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1-2: 蜂蜜色の村(Alderwick)
4. 師
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リベルは間もなく、丘を登った開けた場所にたどり着いた。
二人の女性がいる。それは精霊術の訓練であった。
艶のある黒髪を無造作に結んだ背の高い女性が、腕を組んで佇んでいる。
その正面には、茶色の髪の毛を三つ編みにした見慣れた少女の姿が見えた。
三つ編みの少女、ルミニタは目をつぶり、座ったまま印相を開いていた。彼女の目の前には陶器の香炉が置かれ、薄い煙と暖かい土の香りが仄かに漂っていた。
自然界の精霊の内、風や空気に関わる存在を感知するための訓練だった。
「ルミニタ、感じるか?」
黒髪の女性はリベルたちが『師匠』と呼ぶ人物だった。
「布か……暖かい膜のようなものが……あたりを飛んでいるように思います……」ルミニタは目を閉じたまま、額に汗を滲ませた。
「分かった。ここまでにしよう。お客様のようだ」師匠は平野の国では珍しい黒髪を揺らして言った。
ルミニタは、深く息を吐いた。感知訓練に消耗したようだ。リベルに気が付くと途端に顔を明るくしたが、すぐには立てなかった。
「師匠、ご無沙汰しています。調子はいかがでしょうか?」リベルは師匠に挨拶してから、ルミニタに向かって微笑んで見せた。
「半々と言った所か」師匠が答えた。「精霊の感知はできなかったが、お兄様の存在にはちゃんと気が付いた」
師匠が意地悪に笑うと、ルミニタは頬を染めた。
「ごめんなさい、先生。まだ精霊術の練習中だったのに」
「いいさ。最近、根を詰めすぎだったからな。今朝はここまでにしよう」
師匠は香炉に蓋をして、中で燃えていたお香を消した。周囲に微かに漂っていた煙と香りが、風に拭かれて徐々に拡散していった。
三人はその場に座った。
「三日後か、ルミニタの成人の儀式は。今年は『四つ葉遺跡』だったな。同行者はもう決めたのか?」師匠がルミニタに尋ねた。
「リベルにお願いします」
「そうだな」師匠は聞かずとも分かっていた様子だった。
「古臭い儀式さ。遺跡へ行って何かしらの精霊と交信をするだけだ。時間はかかるかもしれないが、合否を決めるような試験じゃない。気楽にすればいい」
しかし、ルミニタの表情は真剣だった。
「ルミニタ、まだ諦めてなかったのか」師匠はため息をついて尋ねた。
ルミニタは静かに頷いた。少しの間、風の音が流れた。
「何がいいかね、ホシワタリなんて。ただの風来坊じゃないか」
「私たちをこの村に連れてきてくれた。素敵な人たちと出会わせてくれました」
ルミニタは師匠の目をまっすぐ見つめた。
「何度も聞いたよ、その話は」師匠は少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「自分が助けてもらったように、私も誰かにそうしたいんです」
普段の気弱な様子とは違う、はっきりとした口調だった。こんな時のルミニタは、誰が言っても聞き入れない。師匠はそれを知っている。
「好きにしな」師匠は口の端を上げて少しだけ笑った。
「はい!」
それから少しだけ三人で世間話が続いた。間もなく、朝食のために解散することになった。
「リベル、一局付き合ってくれ。早めに打てばヘステルもそんなに待たせない」師匠がそう言うと、ルミニタは意図を察した。リベルに微笑んでから、先に家へ戻った。
彼女の三つ編みが遠ざかるのを待ってから、師匠は口を開いた。
師匠は置いてあった荷物から、足のついた木製のテーブルを地面に置き、準備を始めた。光沢を放つ二色の石が入った箱を取り出し、リベルと師匠で分け合った。
「リベル、後でセロンのじじいの所へ行くんだろう?」師匠は白い石の入った箱を手元に引き寄せた。
