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3部 精霊女王の〝首狩り馬〟 編
65話 そうして散歩に出て
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正午少し過ぎ、メイベルは一旦一人で外へと出た。ローブからチラリと見えているスカートを揺らし、まず気ままに立ち寄ったのは、ごちゃっとした印象の緑の多いこじんまりとした一軒の家だ。
「無事に帰ってきたようで、良かったです」
そう口にしたのは、週末休みを過ごしている役所のリック・ハーベンだった。就職が決まってから移住してきて、ここで単身住まいの彼は、スーツではなくゆったりとした作業着姿である。
「彼のお孫さんのお手伝い? とかで、国境を超えてバルツェという町まで行くらしい、とエインワース氏に聞いた時は、正直心臓が止まりそうになりましたけど……」
「なんで心臓が止まりそうになるんだ?」
「えっ」
花壇に水をかけていたリックが、ギクッと肩をはねさせる。
しゃがんで水の放物線を眺めていたメイベルは、金色の『精霊の目』を向けた。見つめ返してきた彼が、途端にわたわたと片手を動かしてこう言った。
「あ、その、なんでもないんです」
「おい、向こうの手で水が上下に揺れてるけど、いいのか?」
「え!? ああダメでしたっ」
あっちの大きな花には、直接流水をかけてはいけなかった、とリックが慌てて水の位置をずらす。
小さな門扉の内側にある花壇は、ぎっしりと色々な植物や花でいっぱいだ。夏の日差しの下で、ぐんぐんと丈を伸ばして雑草並みにモハモハしている。
これはこれで面白い。
メイベルは、山の自然を切り取ったみたいだな、と思いながらじーっと眺めた。そう思われているとも気付かず、リックは注意がそれた事に胸を撫で下ろす。
「それにしても、なんか変な感じですね。たびたびメイベルさんが、ウチにひょっこり顔を出すのが不思議です」
「数日に一回は『監視』しているくせに、よく言う。今朝だってランニングがてら、近くを通っていっただろ。エインワースは気付いていなかったけどな」
「うっ……そういえばバッチリ目が合いましたね……それは、その、婚姻証明に印を押したのは僕ですし、上司からそう条件を突き付けられてますから……」
言い訳のように、彼がごにょごにょと続ける。
メイベルはそれを不審がらなかった。ぼうっと花壇に水が掛けられる様子を見つめながら、スカートへの突っ込みがないな、と思っていた。
「お前のところの庭は、好きだな」
「へ?」
ふと、口にしたメイベルを、リックが見た。
「みんな伸び伸びと育てられていて、かなりお前を気に入っているらしい」
「メイベルさんは、植物の気持ちが分かるんですか?」
「精霊としての性質上、少しな。花に属するモノであれば感情が伝わる」
「へぇ、不思議なお話だなぁ。植物に関わる精霊くらいしか出来ない芸当かと思っていました」
リックが、なんだか嬉しそうに、ふわふわとした空気を漂わせて笑う。
メイベルは先日、向こうで出会った若い喫茶店の店主、マクベイ青年を思い出した。そういや、どっちも精霊が好きだとか口にしていたな、と共通点に気付く。
するとリックの声がして、彼女は思考が途切れた。
「僕は、きちんとお世話出来ているんでしょうか……?」
「なんだ、気になるのか?」
「こっちへ来てから初めての挑戦だったので、どうなのかなぁ、と。せっかく役所から与えられた庭付きの一軒家だったので、花壇があるのなら、きちんと育ててみたいなと思ったんです」
それで始めたのがきっかけなんですよ、とリックがもごもご答える。
精霊に好かれる体質なのに『見る目』を持たない。それでいて神聖なる気配に守られているため、小精霊が自然と避けてしまう人間――。
恐らくは『神』なるものへの信仰心があるのだろう。
だから悪い人間でないのは分かっている。それでも初めてエインワースの家に尋ねてきた時、理由を付けて遠ざけようとしたのは、だからこそ彼の世界に精霊は不要だと思ったから。
メイベルは、ふん、と鼻で息をついて近くの花を指した。
「いい香りがするだろう」
「香り?」
促すと、リックが水を止めて、くんくんと素直に匂いを嗅いだ。
「これが人間にもっとも分かる『彼女達』の感情表現さ。嬉しいから背をピンと伸ばす、そうして気付いてくれるように見事な花を咲かせる」
「この庭を、少しは気に入ってもらえている、とも考えていいんでしょうか?」
「そう考えていいんじゃないか?」
ぱぁっ輝いたリックの目を見て、メイベルは少し意地悪げにニヤリとして答えた。
会話がぴたりと途切れた。上空を、またしても『神聖なモノ』が通る気配を感じ、そろそろ行くかと立ち上がる。
「ところで、今日はスカートなんですね」
水を再び出したリックが、素直そうな目を戻してそう口にした。
「ようやくその質問がきたか」
メイベルは、彼を見上げると、ふっと意味深に口角を引き上げた。
「フッ、似合わんだろう」
「なんで悪企むみたいな表情をされているのかは分かりませんが……少し髪が伸びたせいですかね。顔も女の子のまんまですし、よくお似合いですよ」
髪が、伸びた。
メイベルは、予想外の返しを口の中で呟いた。適当にやっている姿変えなのに。そう考えたところで、ああ、と思い至る。
エインワースが、私を女の子扱いしているからか。
もしや自分は、無意識にそれに寄せてしまっているのだろうか。彼との暮らしも、気付けば出会った日から数えれば、まぁまぁ長らく続いているものだ。
人間みたいに時間経過で髪が伸びる事はないよ――。
けれどメイベルは教えるのも面倒で、役所のリックに「じゃあな」と告げてその場を後にした。
「無事に帰ってきたようで、良かったです」
そう口にしたのは、週末休みを過ごしている役所のリック・ハーベンだった。就職が決まってから移住してきて、ここで単身住まいの彼は、スーツではなくゆったりとした作業着姿である。
「彼のお孫さんのお手伝い? とかで、国境を超えてバルツェという町まで行くらしい、とエインワース氏に聞いた時は、正直心臓が止まりそうになりましたけど……」
「なんで心臓が止まりそうになるんだ?」
「えっ」
花壇に水をかけていたリックが、ギクッと肩をはねさせる。
しゃがんで水の放物線を眺めていたメイベルは、金色の『精霊の目』を向けた。見つめ返してきた彼が、途端にわたわたと片手を動かしてこう言った。
「あ、その、なんでもないんです」
「おい、向こうの手で水が上下に揺れてるけど、いいのか?」
「え!? ああダメでしたっ」
あっちの大きな花には、直接流水をかけてはいけなかった、とリックが慌てて水の位置をずらす。
小さな門扉の内側にある花壇は、ぎっしりと色々な植物や花でいっぱいだ。夏の日差しの下で、ぐんぐんと丈を伸ばして雑草並みにモハモハしている。
これはこれで面白い。
メイベルは、山の自然を切り取ったみたいだな、と思いながらじーっと眺めた。そう思われているとも気付かず、リックは注意がそれた事に胸を撫で下ろす。
「それにしても、なんか変な感じですね。たびたびメイベルさんが、ウチにひょっこり顔を出すのが不思議です」
「数日に一回は『監視』しているくせに、よく言う。今朝だってランニングがてら、近くを通っていっただろ。エインワースは気付いていなかったけどな」
「うっ……そういえばバッチリ目が合いましたね……それは、その、婚姻証明に印を押したのは僕ですし、上司からそう条件を突き付けられてますから……」
言い訳のように、彼がごにょごにょと続ける。
メイベルはそれを不審がらなかった。ぼうっと花壇に水が掛けられる様子を見つめながら、スカートへの突っ込みがないな、と思っていた。
「お前のところの庭は、好きだな」
「へ?」
ふと、口にしたメイベルを、リックが見た。
「みんな伸び伸びと育てられていて、かなりお前を気に入っているらしい」
「メイベルさんは、植物の気持ちが分かるんですか?」
「精霊としての性質上、少しな。花に属するモノであれば感情が伝わる」
「へぇ、不思議なお話だなぁ。植物に関わる精霊くらいしか出来ない芸当かと思っていました」
リックが、なんだか嬉しそうに、ふわふわとした空気を漂わせて笑う。
メイベルは先日、向こうで出会った若い喫茶店の店主、マクベイ青年を思い出した。そういや、どっちも精霊が好きだとか口にしていたな、と共通点に気付く。
するとリックの声がして、彼女は思考が途切れた。
「僕は、きちんとお世話出来ているんでしょうか……?」
「なんだ、気になるのか?」
「こっちへ来てから初めての挑戦だったので、どうなのかなぁ、と。せっかく役所から与えられた庭付きの一軒家だったので、花壇があるのなら、きちんと育ててみたいなと思ったんです」
それで始めたのがきっかけなんですよ、とリックがもごもご答える。
精霊に好かれる体質なのに『見る目』を持たない。それでいて神聖なる気配に守られているため、小精霊が自然と避けてしまう人間――。
恐らくは『神』なるものへの信仰心があるのだろう。
だから悪い人間でないのは分かっている。それでも初めてエインワースの家に尋ねてきた時、理由を付けて遠ざけようとしたのは、だからこそ彼の世界に精霊は不要だと思ったから。
メイベルは、ふん、と鼻で息をついて近くの花を指した。
「いい香りがするだろう」
「香り?」
促すと、リックが水を止めて、くんくんと素直に匂いを嗅いだ。
「これが人間にもっとも分かる『彼女達』の感情表現さ。嬉しいから背をピンと伸ばす、そうして気付いてくれるように見事な花を咲かせる」
「この庭を、少しは気に入ってもらえている、とも考えていいんでしょうか?」
「そう考えていいんじゃないか?」
ぱぁっ輝いたリックの目を見て、メイベルは少し意地悪げにニヤリとして答えた。
会話がぴたりと途切れた。上空を、またしても『神聖なモノ』が通る気配を感じ、そろそろ行くかと立ち上がる。
「ところで、今日はスカートなんですね」
水を再び出したリックが、素直そうな目を戻してそう口にした。
「ようやくその質問がきたか」
メイベルは、彼を見上げると、ふっと意味深に口角を引き上げた。
「フッ、似合わんだろう」
「なんで悪企むみたいな表情をされているのかは分かりませんが……少し髪が伸びたせいですかね。顔も女の子のまんまですし、よくお似合いですよ」
髪が、伸びた。
メイベルは、予想外の返しを口の中で呟いた。適当にやっている姿変えなのに。そう考えたところで、ああ、と思い至る。
エインワースが、私を女の子扱いしているからか。
もしや自分は、無意識にそれに寄せてしまっているのだろうか。彼との暮らしも、気付けば出会った日から数えれば、まぁまぁ長らく続いているものだ。
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