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2部 ヴィハイン子爵の呪いの屋敷 編
35話 教授と精霊助手、バルツェの町へ 下
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資料にあった通り、バルツェの町は古風で長閑な景観をしていた。ゆとりある間隔で店の建物が置かれ、組合や公共物を除き、アパートメントもほとんどが最大で二階建てだった。
「考えたら、昼前に駅弁をつまんだだけだし、かなり空腹だ」
飲食の増えた通りに入ったところで、スティーブンが町を眺め歩きながらそう言った。
「徒歩だと、ホテルまで結構距離あるしな。つかホテル食はほとんどコース料理で、どれもこれも凝った高級嗜好な味付けも、正直飽きてんだよなぁ」
「考えている間は食事を忘れるタイプだな。おかげでこの数時間、つまみ食いの一つも出来てないぞ」
目を向けないまま、メイベルの淡々とした声が不満を伝えた。隣を歩く彼はむっとした表情を浮かべたものの、けれど普段のような文句を返さなかった。
「仕方ないだろ」
同じく視線を返さないまま、比較的落ち着いた声色でそう唇を尖らせる。
「考え事に集中していると、そっちに意識が向いて空腹に気付かねぇんだよ」
「そういうもんかね――孫」
「おい、マジでぶちのめすぞ。そろそろ覚えろ」
スティーブンは、ピキリと青筋を立てた。しかし、やはり怒りを爆発させる事なく口を閉じてしまう。
まばらに出歩いている町人の間を、ゆっくりと荷馬車が通り過ぎていった。馬の尻尾がゆったりと揺れていて、メイベルはそんな長閑な光景を目で追いかける。
「なぁ、お前さ。アルベーユの駅で――」
ぽつりと言いかけて、スティーブンは眉間にぎゅっと皺を作った。考えることをやめたように頭を振ると、歩みを彼女に合わせたまま仏頂面で進む。
「へぇ、結構ちゃんとした感じの店もあるんだな」
ふと気付いて、彼は飲食店の看板のいくつかを目に留めた。
「空腹もピークだしな。チェックインする前に、この辺で適当に腹越しらえしてくか」
その提案を耳にした瞬間、メイベルはピタリと足を止めていた。咄嗟に何かを言い掛けようとした口を、一度閉じる。
「私はいい。その辺を歩いてくるから、お前一人で食ってろ」
僅かな空白の間を置いて、歩き続けている彼の背中にそう声を投げた。
興味もなさそうに来た道を戻るべく踵を返すのに気付いて、スティーブンが「いや待て待て待て」と呼び留めた。
「勝手にどこ行こうとしてんだよ。ホテルまで距離あるし、先にガッツリ食っていった方がいいだろう」
それでもメイベルは、珍しく乗り気じゃない様子で振り返った。追い駆けてきた彼を見てみると、まさか断られるとは思っていなかったという表情だった。
「私のことは気にするな。とっとと一人で食ってこい」
「女とは思えない言い方だ……」
しっしっ、と犬でも追い払うようにされたスティーブンが、奢り前提で誘っているのにこの反応、と口角を引き攣らせて呟く。
「つか、お前だってまともに食事をとったのは、俺と一緒に食った駅弁くらいだろ」
あれだけ大食いなのだから、もう同じくらい腹が減っているのでは、と指を向ける彼の目は語っている。
メイベルは、愚かな、と言わんばかりの偉そうな様子で片手を腰にあてた。
「精霊は、基本的に人間の食べ物を摂取しなくてもやっていける」
「いやお前日頃からバカスカ食ってんだろうが! ありゃ一体なんなんだよ!?」
「それにな、全身をローブで隠したあやしい余所者と一緒だと、入店が難しいかもしれんぞ」
「今更何言ってんだ? ローブ姿なんて珍しくないだろ」
