精霊魔女のレクイエム

百門一新

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2部 ヴィハイン子爵の呪いの屋敷 編

41話 喫茶店『ポタ』の少年

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 大通りを横断し、建物の間の細い道を通り抜けて徒歩数分。人通りの少ないその一角には、古びた二階建ての小ぶりな建物があった。

 そこには『喫茶店ポタ』という、これまた古びた看板がやや斜めに掛けられていた。店内は、どこかほっとする木と珈琲の匂いに溢れていて、家具やインテリアからも一時代前の雰囲気を漂わせていた。スペースはこじんまりとしており、テーブル席は六組分しかない。

 そこに案内されたメイベルとスティーブンは、そのうちの一つの窓際の席に腰かけた。ガラス窓はきちんと掃除が行き届いているものの、曇っている様子からも古さが窺えた。

「僕、オバケは見るんですけど、精霊を見た事はなくて」

 言いながら、あのそばかすの少年が、照れた様子で水の入ったグラスを出してきた。歩きながら自己紹介してきた彼の名前は、マクベイ・シュダー、十八歳。

 マクベイは、亡き両親に代わって今は店主を勤めているらしい。どうやら先程は、ランチ時間に向けて足りない食材があると気付き、急ぎ買いに出掛けた帰りだったとか。

 手早く荷物を片付けた彼によって、キッチン側からはコトコトという音といい匂いがしてくる。店を継いだのは昨年のようだが、元々手伝っていた事もあって手際はかなりいい。

 その音と香りを感じながら、メイベルは「はぁ」と気力も抜けたような声で言った。フードは取ってくだっていいですよ、と活き活きとした表情で言われてそのようにしていた。その向かいでは、スティーブンが同じ表情を浮かべてマクベイを見つめている。

「やっぱり一度は呪いを受けた土地ですし、怨念の影響でこの町には精霊がいないのでしょうか?」

 マクベイが、興奮止まらないと言わんばかりに組み合わせた手を胸元に当て、輝く目で『メイベルの金色の精霊の目』をガッツリ観察しつつ言う。

「どんな精霊も清浄な気を好んで、穢れた場所を嫌うといわれていますし」
「種族的にダメなモノは確かに存在するが、それ以外のほとんどはただの好みだったりする。そもそも、目の前にせいれいがいるだろ」

 もし土地柄的に精霊が受け付けないというのなら、ここに自分はいない。そう教えてやると、マクベイがようやく「あっ」と気付いたような顔をした。

 一つ彼の疑問が解けたところで、スティーブンが頬杖をついて「で?」と口を挟んで、メイベルに尋ねた。

「精霊の有無に関してはどうなんだ?」
「少しだけいる。ただ精神体のタイプだから、魔法使いのように『見る目』を持っていないと視認出来ない。それでいて、ここにいる精霊は【姿現しの魔法】を使えない弱いモノだ」

 今回起こっている異変に関して、精霊単体で発生する可能性があるのかどうか知りたかったのだろう。だから、それは有り得ないことであると、メイベルは遠回しに伝えた。

 その時、チンっと軽い音がして、マクベイが「あ」と言ってパタパタと向かった。

 しばらくキッチン側から調理する音が続き、もう一度先程と同じ音がして終わった頃、彼が熱々の湯気が立ったグラタン皿を二つ持って戻ってきた。

 素性も不明の外からきた人間と精霊だというのに、名前さえ尋ねてこないでいる彼は「はい、お待たせしました」と愛想良く告げて、テーブルの上のそれぞれの前に置いた。

「すぐに作れる簡単なもので、すみません。ちょうど仕込み終わっていたところだったので、タイミングが良かったです」

 言いながら、慣れたような仕草でフォークを並べる。

 チーズがたっぷり乗ったグラタンは、女性でも食べやすいよう具材は全て一口サイズにカットされていた。きちんと茹でられた人参と果肉野菜の色合いも、鮮やかで目を引く。

美味うまそうだな」

 メイベルは、美味しそうな香りがするグラタンを覗き込んで、しげしげと眺めた。最近エインワースと作った夕食が思い出されて『エンドウ豆』を探す。

 残念だ、どうやら入っていないらしい。

 そんな彼女の様子を見ていたスティーブンが、「まさかこいつ……?」と半信半疑で口にした。その可能性はないだろうと頭を振るのも気付かず、マクベイが「えへへ」と照れたように笑う。

