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3部 精霊女王の〝首狩り馬〟 編
73話 出会った優しきその精霊は
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花の原に座っていたのは、人ではない美しい女性だった。
所々花の咲いた青銀の長髪、長い耳と海色の『精霊の目』――メイベルとスティーブンの姿を認めた途端、視線が合ったその瞳が美しく優しげに微笑み掛けてきた。
「あら、あら。珍しいお客様ね。こんにちは」
慈愛、母、そんなイメージがパッと浮かぶような声をしていた。
「こんにちは。勝手に敷地へ踏み込んでしまってすまない――そちらへ行っても?」
「ええ、いいわ。どうぞ『お客様』」
メイベルが歩き出す。ハッと強張りを解いたスティーブンが、ジャケットから手を離しつつ、少し遅れて困惑気味に「こんにちは」と答えながら後に続いた。
座り込んでいる女性へと近づけば、その青銀色の髪が、太陽の日差しで僅かにキラキラと光っているのが見えた。その白い肌は、薄らと銀粉を付けて化粧でもしているかのようだ。
「精霊、なんだよな……?」
スティーブンが、改めて前にしても信じられない様子で尋ねた。
すると、彼女がにこっと上品に笑った。
「そうよ。あなたのお爺さんが、生まれるずっと前から生きているの」
「そ、そうか」
そのまま戸惑いがちに目を向けられた。バルツェの町でも、いくつか精霊を見ていたというのに、この教授は相変わらず耐性というか知見がないらしい。
そう見て取ったメイベルは、小さく吐息をもらして教えた。
「彼女は、【子守りの精霊】だ」
「子守り……?」
「家につく事がある中位精霊の一つで、気に入れば良き運を一族に与えて代々の子の面倒をみてくれる。都会ではもうほとんど見られなくなったが、村なんかでは、まだ時々見られたりする『昼の精霊』だ」
目を戻すと、【子守りの精霊】がふんわりと微笑む。
メイベルは、そんな彼女と金色の『精霊の目』をじっと合わせていた。一時、そのまま言葉を切ってしまっているのに気付いて、やや遅れて再度口を開き問いかけた。
「――こうして花が現在も健在なのは、家に良き運を与える君の影響だね?」
「そうよ。昔から、ずうっと変わらないでいるの」
素敵でしょう、と彼女が花弁の付いた手を広げて見せる。
その無垢な様子を、メイベルは金色の瞳に静かに映し続けていた。
「もう、庭の世話をしてくれる者もいないだろうに」
「そうね」
「そうして、君がみるべき子供だっていない」
「そうね」
応答が、そこでぷつりと途切れる。
やや不自然な静寂。スティーブンが、ふと小さく疑問を覚えた目をメイベルへと向けた。それを感じた彼女は、視線を返さないまま新たに言葉を続けた。
「この家は、もう絶えてしまったのかい」
「『彼』が最後の住民だったの」
ふわりと花を包み込んで、【子守りの精霊】が穏やかに答えた。
「子供らも出て、奥さんが亡くなってからは独り暮らしだったわ」
「そうか」
「でも、彼、最後まで幸せそうだった。故郷と、生まれた家をとても愛している人だった。奥さんを愛して、我が子や孫をとても愛して、みんなから愛されて看取られた最期だった」
君は?