魔法使いの場合だと、フード部分までおろして頭を隠しているのがほとんどだ。都会ではやや目立つ事があるものの、地方ではまだ砂風や日差し対策で一般に浸透してもいる。
「とにかく行くぞ」
そのまま手を取られて引っ張られた。メイベルが「あ」と思っている間に、彼はすぐ近くにあった飲食店まで足を向けていた。
「すみません。ここって、大盛りメニューなんかはあったりしますか?」
辿り着くなり、店の戸口を掃除しているエプロンを腰に巻いた中年男にそう声を掛けた。スティーブンの小奇麗な紳士衣装を目に留めた男が、にっこりと愛想たっぷりの笑みを浮かべる。
「勿論ございますよ。お客様のような若い男性のお客様にも、ご満足頂けるメニューを取りそろえております」
「俺はそこまで大食でもないんだけどな……っと、席は空いているか? 二名なんだが」
「カウンター席、テーブル席、どちらも空いておりますよ。どうぞ」
スティーブンが後ろ指を向け、中年男がチラリとだけ見やってすぐ彼に目を戻して、開けられた店の入口へ促した。
その時、吹き抜けた風が建物にあたった。そのまま風がはね返って、通りすがりの男女の衣服を揺らし、近くの女性が足首まで隠していたスカートを「きゃっ」と言って押さえる。
風がやむと、不意に辺りがざ小さくわついた。
疑問を覚えて振り返ったスティーブンが、それを目に留めて「あ」と気付く。フードが半分後ろへとずれたメイベルは、その不安漂うざわめきを聞きながら淡々と元の位置に戻した。
「【精霊に呪われしモノ】だ……」
誰かが、ぽつりとそう口にする声が聞こえた。
それをきっかけに、ざわめきは正体の確信に至ったやりとりに変わる。通りにまばらにいた町人達は、すっかり足を止めて遠巻きにこちらを見ていた。
「ほんとうに緑の髪だったわね」
「気味が悪いわ……」
「どうして悪精霊がこんなところにいるんだ?」
向けられている視線さえ険を含み、囁き声にはあきらかな拒絶の響きがあった。長閑な田舎町の空気が、チラリと見えた緑の髪だけで、ピリピリと嫌な雰囲気一色にそまっている。
それを呆気に取られて眺めていたスティーブンは、戸惑いがちに声を彼られて我に返った。
「えっと、すみませんお客様。大変申し訳ないのですが【精霊に呪われしモノ】を当店に入れるわけにはいかなくて、ですね…………」
「はぁ?」
「えぇとその、あなた様のご入店は歓迎致しますので、ご安心くださいませ」
ただ、その、と店の中年男がしどろもどろに告げる。その間にも、周りのざわめきはより棘を増して大きくなっていた。
「見ているだけで何か悪いことが起こったりなんてしないだろうな?」
「神父様も、穢れだとおっしゃっていたからな……」
「近寄ったら病気になったりするのかしら」
「早くどこかに行ってくれ」
それとも、男達で追い払うか。
どこからかそんな声が上がって、スティーブンはピタリと止まって、ゆっくりと辺りを見渡した。
「何を理由にそんなこと――」
「いい。お前は何も言うな」
メイベルは、そこにいる彼の耳に届く程度の声で言った。視線も合わせないまま発言を遮ると、下を向いて「いいか、お前は何も言うな」ともう一度忠告した。
「何も問題ない。私がここを離れれば済むことだ」
「おまっ、あんな目を向けられてるってのに何冷静にしてんだよ。理不尽だと思わないのかッ? なんもしてねぇのに勝手に色々いわれて、挙句の果てに強制的に追い払うだとか――」
「だって、ここにもいるだろう」
不意に指を向けられて、スティーブンは「へ?」と間の抜けた声を上げた。
よく分かっていないようだった。フードの下から目を合わせてメイベルは、おかしなやつだと表情に浮かべてこう教える。