「常連客から大人気だった、お母さん直伝のチキングラタンなので味は保証しますよ! 精霊さんのお口にも合うといいなぁ」

 そう口にした彼が、にっこりと笑う。

「ウチのグラタンは、チーズの下にチキンが隠れているんです。ランチ用に時間を掛けて焼き上げたものです。僕は『精霊さん』の種類や好みだとかは分からないので、ひとまずキチンの最後の仕上げには、スパイスをハーブに変えてやってみました!」

 それを聞いたスティーブンは、複雑そうな表情を浮かべた。魔法使いも当たり前に見掛ける都会の一般人であれば、精霊が人間の食べ物を口にしないとは知っている。

 こいつが特殊というか……と思わず彼が呟く向かい側で、メイベルがグラタン皿からマクベイへと視線を移した。

「お前、私が【精霊に呪われしモノ】だと知って、何故招くんだ?」

 不思議に思って、そう尋ねた。

 すると、彼がますます少年にしか見えない顔で、もじもじと照れたようにして「えっとですね」と言った。それをスティーブンが、「こんな『なよっちぃ』十八歳の男がいるのか」と驚愕した様子で見つめる。

「僕はお店のお手伝いが多くて、ほとんど教会へは通えませんでした。そんな中、旅の道中でご宿泊してくださった牧師様がいて、僕の分かる言葉でお話してくれたのです。精霊は存在そのものが神聖なのだ、と牧師様はおっしゃっていました。怖がられているモノの一部は、僕達が牛や豚を食べるのとは『あまりにも違っている事もある』からだ、と」

 そう語るマクベイの声色は、穏やかで温かな響きがあった。思い返すようにして微笑んでいる表情からは、初めて長く話せたその『牧師』の事を、今でもとても尊敬しているのだということが伝わってきた。

 メイベルは、半ば隠すように頬杖をつくと、小さな苦笑を浮かべた。

「お前、その牧師のことが『好き』なんだな」
「はい! その牧師様は、それゆえ悪精霊と呼ばれているモノもある、けれど彼らは、ともおっしゃっていました」

 不意に、頬杖をついているメイベルの手がピクリと反応する。

 ほんの僅かな沈黙。それから彼女は、違和感を覚えられてしまわないうちに頬杖を解いた。テーブルへ金色の精霊の目を流し向け、こう問う。

「――その牧師は、どんな悪精霊を挙げてそう言った?」
「いえ? とくには、お名前を挙げられていらっしゃいませんでした」

 きょとんとしてマクベイが首を傾げる。

 メイベルは「そうか」とだけ言うと、もうしまいだと伝えるようにフォークを手に取った。グラタン皿にそれを伸ばすのを見て、スティーブンが「で?」とマクベイに尋ね直す。

「お前がその牧師から、精霊に関する話を聞いたことは分かった。こっちとしては一休憩出来るのは有り難いが、どうして店に入れてくれたのかの回答がまだだ」
「なんか、大丈夫かなって」

 マクベイが、さっきと反対側へ首を傾げてそう言う。

 とくに考えなんてこれっぽっちもなかった、と見て取れる表情だ。スティーブンが「え、それだけで」と表情を固まらせ。

 そのそばから唐突に、メイベルの大きな声が上がった。

「おい見てみろっ! エンドウ豆だぞ!!」
「ごほッ」

 突然の一声に驚いて、スティーブンが咽た。テーブルを乗り上げる勢いで主張した彼女に目を向けると、もう半分になっている皿を見て目を剥く。

「いやお前何ガツガツ食ってんだよッ、ちゃんと冷ましながら食わないと口の中をやけどするぞ。って、あ、違うぞ、別に俺は心配なんてしてな――」
「何を訳分からんこと言ってるんだ、見てみろ立派なエンドウ豆だ! こんなにぷりっとしたいい色が目に入らんのか? ほらほら、湯で具合もバッチリだぞ!」
「だから、なんでお前はそんなに『緑豆』に異常に反応するんだよ!? つか、やけに静かだと思ったら、感想も無くただひたすら食ってたのかよお前はっ!」

