2 / 37
1-1: 春嵐(Spring Storm)
2. 風の渦
しおりを挟む
御者は他にも差別的な言葉を吐いていたようだが、風の音がどんどんと勢いを増し、リベルにはうまく聞き取れなかった。リベルは,ルミニタとクララを自分の傍に引き寄せた。二人はリベルの服の裾を強く握り返した。妹たちを心配させないように、リベルは微笑みかけようとした。しかし、風の勢いが強くなるにつれ、その場に立っていることも難しくなってきた。
これから何が起こるのだろうか?御者に助けを求めようとリベルは顔を上げた。三人を置いて、馬車は既に出発していた。もはや走っても追いつける距離ではなかった。
「リベル……怖いよ……。何が起きたの……?」
ルミニタは瞳に涙を滲ませていたが、それはすぐに風に飛ばされて宙に流れていった。強さを増す風に耐えきれず、三人は地面に座り込んだ。
リベルは賢明に考え状況を整理しようとした。しかし、冷静な考えはまとまらず、頭に浮かぶのは、物心ついてから今までの映像ばかりだった。孤児院での、騒がしくもどこか寂しい日々。大人たちが来て仲間と離ればなれになった瞬間。何日も歩いてたどり着いた港町。船で運ばれてついたこの国。引取先の家庭が次々と決まる仲間たちを見送る、ルミニタとクララの寂しそうな横顔。その場に残される恐怖。一縷の希望を抱いて乗った馬車。朱色に染まる空……。
風は更に強まり、ルミニタの持ち物が飛び散った。ルミニタの大事にしていたノートと筆記用具は渦に巻かれ、留め具が外れてバラバラになった。どのページも文字と絵で埋まっていた。遊び道具はこれ一冊だけだったからだ。
この場に何か恐ろしいものが迫っていることだけは確かだった。
「来た道を戻ろう!手を繋いで離さないように、ゆっくり歩くんだ」
風のうなり声にかき消されないよう、できるだけ大きな声で会話した。暴風に巻き上げられた砂埃で、自分たちがどこから来たのか、リベルにはもう分からなかったが、それでも三人は手を繋いで歩きだした。
いつのまにかリベルの臑から血が流れていた。何か鋭利な刃物で切られたようだった。気が付いた瞬間から急に痛みだした。額に何かが衝突し、まぶたに血が流れた。風で巻き上げられた石がリベルたちを打ち付けた。
まるで風の怒りだ。風だけではない。この大地が何かに憤り、その憤怒をリベルたちに叩きつけているかのようだった。
地面には、先ほどリベルの額にあたった破片が落ちていた。よく見るとそれは石では無かった。鉄製の金具だった。
気が付いて辺りを見回すと、周囲には錆びて朽ち果てた兜や鎧、剣や槍のようなものが埋まっているのが分かった。ここは昔、戦があったのかもしれない。
そのうちの一本、真っ黒に染まった短剣が、地面から離れ、竜巻に巻き込まれた。強風の渦の中で短剣がひらひらと舞った。まるで見えない剣士が、闘いの前に武器の具合を確かめているようだった。見えない剣士は間合いを詰め、リベルたちを射程に捉えようとしていた。その刃が彼らを捉えるまで、もはや僅かしかなかった。
リベルは短剣に背を向け、ルミニタとクララを抱きかかえた。ルミニタは心配そうにリベルの名を呼んだが、リベルは返事をしなかった。
リベルは、湧き上がる恐怖と同時に、現実では無いかのような不思議な浮遊感を感じていた。足元が揺れてふわふわしていたが、強風のせいなのか、自分の意識が不安定になっているせいなのか、判断が付かなかった。
せめて、ルミニタとクララの二人には、これ以上辛い思いをして欲しくなかった。せめて、こんな恐ろしい現実を見ないでいて欲しかった。せめて……。
リベルは、自分の考えた言葉を、心の中でもう一度繰り返した。
(せめて、三人一緒に、苦しまずに)
その意味に気が付くと、自然と涙が零れていた。自分は何故、こんなにも弱く無力なのか。二人の妹を助けてあげようと、戦えないのか。
リベルの頬に柔らかいものが触れた。ルミニタの茶色の髪の毛だった。柔らかく暖かく、ふわふわとしていた。
「リベル、辛いの?」
ルミニタは、薄緑色の優しい瞳をリベルに向けた。
「違うよお姉ちゃん。お腹空いたんだよ」
クララはまるで昼食前のひと時のように、のんびりと言った。
いつもと変わらない二人に触れて、リベルは少しだけ落ち着きを取り戻した。
「ごめん、大丈夫だよ」
泣いている場合ではない。この場から三人で助かる方法を考えなければならない。
これから何が起こるのだろうか?御者に助けを求めようとリベルは顔を上げた。三人を置いて、馬車は既に出発していた。もはや走っても追いつける距離ではなかった。
「リベル……怖いよ……。何が起きたの……?」
ルミニタは瞳に涙を滲ませていたが、それはすぐに風に飛ばされて宙に流れていった。強さを増す風に耐えきれず、三人は地面に座り込んだ。
リベルは賢明に考え状況を整理しようとした。しかし、冷静な考えはまとまらず、頭に浮かぶのは、物心ついてから今までの映像ばかりだった。孤児院での、騒がしくもどこか寂しい日々。大人たちが来て仲間と離ればなれになった瞬間。何日も歩いてたどり着いた港町。船で運ばれてついたこの国。引取先の家庭が次々と決まる仲間たちを見送る、ルミニタとクララの寂しそうな横顔。その場に残される恐怖。一縷の希望を抱いて乗った馬車。朱色に染まる空……。
