80 / 92
80
しおりを挟む
「ささ、子猫ちゃん、こちらに……恥ずかしがらなくていいのよ。私のお部屋で遊びましょう」
「わ、私、集会に遅れてしまいますので、お許しくださいっ!」
フェリセットはしなやかな白魚のような腕の中から、必死に逃れようともがいた。詰め所に向かうフェリセットを手招きし、自室に引きずり込もうとしているのは帝国の何番目かの姫である。──正確なところはわからない。興味がないと言った方が正しいのだが。
「そんなに可愛いあなたに労働なんて似合わないわよ?」
「いいえ、そんな! 私、労働大好きですのでっ!」
「ルイお兄様の部下って、本当に変な人ばかりよねえ……」
姫がほうっとため息をついたのを見計らって、フェリセットは走り出した。急ぎ詰め所へ向かいながら乱れた襟元を直す。
「ほんとにこの城、ヤバい奴しかいない……」
ルイがまともな方だと言うのは、悪い冗談かなにかだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしいと就職して日が経つごとに実感する。
フェリセットは乱れた息のまま、なんとか会議の時間までに戻ってくることができた。
「おい、ぎりぎりだぞ」
真面目な先輩からお小言が飛んでくる。
「申し訳ありません、姫様に捕まってしまいまして……」
「ああ……自分の護衛にしろとごねられているんだったか」
「はは……」
フェリセットの就職は概ね成功している。
正直、最初は馬鹿にされたり、いじめられたり仕事を与えられなかったりするのではないかと思っていたが、業務自体は順調にこなせてはいる。
今フェリセットを悩ませているのはちょっかいをかけてくる皇族の多さ、家に帰れば熱々の公爵夫妻の間に挟まれてどうしたらいいのかわからない事、そして──。
「全員揃ったようだ」
吟遊詩人が言うところの『帝国の至宝』ことルイ皇子。一段高い台に上って部下たちの視線を集めるその姿は物語の主役である。そして一番下っ端のため部屋の片隅、ほとんどドアに近い場所に立っているフェリセットは背景の一部。
フェリセットの方は上司であるルイをじっと見つめているのに、彼はフェリセットを見ようともしない。身分の上では大分近くなった筈なのに、今の距離はずっとずっと遠い。
「遠征が決まった」
遠征。聞き慣れた言葉だ。昔はただ、フェリセットはひとりでルイの帰りを待つばかりだったが、今度は部下として彼について行くのだ。それはなんとも不思議な感覚だった。
「行き先は北部ゴルヴィア領」
フェリセットはその地名にかすかに覚えがあった。確か、毎日離宮に運ばれてきた天然泉と同じ地名ではなかっただろうか?と首をひねる。
「山奥の源泉に巨大な蛇の魔物が住み着き、住民の生活に悪影響を及ぼしている。我々はそれを討伐するため、三日後に出発する。各自、身辺整理をしておくように」
騎士の仕事は命がけだ。毎回、どんな短い距離だとしても彼らは遺言状を残しておくのだと言う。
──もっとも、フェリセットはルイからそんな手紙なんて、貰ったこともなかったが。
「えーと。あたしが死んだら、あー。遺族年金はオークの森に……公爵家はお金持ちだから別にいらないよね? お屋敷のものは返却して……」
首からぶら下げているネックレスはどうしようか? とフェリセットは考える。
ルイ皇子に返却してくださいと書くべきか? もし自分の身に何かあったらルイは悲しむのだろうか? それとも過去の事として「そんな事を公にするものじゃない」とでも言うだろうか。
自分の中で納得する答えを導き出せず、フェリセットはため息をついた。
「わ、私、集会に遅れてしまいますので、お許しくださいっ!」
フェリセットはしなやかな白魚のような腕の中から、必死に逃れようともがいた。詰め所に向かうフェリセットを手招きし、自室に引きずり込もうとしているのは帝国の何番目かの姫である。──正確なところはわからない。興味がないと言った方が正しいのだが。
「そんなに可愛いあなたに労働なんて似合わないわよ?」
「いいえ、そんな! 私、労働大好きですのでっ!」
「ルイお兄様の部下って、本当に変な人ばかりよねえ……」
姫がほうっとため息をついたのを見計らって、フェリセットは走り出した。急ぎ詰め所へ向かいながら乱れた襟元を直す。
