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学校の怪談 編

一話 小田原紫織 『廊下で手を振る人影』

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―――

 ……え?

 怖い話を、聞きたい?


 それでわざわざアタシに声かけてきたの?キミ。
 あはは、なかなかいいセンスかも。アタシもね、怖い話聞くの大好きなんだ。
 それを人に話すのも好きなんだけれど……ひょっとして、アタシが怖い話たくさん知ってるって誰かに聞いたの?
 
 ……ふうん、ま、誰からでもいいや。
 ちょうど今日部活なくて暇してたところだし、いいよ。
 廊下で立ち話するのもなんだし……そこの空き教室で話そうか。
 ふふふ、丁度夕暮れで雰囲気出ているし……怖い話をするのにはもってこいかもね。

―――

 
 えーと、それじゃあまず自己紹介からかな。
 一応、誰かから聞いてきたのなら知っているかもしれないけれど……アタシは、二年生の小田原紫織しおり
 キミも同級生だよね?クラスは違うけれど、学年集会とかでなんとなく見たことあると思ったんだ。……あ、やっぱり同じ二年生だよね。

 アタシは、陸上部入ってるんだ。短距離が得意なんだけれど……まあ、身体動かせるのならなんでもいいかな。
 結構他の部活の試合でメンツが足りなかったりすると、助っ人で呼ばれたりもするんだ。とにかく運動するのが好きなの。
 ……あはは、まあ、勉強の方はちょっと不得意なんだけどね。この前の期末テストでも赤点とっちゃって……。

 って、そんな話はどうでもいいか。
 とにかく、よろしく。呼び方は……めんどくさいから紫織しおりでいいよ。えーと、キミの名前は?……ああ、そっか。なんか聞いたことあるかも。あはは、同じ学年だから当たり前か。

 それじゃあ、怖い話……えーと、聞きたいって言ったのは、この学校にまつわる怖い話なんだよね?
 アタシも色々そういう噂とか聞くの好きで、陸上部の女子で結構盛り上がってるんだけど……部活以外の人に話すのは初めてかも。
 それじゃ、とびきり怖い話を……うーん、どれにしようかな。結構知ってるから迷っちゃうんだよねえ……。

 ……あ、折角だから、アタシの実体験が混じってた方がいいか。
 基本的に霊感みたいなものはないんだけどさ。……一回だけ、見ちゃったことがあるんだよね。
 なにを、って?うーん……そこが難しいところなんだよねえ。それがなんなのか、幽霊なのかお化けなのか妖怪なのか……アタシにも実は、分からないんだ。

 でも、確かに言える。
 あれは、普通に見えるものじゃなかったって。

 ……うん、じゃあ、その話にしようか。
 アタシの、たった一度だけの怪異の実体験……。

 『廊下で手を振る人影』の話。

―――

 去年の、秋から冬になる季節くらいだった。
 アタシは陸上の大きい大会も終わって、部活も何日か休みの日が出てきたの。
 でもそういう時でもトレーニングは欠かせないから、筋トレとかランニングを自主的にやってたんだけど……流石に疲れも溜まっててね。
 その日は、図書室で本を読んでたの。
 ……なに、意外?アタシだって本くらい読むよ。結構図書室で本だって借りて家で読んでるんだから。
 まあ、筋トレとか走法に関する本ばっかりなんだけどさ……あはは。まあその日もそんなことで、図書室でそういう関係の本を探したり読んだりしていたってわけ。
 
 基本的にあんまり長居はしないんだけれど、その日は面白い本を何冊か見つけちゃってさ。
 効果的な筋トレのやり方が書いてある本で……その場でつい読み込んじゃったの。人目につかないところで軽く実践してみたりしてさ……あははは。
 
 そんなことで、気付いた時には窓から見える景色が暗くなっていたの。
 人目につかないところで読んでたから、司書の先生もアタシに気付くのが遅れたみたい。「あら?まだいたの?もう閉めるから早く帰らないと駄目よ」なんて注意されちゃった。
 後にも先にも、図書室が閉まるまでいたことなんてあれ一度きりだなぁ。……もう暗い校舎を一人で帰るなんて絶対にやりたくないんだけどね。


 図書室から廊下に出たら、廊下はほとんど真っ暗だったわ。
 五時過ぎでもほとんど夜みたいに暗くなる時期だったし、そんな時期だから生徒達も皆帰ってるしね。
 うちの学校の図書室って、周りに部活する部屋も職員室もない、隔離された場所にあるでしょ?三階の一番奥だし……一階の生徒用の玄関からは一番離れた場所にあるよね。