「私の存在を拒絶している人間が、すぐ隣にもいる。それでいてどうして今更、距離のある場所の拒絶者まで気にする必要があるというんだ?」
出会った時から警戒して否定し続けている彼が、そういう事を口にする方がおかしいのだ。これが『当たり前』で『いつもの事』だというのに、一体何が問題だというのか。
メイベルは、周囲人間の様子をぐるりと見渡して、それから同じ枠内だと伝えるように最後は彼へと目を戻した。
「『お前達』に嫌がられるのはいつもの事さ。それに対して、いちいち何かしら思う事も考えたりする事もないよ。だって、無駄なことだろう」
一歩後退して、フード部分をもっと深く被るように引っ張った。そのままひらりとローブの裾を揺らして、彼に背を向けて歩き出す。
「じゃあな『教授』。私は、適当にどこかで時間を潰してくるよ」
さて、どこへ行こうか。
このくらいの人口規模の町であれば、あまり人が通っていないような道も存在していそうだ。まぁ無理なら勝手に建物の屋上でも拝借して、一時間くらい仮眠でも取っていようか――。
その時、後ろから駆け出す足音がして、スティーブンの声が聞こえた。
「この……ッ、クソ阿呆なチビ精霊め!」
「いてっ」
唐突にポカッと頭に衝撃がきて、あやうくこけそうになった。
殴られた頭をさすりながら、メイベルは恨めし気に振り返る。そこには拳を握るスティーブンの姿があった。
「いきなり何をするんだ」
「うるっせぇ!」
間髪入れずに怒鳴り返されてしまった。
こっちは何もしていないというのに、おかしなやつである。見下ろされ睨み付けられたメイベルは、もしやと察してますます顔を顰めた。
「反抗期か?」
「んなのとっくに終わってるわあああああああああ!」
スティーブンが腹の底から全力否定し、その怒声が煩く響き渡る。
直後、舌打ちされたかと思ったら、そのままパシリと手を取られた。手首に熱い体温を感じたメイベルが「え」と思う暇もなく、踵を返した彼が歩き出してしまっていた。
ぐいっと引っ張られて、後に続くように足が進む。遠巻きに見ている人々が、不安と戸惑いでピリピリとした空気を若干弱めるのを感じた。
「ちょ、待て。どこへ行くというんだ?」
普通に手を掴まれているのに、戸惑ってしまう。
「お前、ホテル食には飽きていて、腹も減っているんだろう?」
いつもの口調も少し丸くなって、メイベルはずんずん進んでいく彼の背中にそう声をかけた。
「空腹なのが辛いのは、よく知ってるよ。だから、スティーブン、止まって。お前はあちらで食べておいで」
「うるせぇ、こんなところでメシなんか食えるか」
ズカズカと歩きながら、スティーブンが愚痴るような口調で言う。
「しかも、こんな時にちゃんと名前を呼びやがって。なんだ、祖母気取りか?」
「え。いや、別にそういうつもりじゃないけど――」
掴まれている手を離してやろうとしたら、よりぎゅっと強く握られてしまった。そのままジロッと視線を返されて、メイベルはビクッとする。
「なんで解こうとすんだよ」
「いや、お前こそなんで掴んでるの」
困惑でいつもの調子が乱れて、メイベルは思ったまま言い返した。
「ひとまず手を離して。私は一人でだって歩ける」
「嫌だ、ますます離したくなくなった」
「はぁ? なんでだよ」
「知らねぇよ。どうせ勝手にどっか行くつもりなんだろ。それ以上言うようなら、このまま担ぎ上げるぞ」
そんな事を言われても、と思ってメイベルは掴まれている手を見た。
「スティーブン、だって私は【精霊に呪われしモノ】で――」
「ごちゃごちゃ言うな、とっとと移動すんぞ。俺はすごく腹が減ってる、別の場所でホットドッグでも買ってホテルまで歩き食いする」