「セロン『長老』にまた怒られますよ」リベルは黒い石だ。
「じじいは怒りっぽいからな。90歳も越えるくらいだろうに、元気なもんだ」師匠は楽しそうに笑った。それから少し真剣な顔をした。
「一昨日からじじいの元へ客人が来ている。そのうちの一人、腕に見覚えのある入れ墨が入っていた。天体をモチーフにした文様。やつはおそらく伝い手だ」
二人は少しの間沈黙し、ゲームを開始した。
リベルが最初に黒石を盤面に打った。
「お前はどうだ?」続けて師匠が白石を打った。
「学院の閉架図書室で二つの資料を見つけました。貸出禁止だったので、手書きの写しになりますが」リベルが黒石を打つ。そしてポケットから小さく畳まれた羊皮紙を取り出し、師匠へ渡した。
師匠は黒石を打ってから紙を広げて一瞥した。
そのまま二人はしばらく会話せず、ゲームを続けた。空白であった盤面が黒石と白石で埋められていく。各所で両者の石が接近し、戦いが始まった。
「魔術……そしてこれは」
師匠の言葉に対しリベルは白石を打った。
「古代アルマトリア語に近い単語です。ですが、初めて目にしました。なんと読むのか……どういう意味なのか、お分かりになりますか?」
「スヴィリタリフの雨」
師匠は手を止めて呟いた。
「それはいったい、どういうものですか?」
リベルの質問に、師匠は沈黙した。
「いや……どこかで見たような気がするが……。もう少し確証が必要だ。知り合いにあたってみよう」
師匠は羊皮紙を元通りに畳んで返した。
「リベル、お前に二つ言っておくことがある。一つはルミニタのこと。もう一つは」
師匠は真剣な瞳でリベルを見つめた。そして視線を盤面に下ろした。
「お前の手書きを読むのに夢中で、打ち間違えた。もう一回最初からやろう」
「え、ヘステルの朝ご飯が……。それに師匠、降参するときはちゃんと『負けました』と言わないといけませんよ」
「負けたわけじゃない。間違えたんだ。言葉は正確に使え。いつも教えているだろう?」
朝の暖かさが徐々に風に混ざり始めた頃、ゲームが終了し二人は解散した。
それから三日経った。ルミニタの儀式の日が訪れた。
二人の女性がいる。それは精霊術の訓練であった。
艶のある黒髪を無造作に結んだ背の高い女性が、腕を組んで佇んでいる。
その正面には、茶色の髪の毛を三つ編みにした見慣れた少女の姿が見えた。
三つ編みの少女、ルミニタは目をつぶり、座ったまま印相を開いていた。彼女の目の前には陶器の香炉が置かれ、薄い煙と暖かい土の香りが仄かに漂っていた。
自然界の精霊の内、風や空気に関わる存在を感知するための訓練だった。
「ルミニタ、感じるか?」
黒髪の女性はリベルたちが『師匠』と呼ぶ人物だった。
「布か……暖かい膜のようなものが……あたりを飛んでいるように思います……」ルミニタは目を閉じたまま、額に汗を滲ませた。
「分かった。ここまでにしよう。お客様のようだ」師匠は平野の国では珍しい黒髪を揺らして言った。
ルミニタは、深く息を吐いた。感知訓練に消耗したようだ。リベルに気が付くと途端に顔を明るくしたが、すぐには立てなかった。
「師匠、ご無沙汰しています。調子はいかがでしょうか?」リベルは師匠に挨拶してから、ルミニタに向かって微笑んで見せた。
「半々と言った所か」師匠が答えた。「精霊の感知はできなかったが、お兄様の存在にはちゃんと気が付いた」
師匠が意地悪に笑うと、ルミニタは頬を染めた。
「ごめんなさい、先生。まだ精霊術の練習中だったのに」
「いいさ。最近、根を詰めすぎだったからな。今朝はここまでにしよう」
師匠は香炉に蓋をして、中で燃えていたお香を消した。周囲に微かに漂っていた煙と香りが、風に拭かれて徐々に拡散していった。
三人はその場に座った。
「三日後か、ルミニタの成人の儀式は。今年は『四つ葉遺跡』だったな。同行者はもう決めたのか?」師匠がルミニタに尋ねた。
「リベルにお願いします」
「そうだな」師匠は聞かずとも分かっていた様子だった。