 階段からも少し離れているから、暗い廊下を一人で歩かなきゃいけない。
 非常灯の明かりだけが照らしているような、まるでお化け屋敷みたいな空間を、アタシ一人だけで……。
 普段から怖い話は聞いてるんだけどさぁ、いざ自分がそういう体験をするとなると、やっぱり怖いよ。聞くのと体験するのじゃ、全然違う。

 暗い廊下に、反響するように鳴る自分の上履きの足音。
 後ろから誰かが見ているような、恐怖。暗闇の窓からなにかが覗き込んでくるんじゃないかという、根拠のない疑心。すぐ隣の教室からなにかの物音が聞こえたような気さえしてくる。
 
 急いで帰ろう。
 アタシはそう思って廊下を早足で歩いた。
 普段はすぐ近くにあった気がする階段も、その日はなんだか遠く感じたなぁ。
 三階の端にある図書室から、校舎の中央にある階段は近いようで……かなり、遠かった気がした。
 そこを降りていけば、あとは生徒用玄関まで真っ直ぐ着けるから……自分の心の中でそのゴールを思い描いて、恐怖と戦いながら必死で歩いていたの。

 ……あはは、アタシって結構怖がりなのかもね。
 でもその日は、本当に静かで……不気味だった。普段は校庭から部活のかけ声や、吹奏楽部の楽器の音がするんだけれど……何故かそういう音も一切聞こえなかった。
 たまたまその時がそういうタイミングだったのかもしれないけれど、アタシにはなにか得体の知れないものがそうさせているように思えちゃって。まるで……そう、異世界に自分が迷い込んじゃった、みたいな。
 だから、自分が今ここにいる空間が現実だということを確かめたくて、一刻も早く校舎から出たかった。
 玄関から出れば、校庭。そうすれば他の生徒とか……少なくとも、道路が見えて歩いている人や車が見えるはずだからね。

 ようやく中央階段まであと少し。
 時間にすれば一分もなかったと思うけれど、かなり長い時間のようにも感じたわ。
 アタシは階段の形を見つけると、より早足でそこに辿り着こうとした。

 ……その時だった。

 校舎の、反対側。


 アタシが歩いてきた図書室と真反対の、三階校舎の端に……黒い人影が見えたの。

 
 場所的にあそこは教材を置いたりする空き部屋の前で、その先にあるのは非常階段。普通はそんな場所に誰かがいる状況なんてあまりないよね。
 しかも……その人影は、一人分。空き部屋に何か用事があったのかもしれないけれど……そうじゃないと思う。

 だって人影は、非常階段に続くドアの前で止まっていて……こちらに視線をやっているようだったから。

 ……そして、ね。もっと奇妙だったことがあるの。
 それは……。

「え……?」

 アタシは身を縮こまらせて、その影がなにをしているのか……見てしまったの。

 影は……アタシの方に向けて、右手を振っていたわ。

 おーい、って声をかけるように、大きく、右手を振って。……決して早い動きではなかったけれど……それは明らかに、アタシに向けた動きだった。

 廊下は確かに暗い。だけど、真っ暗というわけではなかった。
 非常灯の明かりや窓からくる街灯や月明かりの光が微かに廊下を照らしていた。……けれどその人影がなんなのかは、廊下の端だからか絶妙に見えなかったわ。

 その時点で逃げ出せば良かったんだけど……アタシは何故かその場で、その人影の動きを見続けていたの。
 ……例えば、山道でクマに出会った時は目を逸らさない方がいいっていう話があるでしょ?アタシの感覚も、そんな感じだったのかもしれない。
 目線を外すとあの人影が一気にこちらに走り寄ってくるかもしれない。そんな恐怖心が、一気に身体に寒気と共に駆け巡った。

 人影は相変わらずアタシに向けて手を振り続けている。
 距離にすれば……短距離のスタートからゴールくらいまで、かな。近いようで遠くて……男なのか女なのかも分からなかったわ。
 機械のように、一定の動きで、一定の振り幅の右手。近づく気配はなく、棒立ちで非常階段の前に立ちながら……ひたすらアタシに手を振っている。
 見間違いなんかじゃなかった。人影だけだったらそりゃなにか別のものを勘違いしていたのかもしれないけれど……ソイツはずっと、右手を振っていたんだもの。

