精霊魔女のレクイエム

百門一新

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3部 精霊女王の〝首狩り馬〟 編

78話 首狩り馬と老人

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 翌朝も、ルファの町は清々しい澄んだ青空が広がった。目覚めのコーヒーをやった後、明るくなった外へと出て、朝食用にと家庭菜園から野菜を調達に取りかかった。

「エインワース、お前は加勢しなくていいからな。そこで監督してろ」
「うーん。なんだか悪いのだけれど」
「体力馬鹿の孫がいるんだ。そういう場合は、悠々と甘んじて任せておけ」

 羽織ったローブと、スカートの先を地面につけてしゃがみ込んだ状態で、メイベルは手を動かしながらそう言った。

 隣で、同じくしゃがみ込んだ姿勢で助っ人していたスティーブンが、やや寝不足の横顔に、ピキリと小さく青筋を立てた。

「言い分には賛成だが、体力馬鹿ってなんだよ」
「そのまんまだろ。野菜の食べ頃の見わけもつかないんだから、大人しく野菜持ち係りをしっかり努めてろ」
「プチトマトくらい俺も収穫出来るぞ。その伐採鋏を寄越せ――いてっ」
「黙ってかごを持ってろ」

 メイベルは、手をぺちっと払って作業を続けた。なんだか負けた感じがしたのか、スティーブンが「ちくしょうチビ精霊め」と悔しそうに両手でかごを持ち直す。

 ふふっ、とエインワースが楽しそうに微笑んだ。

「仲良しで賑やかで、私は嬉しいよ」
「何言ってんだ、コレのどこが仲良しだと?」
「爺さん、こいつ容赦なく俺に頭突きもかましてくる精霊だぞ」

 ここぞとばかりにスティーブンも報告した。

 エインワースが見守る中、指示を聞きつつメイベルが無駄のない手付きで作業を進めた。朝のサラダ用の野菜の収穫も済むと、引かれている水場の冷水でざっと野菜を洗っていく。

 その様子を見守っていたエインワースが、ふっと何かに気付いたかのように振り返った。おや、と愛想のいい表情を浮かべて門扉へと歩み寄る。

「こんにちは。君もメイベルのお客さんかな?」

 ――ぶるるっ、と馬の吐息と蹄の音がした。

 メイベルは気付いて目を向けた。そこには柵からこちらを見つめている、大きな黒い馬の身体に人間の男の上半身をもった、半人馬の精霊【首狩り馬】がいた。

 薄らと暗黒をまとっているその精霊を見て、スティーブンが「はあああ!?」と叫んだ拍子に、水場の角にガツンと足をぶつけて苦悶の声を上げうずくまる。

 道理で、他の精霊が極端に減っているわけだ。

 メイベルは、ここ最近、庭が落ち着いている理由を察しつつ立ち上がると、門扉にいるエインワースに声を掛けた。

「エインワース、それにあまり近付くな」
「君の知り合いじゃないのかい?」

 エインワースは、ローブを揺らして歩み寄ってくるメイベルを見る。

「だって彼、ずっと君の事を見ているみたいだったから。てっきりお友達なのかなと思って」
「ただのストーカーだ」
「あら。メイベルのファンなのかい?」
「違う。わざわざ国境を超えてバルツェの町まで付いてきやがった、だ。偶然、必要になったタイミングで、手助けしてもらうハメにはなったが」

 知識のない人間でも恐れる姿をしている悪精霊。
 だというのに、話を聞いているエインワースは、その雰囲気を全く感じていないらしい。メイベは指を突き付けると「いいか」と告げ、しっかり言い聞かせた。

「そこいるのは【首狩り馬】と呼ばれている精霊で、これまでお前が出会ってきたモノとはまるで違って攻撃性が高い――簡単に言えば『暴れ馬』なんだよ」

 そう教えても、エインワースは普段のぽやぽやとした様子でいる。

 メイベルは、彼がスティーブン以上に無知であるのを思い出して説明を諦めた。当の教授は、まだ足を抱えて「ぐおぉ……」と悶絶している。

「とにかく、あまり近付くな。招いていない今の状態なら、敷地内には入って来ないから放っておけ」
「平気だよ。つまり向こうの遠い土地まで、君を助けに行ってくれたというわけだろう? 彼、とても良い精霊だね」

 エインワースは【首狩り馬】の方へ目を戻して、にこにこした。メイベルは「そう解釈するのかよ……」と呟き、うんざりしたように額を押さえてしまう。

「初めまして、私はエインワースだ」

 そのまま彼が、親しげに挨拶の手を差し出した。

 じっと暗黒の目で見つめた【首狩り馬】が、わざわざ精霊魔法で実体化し姿を見せているというのに、ぞわり、と更に新たな黒き魔法を身にまとった。パカラッ、と足元を打って黒い尻を振ったかと思うと、馬の吐息が人の言葉へと変わる。

