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学校の怪談 編
六話 市川美海 『音楽室の幽霊』
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……ふむ。
またキミとお話が出来ると思っていたよ。
まだまだ、怪談を集めたりないのだろう?私が協力できるのならば、嬉しいよ。
同じ趣味を持った同士なのだからね。
この学校にまつわる怪談は確かに色々とある。
無限にあるというわけでもないが、まあ他の地区の学校よりは多いだろう。
それも、有名な怪談……銅像が動くだとか、トイレの花子さんだとか、そういうベターな怪談ではなく、この学校独自のものばかりだ。
これは、どういう事なのだろうな?
この学校がなにか悪いものに呪われているのか、引き寄せているのか……あるいは、もっと別の理由があるのか。
……ふふふ、分かっているさ。
キミも、それを知っているからこそ、私達に怪談を聞きに来ているのだろう?
どういう理由なのかは知らないけれど、有象無象の怪談が集まるこの学校……いや、この地域についてもっともっと知りたい。そういうわけだね。
おっと、前置きが長くなったね。
それじゃあ私の知っている話を話そう。
これは、私の所属する部活動にまつわる話だ。
部活内では度々話題になる事があり、なにか奇妙な物音がしたり気配がしたりすると、その怪異の仕業と言われることも多い。
部活外でも知っている生徒は多いかもしれないが……キミはどうかな?
……ふむ、知らないか。良かったよ。
それじゃあ、話そうか。
『音楽室の幽霊』について。
―――
我が校の吹奏楽部は、以前は今よりもっと部員数が多くてね。強豪校、と呼ばれるレベルだった。
今でこそ三十数人しかいない部活動だが、その昔は百人に迫る勢いの部員がいたのだという。
……ふふ、驚いた顔をしているね。
スポーツと同じで、吹奏楽部も強豪校と呼ばれる学校となると、入部をするために入学希望をする生徒も多い。県内どころか県外から移住をしてきて、一人暮らしをしてまでこの学校で吹奏楽をやりたいという子もいたくらいだ。
音楽を志すものにとっては、自分の将来の礎になる経歴だったのさ。この学校の吹奏楽部を三年間耐え抜いたというのは……ね。
コンクールは常に金賞。県内大会も通過が当然という、常勝校。全国大会で一位を取った事も何度かある。
まあ、その裏には当然色々な事があるものだ。
過剰な、体罰を伴った演奏指導。部員同士の楽器パートメンバーの奪い合い。醜い蹴落とし合い……。まあ、今よりは大分過激な部活方針だったようだ。
それでも、この学校の吹奏楽部で栄誉を勝ち取れば音楽大学への足がかりともなるし、ゆくゆくはプロの奏者としての大切な一歩となる。
だから部員達は過酷な指導にも部員同士の争いも耐え抜き、そしてそれを微塵も感じさせない華やかな演奏ステージを披露していたのだという……。
……私は、ごめんだな。
音を奏でるのを楽しみ、演奏をして曲と一体になり音楽に溶け込んでいく……。吹奏楽のあるべき姿とは、楽器を演奏するのを楽しみ、表現する喜びを味わうことだ。
当時の吹奏楽部の部員の何人が、音楽を奏でる事を楽しんでいたのだろう?耐え抜き、生き抜き、勝ち取る音楽の中に……果たして演奏をする意義は存在したのだろうか?