文句は言わせねぇ、という雰囲気をまとって彼が断言する。そのピンと伸びた背中からは、少し怒っているのが伝わってきた。
メイベルは、彼がこの状況に腹を立てているらしいと察して、ますますよく分からなくなった。おかげで次の通りに入るまで、調子が戻らないでいた。
「考えたら、昼前に駅弁をつまんだだけだし、かなり空腹だ」
飲食の増えた通りに入ったところで、スティーブンが町を眺め歩きながらそう言った。
「徒歩だと、ホテルまで結構距離あるしな。つかホテル食はほとんどコース料理で、どれもこれも凝った高級嗜好な味付けも、正直飽きてんだよなぁ」
「考えている間は食事を忘れるタイプだな。おかげでこの数時間、つまみ食いの一つも出来てないぞ」
目を向けないまま、メイベルの淡々とした声が不満を伝えた。隣を歩く彼はむっとした表情を浮かべたものの、けれど普段のような文句を返さなかった。
「仕方ないだろ」
同じく視線を返さないまま、比較的落ち着いた声色でそう唇を尖らせる。
「考え事に集中していると、そっちに意識が向いて空腹に気付かねぇんだよ」
「そういうもんかね――孫」
「おい、マジでぶちのめすぞ。そろそろ覚えろ」
スティーブンは、ピキリと青筋を立てた。しかし、やはり怒りを爆発させる事なく口を閉じてしまう。
まばらに出歩いている町人の間を、ゆっくりと荷馬車が通り過ぎていった。馬の尻尾がゆったりと揺れていて、メイベルはそんな長閑な光景を目で追いかける。
「なぁ、お前さ。アルベーユの駅で――」
ぽつりと言いかけて、スティーブンは眉間にぎゅっと皺を作った。考えることをやめたように頭を振ると、歩みを彼女に合わせたまま仏頂面で進む。
「へぇ、結構ちゃんとした感じの店もあるんだな」
ふと気付いて、彼は飲食店の看板のいくつかを目に留めた。
「空腹もピークだしな。チェックインする前に、この辺で適当に腹越しらえしてくか」
その提案を耳にした瞬間、メイベルはピタリと足を止めていた。咄嗟に何かを言い掛けようとした口を、一度閉じる。
「私はいい。その辺を歩いてくるから、お前一人で食ってろ」
僅かな空白の間を置いて、歩き続けている彼の背中にそう声を投げた。
興味もなさそうに来た道を戻るべく踵を返すのに気付いて、スティーブンが「いや待て待て待て」と呼び留めた。
「勝手にどこ行こうとしてんだよ。ホテルまで距離あるし、先にガッツリ食っていった方がいいだろう」
それでもメイベルは、珍しく乗り気じゃない様子で振り返った。追い駆けてきた彼を見てみると、まさか断られるとは思っていなかったという表情だった。
「私のことは気にするな。とっとと一人で食ってこい」
「女とは思えない言い方だ……」
しっしっ、と犬でも追い払うようにされたスティーブンが、奢り前提で誘っているのにこの反応、と口角を引き攣らせて呟く。
「つか、お前だってまともに食事をとったのは、俺と一緒に食った駅弁くらいだろ」
あれだけ大食いなのだから、もう同じくらい腹が減っているのでは、と指を向ける彼の目は語っている。
メイベルは、愚かな、と言わんばかりの偉そうな様子で片手を腰にあてた。
「精霊は、基本的に人間の食べ物を摂取しなくてもやっていける」
「いやお前日頃からバカスカ食ってんだろうが! ありゃ一体なんなんだよ!?」
「それにな、全身をローブで隠したあやしい余所者と一緒だと、入店が難しいかもしれんぞ」
「今更何言ってんだ? ローブ姿なんて珍しくないだろ」
魔法使いの場合だと、フード部分までおろして頭を隠しているのがほとんどだ。都会ではやや目立つ事があるものの、地方ではまだ砂風や日差し対策で一般に浸透してもいる。
「とにかく行くぞ」
そのまま手を取られて引っ張られた。メイベルが「あ」と思っている間に、彼はすぐ近くにあった飲食店まで足を向けていた。
「すみません。ここって、大盛りメニューなんかはあったりしますか?」
辿り着くなり、店の戸口を掃除しているエプロンを腰に巻いた中年男にそう声を掛けた。スティーブンの小奇麗な紳士衣装を目に留めた男が、にっこりと愛想たっぷりの笑みを浮かべる。
「勿論ございますよ。お客様のような若い男性のお客様にも、ご満足頂けるメニューを取りそろえております」
「俺はそこまで大食でもないんだけどな……っと、席は空いているか? 二名なんだが」
「カウンター席、テーブル席、どちらも空いておりますよ。どうぞ」
スティーブンが後ろ指を向け、中年男がチラリとだけ見やってすぐ彼に目を戻して、開けられた店の入口へ促した。
その時、吹き抜けた風が建物にあたった。そのまま風がはね返って、通りすがりの男女の衣服を揺らし、近くの女性が足首まで隠していたスカートを「きゃっ」と言って押さえる。
風がやむと、不意に辺りがざ小さくわついた。
疑問を覚えて振り返ったスティーブンが、それを目に留めて「あ」と気付く。フードが半分後ろへとずれたメイベルは、その不安漂うざわめきを聞きながら淡々と元の位置に戻した。
「【精霊に呪われしモノ】だ……」
誰かが、ぽつりとそう口にする声が聞こえた。
それをきっかけに、ざわめきは正体の確信に至ったやりとりに変わる。通りにまばらにいた町人達は、すっかり足を止めて遠巻きにこちらを見ていた。
「ほんとうに緑の髪だったわね」
「気味が悪いわ……」
「どうして悪精霊がこんなところにいるんだ?」
向けられている視線さえ険を含み、囁き声にはあきらかな拒絶の響きがあった。長閑な田舎町の空気が、チラリと見えた緑の髪だけで、ピリピリと嫌な雰囲気一色にそまっている。
それを呆気に取られて眺めていたスティーブンは、戸惑いがちに声を彼られて我に返った。
「えっと、すみませんお客様。大変申し訳ないのですが【精霊に呪われしモノ】を当店に入れるわけにはいかなくて、ですね…………」
「はぁ?」
「えぇとその、あなた様のご入店は歓迎致しますので、ご安心くださいませ」
ただ、その、と店の中年男がしどろもどろに告げる。その間にも、周りのざわめきはより棘を増して大きくなっていた。
「見ているだけで何か悪いことが起こったりなんてしないだろうな?」
「神父様も、穢れだとおっしゃっていたからな……」
「近寄ったら病気になったりするのかしら」
「早くどこかに行ってくれ」
それとも、男達で追い払うか。
どこからかそんな声が上がって、スティーブンはピタリと止まって、ゆっくりと辺りを見渡した。
「何を理由にそんなこと――」
「いい。お前は何も言うな」
メイベルは、そこにいる彼の耳に届く程度の声で言った。視線も合わせないまま発言を遮ると、下を向いて「いいか、お前は何も言うな」ともう一度忠告した。
「何も問題ない。私がここを離れれば済むことだ」
「おまっ、あんな目を向けられてるってのに何冷静にしてんだよ。理不尽だと思わないのかッ? なんもしてねぇのに勝手に色々いわれて、挙句の果てに強制的に追い払うだとか――」
「だって、ここにもいるだろう」
不意に指を向けられて、スティーブンは「へ?」と間の抜けた声を上げた。
よく分かっていないようだった。フードの下から目を合わせてメイベルは、おかしなやつだと表情に浮かべてこう教える。
「私の存在を拒絶している人間が、すぐ隣にもいる。それでいてどうして今更、距離のある場所の拒絶者まで気にする必要があるというんだ?」
出会った時から警戒して否定し続けている彼が、そういう事を口にする方がおかしいのだ。これが『当たり前』で『いつもの事』だというのに、一体何が問題だというのか。
