精霊魔女のレクイエム

百門一新

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2部 ヴィハイン子爵の呪いの屋敷 編

49話 その精霊を知る魔法使い

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 静かな夜だ。騒ぐような精霊の気配もなく、ホテルの者達もすっかり寝静まった。
 早い時間にベッドについてから一時間後、タイミングを計っていたメイベルは、頃合いかと判断してそろりとベッドから降りた。

 ジャケットまで着込む気にはなれなくて、そのままシャツ一枚にズボンという軽装の上からローブを羽織る。それから、ローブのフードを降ろして部屋を出た。

 外に出てみると、やや肌寒い夜風が吹き抜けてきた。

 夜の精霊にとっては心地良い空気だ。しかし、僅かながら肌寒さが勝ったメイベルは、やれやれと自分の小さな身体を見下ろした。

「…………まとい持っている魔力分では、風避けにはのか」

 ぽつりと言葉をこぼした己を小さく笑い、ああ、らしくない、と夜空を見上げた。
 小さな星々が少し見えるだけの暗黒。でも美しい精霊世界のものよりも、やっぱり誰が作ったわけでもない星空が好きだなぁと思う。

 小さな足を動かして、ホテルの建物から離れるように少し進んだ。

 敷地内は静まり返っていて、周囲に人の姿はない。正門を抜けてみると、先程からこちらにだけ分かるよう『知らせ』の魔力を発し続けている人物を見付けた。

 壁沿いに並ぶ木の影に隠れるようにして、大きなローブに身を包んだ者が立っていた。それを目に留めたところで、メイベルは自分だと伝えるようにフードを外した。

「お前も、案外しつこく付いてきたもんだな。まさか夜までじっと待ってくれるとは、思わなかったぞ」

 メイベルがそう声を掛けると、木に身をよりかからせていたその人物がのそりと出てきた。

 かなりの大男だ。そのローブは魔法協会の別地区のマークが入っており、階級が上の討伐課だけが身にまとう事を許された上品な紺色をしていた。

 進み出てきた彼が、同じようにしてフードを取った。その顔には古傷があり、野獣のような鋭い目が、私怨がこもっているかのようにメイベルを睨み付けている。

 年頃は三十代半ば。焦げ茶色の短髪に、どこにでもあるようなブラウンの瞳。太い首の下には、討伐課の魔法部隊の制服が覗いており、衣服越しでも分かるほどの屈強な身体だった。

「随分逞しくなったもんだ」

 穏やかな雰囲気ではない彼に、メイベルは茶化すようにそう声を掛けた。

 すると男が、ようやく呻るように口を開いてこう言った。

「俺は、本部の討伐課で鍛え抜かれ続けたんだ。あの頃みたいに細いままであるはずがないだろう」
「人によると思うけどな。まさかこんな熊みたいにデカくなるとは予想外――」
「そうやって話をそらすなよ!」

 カッとなったように大男が怒鳴った。

「わざわざお前を探したのが、なんでか分かるだろう!」
「――ああ、なんとなくは察しているよ。そろそろ、そっちの地にまで話が届く頃かな、とは思っていた」

 メイベルは、おちょくるのをやめ、ふっと真面目な顔で呼び慣れたその名を口にした。

 一番長く旅に付き合った『白の魔法使い』。その道中、彼が拾って最初で最後の弟子にしたのが、このアレックス・ウォルタ―だった。そして数年間、メイベルは彼と共に『人間の魔法』を学んだ。

 そう思い返していると、アレックスがギリィッと奥歯を噛み締める表情を浮かべた。

「メイベル、姿

 野太い声で、呻るように低く言う。

「まだ、たったの二十年しか経っていないんだぞ」
「もう二十年経ったんだよ、アレックス」

 メイベルは、淡々とした口調でそう告げた。

 人間には、十分すぎるくらい長い年月だろう。十六歳だった当時の彼が、もう三十六歳になってしまったように。

 あの旅の終わりの日、『白の魔法使い』は最後の自由な旅を終えて大神殿に戻った。弟子であろうと立ち入りを認められない『聖なる門』の前で、まだ少年だった彼は迎えにきた魔法協会本部に引き渡された。