「ほんとにこの城、ヤバい奴しかいない……」
ルイがまともな方だと言うのは、悪い冗談かなにかだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしいと就職して日が経つごとに実感する。
フェリセットは乱れた息のまま、なんとか会議の時間までに戻ってくることができた。
「おい、ぎりぎりだぞ」
真面目な先輩からお小言が飛んでくる。
「申し訳ありません、姫様に捕まってしまいまして……」
「ああ……自分の護衛にしろとごねられているんだったか」
「はは……」
フェリセットの就職は概ね成功している。
正直、最初は馬鹿にされたり、いじめられたり仕事を与えられなかったりするのではないかと思っていたが、業務自体は順調にこなせてはいる。
今フェリセットを悩ませているのはちょっかいをかけてくる皇族の多さ、家に帰れば熱々の公爵夫妻の間に挟まれてどうしたらいいのかわからない事、そして──。
「全員揃ったようだ」
吟遊詩人が言うところの『帝国の至宝』ことルイ皇子。一段高い台に上って部下たちの視線を集めるその姿は物語の主役である。そして一番下っ端のため部屋の片隅、ほとんどドアに近い場所に立っているフェリセットは背景の一部。
フェリセットの方は上司であるルイをじっと見つめているのに、彼はフェリセットを見ようともしない。身分の上では大分近くなった筈なのに、今の距離はずっとずっと遠い。
「遠征が決まった」
遠征。聞き慣れた言葉だ。昔はただ、フェリセットはひとりでルイの帰りを待つばかりだったが、今度は部下として彼について行くのだ。それはなんとも不思議な感覚だった。
「行き先は北部ゴルヴィア領」
フェリセットはその地名にかすかに覚えがあった。確か、毎日離宮に運ばれてきた天然泉と同じ地名ではなかっただろうか?と首をひねる。
「山奥の源泉に巨大な蛇の魔物が住み着き、住民の生活に悪影響を及ぼしている。我々はそれを討伐するため、三日後に出発する。各自、身辺整理をしておくように」
騎士の仕事は命がけだ。毎回、どんな短い距離だとしても彼らは遺言状を残しておくのだと言う。
──もっとも、フェリセットはルイからそんな手紙なんて、貰ったこともなかったが。
「えーと。あたしが死んだら、あー。遺族年金はオークの森に……公爵家はお金持ちだから別にいらないよね? お屋敷のものは返却して……」
首からぶら下げているネックレスはどうしようか? とフェリセットは考える。
ルイ皇子に返却してくださいと書くべきか? もし自分の身に何かあったらルイは悲しむのだろうか? それとも過去の事として「そんな事を公にするものじゃない」とでも言うだろうか。
自分の中で納得する答えを導き出せず、フェリセットはため息をついた。
0
お気に入りに追加
84
あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!
柿崎まつる
恋愛
世継ぎの王女アリスには完璧な婚約者がいる。侯爵家次男のグラシアンだ。容姿端麗・文武両道。名声を求めず、穏やかで他人に優しい。アリスにも紳士的に対応する。だが、完璧すぎる婚約者にかえって不信を覚えたアリスは、彼の本性を探るため侯爵家にメイドとして潜入する。2022eロマンスロイヤル大賞、コミック原作賞を受賞しました。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
責任を取らなくていいので溺愛しないでください
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
漆黒騎士団の女騎士であるシャンテルは任務の途中で一人の男にまんまと美味しくいただかれてしまった。どうやらその男は以前から彼女を狙っていたらしい。
だが任務のため、そんなことにはお構いなしのシャンテル。むしろ邪魔。その男から逃げながら任務をこなす日々。だが、その男の正体に気づいたとき――。
※2023.6.14:アルファポリスノーチェブックスより書籍化されました。
※ノーチェ作品の何かをレンタルしますと特別番外編(鍵付き)がお読みいただけます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる