精霊魔女のレクイエム

百門一新

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3部 精霊女王の〝首狩り馬〟 編

93話 精霊女王の首狩り馬 中

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 メイベルの美しい目に、余裕もない彼の表情が映っている。

 一瞬、僅かに時が止まったかのような刹那。

 ぐんっと腕を引っ張られて、メイベルはハッとした。そのまま振るように体が半回転した直後には、スティーブンと彼女の位置が逆転していた。

「な、んで助けてんだバカっ」

 メイベルは驚愕した。こっちは精霊だ、なんで助けた。お前は人間なんだぞ――そんな言葉は間に合わなかった。

 彼の姿が、あっという間に深い地面の割れた大穴へと落下していく。

「くそ……!」

 どうにか守りの精霊魔力を投げ渡したものの、強い精霊界の階層の気にあてられたのか、もうスティーブンは意識を失ってしまっていた。こちらから叫んだとしても、その耳に声は届かない。

 ――だが、メイベルは叫んでいた。

「いいかっ、お前の体は精霊界では重すぎるから、落下の衝撃は、今のその精霊魔力分だけじゃ完全に防げない! 必ず迎えに行くからっ、動かずに待っていろよ!」

 メイベルは、強く引き留められるのを感じたが、「くそっ」と振り払ってその断層から走り出した。スティーブンが、気になって気になって仕方がない。

 心臓が、ドクドクと嫌な鼓動を立てている。

 もし、大きな怪我をしてしまったらどうしよう。意識がない彼を守るのは、自分がどうにか渡せた、魔力なしの人間が耐えられる分の僅かな精霊魔力だけだ。

 意識がない彼は、落下の際の受け身が取れない。

 打ちどころが悪くて、頭でも打って出血してしまったら……? 落ちる場所に草はあるだろうか。最悪、湖にでも着水してしまったら、呼吸が確保できないのに。

「ああっ、くそ!」

 メイベルは再び吐き捨てると、ごちゃごちゃになりそうになった頭をガリガリとやった。今は、目先の事だ。

 小鬼が体勢を戻す中、合流した【首狩り馬】の手を取って引っ張った。城の上にいるこの土地の主にして、【墓場の処刑精霊】を毅然と見上げて告げる。

「私はっ、こいつを引き取りに来た『名付け者』だ!」

 堂々と言い放った彼女に、【首狩り馬】がやや目を見開く。

 巨大な【墓場の処刑精霊】が、その首をずいっと下に向けてメイベルを見下ろした。獣の上半身、やや長い下半身が城にぐるりととぐろを巻く。

『ほぉ。人間の魔法か使える風変りな精霊の考える事は、よく分からんなぁ。わざわざ名を付けて、ソレを人間のように所有したのか?』

 古き精霊言語で語りかけてくる。

「お前の子分と同じだよ。今は精霊女王の兵ではない、この『バカ馬』は勝手に私がもらいうけた」
『それでは、そやつは定められた【首狩り馬】ではなくなった、と?』

 真意を問うように、じっくり見つめられる。

 既に【首狩り馬】は、バカ馬という名に反応している。つまり精霊として受け入れているのだ。に負ける不安要素など、微塵もない。

 メイベルは、悪党のごとく不敵な笑みを「ハッ」ともらしてやった。

「そうだ。こいつは群れの【首狩り馬】じゃなくなった、私が『バカ馬』と呼ぶ、一頭の風変わりな精霊だ。勝手に処分しないで頂きたい」

 しばらく、メイベルと【墓場の処刑精霊】が見つめ合った。

 やがて、先に【墓場の処刑精霊】が、獣のような吐息をはぁっと吐き出し、ピリピリとした気配を解いた。

『――よかろう』

 そう言葉をもらし、威圧するような精霊魔力を抑える。

『その馬は、もうお前のモノだ。どこへなりと連れて行くがいい』

 そう告げるなり、【墓場の処刑精霊】はどしりと四肢を動かし、城の後ろへと降りていく。小鬼達がさざ波で引くかのように退いて、メイベルと【首狩り馬】だけが残された。

 ぶるる、と馬の吐息が上がった。

「我は、お前に新たな呼び名と存在をもらった。人間のような契約のない繋がりだが、指示あらば、我は対価なしに従うだろう」

 そう【首狩り馬】に声をかけられたメイベルは、ゆっくりと視線を落とした。

「今のお前は、改名を受けて高位精霊から一旦外れた。これ以上の、精霊界の奥の階層までは進めない……。お前はひとまず人間界に出ろ」
「それが、お前の『願い』か」
「――そうだ。それが、今の私からの『お願い』だ」

