飴色の立派な彫刻が施されたドアに手をかけた。寝室と書斎、そして奥には専用の浴室がある。

 ルイの姿はなかったが、人の気配と水音がある。

 ルイはここにフェリセットがいることを知らない。モーリス先輩には魔力がないし、特別足音がうるさいわけでもないから気がつくことはない。

「モーリス?」

 フェリセットがあいさつをするかどうか迷っていると、浴室の向こうからくぐもった声が聞こえた。

 ──ルイだ。

 フェリセットは無性に喉の渇きを覚えた。心臓がばくばくして、変な汗が出てくる。

「 水を」

 足音がすれば、部下だと思うのは普通の考えだろう。もちろんフェリセットも部下の一人なのだから、あながち間違いでもないのだが。

「し、失礼します……」

 フェリセットは覚悟を決めて盆に水を載せ、靴を脱いで浴室に向かった。目を伏せていても、ルイの厳しい視線がつむじのあたりに突き刺さるのを感じる。

「モーリスは……彼はどこに行った? そんな悪ふざけをするような男じゃないと思っていたけどね」

 どうやら余計なお節介を焼いたと誤解されているようなので、フェリセットは先輩の名誉のために口を開いた。

「あ、あの、子供が生まれそうだから気になるって……怒らないであげて」

「ああ……そうか。そうだったね。君は優しいからね。基本的には」
「お褒めにお預かり光栄ですぅ……」

 基本的にって、あたしがいつ、例外的に誰かに意地悪をしたと言うのか。自分の耳が制御できないほどにぺしゃりと萎れているのは湿気のせいだと思いたかった。

    フェリセットはグラスを乗せた盆をしずしずとルイの元に運ぶ。浴槽ぎりぎりに立ち、屈んでルイに向かって盆を差し出す。

 ──あったかそうだなあ。

 フェリセットは唐突に、そんな事を考える。自分もこのだだっ広い浴槽に浸かって足をばたつかせたならばさぞや楽しいだろう──。

「どうしたの?」
「あっ……いや、別に……なんでもありません!」
「ふうん」

 ルイは差し出された水の杯を飲み干すと、再び水面に目を落とした。その表情からは何を考えているのか読み取れない。

 ルイが許してくれるなら、この場に残りたい気持ちもある。そんなに機嫌は悪くなさそうだ。今ならなにか──実のある会話ができそうな気がする。

 ──例えば、足湯なんてどう? とか冗談の一つでも言ってくれたらいいのに。

 あるいは、自ら言えば彼は許してくれるのかもしれない。しかし今はもうそんな時分は過ぎてしまっていて、フェリセットはきちんとした身分の──騎士であり公爵令嬢なのであった。お戯れもほどほどに、と言うやつだ。

「では、あたしは扉の向こうにいますので」

「……もう少し」

「ひゃいっ」

 久しぶりに自分に向けられたルイの声は妙に甘くて、フェリセットの頭から仕事の事がすっぽりと抜け落ちて、思わず変な声が出る。

「……グラスを下げるまで」
「あっ、はい……」

 なんだ。そう言う意味か──フェリセットの尻尾はだらりと垂れ下がったが、ルイからは見えていないだろう。

 ルイはちびちびと水を飲んでいて、一体いつグラスの中身が尽きるのか検討もつかない。フェリセットは突っ立ったままぼんやりとそれを見つめている。

「足が冷えない?」
「え、いや……べつに……」

 フェリセットはご丁寧に素足になって浴室に乗り込んだ訳ではあるが、秋が深まっているとは言え湯気が立ちこめているし、そもそも緊張で体は熱を持っていた。

「座ったら?」

 ルイは濡れた手で壁際の椅子を指し示した。

「失礼します……」

 フェリセットは椅子を運び、恐る恐るルイの近くに腰掛けたはいいものの、ルイが何も言わないのでそのままじっとしていた。

 そのまま無視され続けたので、フェリセットはどさくさにまぎれて足を湯に浸すことにした。ルイがそれについて何か意見を言うかと思ったが、彼はフェリセットに構わず明後日の方向を見ていた。

 「ふわぁ……」

 フェリセットは思わず感嘆のため息をついた。まろやかな湯に足が包まれると心がほっと落ち着くような、おだやかな気持ちになってくる。

「熱い?」
「ううん」

 確かに熱いがすぐに慣れるような温度だ。フェリセットは両足を伸ばしてみたり、膝を抱え込んでみたりした。

「温泉って、いいよねえ。砂を掘ったらお湯が出てくるなんて、魔の森にだってそんな所はなかった」
「良かったね」

 少し笑った気配がしたので顔を上げると、目が合ったのでフェリセットは再び顔を伏せた。ルイが足を動かして水面を揺らすと。             h水が跳ねる音がして、フェリセットはわずかに耳を動かした。

「ねえ、この前の──」

 全然楽しくない件についてなんだけど──とフェリセットが尋ねる前に、ルイが話を逸らすように呟いた。

「お土産は用意したの?」

 フェリセットはその言葉にびくりと肩を震わせた。

 ──自分は、ここから戻らないかもしれない。

「……まだ」
「早めに用意したほうがいい。帰還の際は個人の用事を待っていられないからね」

「……はい。あのね……でも……今、お嫁に来ないかって言われていて……」

 沈黙。沈黙に次ぐ沈黙。遠くから鳥の鳴き声が聞こえるほどだ。

「……そうか」

 ルイはそれだけ言うと口をつぐんでしまった。
 フェリセットは濁った浴槽に視線を落とし、ルイが黙っている理由を考えた。ちゃぷりとした水音がいやに室内に響いた。

 自分が話せば話すほど空気が悪くなるのなら、もうさっさと出て行った方がいいのではないかと思い始めた頃、ルイが再び口を開いた。

「……そう」

「でも、あたしは──」

 ルイがフェリセットに向けて手を伸ばした。そのまま自分を引きずり落として、抱きしめて、めちゃくちゃにして──行くなと強く求めてくれることを期待した。しかし、ルイの手はフェリセットの頭の上に優しく置かれただけだった。

「やりたいようにすればいい。君は自由なんだから」

 ルイは耳元でそれだけ囁くと、ぱっとフェリセットから離れた。

……自由には責任がつきまとうと言ったのは、誰だっけ。ルイの突き放すような言葉はフェリセットの胃にずんと沈みこんだ。

「……左様でございますか」

 ほら、やっぱり、あたしに未練があるなんて話は嘘っぱちなんだ。フェリセットはぎゅっと手のひらに力を込めた。
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