おっと、話が逸れてしまったね、すまない。
とにかく、そんな大規模な部活だったから人数の把握が大変だったんだ。
新一年生が入学してくる四月はそれが顕著だった。生徒を各パートに振り分け、どの程度のレベルなのかをはかり、指導方針を決めてレギュラーへの適正を見極めていく……。
吹奏楽部は、トランペットやトロンボーン、フルートやクラリネット……各楽器ごとにグループがあるんだ。そしてその楽器グループでの練習を経て、全体練習へと繋いでいく。
だから四月の時期は自分の楽器グループの事で手一杯で、他のグループの生徒を覚える暇なんてありはしない。要するにいちいち新入部員の顔を覚えている余裕なんて二年生、三年生にはなかったのさ。
❘新里《にいさと》さんという女生徒がいたそうだ。
担当は木管楽器……サックスだったかな。その当時は二年生で、穏やかな優しい性格の女子だったそうだよ。
少し触れたが、強豪国の、大所帯の部活だ。レギュラー争いが熾烈で内部事情もドロドロとしている中でそういう性格の子はまず精神をやられるケースも少なくなかったそうだが、彼女は違った。
いい意味で……なんというか、天然、というべき性格がよかったのだろうな。先輩たちからの嫌味もあまり気にせず、自分自身の演奏に一生懸命で、そのうえ後輩となる一年生が入ってくると面倒見に熱心だったそうだ。本当の意味で、吹奏楽が好きだったのだろうな。
新里さんは飛びぬけてサックス演奏が上手かったというわけではなかったが、周りの雰囲気を和やかにして調和する……そういう意味ではこの部活動に打ち解けていたんだ。
四月の終わりころ。
新入生たちのパート編成も終わり、サックスパートへの数人の一年生加入を終え指導方針が固まってきた時期。
人一倍練習熱心だった新里さんは、その日はかなり遅くまで自主練習に打ち込んでいたそうだ。
ただでさえ部活時間は長く、学校中が真っ暗になり他の生徒が全員帰るくらいまで練習が続く吹奏楽部だったが、自主練をするとなれば夕飯時などとっくに過ぎている。
それでも演奏が大好きだった新里さんはぎりぎりまで音楽室に残り、自分の演奏するパートの練習をしたり譜面に注意点を書き込んだりすることに夢中になっていたらしい。
「新里。アンタで最後だから、鍵閉めて職員室に返しておいてね」
「あ、はい」
三年生の先輩が音楽室の鍵をピアノの上に置いて、部屋から出て行ったのを新里さんは見届けたんだ。
自分もそろそろ帰らなくちゃと思いつつ、練習する絶好の機会だとでも思ったのだろう。時間を忘れて彼女は演奏やそれに関する勉強に打ち込んでしまった。
「いけない、もうこんな時間……。早く帰らなくちゃ」
気づけば先ほどの先輩が退出してから、一時間近い時間が経過していた。
さすがに職員室の先生に怒られると思った新里さんは、慌てて楽器の最終手入れをしてケースにしまい、隣の部屋の倉庫へとしまいに行ったんだ。
既に外は暗く、廊下は月明りも差し込まないから更に暗い。
先まで見通せないような暗闇に、自分の上履きの足音だけがかつん、かつんと鳴り響く。
普段は賑やかなはずの音楽室周りが、今は新里さん一人だけ。職員室くらいにしか人はいないだろうし、その職員室も校舎反対側で階数も違うから、まるで今校舎内に人間は一人しかいないんじゃないか、と思うくらいの不気味な雰囲気が漂っていた。
おっとりした性格の新里さんも、流石にこれは怖かったっだろう。
急いで倉庫に自分のサックスをしまうと音楽室に戻り、帰路につこうと思ったんだ。
しかし、音楽室に戻った時。
自分しかいないと思っていたその部屋に、一人の女子生徒がいたんだ。
「あれ……?」
真っ暗な校舎で明かりがついているのはこの音楽室だけだった。
しかし、それ以外の廊下や隣の教室の電気は消えているので安心できるような明るさじゃない。
そんな音楽室の中……奥の隅で、体育座りをして顔を俯かせているショートカットの女の子がいるのも、薄暗いせいで新里さんは最初は気づかなかった。