 まだまだ頭の固い生粋の高位精霊を前に、メイベルは「はぁ」と溜息をもらしながら目頭を押さえた。考えたいのに集中できない。

 彼は、無事でいてくれているだろうか。

 顔から手を離して、大地の亀裂を見た。既にこの世界に漂う精霊魔力によって、ご丁寧にしっかりと入口は閉じてしまっていた。

 しかしあの深さと、漂ってきていた青白い濃厚な気配から、どの階層であるのかは予想が付いている。

「夜の、精霊女王も通る『庭』か」

 幸いなのは、あそこは頻繁に精霊の出入りがない事だろうか。

 とはいえ、遭遇したらしたらで厄介なのは間違いない。どれも【首狩り馬】クラスからの高位精霊だ。何より『夜の精霊』達――一体、何が出てくるのか分からない。

「まぁ、女王が出歩くのは滅多にないしな」

 ――けれど、気紛れ。

 メイベルは【首狩り馬】に一旦別れを告げ、去っていく馬の蹄の音が遠くなっていくのを聞きながら、己の中の精霊魔力を少し引き出した。

 その一瞬、ふと、弟弟子アレックスの事が思い出された。

 あの子爵邸の双子屋敷の中で、彼は今にも泣きそうな顔で、メイベルに精霊魔力を使わせるなとスティーブンに向かって叫んでいた。

 ――いや、あれは、使わせたくなかった己に向かって言っていたのだろう。

「お前は、優しい子だね。今も昔も、変わらず」

 私を、助けたい、だなんて。

 メイベルは、幼かった頃の彼のある日の表情と、とある言葉を記憶の向こうへ再びしまい込むと、向かうための入口にと精霊としての道を開けた。


 命が削られるように疲労感、倦怠感。

 美しい精霊魔力の光に包まれて、次に目を開けるとそこは精霊界の深い階層だった。

 眩しい月明かりが注ぐ、美しい夜の大自然の世界だ。風にそよぐ大きな木々の葉は、銀色を帯びてキラキラと光をこぼし、足元には柔らかな芝生と青く光る小さな野花。

「ここへ来るのも、随分久し振りだ」

 人間世界の時間では、軽く数十年は過ぎているだろうか。

 懐かしい。悲しい、けれどやっぱり懐かしい――そう込み上げたモノを、頭ごとゆすって振り払い、駆け出した。

 清浄すぎるほどの空気に満ちた、静かで美しい月光に包まれた夜の森。

 そこに人間の気配が、一つ。

 メイベルは、それを目指して懸命に走った。一歩を踏み出すごとに焦燥にられるようにして気持ちは急かされ、緑の髪とローブを激しく揺らして駆ける。

 失われた精霊魔力への消耗のせいで、子供の姿になってしまっている弱い体が、とても重く感じる。

 すぐに息は切れた。とても苦しい。でも構わず走った。

 どうして、こんなにも足が、腕が、身体が、頭が動かされるのか分からない。それでも必死に駆け付けなければと、ただただ突き動かされた。

 ここは、人間の立ち入りが許されていない、精霊界の深い場所。

「ッあの馬鹿孫が!」

 何かあったらどうするの。

 私は消えてしまっても問題ないけれど、お前は、違うでしょう?

 帰らなくちゃいけない。彼は、心配をさせるような大きな怪我もなく、帰さなくてはならない。待っている人がいて、迎えてくれる場所と人達がいる。

 もし、精霊女王に見つかったら。そうして彼が、精霊女王をうっかり長らく見つめてしまうような事があったら……?

 メイベルは、いよいよ手足を振って必死に走った。

            ※※※

「うッ、痛ぇ……」

 意識が浮上した拍子に、そう口から出た自分の声でスティーブンは気が付いた。目を開けて見れば、そこには夜風にそよぐ木の葉があった。

 先程のように木々の数は、そんなには多くない。

 目の前には、広々と星空が開けてもいた。キラキラと無数に光っている夜空を眺めていると、大地の亀裂の下に落ちたという実感はない。

 ――だが、体の痛みが落下を物語ってもいた。

「結構落ちた気もするが、全く覚えてないな」

 思い返そうと記憶を辿ってみれば、メイベルを安全な場所へ振り回し投げて、ガクンッと背筋が冷えた落下が始まって数秒後、記憶はプッツリと途切れている。

 木の上にでも、一度落ちたのだろうか。ぎしぎしとする手を持ち上げた際、薄地のコートに小枝や葉がついているのが見えた。

 ひりひりとした擦り傷を感じて、顔に触れた。

「いてッ」

 頬をなぞった途端に、ピリッとした痛みが走って顔を顰めてしまう。落下して木の上に一度落ち、バウンドして下に落ちたのか……よく生きてたな。

 顔を向けて確認してみると、目の高さに柔らかな芝生がはえていた。

 こちらの葉も、降り注ぐ月光とは違う光を自身が帯びている気がする。けれど不思議と森の匂いは感じなくて、ほんのりと上品な花のような香りを覚えた。

「これが、精霊界」

 まるで夢でも見ているみたいだ。どんなに星空を眺めていても、そこに自分が落ちてきた大地を見つける事ができない。

 でたらめだ。物理の法則どころか、ここが地下空間であるとも思えないし。

 自分は落ちたばかりなのだろうか。今、何時だ? 体が痛むせいか、じっと動かずぼうっとしてしまって、頭が回ってくれない。

 その時、スティーブンは、草を踏むような微かな気配に気づいた。

 ――が、くる。

 そう思って顔を向けてみると、さえた木々の向こうがやけに気になった。じーっと待っていると、見た事もない銀色の美しい生地が、ふわりと揺れて――。

 いや、それはワンピースドレスのスカート部分だ。

 とても長い夜色の髪が、ふわりと舞うのが目に留まった。あちらへと歩いていくのは、一人の女のようだった。

 ――だが、とても、どうしてか警戒心を煽られた。
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