 ぐいぐいとフォークの先に刺したエンドウ豆を向けられて、スティーブンは「ちょ、顔に近づけてくんなッ」とこめかみに青筋を浮かべた。

 そこで、メイベルはあっさりと矛先を変えた。ちっとも共感されていないのに、目を丸くしているマクベイの方を今度は向くと、今更のように真面目な顔で感想を述べる。

「すごく美味うまいグラタンだ。エンドウ豆のチョイスも素晴らしいと思うぞ」
「えっと、あの、ありがとうございます……?」

 そう答えたマクベイが、食事に戻る彼女を呆気に取られた顔で見届けた。だが、じわじわと嬉しさが込み上げた表情になって、途端にそわそわし始めた。

「もしかして、精霊さんの好物だったりするんですか? ちょっとした色付けで少し入れただけなんですけど、まさかこんなに高評価を頂けるだなんてッ」
「落ち着け。コレは気にしなくていい、ただの個人的な好物だ」

 スティーブンは、そう口にしたところで「ん? こいつ、緑豆が好きなのか?」と今更気付いたように呟いた。不思議がりつつも、懸念事が抜けた顔でフォークを手に取る。

「まぁお前に意図がないのは分かったよ。すまんな、どうも町の人間の反応がアレすぎて」

 そもそも、んなの俺らしくないよな、と独り言を続けた彼がグラタンを少し食べた。ほくほくと湯気の立つそれを、少し冷まして口に入れてすぐ小さく目を見開く。

「あ、マジで美味い」
「ありがとうございます! お口に合ったようで何よりです」

 マクベイが嬉しそうに笑う。もう一口パクリと食べたところで、スティーブンは彼の方へ視線を向けた。

「ついでに【呪いの屋敷】の件で話を聞きたいんだが、何か知ってるか?」

 すると、問われたマクベイが、しばし「うーん」と言って記憶を手繰り寄せる間を置いた。

「そうですねぇ。時期ではないのに霧が出始めた頃あたり、くらいから色々と始まった気がします。森の近くの道まで濃い霧が流れてきて、頻繁に発生しているのも気味が悪いとか」
「霧?」
「はい。屋敷の周りは緑に囲まれているんですけど、時期外れなのに、夜になると濃い霧が発生したりするのがたびたびあって。低い声が聞こえたり、幽霊火が見えたり気配がしたり。そうしたら嫌な匂いもするようになって」

 その霧は、日によって濃さも変わるらしい。ひどい時は、森に沿うようにしてある道も見えなくなるほどで、それが町まで流れてきた時は馬車の走行も制限されたのだとか。

「怨念と呪いが蘇ったんじゃないかって、みんな怖がっているんです。あ、もしかしたらそれもあって、精霊さんに過剰反応している可能性もありますね」
「というと、その現象に覚えがあるわけだな?」
「昔、この土地では、怨念が鎮まるまでは異臭があり、たびたび幽霊火も見掛けられたそうですよ。強い怨念は、死の匂いと気配をまとっている、と昔の文献にもあります」

 この町の人々は、代々親からもその事を聞かされるようだ。参考になるよう文献の移しが置かれている場所もあって、その一文は役所が発行した冊子にも載せられているという。

 話を聞きながら、スティーブンが「ふうん」と相槌を打った。ようやくグラタンのエンドウ豆にいきあたり、本当に入ってるなと口に放り込んでしばし思案する。

「お前さ、死者を見る目、とやらを持ってるんだろう?」

 彼は、思い出してマクベイに問い掛けた。メイベルの方をじぃっと観察していたマクベイが、視線を返して「はい、そうですが」と答える。

「その異変が起こり始めてから、実際に霊を見掛けたりはしたのか?」
「いいえ。昼間に両親のお墓参りで近くを通りましたが、その時は特に何も見えませんでした。思い返せば、僕は森でオバケを見たことはない気もします」

 そう答える彼は、他に気になっている事があって質問に集中出来ないようだった。言い終わるなり「ところで」と言って、ずっと気になっていたようにメイベルの手元へと目を戻す。

「あの、もう完食しそうな勢いなんですけど……追加で何か作りましょうか?」
「やめておけ。こいつに満腹を求めたら、この店の食材が食い尽くされるぞ」

 スティーブンは、即、そう言ってマクベイを止めた。
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