 俺は自分の夢を叶える、立派な討伐魔法使いになってやる――。

 それでいて諦めず捜し続けてやるんだと彼は言った。

 私情を知らない魔法使いや神官達が不思議そうにしている中、『白の魔法使い』は泣き出した弟子に「諦めなさい」とも「頑張りなさい」とも言わなかった。全てを受け止め、「行く先に幸あれ」と祈りを口にした。

「精霊の癖に、人間の感覚で説き返すのか」

 アレックスが、ぐぅっとこらえるような声を出した。

 最後に見た日を思い出していたメイベルは、少し柔らかな苦笑を浮かべた。その表情はいつもみたいに突っぱねられず、困った奴だなと儚げな微笑で伝えている。

「お前が人間だから、お前の感覚で説き返すのさ、アレックス」

 そう答えた途端、メイベルはぐいっと引き寄せられた。

 あっと思った直後、気付くとアレックスに力強く抱き締められていた。当時と違ってすっかり大きくなった彼の高い体温を感じていると、逞しくなったその身体が少し震えるのに気付いた。

「――あの頃は、あんたの方が大きかったのに」

 ぽつりと、そんな声が上から降ってきた。

 魔法部隊軍として経験を積んで大人になれば、彼も精霊事情だと割り切って考えてくれるだろうと、最後に『白の魔法使い』と話した事が脳裏を過ぎっていった。

 それなのに、ああ、まだ諦めていなかったんだなと気付く。

 もういいよ、とメイベルは声を掛けようとした。けれどホテルの警備員が向こうから歩いてくる姿に気付いて、アレックスがバッと離れて魔法で消えてしまった。

             ※※※

 一体何を話しているのかは分からない。

 メイベルと大男のやりとりをこっそり見ていたスティーブンは、建物の影に佇んだまま「え、嘘だろ、マジか……?」と困惑が隠せないでいた。

 つい先程、不眠症のスティーブンは、メイベルが動いた音に浅い眠りから起こされた。一体なんだと後を付けてみたら、彼女が大きなその男と話し出したのだ。

 まるで待ち合わせしているみたいだった。

 相手の男はかなり大きくて、魔法協会に所属している事を示すローブを羽織っていた。別地区の討伐課のマークといった特徴からも、メイベルを探しているらしいとトムが話していた『聞き込みの魔法使い』だろうとは察した。

 それに様子を見ていた途中、大きな怒鳴り声がこちらまで聞こえてきていた。見知った仲であるように『メイベル』とも呼んでいたし、台詞からも彼が確かにメイベルを探していた事が分かった。

 メイベルの、初めて見たちょっと弱ったような『女の子みたいな綺麗な』微笑。

 それに驚いたのも束の間、続いて大男が『当たり前みたいに』彼女を抱き締めるのを見た時、スティーブンは叫び出しそうになった。彼女は抵抗もしておらず、素直に抱き締められていて、その魔法使いは唐突に消えていった。

「…………おいおい、マジかよ。本当に『過去の男』だったりするのか?」

 メイベルは動かず、しばらくその方向をじっと見つめている。その様子を眺めながらそう憶測を口にしたスティーブンは、不意に、胸がざわざわとした。

 その時、彼女がフードを被り直した。警備員に呼び止められて話し出すのを見て、スティーブンは咄嗟に踵を返して急ぎ部屋へと戻った。

 心臓がドクドクしていた。

 何故かは分からない、胸のあたりがとても苦しい。

 ベッドに潜り込んでも、全然落ち着かなくて目を閉じられなかった。どうにか狸寝入りが通用しますようにと、メイベルのベッドに背を向けて丸くなる。

 あんな彼女の表情を見たのは初めてだった。

 まるで、付き合いの長さを物語るみたいな彼女の微笑みを思い返す。その途端、ろくに名前さえ覚えられていない自分と比べて、身体の中がざわっとした。

 あの魔法使いは、どれほどメイベルを知っているのか?
 胸の中も頭の中も、ぐるぐるとしている。

 メイベルが部屋に戻ってきて、隣のベッドに寝転がる音がした。しばらくもしないうちに寝息が聞こえ始めてきたものの、スティーブンは長らく寝付けなかった。
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