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ビアンカの過去
しおりを挟む──ここは?
次にビアンカが目を覚ましたとき、彼女は小綺麗な部屋に一人寝かされていた。ゼーラ草の匂いをこすりつけたローブはどこかへ消え失せ、代わりに薄いクリーム色の寝間着を着ていた。部屋には誰も居ないが、廊下では絶えず誰かがばたばたと動き回っている音がする。
そのままぼーっとしていると、ふいにドアが開きアルバートが顔を覗かせたため、ビアンカは反射的に背筋を伸ばした。
「目が覚めたのか?」
アルバートは洗面器やタオル、飲み物などが雑多に詰め込まれたカートを部屋に運び込み、ベッドのふちに腰掛けてビアンカに手を伸ばした。
「ええ。……ここは?」
アルバートに精を注がれたことで、ビアンカの体は淫紋の効果を抑えることができていた。ただ、この安心感はそれだけではないだろうと思っている。なし崩しに体をつなげてしまい、なんだか記憶が曖昧だが──彼は悪い人ではないと、ビアンカの理屈ではない部分が訴えかけているからだ。
「ウォルデン城だ」
アルバートはビアンカが気を失ったあと、彼女をこの城に運び込んで介抱していたのだと言う。なんと、あれからまる二日も経っているらしい。
「ありがとうございます」
清潔で、肌触りのよい寝具や寝間着に包まれてぐっすりと眠れたのは何時ぶりだろう──ビアンカが感謝の気持ちを込めてぺこりと頭を下げると、アルバートは愛おしげにビアンカの頭を撫でた。
「番の面倒を見るのは片割れの役目だからな」
「番……」
ビアンカも人狼の国にやってくる前から、話には聞いた事があった。そうして、今廊下が騒がしいのは「坊ちゃまが番を見つけた!との事で大急ぎで婚礼の儀を行う準備が始まっているのだと言う。
「こ、婚礼って……そんな、私……」
「番になると、言っただろう!」
アルバートはビアンカを抱き寄せ、首筋を甘噛みした。
「ひゃっ、わ、わかりました、わかりましたから、その……何かされると、また『ああいう風』になってしまうかもしれないので……」
アルバートとしては『そうなって』しまっても全く構わなかったが、ビアンカはまだすっきりした状態で居たいらしい。少し残念に思いながらも、アルバートは自分の番の瞳を覗き込んだ。
「私を娶る、その事については異論はありません。とても……うれしい気持ちです。でも……その前に私の事を話さなくてはいけません……」
紫の瞳は森で見かけた時とは違い、理知的な光を放っており、唇はきゅっと引き結ばれている。
「お前の体に刻まれた紋章のことだな」
ビアンカはそっと目を伏せ、絞り出すような声で続けた。
「私は隣国のラモンド伯爵家の娘です……」
ビアンカは産まれたと同時に母を亡くした。数年後に父が再婚して妹が生まれたが、継母はビアンカと差をつけて妹を育てたが、それ自体は仕方のない事と割り切り、ビアンカは本を読んだり、裁縫をしたりして華やかな貴族生活とは距離を置いて過ごしていた。
「ある時、私に縁談が舞い込んできました」
第三王子が妹の小間使いのように働かされているビアンカを見初めたのだと言う。ラモンド伯爵は地味で陰気な娘が金の卵になったと大はしゃぎで婚約を取り付けた。
「それを面白く思わなかったのが、義母と妹です」
妹はビアンカをごろつきに襲わせて純潔を奪うより、もっと恐ろしいことを考えついた。
淫紋を刻み、ビアンカが自ら男性を求めるようにする。
効果は永久ではないが、体に刻まれた魔術は精神を蝕み、一定の期間で精液を受けないと体が疼いて日常生活を送るどころではない。
そうしてビアンカを貶め、彼女の尊厳と王子妃の座を奪いとろうとしたのだと言う。
ビアンカはなんとか魔術師のところから逃げ出して、人気のない森へと逃げ込んだ。体からにじみ出る異性を誘う香りがバレぬよう、わざと汚い格好をして、人狼が嫌う薬草の香りを纏い、体調が落ち着いているときには書物から得た知識をもとに薬草を売りにゆき、糊口をしのいだ。体の疼きは、自らを慰めることである程度の衝動を抑える事ができた。そうして森で潜伏しながら術の効果が薄まるのを待っていたのだと言う。
「……苦労をしたんだな」
アルバートは唇でビアンカの瞳からこぼれた涙を拭い、彼女が落ち着き元実家へ復讐を決行する暁には、最大限の、それこそウォルデン家の総力を持って「仕返し」してやろうと考えた。
「はい……でも、番と言うのは一人につき一人しか見つからない……と考えると、これはこれで……良かった……と言うことにしていいんでしょうか?」
「確かにそうだ」
自信なさげに微笑んだビアンカに、アルバートはぱっと花が開いたような笑顔を向けた。
人間は自分の番を判別する力が備わっていないし、誰とでも番う事が可能だ。番に恋い焦がれても受け入れられず破滅に至った男の話は古今東西話の物語に登場する。
「お前も俺が番だと分かってくれたのか?」
「すみません、それはちょっとわかりません」
「そうか……」
アルバートはビアンカの言葉にしゅんとして俯いた。その姿は威圧感のある外見とは裏腹に大型犬のようで、ビアンカは彼の事をかわいいと──自分の夫になると主張する男性の事を、喜ばせてあげたいと心から思った。
「あ、いえ……でも……あなたの匂いは……好きです。落ち着くと言いますか……」
「そ、そうなのか!?」
アルバートはビアンカを軽々と抱き上げ、額に口付けた。
「そうと決めたら寝室を今日から一緒にしよう」
「あの、でも、そうすると……多分、私、またああなってしまうと思うのでご迷惑を……」
「迷惑な事なんてあるもんか。大歓迎だ。一生あのままでもいいぞ」
「それは、困ります……」
呪いを解いて欲しいのは本心だが、アルバートがいるならばひとまずはそれでもいいのかもしれないと、ビアンカも思った。
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