とらわれ少女は皇子様のお気に入り

のじか

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86 フェリセット、葛藤する

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人生とは不可解なものである、とフェリセットは思った。この一年ほどの間に戦争が始まり、負け、捕虜にされ、帝都にやって来て。そうかと思えば、生き別れの母と再会して公爵令嬢になり、最終的には憧れていた女騎士になった。

 ──そうして今は、森で燃料にする小枝を拾い、ついでにどんぐりも集めている。

 フェリセットにはこの状況がよくわからないが、それは他の団員もそうだろう。

 とにかく大蛇が見つからないのだ。

 探索機に反応があったものの、実際に向かった部隊は大蛇を発見することができなかった。

 見つからないがどこかへ行ってしまったわけでもないので帝都に帰る訳にもいかず、騎士団は足止めを食らっていた。

 男爵領の備えも騎士団の物資も無限ではない。腕っぷしの強い男たちが暇を持て余してやることは一つ。

 狩りだ。

 フェリセットは非力だが森で生きるために必要な事はすべて育ての父ガブラスから教わっている。汚れた水を浄化する方法、草やキノコの見分け方、狩り、そして保存食や道具作り。

 そのためフェリセットは今、かつての経験を生かして野外活動に勤しんでいると言う訳だった。

「革の鞣しが終わりましたか?」

「はい。フェリセットさん、どうでしょう」
「なかなかいいと思いますよ」

 フェリセットは腕を組み、神妙な顔で頷いた。二週間ほどここで過ごしているうちに、まるでいっぱしの「先生」になったような気さえしてくる。

 ルイの機嫌はずっと悪いままだ。別に八つ当たりをされた被害者は誰も居ないのだが、ご機嫌でないことだけは確かだった。

 誰にも言えないが、フェリセットはルイの殺気があまりにもドぎついから大蛇も保身のために身を隠したのだとすら思っている。

 さすがに日がな一日じゅう農民のような暮らしをするわけにもいかないので、フェリセットが内勤の暇を持て余して図書室で本など読んでいるとたまにルイがやってくるのだが、皇子に「あんたも暇なら森に柴刈りにでも行ったら?」と言ってはいけないことぐらい理解しているし、小舟での釣りに誘うこともできない。

 この前の話の続きをすると一線を越えてしまいそうで──昔の女が後ろ盾を得て周囲をうろついているのが嫌なのか、それとも本当に、フェリセットを引き戻したいと思っているのかどうか──そしてそうなった時、この国において自分の立ち位置はどうなるのか?

 フェリセットとしては、どんなに疑問が頭の中に渦巻いていたとしても、呼ばれない限りは近寄ることが出来ない。しかし地元住民には呼び出される。そうなると、こんな感じに──別行動が中心になってしまうのが自然な流れではないか?

 湖畔で小石を弄びながら、そんな事を考えているとネイサンが近寄ってきた。彼はとても穏やかでフェリセットの気持ちをざわつかせる事がない。

「いやー、蛇。見つからないですね」
「そうですね」

 フェリセットは事件など何も無い様に穏やかに揺れる湖面を見つめながら、独り言のようにつぶやいた。ネイサンがそれに相槌を打つ。

 とうの昔にゴルヴィア男爵領が用意した金額では派遣費用をまかなえない日数になってしまっているのだが、いると分かっているのに獲物を取り逃がす事は騎士団の沽券に関わるし、そもそも撤退した後に被害が拡大するだろう事は明白だ。

 あと数日のうちに何としてでも大蛇を討伐するとの目標は掲げられているものの、今の所目処は立っていない。

「どこに居るのかなー。冬になる前に何とかしないと……先輩達は早く帰りたいと言っているし……」

 冷たい風が吹いてきて、フェリセットはぶるりと身を震わせた。体を動かすからと、支給品の外套を置いてきてしまったのだ。ネイサンが羽織っていた上着をフェリセットにかける。

「あ、これはどうも……」


「このまま、ここにずっと居て貰えないでしょうか」

「はっ?」

 急に飛び込んできた言葉にフェリセットの耳がぴんと立った。

「急にこんな話をして申し訳ありません。もし、よろしければなんですが……このまま、ここに移住することを考えてもらえませんか」

「あたし、魔法も使えないし、斧投げもできませんよ。獲物を捌いたり皮をなめすのは得意ですけど……中ぐらいの魔獣なら倒せると思いますけど……」

「いえ、そうではなく。領主夫人として、ゴルヴィアに嫁ぐ事を考えてもらえませんか」

「へぁ」

 フェリセットは突然の愛の告白に半端な鳴き声を上げた。

「実は、最初に騎士団が到着したときに貴女を見て、なんと愛らしい女性なのだろうと思い……」

「えーと」

 それは明確な求愛の言葉だった。フェリセットは頭をかいた。気まずい。非常に気まずいのである。断る理由は特になかった。

 ゴルヴィア男爵領はフェリセットが慣れ親しんだ自然が豊かであるし、公爵夫妻も育ての親も彼の事を気に入るだろう。

 魔法が使えず、非力なフェリセットにも騎士としての仕事はあるものの、魔獣や敵将をばっさばっさとなぎ倒すような活躍は到底不可能なのだと理解しはじめているし、周りの人間も定年まで勤め上げるなんて事は、実際は考えていないだろう。

 その点辺境貴族の妻なら──それなりに適性があるかもしれない。要は族長のようなものだから。

 順繰りに考えても、やはり断る理由は見つからなかった。

 ──これが「縁」ってやつ?

 そもそも騎士にならなければ、確実に出会う事はなかったのだ。それは良くも悪くも運命的なものと言えるかもしれない──とフェリセットは思った。

 もちろんその場で返事をする事はできない。仕事の事、家族の事──そして自分の気持ちについて。

 仕事は仕事、私生活は私生活で問題を後回しにしようと思っていたのに、今決断を強いられている。フェリセットは考えがまとまらず、湖畔の遊歩道のあたりをずっとうろうろとしていた。

 とっぷりと日が暮れた頃、ようやくフェリセットは部隊に戻った。明日も仕事がある。今は社会の一員として仕事があると思うだけで、体が規則正しい生活を勝手にしてくれるのだ、たとえ頭の中がぐちゃぐちゃでも。

「フェリセット、ちょうど良かった。仕事を変わってくれないか。小一時間ぐらいでいいんだ」

 駆け寄ってきた先輩騎士の声に、フェリセットは足を止めた。
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