 知り合いだったかのかも?いいや、そんなわけはない。だって……。
 勘、みたいなものが働いてさ。アタシの知り合いは、あんな風に大袈裟な動きで遠くからアタシを呼びかけたりしないから。

 呼吸が荒くなる。心臓の鼓動がドクドクと自分の中で高まるのが分かった。
 すぐにでも逃げ出したいけれど……出来ない。目線を外して逃げ出すタイミングが、さっぱり分からなくなってしまったの。

 何分くらい、それを見ていたか分からない。

 けれど……それは急に、始まったの。

「……!!」

 ぶん、ぶん、ぶん、ぶん……。
 ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん!!

 手を振る動きが……どんどん、速くなっていった。
 それまで遠くの友人に手を振るようなスピードが……まるで、自分に気付いて欲しいかのように、一気に。
 乱暴で乱雑な手の動き。人間ではあり得ないような速さのそれが……その人影に、生命が宿っていないことを直感させてくれた。

 アタシは、もうパニック状態だった。
 怖くて、怖くて……とにかく必死に、階段まで駆けて、一気にそれを下ったわ。

 こわい、こわい、こわい、こわい……!恐怖から逃げるように、全力で玄関に……そして、外の現実の世界に、とにかく逃げたの。

 無我夢中、っていうのかな。
 気付いたらアタシは生徒用玄関で自分の下駄箱から靴を放り投げるように出して、かかとを潰してそれを履いて外へ出た。
 もつれそうになる足を必死で踏ん張って、校庭に飛び出した。


 ……そこには、ちゃんと外の世界があった。
 校庭の前を通り過ぎていく車のライト。犬の散歩をするおじさん。公園から帰る小学生……。
 アタシは、無事に現実の世界に帰ってこられたんだ。その実感と安心が全身を包んだんだ……。



 結局あの人影がなんだったのかは、分からない。
 夜の校舎で手を振る人影の噂なんて聞いたことなかったし、未だに自分の見た夢だったのかもしれないってアタシ自身も疑ってるよ。

 ……でもね。

 一つだけ、その後に事件があったの。

 非常階段の前に人影がいた、って言ったでしょ?
 そこから身動きせず、まるでこちらに向けているように手を振っていた……。

 アタシのその体験から何ヶ月か先。
 校舎の見回りをしていた先生が……事故にあったの。

 原因は非常階段からの転落、だって。
 懐中電灯は持っていたらしいんだけれど、暗くて階段を踏み違えて……転がり落ちちゃったの。
 幸い怪我は捻挫程度で済んだんだけど……。

 でもさ。……これは仲の良い先生から聞いたの。


 職員の見回りルートに、非常階段の点検は……含まれていないんだって。


 だから転落したその先生が非常階段にわざわざ出ていったこと事態が不可解だったって……先生の間で言われていたらしいよ。


 きっとその先生の事故にも……あの人影が関わっていたんじゃないかな。

 ……一つ気になるの。

 人影が、手を振っていたって言ったでしょ?

 あの黒い影は……アタシを、止めようとしていたんじゃないかな、って。
 ほら、手を振った時のジェスチャーって……駄目、っていうニュアンスにも見られるでしょ?つまりあの人影は、こっちに来るなっていう合図を送っていたんじゃないかな、って。
 あの階段に行くと何か悪いことが起きるっていうのを、あの人影が教えてくれていたんじゃないかな……。

 ……ただ。

 もしも……その逆。
 
 あの黒い影が手を振って……アタシや、その先生を……『呼び込んで』いたのなら。
 早くこっちに来い、って手をぶんぶん振り回していたのなら。

 ……そう思うと、アタシはやっぱりあの場所には近づけない……。
 今でも、ね。

―――

 ……これでアタシの話はおしまい。

 どう?怖かった?
 実はこの話、あんまり人には教えてないんだ。
 怖い話は好きだけれど、自分が体験した話はちょっと……ね。
 
 でもこうして話すと、少しは怖さも紛れてくるかも……って思ってさ。
 
 ……キミも、あまり暗くならないうちに学校から出て帰ったほうがいいよ。
 もしも同じ影を見つけたら……あんまり関わらないほうがいいのかもしれないね。


 ……さ、それじゃアタシも帰るよ。
 また暗い廊下を見るのは嫌だしさ。

 またね。

 良かったらまた……怖い話、してあげるよ。

 ふふふふふ。

―――
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