「古臭い儀式さ。遺跡へ行って何かしらの精霊と交信をするだけだ。時間はかかるかもしれないが、合否を決めるような試験じゃない。気楽にすればいい」
しかし、ルミニタの表情は真剣だった。
「ルミニタ、まだ諦めてなかったのか」師匠はため息をついて尋ねた。
ルミニタは静かに頷いた。少しの間、風の音が流れた。
「何がいいかね、ホシワタリなんて。ただの風来坊じゃないか」
「私たちをこの村に連れてきてくれた。素敵な人たちと出会わせてくれました」
ルミニタは師匠の目をまっすぐ見つめた。
「何度も聞いたよ、その話は」師匠は少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「自分が助けてもらったように、私も誰かにそうしたいんです」
普段の気弱な様子とは違う、はっきりとした口調だった。こんな時のルミニタは、誰が言っても聞き入れない。師匠はそれを知っている。
「好きにしな」師匠は口の端を上げて少しだけ笑った。
「はい!」
それから少しだけ三人で世間話が続いた。間もなく、朝食のために解散することになった。
「リベル、一局付き合ってくれ。早めに打てばヘステルもそんなに待たせない」師匠がそう言うと、ルミニタは意図を察した。リベルに微笑んでから、先に家へ戻った。
彼女の三つ編みが遠ざかるのを待ってから、師匠は口を開いた。
師匠は置いてあった荷物から、足のついた木製のテーブルを地面に置き、準備を始めた。光沢を放つ二色の石が入った箱を取り出し、リベルと師匠で分け合った。
「リベル、後でセロンのじじいの所へ行くんだろう?」師匠は白い石の入った箱を手元に引き寄せた。
「セロン『長老』にまた怒られますよ」リベルは黒い石だ。
「じじいは怒りっぽいからな。90歳も越えるくらいだろうに、元気なもんだ」師匠は楽しそうに笑った。それから少し真剣な顔をした。
「一昨日からじじいの元へ客人が来ている。そのうちの一人、腕に見覚えのある入れ墨が入っていた。天体をモチーフにした文様。やつはおそらく伝い手だ」
二人は少しの間沈黙し、ゲームを開始した。
リベルが最初に黒石を盤面に打った。
「お前はどうだ?」続けて師匠が白石を打った。
「学院の閉架図書室で二つの資料を見つけました。貸出禁止だったので、手書きの写しになりますが」リベルが黒石を打つ。そしてポケットから小さく畳まれた羊皮紙を取り出し、師匠へ渡した。
師匠は黒石を打ってから紙を広げて一瞥した。
そのまま二人はしばらく会話せず、ゲームを続けた。空白であった盤面が黒石と白石で埋められていく。各所で両者の石が接近し、戦いが始まった。
「魔術……そしてこれは」
師匠の言葉に対しリベルは白石を打った。
「古代アルマトリア語に近い単語です。ですが、初めて目にしました。なんと読むのか……どういう意味なのか、お分かりになりますか?」
「スヴィリタリフの雨」
師匠は手を止めて呟いた。
「それはいったい、どういうものですか?」
リベルの質問に、師匠は沈黙した。
「いや……どこかで見たような気がするが……。もう少し確証が必要だ。知り合いにあたってみよう」
師匠は羊皮紙を元通りに畳んで返した。
「リベル、お前に二つ言っておくことがある。一つはルミニタのこと。もう一つは」
師匠は真剣な瞳でリベルを見つめた。そして視線を盤面に下ろした。
「お前の手書きを読むのに夢中で、打ち間違えた。もう一回最初からやろう」
「え、ヘステルの朝ご飯が……。それに師匠、降参するときはちゃんと『負けました』と言わないといけませんよ」
「負けたわけじゃない。間違えたんだ。言葉は正確に使え。いつも教えているだろう?」
朝の暖かさが徐々に風に混ざり始めた頃、ゲームが終了し二人は解散した。
それから三日経った。ルミニタの儀式の日が訪れた。
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