しかしピアノの上にある鍵をとりにいき視点を変えたとき、彼女の姿が目に映ったんだ。
「あなた、どうしたの?新入生?」
「…………」
新里さんの問いにも、彼女は答えない。
体育座りの腕の中に埋めた顔は、彼女がどんな表情をしているのか完全に隠してしまっている。
「私、ここの鍵閉めして職員室に返してこなくちゃだから。先に出てくれると嬉しい……かな」
「…………」
「あ、ひょっとして廊下が暗くて帰るのが怖くなっちゃった、とか?わかるわ。よかったら、一緒に帰らない?」
「…………」
体育座りの彼女は、そのままの体勢で僅かに首を横に振った。
見知った髪型や雰囲気の子ではないことから、新里さんはこれは四月に新しく入った他の楽器の一年生だと確信していたんだね。極力優しく語り掛けるように努めていた。
そしてそんな新里さんに、彼女は俯いたまま小さな声を呟いた。
「……つらい。……さみしい」
「え……?」
「とてもね、つらいの。みんな、みんなわたしの事をイジメて……もう、嫌なの」
その時、新里さんは思い出した。
吹奏楽部員の間で噂になっている『音楽室の幽霊』について。
それは、夜の音楽室に現れる女の子の幽霊で……とても悲しそうな声をしているという。
この学校でイジメにあい自殺をしてしまった女の子の霊で……彼女を追い詰めたのが、同じ部活動、つまり過去の吹奏楽部での陰湿な嫌がらせが原因だったらしい。
シカト……そこに自分はいるのに、まるでいないかのように同じ部活内の仲間に扱われ、会話をされないどころかこちらから語り掛けても完全に無視されてしまう。
酷い話だが、さっきも話した通り部員同士の蹴落としあいが頻繁にあったような部活だから、その女生徒の身にそんな事があっても不思議じゃなかったのさ。そして彼女は自ら命を絶ち……それでも成仏できず、霊としてこの音楽室に住まうようになってしまった。
どこまでが真実かは分からないが、そんな噂が吹奏楽部内にあった。
この女の子は、ひょっとしてその幽霊なんじゃないか。新里さんはそう思い始めていた。
しかし今目の前に確かにその女の子は存在するし、透けて見えるわけでも足が浮いているわけでもない。それが彼女の恐怖心を消していたのだろう。
「イジめられているの?」
「うん……」
「そっか……辛いね。嫌だよね」
もし彼女が幽霊だとしても、新里さんは何故その女生徒が幽霊になってしまったのかを知っている。
イジめられ、自殺し、それでも報われない魂が❘彷徨《さまよ》っている……。そこに新里さんは、同情のような感覚を抱いたのだろう。
「あなたは、楽器演奏するの好き?」
「……うん」
「私も。サックス担当なんだけど、演奏するの大好きだよ。吹いてると色んなことを忘れられるし、嫌なことが消えていっちゃうの。……あなたも、吹奏楽部だったんだよね?」
「……うん」
「じゃあ私たち、一緒の仲間だね。一緒に楽しく吹奏楽、頑張ろう」
「……!」
彼女の性格からか、新里さんは目の前の女の子を幽霊と思いつつもそれに気づかないフリをして励ましてみたんだ。
自分も、先輩たちから散々嫌なことをされてきた。それを打ち消してきたのは、自分には演奏しかない、それだけに集中しようという熱意。だから目の前の女の子にも、嫌なことから逃げられるように説得をしてみようと思ったんだ。
自分がもし、彼女の立場だったら……そんなことを考えながらね。
「それでも寂しかったり辛かったりしたら、私がいつでもお話聞いてあげるから。ね?」
「……あなたが……?」
「うん。私吹くのは好きなんだけど、下手くそでさ。結構こんな時間まで居残りしてることあるから……そしたらいつでもお話しようよ」
「…………」
いつの間にか新里さんは、彼女の隣で体育座りをして隣に語り掛けるようになっていた。
きっと、この女の子も辛く、苦しく……寂しかったんだろう。そして今もその感情に❘苛《さいな》まれているのだろう。新里さんはそんなことを考えたんだ。