メイベルは、周囲人間の様子をぐるりと見渡して、それから同じ枠内だと伝えるように最後は彼へと目を戻した。
「『お前達』に嫌がられるのはいつもの事さ。それに対して、いちいち何かしら思う事も考えたりする事もないよ。だって、無駄なことだろう」
一歩後退して、フード部分をもっと深く被るように引っ張った。そのままひらりとローブの裾を揺らして、彼に背を向けて歩き出す。
「じゃあな『教授』。私は、適当にどこかで時間を潰してくるよ」
さて、どこへ行こうか。
このくらいの人口規模の町であれば、あまり人が通っていないような道も存在していそうだ。まぁ無理なら勝手に建物の屋上でも拝借して、一時間くらい仮眠でも取っていようか――。
その時、後ろから駆け出す足音がして、スティーブンの声が聞こえた。
「この……ッ、クソ阿呆なチビ精霊め!」
「いてっ」
唐突にポカッと頭に衝撃がきて、あやうくこけそうになった。
殴られた頭をさすりながら、メイベルは恨めし気に振り返る。そこには拳を握るスティーブンの姿があった。
「いきなり何をするんだ」
「うるっせぇ!」
間髪入れずに怒鳴り返されてしまった。
こっちは何もしていないというのに、おかしなやつである。見下ろされ睨み付けられたメイベルは、もしやと察してますます顔を顰めた。
「反抗期か?」
「んなのとっくに終わってるわあああああああああ!」
スティーブンが腹の底から全力否定し、その怒声が煩く響き渡る。
直後、舌打ちされたかと思ったら、そのままパシリと手を取られた。手首に熱い体温を感じたメイベルが「え」と思う暇もなく、踵を返した彼が歩き出してしまっていた。
ぐいっと引っ張られて、後に続くように足が進む。遠巻きに見ている人々が、不安と戸惑いでピリピリとした空気を若干弱めるのを感じた。
「ちょ、待て。どこへ行くというんだ?」
普通に手を掴まれているのに、戸惑ってしまう。
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いつもの口調も少し丸くなって、メイベルはずんずん進んでいく彼の背中にそう声をかけた。
「空腹なのが辛いのは、よく知ってるよ。だから、スティーブン、止まって。お前はあちらで食べておいで」
「うるせぇ、こんなところでメシなんか食えるか」
ズカズカと歩きながら、スティーブンが愚痴るような口調で言う。
「しかも、こんな時にちゃんと名前を呼びやがって。なんだ、祖母気取りか?」
「え。いや、別にそういうつもりじゃないけど――」
掴まれている手を離してやろうとしたら、よりぎゅっと強く握られてしまった。そのままジロッと視線を返されて、メイベルはビクッとする。
「なんで解こうとすんだよ」
「いや、お前こそなんで掴んでるの」
困惑でいつもの調子が乱れて、メイベルは思ったまま言い返した。
「ひとまず手を離して。私は一人でだって歩ける」
「嫌だ、ますます離したくなくなった」
「はぁ? なんでだよ」
「知らねぇよ。どうせ勝手にどっか行くつもりなんだろ。それ以上言うようなら、このまま担ぎ上げるぞ」
そんな事を言われても、と思ってメイベルは掴まれている手を見た。
「スティーブン、だって私は【精霊に呪われしモノ】で――」
「ごちゃごちゃ言うな、とっとと移動すんぞ。俺はすごく腹が減ってる、別の場所でホットドッグでも買ってホテルまで歩き食いする」
文句は言わせねぇ、という雰囲気をまとって彼が断言する。そのピンと伸びた背中からは、少し怒っているのが伝わってきた。
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