「その手は、なんだ?」

 野太い声が、人間の頭をもった【首狩り馬】の口からこぼれ落ちる。

 見下ろされたエインワースが、愛想良く首を傾げた。

「握手だよ」
「握手、とは」
「おや、君はメイベルみたいに人間の暮らしは、あまり知らない精霊なのかい? よろしくね、と挨拶する時にやるものだよ」

 そのやりとりのかたわらで、メイベルはとうとう顔を手で押さえて項垂れていた。

 エインワースの目は、子供みたいに無垢だった。真っ直ぐ見上げ続けられていた【首狩り馬】が、ふー、と夏の朝だというのに冬のような白い吐息をもらす。

「妙な人間だ」

 ぶるる、と馬の呼吸音が上がる。

 その暗黒の目が、ゆっくりとエインワースから奥へと流し向けられた。奥にいる一人の人間を、ハッキリと認識して捉えるのをメイベルは見た。

 その時、スティーブンが「ようやく収まった!」と言って、ガバッと顔を上げた。

 パチリと両者の目が合う。ギンッと私怨のごとく睨み付けて彼が走り出した途端、ゆらりと【首狩り馬】の姿が影へと溶けて消えていった。

「あいつ、魔法で俺を運んだヤツじゃないか! なんでここにいるんだよ!?」

 駆け寄ってきたスティーブンが、もう何もいなくなってしまった門扉の外を指して言う。
「あいつは、もともとここにいたやつなんだよ」

 メイベルは、ちょっと面倒になってそう答えた。

 あの時は、精霊世界と人界の狭間の場所だった。バルツェの町で人間の姿で出て来た際と同じく、ここでもこうして人界に出て来ているというのも妙ではある。

 何せ【首狩り馬】は、番人にして兵士。

 精神体の高位精霊で、あの種が単体で人界にひょっこり出てくるなんて滅多にない。だから以前、狭間の空間にアレが現れた際、見習い魔法使い達は驚いていたのだ。

 そう考えていると、エインワースが見守る中、スティーブンが本題と言わんばかりにこう主張してきた。
「いいかッ。今度あの魔法使ったら、ただじゃおかないからな!?」
「なんだ、それを言うためだけに走ってきたのか?」

 どうやらこの教授は、二度とあの魔法を自分にするなよ、と【首狩り馬】に怒ってやろうとしたらしい。あの精霊を前にして、叱り付けようと考える人間も珍しい。

 彼も彼で、やっぱりエインワースとどこか似ている。

 そもそも、恐れが浮かばないくらいに根に持ってるのかよ、とメイベルは精霊や魔法を嫌う学者気質を思って、心底呆れてしまった。

「――フッ。馬の方がから、運んでもらっただけなのにな」
「その薄ら笑いやめろ、あれは世に言う転移魔法だろ」

 スティーブンが、ブチ切れ顔で低い声を出した。

「お前、マジで今度やったら承知しな――」
「おや、スティーヴはそんな魔法も体験したんだねぇ」

 孫の愛称を口にして、エインワースが呑気に笑った。物騒な事件があっただとか、詳細については話さない事を事前に話し合っていたメイベルは、そんな彼をチラリと見やる。

「確か不思議な屋敷の謎を解くために、魔法使い達にも協力する事になってしまったとは手紙でも読んだけれど、不思議な魔法まで自分で経験してきたんだねぇ」
「うっ、それは、その……」
「不思議な体験が出来て良かったね」

 にっこりと感想を述べた祖父を前に、スティーブンが喜んでいいのか泣いていいのか分からない表情で「あ、うん、まぁ、そうだな」とぎこちなく答えた。

 直前の私への発言で、以前に教えた『学者は精霊も魔法も嫌い』を察してやれよ。

 メイベルは、やっぱりどこか鈍いというか、平和思考なところがあるエインワースを思ってこっそり乾いた笑みを浮かべた。これはちょっと孫に同情した。

 すると、エインワースが門扉の外へと目を向けた。

「馬の彼は、どうしてそこにいたんだろうね」

 そうに口にして首を傾げる。用件も言わず、目的もとくになさそうなまま姿を消して去ってしまったから、てっきり訪問だと思っていた彼は不思議だったのだろう。

 対するスティーブンは、毛嫌い感を露わに眉根を寄せる。

「どっかの誰かさんのせいで、すっかりこの家が精霊ほいほいになっているからな。そのせいじゃないか? バルツェの町で泊まったホテルにも、色々出たし」
「そうかなぁ。何か用があって、そこまで来ていたようにも感じたのだけれど――メイベルはどう思う?」

 二人と同じようにそちらを見ていたメイベルは、チラリと顔を顰め、

「――さぁな」

 せっかく洗った野菜を取りに行くべく、ローブとスカートを揺らして踵を返した。
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