幽霊であれ、人間であれ、彼女に寄り添えたら、彼女を救えたら……。本当に、他人を心の底から気遣える優しい性格の持ち主だったんだな。
「……うれしい……」
そして、新里さんの気持ちに彼女も応えてくれたようだった。顔は見えないけれどその言葉には暖かな喜びが感じられた。
薄灯りの音楽室の中。二人の少女の会話はほんの少しだったが、心を通わせるには十分な交流だったと思う。
「……ねえ……」
体育座りの彼女が、初めて新里さんに話しかけてきた。
新里さんはショートカットの彼女のほうを向いて、にっこりと微笑んだ。
「なあに?」
「……わたしのこと、無視しないでいてくれる?……傍に、いてくれる?」
そこで新里さんは改めて確信したんだ。
ああ、やっぱりこの子は、イジメを受けてきた女の子の幽霊だったんだ。だからこんな風に極端に、誰かに無視されたりするのを恐れているんだ……とね。
新里さんは彼女のほうを向いて、自信満々に答えた。
「もちろん!あなたのこと、無視なんてしないよ。同じ吹奏楽部だよね!」
「……よかった……」
そしてショートカットの女の子は……初めて顔を上げた。
そして、笑ってこう言ったんだ。
「これでもう 一人じゃ ない」
その顔は……綺麗な女生徒の微笑み……などではなかった。
まるで悪魔のように目を尖らせ、歯をむき出しにし……心底から楽しそうな、不気味な満面の笑みだった。
―――
……新里さんは、その日を境に行方不明になった。
部活動に最後まで居残りをしたまま、家にも戻らず家族が警察に捜索願を出したそうだが、発見はされないまま現在に至っている。
手がかりになりそうな物証もないし、もちろん彼女がそんなことをする理由だって存在しない。
……音楽室には、彼女のものである学生鞄と、音楽室の鍵がそのまま置いてあったそうだよ。
もう一つ、キミに話しておきたいことがある。
さっき言った『音楽室の幽霊』の噂……。
あれはね、実は作り話だったことが分かっているんだ。
部員たちを怖がらせるために吹奏楽部の先輩が作った、嘘の幽霊の噂話……。実際は自殺をした吹奏楽部員なんて、過去には存在していなかったそうだよ。
……でも、新里さんが行方不明になったのは、本当なんだ。
……ふふふ、疑問に思うよね。
じゃあ新里さんが話をしていたそのショートカットの女の子の霊は、何者なんだ。
そもそも何故、新里さんしか知りえないこんな話が怪談として出回っているのか。
答えは謎のままさ。
新里という女生徒が過去に行方不明になったのは確かなことらしいし、きっとそれに付随するようにできた噂話なのだろうけれど……。。
おそらく、その後も何人か見た生徒がいるんじゃないかな。
暗闇の音楽室の中で、体育座りをする女生徒の霊を。
それは決して、過去に悲しい経験をした哀れな女子生徒の霊などではない……。
人を騙して、自分を哀れんだものを自分の世界に引きずり込む……何が目的かは分からないけれど、そういう類の悪霊なのだろう。
だから彼女に決して干渉してはいけない、ということで語り継がれてきたのが、この新里さんの話なんじゃないかな。
この話のせいなのかは知らないが、現在は吹奏楽部は三十名未満。みんな❘和気藹々《わきあいあい》と演奏を楽しむ、素晴らしい部活動になっているよ。
この怪談も大分知っている人間が少なくなってきているね。それくらい昔の話なのだろう。
だが、忘れてはいけない。
生徒たちが忘れたころにきっと、あの悪霊は自分に同情する人間を誘い込むようにまた、現れるのだろうからね。
これで私の話はおしまいさ。
キミに話すのは二回目だね。
三度目は……どんな話を❘所望《しょもう》しているのかな。
まあその時になったら、また伝えてくれればいい。
それじゃあ、また。
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