そう問いそうになった口をメイベルは閉じた。子供を愛する精霊である彼女が、「あら」とスティーブンへ海色の『精霊の目』を向ける。
「緊張しているみたい。どうしたの坊や?」
「えっ、あ、いや、俺は別に……」
「気にするな。こいつは精霊が苦手な『教授』なんだ」
「きょうじゅ?」
「人間の学者、だ」
メイベルが教えてやると、彼女が不思議そうにスティーブンを見つめた。彼女にとっては坊や枠であるらしいと分かって、彼は反応に困った様子でたじろいでいる。
柔らかな風が吹き抜けていった。【子守りの精霊】の青銀の髪が、上質な絹のようにゆらいで、絡み付き咲いている花の青い花弁が一つ落ちていった。
ぐらり、と、弱い風一つに押されたかのように彼女の身体が傾く。
えっ、とスティーブンが目を見開いた。咄嗟にメイベルが動き、片膝をついて手を伸ばし支えた。
「大丈夫か?」
「ええ、平気よ」
答えた彼女が、ゆっくりとした手付きで座り直した。
「ごめんなさいね。坊やもいるのに、うっかり恥ずかしいところを見せてしまったわ」
「平気だよ、そこにいる彼は『大人』だ」
同じ目線の高さから、メイベルは自分の口の動きまで見えるように正面から、ハッキリとした口調でそう教えてあげた。
しばらく間があった。どこかぼんやりと見つめ合っていた【子守りの精霊】が、ややあってから正しく理解した様子で「ああ、そうなのね」と独り言のように言って、スティーブンを見上げた。
「そこにいる彼は、大人なのね」
じぃっと見つめてくる海色の『精霊の目』に、彼がハッとする。
「もしかして、目が悪いのか……?」
「少しだけ。すぐに気付けなくてごめんなさい」
「あっ、大丈夫だ。精霊にとっては、俺は随分年下だろうと思うし」
立ち上がったメイベルは、そのやりとりを聞きながら、目だけであれば良かったのにな、と、本来は視力に頼らない精霊としての感覚を思った。
彼女に触れた手を、つい、見下ろしてしまっていた。
あまりにも細い身体。そうして、ひんやりとした触り心地――。
「おい、どうした?」
不意に、声を掛けられたのに気付いて我に返った。
メイベルは反射的に手を握ると、これまでの自分だったらしない『隙』を自覚してパッと顔を上げた。だって彼は、魔法使いなら一見して分かるような精霊事情を知らない。
「訪れてくれてありがとう、【精霊に呪われしモノ】」
質問を振り切るように向き直ったら、彼女の方が先に言葉を切り出してきた。
「少し休ませていただくわね」
分かっていると言うように、【子守りの精霊】はほんの少しだけ申し訳けなさを滲ませつつ微笑み返している。
ああ、目の奥がチクチクとするみたいに変な感じだ。
メイベルは、すぐに言葉を出す事が出来なかった。この感じが、人間でいうところのどのようなものであるのか――少しだけ考えたところで思考を振り払った。
「【子守りの精霊】、突然邪魔して悪かったな」
「いいえ。久しぶりにお客様に会えて、良かったわ」
「そうか」
「ええ、そうなの。だから気にしないで」
視線が落ちたメイベルを見て、彼女が母親のような手付きで指を伸ばす。
メイベルは、少し腰を屈めてそれに応えた。白い頬に【子守りの精霊】が触れて、その指先がさらりと落ちた緑の髪にも触れた。
それでも素直に触れさせている様子を、スティーブンが目に留めていた。
「人間は、やっぱり今も【精霊に呪われしモノ】が嫌いなのねぇ」
ああ、と【子守りの精霊】がぼんやりと吐息をもらした。そのまま海色の『精霊の目』が閉じられて、柔らかな風を受けたその姿がすうっと消えた。
スティーブンが、その現象を前に条件反射のようにビクリとした。
「どこへ行ったんだ……?」
「少し眠っただけだ。久々の人間の気配で、出て来たんだろう」
背を起こして、メイベルは淡々と説明した。
そのまま屋敷に背を向けて、戻るように歩き出す。気付いたスティーブンが、一拍遅れて慌てて後を追った。
「おい、屋敷の方はいいのか?」
「彼女が今も守っている『家』だ。調査でもないのに無断で踏み入る事はしない。それに戻るまでの時間を考えると、そろそろ引き返さないとエインワースを心配させる」
「まぁ、確かにそうだな」
答えた彼が、そこで一度、遠くなっていく花畑と屋敷の光景を見やった。
「……あの善良そうな精霊、俺が言うのもなんだが…………弱ってた、よな?」
精霊なのに目が悪い、というところもあって確信を持ったのだろう。
確認されたメイベルは、しばし考えた。視線を返さないまま、判断の時間を稼ぐようにしてローブのポケットに両手を突っ込んだ。
「そうだな。あの精霊は弱っている」
「随分長生きなのか?」
そう続けて尋ねられて、メイベルは彼が、精霊に寿命がない事に思い至らないでいるのに気付いた。
「長くは生きているだろうな」
だから認識は確認せずに肯定だけした。恐らく彼女は、何人かの【精霊に呪われしモノ】を見てきたくらいには、長く生きている精霊だろう。
話は以上だというように、ポケットに手を入れたままメイベルは歩く。
どこか考えるようにして歩く彼女の様子を、ほんの少し後ろから、しばらくスティーブンが眺めながら歩いていた。
所々花の咲いた青銀の長髪、長い耳と海色の『精霊の目』――メイベルとスティーブンの姿を認めた途端、視線が合ったその瞳が美しく優しげに微笑み掛けてきた。
「あら、あら。珍しいお客様ね。こんにちは」
慈愛、母、そんなイメージがパッと浮かぶような声をしていた。
「こんにちは。勝手に敷地へ踏み込んでしまってすまない――そちらへ行っても?」
「ええ、いいわ。どうぞ『お客様』」
メイベルが歩き出す。ハッと強張りを解いたスティーブンが、ジャケットから手を離しつつ、少し遅れて困惑気味に「こんにちは」と答えながら後に続いた。
座り込んでいる女性へと近づけば、その青銀色の髪が、太陽の日差しで僅かにキラキラと光っているのが見えた。その白い肌は、薄らと銀粉を付けて化粧でもしているかのようだ。
「精霊、なんだよな……?」
スティーブンが、改めて前にしても信じられない様子で尋ねた。
すると、彼女がにこっと上品に笑った。
「そうよ。あなたのお爺さんが、生まれるずっと前から生きているの」
「そ、そうか」
そのまま戸惑いがちに目を向けられた。バルツェの町でも、いくつか精霊を見ていたというのに、この教授は相変わらず耐性というか知見がないらしい。
そう見て取ったメイベルは、小さく吐息をもらして教えた。
「彼女は、【子守りの精霊】だ」
「子守り……?」
「家につく事がある中位精霊の一つで、気に入れば良き運を一族に与えて代々の子の面倒をみてくれる。都会ではもうほとんど見られなくなったが、村なんかでは、まだ時々見られたりする『昼の精霊』だ」
目を戻すと、【子守りの精霊】がふんわりと微笑む。
メイベルは、そんな彼女と金色の『精霊の目』をじっと合わせていた。一時、そのまま言葉を切ってしまっているのに気付いて、やや遅れて再度口を開き問いかけた。
「――こうして花が現在も健在なのは、家に良き運を与える君の影響だね?」
「そうよ。昔から、ずうっと変わらないでいるの」
素敵でしょう、と彼女が花弁の付いた手を広げて見せる。
その無垢な様子を、メイベルは金色の瞳に静かに映し続けていた。
「もう、庭の世話をしてくれる者もいないだろうに」
「そうね」
「そうして、君がみるべき子供だっていない」
「そうね」
応答が、そこでぷつりと途切れる。
やや不自然な静寂。スティーブンが、ふと小さく疑問を覚えた目をメイベルへと向けた。それを感じた彼女は、視線を返さないまま新たに言葉を続けた。
「この家は、もう絶えてしまったのかい」
「『彼』が最後の住民だったの」
ふわりと花を包み込んで、【子守りの精霊】が穏やかに答えた。
「子供らも出て、奥さんが亡くなってからは独り暮らしだったわ」
「そうか」
「でも、彼、最後まで幸せそうだった。故郷と、生まれた家をとても愛している人だった。奥さんを愛して、我が子や孫をとても愛して、みんなから愛されて看取られた最期だった」
君は?
そう問いそうになった口をメイベルは閉じた。子供を愛する精霊である彼女が、「あら」とスティーブンへ海色の『精霊の目』を向ける。
「緊張しているみたい。どうしたの坊や?」
「えっ、あ、いや、俺は別に……」
「気にするな。こいつは精霊が苦手な『教授』なんだ」
「きょうじゅ?」
「人間の学者、だ」
メイベルが教えてやると、彼女が不思議そうにスティーブンを見つめた。彼女にとっては坊や枠であるらしいと分かって、彼は反応に困った様子でたじろいでいる。
柔らかな風が吹き抜けていった。【子守りの精霊】の青銀の髪が、上質な絹のようにゆらいで、絡み付き咲いている花の青い花弁が一つ落ちていった。
ぐらり、と、弱い風一つに押されたかのように彼女の身体が傾く。
えっ、とスティーブンが目を見開いた。咄嗟にメイベルが動き、片膝をついて手を伸ばし支えた。
「大丈夫か?」
「ええ、平気よ」
答えた彼女が、ゆっくりとした手付きで座り直した。
「ごめんなさいね。坊やもいるのに、うっかり恥ずかしいところを見せてしまったわ」
「平気だよ、そこにいる彼は『大人』だ」
同じ目線の高さから、メイベルは自分の口の動きまで見えるように正面から、ハッキリとした口調でそう教えてあげた。
しばらく間があった。どこかぼんやりと見つめ合っていた【子守りの精霊】が、ややあってから正しく理解した様子で「ああ、そうなのね」と独り言のように言って、スティーブンを見上げた。
「そこにいる彼は、大人なのね」
じぃっと見つめてくる海色の『精霊の目』に、彼がハッとする。
「もしかして、目が悪いのか……?」
「少しだけ。すぐに気付けなくてごめんなさい」
「あっ、大丈夫だ。精霊にとっては、俺は随分年下だろうと思うし」
立ち上がったメイベルは、そのやりとりを聞きながら、目だけであれば良かったのにな、と、本来は視力に頼らない精霊としての感覚を思った。
彼女に触れた手を、つい、見下ろしてしまっていた。
あまりにも細い身体。そうして、ひんやりとした触り心地――。
「おい、どうした?」
不意に、声を掛けられたのに気付いて我に返った。
メイベルは反射的に手を握ると、これまでの自分だったらしない『隙』を自覚してパッと顔を上げた。だって彼は、魔法使いなら一見して分かるような精霊事情を知らない。
「訪れてくれてありがとう、【精霊に呪われしモノ】」
質問を振り切るように向き直ったら、彼女の方が先に言葉を切り出してきた。
「少し休ませていただくわね」
分かっていると言うように、【子守りの精霊】はほんの少しだけ申し訳けなさを滲ませつつ微笑み返している。
ああ、目の奥がチクチクとするみたいに変な感じだ。
メイベルは、すぐに言葉を出す事が出来なかった。この感じが、人間でいうところのどのようなものであるのか――少しだけ考えたところで思考を振り払った。
「【子守りの精霊】、突然邪魔して悪かったな」
「いいえ。久しぶりにお客様に会えて、良かったわ」
「そうか」
「ええ、そうなの。だから気にしないで」
視線が落ちたメイベルを見て、彼女が母親のような手付きで指を伸ばす。
メイベルは、少し腰を屈めてそれに応えた。白い頬に【子守りの精霊】が触れて、その指先がさらりと落ちた緑の髪にも触れた。
それでも素直に触れさせている様子を、スティーブンが目に留めていた。
「人間は、やっぱり今も【精霊に呪われしモノ】が嫌いなのねぇ」
ああ、と【子守りの精霊】がぼんやりと吐息をもらした。そのまま海色の『精霊の目』が閉じられて、柔らかな風を受けたその姿がすうっと消えた。
スティーブンが、その現象を前に条件反射のようにビクリとした。
「どこへ行ったんだ……?」
「少し眠っただけだ。久々の人間の気配で、出て来たんだろう」
背を起こして、メイベルは淡々と説明した。
そのまま屋敷に背を向けて、戻るように歩き出す。気付いたスティーブンが、一拍遅れて慌てて後を追った。
「おい、屋敷の方はいいのか?」
「彼女が今も守っている『家』だ。調査でもないのに無断で踏み入る事はしない。それに戻るまでの時間を考えると、そろそろ引き返さないとエインワースを心配させる」
「まぁ、確かにそうだな」
答えた彼が、そこで一度、遠くなっていく花畑と屋敷の光景を見やった。
「……あの善良そうな精霊、俺が言うのもなんだが…………弱ってた、よな?」
精霊なのに目が悪い、というところもあって確信を持ったのだろう。
確認されたメイベルは、しばし考えた。視線を返さないまま、判断の時間を稼ぐようにしてローブのポケットに両手を突っ込んだ。
「そうだな。あの精霊は弱っている」
「随分長生きなのか?」
そう続けて尋ねられて、メイベルは彼が、精霊に寿命がない事に思い至らないでいるのに気付いた。
「長くは生きているだろうな」
だから認識は確認せずに肯定だけした。恐らく彼女は、何人かの【精霊に呪われしモノ】を見てきたくらいには、長く生きている精霊だろう。
話は以上だというように、ポケットに手を入れたままメイベルは歩く。
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