精霊魔女のレクイエム

百門一新

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2部 ヴィハイン子爵の呪いの屋敷 編

50話 彼女と彼と、朝寝坊な教授

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 それは、ずっと前の話だ。

 旅の途中の穏やかな森。ポカポカと柔らかな日差しを遮る木陰の下、長い緑の髪をした女性が、スカートの上に泣き顔を押し付けている小さな男の子をあやしていた。

「ふふっ――お前、私の事が怖いんじゃなかったのか?」
「うううううるさいやい! だって、……ッだってオバケがいたんだもんんんんんん!」

 ぶわりとまた涙の量を増やして、彼がびゃあびゃあ強がりを言いながら泣く。どうして自分ばかり変なものを見るの、なんで死者を見てしまうの、と。

 女性は小さく微笑したまま、何も言わなずに話を聞いていた。長い髪をさらりと揺らして、あやすようにその幼い背中をポンポンと叩く。

「…………ぐすっ。メイベルだって、いっつも意地悪できちんと答えてくれないし。突拍子もなく出来た面倒な弟弟子だとか思って、俺の事、嫌いなんだろ?」

 少し涙の勢いが弱くなった男の子が、ぽつりと八つ当たりのような声を出した。

 女性はちょっときょとんとして、美しい金色の『精霊の目』をよそへ向ける。それから、やっぱり子供なんだなぁと苦笑を浮かべると、言い聞かせるようにして「『小さなアレックス』」と優しく呼んだ。

「嫌いだったら、こうして世話を頼まれたりしないよ」
「……でもさ、メイベルは師匠と一時契約してる精霊じゃん?」
「白の魔法使いが頼んできたのはであって、当初予定にもなかった弟子の世話を強制してやらせる効力はないよ――それに精霊は嘘を言えない」

 そう教わったでしょう、もう忘れたの、と彼女は言う。

 だから精霊は『言葉遊び』をする。本来、教えてはいけない事がたくさんある。だから、のらりくらりと人間側が謎を解けるような『ヒント』を与えるのだ。

「人間の子供って、難しいねぇ」

 白の魔法使いは、一体どこまでほっつき歩いているのか……そう独り言を言う女性を、男の子はじっと見つめていた。

「メイベルってさ、どうしてすごく冷たくて乱暴な時と、優しい雰囲気の時があるの? この前も町を歩いていた時のメイベル、すっかりフードまで被って態度も男みたいでさ。結局、町の人に性別を勘違いされていたじゃないか」

 そう尋ねられた女性は、静けさが滲む目を景色へと向けた。

 多分、『こわい』、からかな。

 そう、彼女の形のいい唇が小さく動く。囁きにも満たないその声は、吹き抜けた春風の中に消えていって、男の子が不思議そうな目をしていた。

「メイベルってさ、精霊なのに時々子供みたいだ」
「おや、心外な言いようだね。私はお前より長く生きているよ。ただ、まぁ、まだせいだろうさ」

 難しい言い回しはよく分からない彼は、それを聞いて「ふうん?」と首を傾げる。

「まぁいいや。で、どうして厳しい時と優しい時があるの?」
「さぁてね。それこそ『精霊の気紛れ』かもしれないよ」
「メイベルのばかああああっ、俺が子供だと思ってまたそうやってはぐらかすんだろ!?」
「……アレックスは、意外とかなり泣き虫だよね。なんで言いながら泣くかな?」

 ほら、歌をうたってあげるから。

 だから少し落ち着いて眠っているといいよ、その間に『白の魔法使い』も戻ってくるはずだから……そう言って彼女は男の子を落ち着ける。

「メイベルって、いっつも歌ってるけど『歌の精霊』だったりするの?」
「違うよ――ただ、好きなだけ」

 多分、そう。でもよく分からない。

 だって【精霊に呪われしモノ】は、みんな違っている。いつの時代かにいた別の【精霊に呪われしモノ】が、精霊の森で絵を書いていたように、彼女はただただ歌いたくなるのだ――。

               ※※※

 懐かしい夢を見たような気がした。
 メイベルはふっと目を開けて、外の明るさが差し込む室内に目を留めた。

 予定していたよりも、少し長めに寝てしまっていたらしい。そう気付いて起き上がり、起こしてくれても良かったのになと隣のベッドを見たところで「ん?」と顔を顰めた。

 珍しい事に、昨日もきっちり早朝には起きて身支度を進め、ついでとばかりに資料やら本を読み込んだりしていたあのスティーブンが、まだ寝ていた。

 こちらが起き上がっても、全く気付く様子もない。ただただ枕を抱き締めてぐうすか寝ている。

「ったく、夜更かししたわけでもないのに、寝坊か」

 昨日、真っ先に眠っていただろうにと思いながら、おかげで一緒に寝坊かよとベッドから降りた。勝手に起きる事を期待して、ひとまず先に身支度を済ませる。

 ジャケットもバッチリ着込んで戻ってみると、その孫はまだ就寝中だった。

 ぐっすり眠っている穏やかな寝顔に、イラッとした。こっちは昨夜、アレックスとの話が途中で、次に持ち越されてしまってどうしたもんかと考えているというのに、コイツときたら……。

 普段から、同居人エインワースには起床の迷惑を掛けられた事はない。起こす手間とか面倒過ぎると思いながら、メイベルはドカドカと歩み寄った。

「おいコラ、起きろ孫」

 わざとそう呼んで、ちょっと乱暴に肩を揺すってみた。
 むうっと眉間に皺を寄せた彼が、寝言のように口の中でもごもごと何か呟いている。しかし、すぐに枕に頭を押し付けて、再び静かになてしまった。

「あのな、私もとっとと面倒な事を終わらせて戻りたいんだよ。お前が動かないと、どうしようもないだろうが」

 ブチリと切れたメイベルは、今度はその枕を勢いよく抜き取ってみた。

 不意に、スティーブンの形のいい目が薄らと開いて、こちらを目に留めた。かなり寝ぼけている気配がしたものの、じっと目が合っている事から意識は浮上しつつあるようだ。

「おい起きろ教授、とっくに太陽も昇ってるぞ」

 言いながら、よっしゃそのまま起きろと念を込めて、メイベルは持っている枕で腹のあたりをぼふっと叩いてみた。

 すると、口の中で寝言みたいな何かを呟いて、彼が唐突に手を伸ばしてきた。その指先が頬にかかる緑の髪に触れて、一体なんだと疑問を覚える。

 直後、腕を取られてベッドに引き込まれた。

 あっという間に体勢が逆転し、気付くとこちらを見下ろしている彼がいた。

「――だったら、俺が相手だっていいわけだよな」

 そう、よく分からないを言われた。

「は……?」

 呆気に取られていると、顎を支えられた。スティーブンは覚醒しきっていないような、そのせいか迷いもない真っすぐな強い目を向けてくる。

 そのまま顔が近づいてきて、メイベルはハタと我に返った。寝ぼけてキスを求められているのか。なんて最低なヤローなんだ、めっちゃ寝起き悪いな――とか色々と頭を過ぎるものの、実のところ冷静さも飛んでさーっと血の気が引いていた。

 ただただ『怖くて』、咄嗟に転がっていた枕をむんずと手で掴んだ。

「寝ぼけてファーストキスを奪われたら、洒落にならんわド阿呆ッ!」

 普段の余裕ぶった感じも作れず、メイベルは若干涙目で、彼の横っ面に枕を叩き付けた。
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