精霊魔女のレクイエム

百門一新

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2部 ヴィハイン子爵の呪いの屋敷 編

55話 無法魔法使いとの対面

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 剣で腐敗犬を薙ぎ払いながら進んだ後、またしても突きあたりに例の鉄の扉があった。

 それをくぐると同じように廊下があり、それをいくつか繰り返した。長い通路はどれも内装の雰囲気がガラリと変わり、年代まで違っているかのようだった。そのさまは、走るスティーブンと、彼の脇に抱えられているメイベルに、異次元迷路を彷徨っているかのような印象を与えた。

 やがて、広々とした場所に出た。

 地上の子爵邸で見た大広間に似ているが、窓は一つもない。それでいて暗黒に呑まれた高すぎる天井の様子もあって、宮殿か遺跡の地下空間を思わせた。

 そのずっと奥に、巨大な鉄の扉が見えていた。

 恐らくは最終の部屋だろう。しかし、大広間の中央には、行かさないとばかりに佇む二つの影があった。

 そこにいたのは、ローブを羽織った例の無法魔法使いの男だった。フードは降ろされていて、ようやくその顔がハッキリと見えた。

 癖のあるバサバサになった短髪、落ちくぼんだ目元に無精鬚の生えた顔。頬はややこけていて不健康さを漂わせ、思い詰めたような表情もあって今にも死にそうな顔に見えた。

「あと、もう少しなのに」

 男が、口ごもる声でぶつぶつと言った。そのすぐ近くには、だぼだぼの服に身を包んだ、ひょろりとした青年姿の【いにしえの悪精霊】が、床から少し浮いた状態でいる。

 スティーブンが立ち止まって、剣をそっと手放して両手でメイベルを降ろした。

 すると男が、ごつごつした大きな手を口許に持っていった。自分の爪を、ガリガリと噛み始めると「どうしてだい」と正気じゃない様子の目を向けて言う。

「どうして僕の邪魔をする? あと少し、あともう少しを放っておいてもいいじゃないか」
「――ハッ、どうもに気付いたものでね」

 メイベルは、嗤うように口角を引き上げると、片手を腰にあてた。

「確認するが、お前は『役所のジュゼ・バティス』の兄で間違いないな?」

 続けざまに声を掛けると、男がビクリと反応した。

 その様子を見据えているメイベルの金色の『精霊の目』が、淡い光を発して魔力をまとった。その隣に浮く【いにしえの悪精霊】を今一度確認すると、侮蔑するように目を細める。

「愚か者が」

 メイベルは、ギリッと奥歯を噛み締める表情を浮かべて、低く呟いた。ローブ男――ジュゼの兄、ジョルジュへと目を戻して問い掛ける。


「お前、自分の弟を【いにしえの悪精霊】に食わせたな?」


 それを聞いたスティーブンが、「まさか」と彼女の方へ目を向けた。

「待て、弟の目撃情報はあっただろ――」
「出歩いていたのは、そこの【いにしえの悪精霊】だ。闇の大精霊に分類されるそいつを含めて、基本的に『闇の精霊』は、んだよ」

 言いながらもメイベルは殺気立った。罪を暴かれて今更のように怯え、視線を逃がすジョルジュに、ざわりと怒りを煽られて事実を突き付ける。

「お前は、契約の取引材料に、いにしえの悪精霊】に渡したんだろう。契約するなら身体をくれと言われて、言われるがまま断りもせず、血の繋がっている弟を差し出したんだ」

 そういうモノと契約するには、大きな代償がいる。大抵の場合求められるのは、肉親、恋人、師匠、弟子、といっただ。

 何故なら、彼らには、ソレがなんであるのか理解出来ないから。

 もらえたら分かるのかな、という好奇心。その人間にとってだというのなら、きっと自分は満足するはずだよね、という種族特有の精霊の無邪気な残酷性。

 強制はしない。彼らは気紛れなのだ。

 人間が拒否を示せば、すぐに興味をなくしてどこかへと去っていく。

 だからこそ、この男がチャンスを逃がしたくないという『己の欲』で、亡くなった婚約者のために泣いて心配もしくれたであろう自分の弟を、目の前で食わせたというのがメイベルは許せなかった。

「形のないモノに食われるというのが、どんな事か、お前は知っているよな」

 メイベルは、殺気立った金色の『精霊の目』を向けて告げる。

「そ、それは」
「だってお前は、目の前で見ていたはずだ。唐突に魔法召喚されて何がなんだか分からず、それでいて生きたまま肉体と魂を精霊に食われる、弟の恐怖の顔を」

 先に食われるのは、

 何故なら、上げられる悲鳴や泣き声が、。精霊の行動なんて、理由を求めれば至極単純なもので、けれどあまりにも違い過ぎるから人間には理解出来ない。

 身体一つをぺろりと食う行為だって、人間と同じく周りのからじわじわ喰って、最後にようやく――そう語るメイベルの話を聞きながら、スティーブンが事の重さに気付いた表情を浮かべている。

 ジョルジュは、ぶるぶると震えていた。しかし、メイベルの声がやむと、顔を上げてこう言った。

「ぼ、僕が一方的にそうしたわけじゃない。同意……そうっ、同意のようなものだったんだ!」

 同意、とメイベルが疑い深い声で反芻し眉を顰める。

 その途端、彼が「そうだとも!」と理解を求めるように叫んだ。必死になって、全部が全部自分が悪いのではないと弁明するかのように早口で話し出した。

「ジュゼは、誰よりもオリーヴィアの死を悲しんでくれた! 自分に出来る事があれば、なんでもするとんだ!」
「………………」
「これが成功すれば彼女だって生き返るっ! ジュゼは僕を救うだけじゃなく、オリーヴィアまで助けられるんだよ! とても美しい弟愛だと思わないか!?」

 ねぇそうだろ、僕は悪くない、とジョルジュが引き攣った笑みで言う。

「………………お前、それ、本気で言ってんのか……?」

 それまで黙って話を聞いていたスティーブンが、やや血の気の引いた顔でそう呟いた。

「それは、あんたの自分勝手な都合だろう。そんな言葉のやりとりがあったからといって、よかれと弟を犠牲にしていいなんて、あるはずがないだろ」

 殺人だぞ、という言葉がスティーブンの唇からこぼれ落ちる。

「もう何を言っても無駄だ」

 メイベルは、拳を固めて金色の『精霊の目』で睨み付ける。

 あの男は、死界に近くなるはずだと、死の気配を増させるためだけに罪のない動物も次々に殺した。その時点で、もう彼の中では何かが壊れてしまったのだろう。

 いや、もしかしたら――。

 愛する人を失った時には、もう戻れないほどに堕ちてしまっていたのかもしれない。

「この土地を死界に引きずり落とすつもりか? それで、死んだ婚約者にまた肉体を与える?」

 メイベルは、そう言うと「馬鹿が」と侮蔑を込めて吐き捨てた。

「死んだモノは、どうあったって生き返りはしないんだ。新たに生まれ直す以外に方法はない」

 ジョルジュは、焦点の合わない目を見開いた。ぶるぶると震えながら下を見て「そんな事は」「僕は間違っていない」「なんで僕と彼女の邪魔をするんだ」とぶつぶつ呟く。

 その時、突如として、メイベルとスティーブンの前に魔法陣が灯った。

 ぶわりと一陣の風を巻き起こして、上級討伐課の上品な紺色のローブが翻る。スティーブンが「おわっ」とびっくりした声を上げる中、別地区の魔法協会のマークの入ったローブがマント共に落ち着き――そこにはアレックスが立っていた。
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