精霊魔女のレクイエム

百門一新

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3部 精霊女王の〝首狩り馬〟 編

66話 続・精霊少女の散歩 上

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 リックの家を出た後、メイベルはのんびりと足を進めた。

 本当は、体力が戻った事を確認するための散歩だった。エインワースは昼食後に仮眠をする事になり、なら買い物がてら歩いてくる、と彼の昼寝を見届けてから出てきたのだ。

 日中の日差しに含まれている人間界の魔力が、夜の精霊に属するメイベルの肌にやや肌寒く触れていた。太陽はポカポカで温かいのに、風だけが少し寒い季節みたいだな、とメイベルは忌々しく思う。

 でも、仕方がない。

 そう分かっていて、ふっと力を抜く。自分は、精霊女王が治める夜の精霊。今や魔力をまとって弾くほどの余力もなくなった――。

 その時、メイベルはピタリと足を止めた。

 向かう先の道のド真ん中に、うつ伏せになって倒れている子供がいた。それは先日にエインワースの家に突撃してきた、正義の少年団だとかいうマイケルである。

 チラリと目を向けてみれば、道には小さな凸凹の小石。もし彼が走っていたとしたならば、それにつまずく可能性はゼロではない。

「んー」

 メイベルは、先日の彼の様子を思い返して推測した。やっぱりその線だろうと納得したところで、「ふむ」と顎に手をあてて考える。

「――よし。何も見なかった事にしよう、戻るか」

 直後、その声を聞いた子供――マイケルが「うえええええ!?」とビックリした声を上げてパッと顔を向けてきた。

「ここで俺を見捨てて行くとか、ひっでぇよ!」

 額と鼻先を少し赤くした彼は、涙目だった。

「おれ、俺っ、こんなところで転んだのも恥ずかしかったのに! しかも誰もいないと安心していたら、まさか『メイベル』が来るなんて思ってもみなくってぅぇええ」
「泣くな。煩い」
「煩い!?」

 歩み寄ってしゃがみ込むメイベルに、マイケルが「びぇっ」と目を見開く。

「しかも年上を呼び捨てとは、けしからんガキだな」
「じゃあ『メイベルさん』って呼べばいいのか?」

 唐突に、子供なりの素直さを発揮して、マイケルがきょとんとして尋ねてくる。

 おかげで涙は止まってくれていた。しかし、対するメイベルは少しだけ反応に困って、しばし止まってしまう。風が吹き抜けて、彼女の緑の髪を揺らしていった。

「…………冗談だ。好きに呼べばいい」
「ふうん。んじゃあ、メイベルはこんなところで何してるんだ?」
「ちょっとした散歩。そのあと、エインワースに頼まれている買い物をする」

 メイベルは答えながら、転倒したのを忘れているみたいなマイケルの額の汚れを払った。

「エインワースの爺ちゃんの買い物か~。へへっ、爺ちゃん助かってるだろうな~」
「お前、エインワースのこと好きだよな」
「まぁね! 俺にも超優しいんだぜ! あと、手作りの菓子もケーキもめっちゃ美味い!」
「はいはい。他に痛いところは?」
「ちょっと額がじんじんするんだぜ。でも、メイベルの手で触られても痛くない」
「そうか」

 彼のズボンのポケットから、ハンカチが覗いているのが見えた。メイベルはそれを引っ張り出すと、マイケルの目元の涙をぐしぐしと拭い、赤くなっている鼻先の汚れもきちんと拭う。

「お前の母ちゃんは、しっかりし人だな。皺一つない柔らかいハンカチだ」
「そうなのか? 俺の母ちゃん、『紳士のたしなみだ』なんて訳の分からないこと言うんだぜ」

 世話され慣れているマイケルが、続いて頬を拭われながら答える。

「それは正解だよ。誰かに貸すためにも、一つは持っておくべきだ」

 メイベルは、マイケルの小さな手を取って立ち上がらせた。服についている汚れを、ざっと払い落していく。

「なんで誰かに貸す前提で持っておくんだ?」
「お前はゆくゆく、レディー・ファーストというのも学ばなければならないようだな」
「それ、学校で習うやつ?」
「さぁ、どうだろうな」

 メイベルは『学校』とやらを少し考え、彼のハンカチを手でぱんぱんと払って、キレイに畳んだ。

「なくさないようにポケットに入れておくぞ」

 声を掛けて、ポケットを引っ張ってその中にきちんと入れる。その様子を目で追いながら、マイケルが「うん」と答えて不思議そうにしていた。

「メイベルって、俺の母ちゃんより丁寧な気がする」
「それは気のせいだ。お前が子供だからそう思うんだろう」

 メイベルは淡々と答え、背を起こすと、話をそらすように「で?」と問い掛けた。

「お前は、どうして躓くほどまで慌てて走っていたんだ?」

 するとマイケルが、大変驚いた様子で「え!?」とメイベルを見上げた。

「なんで俺が、慌てて走っていたのが分かるの!?」
「性格と状況からの推測だ」
「へぇ、メイベルって精霊なのに頭いいんだな!」

 メイベルは、ちらりと眉を顰めて見せた。

 そうしたらマイケルが、察した様子で「ごめん」と話がそれた事を謝った。

「実はさ、正義の少年団のケニーに、問題が発生したんだ」

 唐突に名前を出されて、メイベルは金色の『精霊の目』を、考える風によそへ流し向けた。

「――ああ、この前来た時に口にしていた『副団長のケニー』か」
「覚えててくれたの!?」
「まぁな。それから、リチャードというやつも副団長なんだろ?」
「そう! 俺ら、三人で町を守ってるんだ!」

 マイケルが嬉しそうに言う。

 つまり団長のこいつと、副団長の二人しかいない少年団なのか。他にちゃんとした団員もいないのに少年団なのか……とか、メイベルはチラリと思ったりしていた。

「ケニーさ、今週の半ばから、ずっと学校を休んでいるんだ」
「病気か?」

 それにしては、見舞いの品がなさそうな。

 メイベルは、彼が手ぶらなのを確認する。するとマイケルが、「病気じゃないみたいなんだけど」と困ったような顔で続けてきた。

「家族もみんな不思議がってるんだけど、足がさ、すごく痛いんだって」
「足?」
「めっちゃ痛いのは時々らしいんだけど、ずっと重くてズキズキしているんだって。病院でみてもらったけど異常は見付けられなくて、それでも杖がないときつくて動けないんだって」

 言いながら、だんだんマイケルの声は不安を帯びて小さくなる。

「だからさ、俺、一度メイベルに訊いてみようかなと思って、走って向かっていたんだ」

 この道は、エインワースの家のある道にも繋がっている。メイベルはそう思い返しながら、来た道からマイケルへと目を戻して尋ね返した。

「どうして私なんだ?」
「だって、メイベルは長く生きてるし、外の病気とかも色々知ってるかな、て……」
「ふうん。それは、お前が『不思議』だと感じる症状だったわけか?」

 そう確認のために問い掛けると、彼がパッと顔を上げた。

「なんでソレも分かるの!?」
「子供ってのは、鋭い勘が強く残っている者が多い。お前はケニーを見舞いに行って、本人から話しを聞きながら、その足を見て『違和感』を覚え、だから私に訊こうと思ったんだろ?」

 違うか? とメイベルは、静寂を宿したような金色の『精霊の目』で尋ねた。

 その途端にマイケルが、首を左右にぶんぶん振って「ううん、違わない」と答えた。

「まさにその通りなんだ。俺、お医者さんじゃなくて、別の誰かにみせるべきだって思ったんだよ。よく分かんないけど、きっと普通のお医者さんじゃダメなんだって」

 言いながら、彼の目がくしゃりと潤う。

「俺、変なの? そう思ったりするのは変だ、どうしてそんな変なこと言うのって、ケニーの家族が困ってたんだ」
「変じゃないさ。お前はなんだろう」

 メイベルは、間髪入れずに言った。

 まだ何も知らない子供。ならば今だけは、と思って手を伸ばし、涙がこぼれそうな目尻を親指でぐしぐしと擦る。

「泣くな、男の子だろう」
「なっ、泣かねぇし!」
「だといいがな――それで、彼の足はどういう感じなんだ?」
「ふくらはぎが、少しだけ腫れてる。薄らと赤い線みたいなのが二本くらい入っていて、でも目立つほどじゃないのに、骨折でもしたみたいに痛いし力が入らないんだって」

 マイケルは、自分の腕で目元をこするとそう答えた。

「ベッドでじっとしていてもさ、まるで全力疾走でもしているみたいに、疲労感が増すんだって言ってた」
「――その症状は、一日の中で何度も起こるのか? 小刻みに?」
「うん。頻繁らしいぜ。ちょっとマシになったかと思ったら、またガクンってくるんだってケニーは言ってた。それでいて、すごく痛くなる時があって、そうすると頭までくらくらするんだって」

 頭まで、ということは全身的にくらりとしているわけか。

 メイベルは、青い空を見やって思案顔で呟く。

「前の日は、とくに異変もなかったんだぜ。森にも行かなかったし、町の見周りをして公園で少し遊んで。その翌日にさ、学校に行こうとして歩いていた最中に、いきなり痛くなったらしいんだ」

 その時、メイベルは、話し続けていたマイケルへと目を戻した。

「そこに案内しな」
「そこにって……ケニーん?」
「ああ、ケニー坊やがいるところだよ。その病気とやら、もしかしたら治るかもしれない」
「本当に!?」

 思わずといった様子で、マイケルがローブを掴んでくる。

 メイベルは、ほんの少しだけ目を細めた。――それから、それとなく彼の手を、自分のローブからゆっくりと離させながら言った。

「喜ぶのはまだ早いぞ。今のところは推測の範囲内だ。確証はない。それでもいいのなら案内しろ」
「案内するよ! 本当は、メイベルを連れて行こうと思ってたんだから!」

 言いながら、彼が袖の部分を掴んで「こっち!」と意気揚々と引っ張り出す。

 離させたばかりだというのに、とメイベルは鼻から小さく息をこぼした。さっき転倒していたのも忘れているみたいだな、と前を進み始めた自分よりも低いマイケルの頭を見て思う。

 と、彼が肩越しにこちらを振り返ってきた。

「へへっ。なんか、メイベルが『坊や』って言うの変な感じ」

 つい先程の涙目が残る顔で、彼が調子よく笑う。

 それを見ていたら、強く言えなくなった。泣かないのなら、それでいい。こうしてぐいぐい手を引っ張っている彼の感じが、小さかった頃の弟弟子、エリックとの思い出と重なった。

「――何言ってんだ。私はエインワースより年上だぞ」

 メイベルは、落ち着いた声で、そうとだけ言った。
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