風は更に強まり、ルミニタの持ち物が飛び散った。ルミニタの大事にしていたノートと筆記用具は渦に巻かれ、留め具が外れてバラバラになった。どのページも文字と絵で埋まっていた。遊び道具はこれ一冊だけだったからだ。
この場に何か恐ろしいものが迫っていることだけは確かだった。
「来た道を戻ろう!手を繋いで離さないように、ゆっくり歩くんだ」
風のうなり声にかき消されないよう、できるだけ大きな声で会話した。暴風に巻き上げられた砂埃で、自分たちがどこから来たのか、リベルにはもう分からなかったが、それでも三人は手を繋いで歩きだした。
いつのまにかリベルの臑から血が流れていた。何か鋭利な刃物で切られたようだった。気が付いた瞬間から急に痛みだした。額に何かが衝突し、まぶたに血が流れた。風で巻き上げられた石がリベルたちを打ち付けた。
まるで風の怒りだ。風だけではない。この大地が何かに憤り、その憤怒をリベルたちに叩きつけているかのようだった。
地面には、先ほどリベルの額にあたった破片が落ちていた。よく見るとそれは石では無かった。鉄製の金具だった。
気が付いて辺りを見回すと、周囲には錆びて朽ち果てた兜や鎧、剣や槍のようなものが埋まっているのが分かった。ここは昔、戦があったのかもしれない。
そのうちの一本、真っ黒に染まった短剣が、地面から離れ、竜巻に巻き込まれた。強風の渦の中で短剣がひらひらと舞った。まるで見えない剣士が、闘いの前に武器の具合を確かめているようだった。見えない剣士は間合いを詰め、リベルたちを射程に捉えようとしていた。その刃が彼らを捉えるまで、もはや僅かしかなかった。
リベルは短剣に背を向け、ルミニタとクララを抱きかかえた。ルミニタは心配そうにリベルの名を呼んだが、リベルは返事をしなかった。
リベルは、湧き上がる恐怖と同時に、現実では無いかのような不思議な浮遊感を感じていた。足元が揺れてふわふわしていたが、強風のせいなのか、自分の意識が不安定になっているせいなのか、判断が付かなかった。
せめて、ルミニタとクララの二人には、これ以上辛い思いをして欲しくなかった。せめて、こんな恐ろしい現実を見ないでいて欲しかった。せめて……。
リベルは、自分の考えた言葉を、心の中でもう一度繰り返した。
(せめて、三人一緒に、苦しまずに)
その意味に気が付くと、自然と涙が零れていた。自分は何故、こんなにも弱く無力なのか。二人の妹を助けてあげようと、戦えないのか。
リベルの頬に柔らかいものが触れた。ルミニタの茶色の髪の毛だった。柔らかく暖かく、ふわふわとしていた。
「リベル、辛いの?」
ルミニタは、薄緑色の優しい瞳をリベルに向けた。
「違うよお姉ちゃん。お腹空いたんだよ」
クララはまるで昼食前のひと時のように、のんびりと言った。
いつもと変わらない二人に触れて、リベルは少しだけ落ち着きを取り戻した。
「ごめん、大丈夫だよ」
泣いている場合ではない。この場から三人で助かる方法を考えなければならない。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜
二階堂まりい
ファンタジー
メソポタミア辺りのオリエント神話がモチーフの、ダークな異能バトルものローファンタジーです。以下あらすじ
超能力を持つ男子高校生、鎮神は独自の信仰を持つ二ツ河島へ連れて来られて自身のの父方が二ツ河島の信仰を統べる一族であったことを知らされる。そして鎮神は、異母姉(兄?)にあたる両性具有の美形、宇津僚真祈に結婚を迫られて島に拘束される。
同時期に、島と関わりがある赤い瞳の青年、赤松深夜美は、二ツ河島の信仰に興味を持ったと言って宇津僚家のハウスキーパーとして住み込みで働き始める。しかし彼も能力を秘めており、暗躍を始める。
No One's Glory -もうひとりの物語-
はっくまん2XL
SF
異世界転生も転移もしない異世界物語……(. . `)
よろしくお願い申し上げます
男は過眠症で日々の生活に空白を持っていた。
医師の診断では、睡眠無呼吸から来る睡眠障害とのことであったが、男には疑いがあった。
男は常に、同じ世界、同じ人物の夢を見ていたのだ。それも、非常に生々しく……
手触り感すらあるその世界で、男は別人格として、「採掘師」という仕事を生業としていた。
採掘師とは、遺跡に眠るストレージから、マップや暗号鍵、設計図などの有用な情報を発掘し、マーケットに流す仕事である。
各地に点在する遺跡を巡り、時折マーケットのある都市、集落に訪れる生活の中で、時折感じる自身の中の他者の魂が幻でないと気づいた時、彼らの旅は混迷を増した……
申し訳ございませんm(_ _)m
不定期投稿になります。
本業多忙のため、しばらく連載休止します。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる