76 / 97
3部 精霊女王の〝首狩り馬〟 編
76話 子守りの精霊 上
しおりを挟む
夕食後にリビングでゆっくりと過ごした後、いつも通り夜の九時に家の閉じまりと消灯がされて、就寝時刻を迎えエインワース宅は寝静まった。
大きめの月の光りが、窓から差し込んでいた。
しばらくメイベルは、時計の針が動く音を聞いて、じっとしていた。
どれくらいそうしていただろうか。十分に待った後、ゆとりある就寝衣装を揺らしてベッドから抜け出した。下に置かれてある靴を履いて、そっと窓を開ける。
「よっ、と」
そのまま、ひらりと窓の外へと飛び出した。
足首まであるスカートが、外へとジャンプした動きでふわりと舞った。緑の髪先が、月光を浴びてほんの少しだけ透けてキラキラしたような色合いを放つ。
着地したのち、振り返って確認してみた。寝室内のベッドで、エインワースはぐっすりと眠っている。
メイベルは、彼を起こしてしまわないようゆっくり窓を閉め直した。
その時、玄関側からカサリと音がした。振り返ってみれば、そこにはシャツ一枚にズボンという、就寝前に別れた時の軽装姿をしたスティーブンが、腕を抱えて立っていた。
「まさかと思っていたが、女が窓から出掛けるなよな」
注意半分、呆れ半分といった様子で、彼が軽く眉根を寄せてみせる。
メイベルは仏頂面を返すと、体系が隠れてしまうゆったりとした衣装を揺らして向き直った。ひらりと揺れた髪と白い裾が、月光に照らし出されてぼんやりと浮かび上がっている。
「わざわざ起床したのか? それとも警戒でもしていたのかよ」
軽く睨み付けてやったら、彼の方も同じく睨み見下ろしてきた。
「もともと寝付きが浅いんだ」
そう言われても説得力がない。
メイベルは、何度か見た彼のぐっすり就寝中な光景と、巻き込まれた寝起きの悪さが頭によぎった。あ、そういえば報復し返すのを忘れていたな――。
「チッ、仕返しするのもするで面倒だな」
「何がだよ?」
「なんでもない」
こっそり愚痴ったメイベルは、早々に話を打ち切って歩き出した。
すぐにスティーブンも後を追ってきた。庭を歩き過ぎて門扉から出たら、彼も外へと踏み出し、後ろ手で門扉を閉めて後に続いてくる。
「で、どこに向かってる?」
後ろから問い掛けられた。
勝手に付いてきた彼を、メイベルは肩越しにチラリと睨みつける。
「お前、付いてくる気満々で待ち伏せしてたのかよ。そういうのは関心しないぞ」
「女が夜に独り歩きするのを、黙ってさせるかよ」
「私は『夜の精霊』だ」
「だからなんだっていうんだ?」
その返答に、メイベルはなんだか違和感を覚えてしまう。出会ったばかりだった頃とは随分違っている、と思い出し比べる暇もなく彼が言葉を続けてきた。
「あの廃墟だろ」
ズバリと言い当てられて黙り込む。
もし自分が精霊でなかったとしたら、一旦『違うよ』と嘘の言葉だって言えた。しかし出来ない以上は、言葉を考えなければならない。
そもそも彼が待ち伏せしていたのは、こちらの行動を見越しての事だろう。だとすれば、あの廃墟で出会った精霊の事である、と気付かれていると見ていい。
「なんで向かう?」
目的地を確信した状態で、そう追って理由まで尋ねられてしまった。
探究心が強い学者気質のせいなのだろうか。それとも先日、初めて彼の依頼を手伝った際に見た、スティーブンの教授としての責任感と行動力の強さのせいか?
いや。単純に考えれば、彼もあの精霊を気にしているのだろう。
言葉を交わしていた様子を思い返したメイベルは、前へと目を戻した。日中に歩いたのと同じ道を歩きつつ、指で隣へくるよう促したら、スティーブンが少し駆けて寄ってきた。
「いいって事か。なら教えろ」
「もう、彼女に残された時間は少ないから」
メイベルは、目を向けないまま簡潔に答えた。
「恐らくは、今夜あたりが彼女の『最後の日』だ」
「どういう事だ?」
「お前も少し感じていたように、彼女はかなり弱っている。もう、魔力も体力も僅かにしか残されていない」
明るい月明かりに照らし出された夜道は、歩くのに不便を感じないくらいよく見えた。
腑に落ちた様子で、スティーブンが「そういう事かよ」と吐息交じりに言いながら、目を落として頭をガリガリとかいた。
「つまりあの精霊は、寿命が尽きようとしているってわけか。それでいて、今夜がヤバいってか?」
「もうほとんど、消えかけていると言っていい。【子守りの精霊】は、精霊王が統べる昼に属する精霊。夜の闇と月光も、彼女にとっては負担になる」
「残っている体力では、もう一晩を越すのも厳しい状態である、と?」
「――言っただろう、もう消えかけているんだ」
メイベルは、彼女に触れたのを思い出して手を見下ろした。
「私達と話せたのも、ようやくギリギリの状態だった。彼女の場合であれば、望めばまだ間に合っていた頃もあっただろうけれど――もう無理だ。そうして本人も、きっとそれを望まないんだろうなぁって」
精霊には寿命がない。
けれど精霊は、永遠を終わらせる事が出来る。
そんな事を思った直後、カチリと思考を切り替えた。メイベルは進む先へ目を向けた。知らずきゅっと小さな手を握り締めて、力強く一歩を踏み出す。
「出会ったのも『縁』ならば、私は、彼女を見届けなければならない。精霊世界ではなく、たった一人、人間界のあの土地で消えようとしている彼女のために」
そんなのは寂しいから、とは続けなかった。それなのにスティーブンが、察したみたいに「俺も付き合う」と答え、それ以上は何も訊いてこなかった。
並木道は森へと続いていた。日中の時と同じように、メイベルは途中から道を外れて森の中を進んだ。
やがて木々が開けて、ポッカリと開けたオーウェン家の敷地へと出た。一面の白い花が、眩しい月光に照らされて、ぼんやりと光っているようで一瞬、見入ってしまう。
拭き抜けた風が、花々の良い香りを運んできた。
幻想的な花の原の中、そこには小さな花を絡ませた青銀の髪を持った、美しい女性の姿をした【子守りの精霊】が横になっていた。
大きめの月の光りが、窓から差し込んでいた。
しばらくメイベルは、時計の針が動く音を聞いて、じっとしていた。
どれくらいそうしていただろうか。十分に待った後、ゆとりある就寝衣装を揺らしてベッドから抜け出した。下に置かれてある靴を履いて、そっと窓を開ける。
「よっ、と」
そのまま、ひらりと窓の外へと飛び出した。
足首まであるスカートが、外へとジャンプした動きでふわりと舞った。緑の髪先が、月光を浴びてほんの少しだけ透けてキラキラしたような色合いを放つ。
着地したのち、振り返って確認してみた。寝室内のベッドで、エインワースはぐっすりと眠っている。
メイベルは、彼を起こしてしまわないようゆっくり窓を閉め直した。
その時、玄関側からカサリと音がした。振り返ってみれば、そこにはシャツ一枚にズボンという、就寝前に別れた時の軽装姿をしたスティーブンが、腕を抱えて立っていた。
「まさかと思っていたが、女が窓から出掛けるなよな」
注意半分、呆れ半分といった様子で、彼が軽く眉根を寄せてみせる。
メイベルは仏頂面を返すと、体系が隠れてしまうゆったりとした衣装を揺らして向き直った。ひらりと揺れた髪と白い裾が、月光に照らし出されてぼんやりと浮かび上がっている。
「わざわざ起床したのか? それとも警戒でもしていたのかよ」
軽く睨み付けてやったら、彼の方も同じく睨み見下ろしてきた。
「もともと寝付きが浅いんだ」
そう言われても説得力がない。
メイベルは、何度か見た彼のぐっすり就寝中な光景と、巻き込まれた寝起きの悪さが頭によぎった。あ、そういえば報復し返すのを忘れていたな――。
「チッ、仕返しするのもするで面倒だな」
「何がだよ?」
「なんでもない」
こっそり愚痴ったメイベルは、早々に話を打ち切って歩き出した。
すぐにスティーブンも後を追ってきた。庭を歩き過ぎて門扉から出たら、彼も外へと踏み出し、後ろ手で門扉を閉めて後に続いてくる。
「で、どこに向かってる?」
後ろから問い掛けられた。
勝手に付いてきた彼を、メイベルは肩越しにチラリと睨みつける。
「お前、付いてくる気満々で待ち伏せしてたのかよ。そういうのは関心しないぞ」
「女が夜に独り歩きするのを、黙ってさせるかよ」
「私は『夜の精霊』だ」
「だからなんだっていうんだ?」
その返答に、メイベルはなんだか違和感を覚えてしまう。出会ったばかりだった頃とは随分違っている、と思い出し比べる暇もなく彼が言葉を続けてきた。
「あの廃墟だろ」
ズバリと言い当てられて黙り込む。
もし自分が精霊でなかったとしたら、一旦『違うよ』と嘘の言葉だって言えた。しかし出来ない以上は、言葉を考えなければならない。
そもそも彼が待ち伏せしていたのは、こちらの行動を見越しての事だろう。だとすれば、あの廃墟で出会った精霊の事である、と気付かれていると見ていい。
「なんで向かう?」
目的地を確信した状態で、そう追って理由まで尋ねられてしまった。
探究心が強い学者気質のせいなのだろうか。それとも先日、初めて彼の依頼を手伝った際に見た、スティーブンの教授としての責任感と行動力の強さのせいか?
いや。単純に考えれば、彼もあの精霊を気にしているのだろう。
言葉を交わしていた様子を思い返したメイベルは、前へと目を戻した。日中に歩いたのと同じ道を歩きつつ、指で隣へくるよう促したら、スティーブンが少し駆けて寄ってきた。
「いいって事か。なら教えろ」
「もう、彼女に残された時間は少ないから」
メイベルは、目を向けないまま簡潔に答えた。
「恐らくは、今夜あたりが彼女の『最後の日』だ」
「どういう事だ?」
「お前も少し感じていたように、彼女はかなり弱っている。もう、魔力も体力も僅かにしか残されていない」
明るい月明かりに照らし出された夜道は、歩くのに不便を感じないくらいよく見えた。
腑に落ちた様子で、スティーブンが「そういう事かよ」と吐息交じりに言いながら、目を落として頭をガリガリとかいた。
「つまりあの精霊は、寿命が尽きようとしているってわけか。それでいて、今夜がヤバいってか?」
「もうほとんど、消えかけていると言っていい。【子守りの精霊】は、精霊王が統べる昼に属する精霊。夜の闇と月光も、彼女にとっては負担になる」
「残っている体力では、もう一晩を越すのも厳しい状態である、と?」
「――言っただろう、もう消えかけているんだ」
メイベルは、彼女に触れたのを思い出して手を見下ろした。
「私達と話せたのも、ようやくギリギリの状態だった。彼女の場合であれば、望めばまだ間に合っていた頃もあっただろうけれど――もう無理だ。そうして本人も、きっとそれを望まないんだろうなぁって」
精霊には寿命がない。
けれど精霊は、永遠を終わらせる事が出来る。
そんな事を思った直後、カチリと思考を切り替えた。メイベルは進む先へ目を向けた。知らずきゅっと小さな手を握り締めて、力強く一歩を踏み出す。
「出会ったのも『縁』ならば、私は、彼女を見届けなければならない。精霊世界ではなく、たった一人、人間界のあの土地で消えようとしている彼女のために」
そんなのは寂しいから、とは続けなかった。それなのにスティーブンが、察したみたいに「俺も付き合う」と答え、それ以上は何も訊いてこなかった。
並木道は森へと続いていた。日中の時と同じように、メイベルは途中から道を外れて森の中を進んだ。
やがて木々が開けて、ポッカリと開けたオーウェン家の敷地へと出た。一面の白い花が、眩しい月光に照らされて、ぼんやりと光っているようで一瞬、見入ってしまう。
拭き抜けた風が、花々の良い香りを運んできた。
幻想的な花の原の中、そこには小さな花を絡ませた青銀の髪を持った、美しい女性の姿をした【子守りの精霊】が横になっていた。
0
お気に入りに追加
183
あなたにおすすめの小説

好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる
夕立悠理
恋愛
ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
※小説家になろう様にも投稿しています
※感想をいただけると、とても嬉しいです
※著作権は放棄してません

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです
秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。
そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。
いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが──
他サイト様でも掲載しております。

【完結】勘当されたい悪役は自由に生きる
雨野
恋愛
難病に罹り、15歳で人生を終えた私。
だが気がつくと、生前読んだ漫画の貴族で悪役に転生していた!?タイトルは忘れてしまったし、ラストまで読むことは出来なかったけど…確かこのキャラは、家を勘当され追放されたんじゃなかったっけ?
でも…手足は自由に動くし、ご飯は美味しく食べられる。すうっと深呼吸することだって出来る!!追放ったって殺される訳でもなし、貴族じゃなくなっても問題ないよね?むしろ私、庶民の生活のほうが大歓迎!!
ただ…私が転生したこのキャラ、セレスタン・ラサーニュ。悪役令息、男だったよね?どこからどう見ても女の身体なんですが。上に無いはずのモノがあり、下にあるはずのアレが無いんですが!?どうなってんのよ!!?
1話目はシリアスな感じですが、最終的にはほのぼの目指します。
ずっと病弱だったが故に、目に映る全てのものが輝いて見えるセレスタン。自分が変われば世界も変わる、私は…自由だ!!!
主人公は最初のうちは卑屈だったりしますが、次第に前向きに成長します。それまで見守っていただければと!
愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。
予告なく痛々しい、残酷な描写あり。
サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。
小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。
こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。
本編完結。番外編を順次公開していきます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる