精霊魔女のレクイエム

百門一新

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1部 精霊少女と老人 編

29話 休日×祖父と画家 下

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 メイベル以外に、異国語の歌詞が分かる者はいない。

 けれどソレが歌われている時、エリクトールは芸術的な事の他にも何かを感じ取って鳥肌を立てていた。ただ、歌声に思考がほとんど奪われたかのように頭も動かす事が出来ない様子で、曲が途切れてハッと我に返る。

 エインワースが、半ば放心状態の友人ににこっと微笑みかけた。

「素敵な声をしているだろう?」
「あ、ああ、そうだな。少し驚いた」

 ふぅっと息を吐いたメイベルは、気分が変わってティーカップをテーブルに戻した。
 よくよく見れば形のいい唇、神秘的な色を宿した大きな瞳を縁取るまつ毛。それはたとえ緑の髪が少年のように短くとも、とてもではないが少女にしか見えない端整な顔立ちだった。

 落ち着いた表情をしていれば、【精霊に呪われしモノ】の特徴でもある緑の髪もあって神秘さが漂う。けれどクッキーを手に取った彼女は、続いてエリクトール目を向けられて「あ?」と途端に顰め面をした。

「なんだ、私の顔に何かつんてんのか頑固ジジイ」
「お前さんは、ひとたび口を開くと心底残念になるな」

 メイベルはチラリと眉を寄せたものの、すぐにクッキーへと目を戻した。また美味い紅茶が飲めて気分の良さは続いていたから、怒ってもいない声で「何がだよ」と適当に相槌だけ打った。

 エインワースが来るのを、どれほど楽しみにしていたのか。簡単に焼けるというその手製クッキーは、皿の底が見え始めた頃にもう一皿分ずつ出てきた。メイベルの食べっぷりは普通ならばドン引きものなのだが、作ったエリクトールはまんざらでもなさそうだった。

「ワシのクッキーはそんなに美味いか。お前、この紅茶も二杯目だぞ」
「紅茶も文句無しに美味い。エンドウ豆のクッキーも期待してる」
「ずっとサクサク言ってるなぁ……まぁ珍しい注文だが検討してみよう」

 なんでまたエンドウ豆なんだろうな、とエリクトールは少し不思議そうだった。

 ずっと昔に子も育って出ていき、妻も亡くなって数年。こういった感覚も久々だったのか、彼は「ふむ」と改めてメイベルの食べっぷりを眺める。

「成長期そうだし、普段から食事も沢山食べそうだな。次は昼食会でも開くか」
「ふふっ、それは楽しみだ。メイベルはいつもいっぱい食べるよ。でもエリクトール、すっかり忘れているみたいだけれど、彼女は私の『妻』であって子供じゃないよ」
「…………そうだったな。というかだなエインワース、精霊は人間の食べ物を食べて大丈夫なのか?」

 驚愕の表情を晒したエリクトールは、すごく今更のような質問をした。

 そこで会話が途切れた時、メイベルはピタリと手を止めて頭上を見た。人間とは違うモノを見るというその金色の精霊の目が、ただのカラッと晴れた青い空をしげしげと眺めているのに二人は気付く。

「メイベル、何かあるのかい?」
「珍しいモノが飛んでいるなぁ、と」
「珍しいもの?」

 メイベルはそちらに目を留めたまま、「うん」と答えてクッキーをつまんだ。もぐもぐと食べてから、尋ねたエインワースと不思議そうにしているエリクトールにこう続ける。

「きっとエインワース達が関わる事はないよ。あれらは何者にも干渉せず、ただ通り過ぎていくだけの神聖なモノだから」
「精霊とは違うモノ?」
「全然違う。アレらが近くを通り過ぎる時、人間は必ず沈黙するんだ。敬意を沈黙で示し、礼儀として口を閉ざさなければならないから」

 それを聞いて、エリクトールがこう口を挟んだ。

「まるで神様みてぇだな。昔、そういう迷信をウチの婆さんから聞いた事がある。会話がピタリと途切れた時は、神様がそばを通り過ぎているんだと」
「まさにその通りさ。――人間はアレらを、ひとくくりにそう呼ぶ」

 メイベルはそう答えて、フッと小さく口角を引き上げた。「え」と固まった彼の面白い表情を見届けると、結構からかい甲斐のある爺さんかもなぁと思いながら立ち上がる。

「ちょっと一休憩で、庭先を歩いてくるよ」

 そのまま歩き出し「またあとでな、エインワース」と後ろ手を振った。

             ※※※

 ほとんど何もない緑の庭先。けれど精霊の彼女には、敷地と森の境界のようになっている茂みの間に、何か自分達が見えないモノが見えたりしているのだろうか?

 すっぽりとローブで小さな身体を覆ったメイベルが、こちらに背を向けるようにして向こうで佇んでいる。互いが会わなかった間の数年について、ざっくりと報告し合ったエリクトールは、その様子を目に留めつつエインワースに訊いた。

「なぁお前、本当にアレと結婚したのか?」
「どうしてそんな質問を?」

 ふわり、と微笑まれて自然と尋ね返された。

 これだから少しやりにくい奴でもある。エリクトールは、二杯目の紅茶を淹れたティーカップを手に取った。続けられそうな言葉を考えようとしたら、彼が先にこう言ってきた。

「私とメイベルは『夫婦』だよ。なんなら、役所の住民票と戸籍一覧を見せようか?」
「いや、いい」

 言いながらも、エリクトールは腑に落ちない表情を浮かべた。乾いた喉を少し潤して、無愛想な自分の仏頂面が映ったティーカップの中を見下ろす。

「俺は、お前が何を考えているのか心底分からん時がある」

 言おうか言わないこうか迷った後、彼は独り言のようにそう切り出した。

「誰もが、お前を『誠実』『真面目』『優しい』『のんびり屋』と揃って口にする。だが、ただ優しくて一歩身を引くだけの男が、企業して数年で都市第三位の会社を築けるか? いきなり隠居暮らしをして、それでも金に困らず株と遠方取引で高利益を得られるか?」

 そう話す声を聞きながら、エインワースは静かに微笑んでいた。クッキーを一枚口にし、それから優雅な仕草でティーカップを手に取る。ゆったりと寛ぎ飲む姿は品があった。

「俺はな、この小さな町を一番把握しているのは、役所でも町長でもなくお前だと思っている。それでいて、近辺都市の経済事情についてはお前の右に出る者はいないだろう、と」

 エリクトールは言いながら、メイベルの方へと目を向けた。自分が覚えた違和感の正体を探すように、二人が訪れてから今に至るまでを思い返しつつ続ける。

「うまく言えないんだが、あの子に接しているお前を見ていると、どうも『妻』という感じがしないというか。ずっと昔、小さな家族を連れて来た時とどこか重なるようで――」

 その時、彼の思案は穏やかな声に遮られた。

「エリクトール」

 目を向けた途端に、穏やかな微笑みが目に留まって胸が温かくなる。不思議な男だ、そういえば誰もが彼を警戒しないんだったなと、エリクトールは移住してきた頃を思い出した。

 じっと見つめていると、エインワースの目元が愛情を込めて細められた。

、君をとても尊敬しているんだ」
「尊敬……」

 エリクトールは、唐突にそう言われて目を見開いた。意味深な眼差しだとは感じたものの、誰よりも理解者であり続けていて欲しいと思っていた男からの、まさかの言葉に胸が震える。

「私にとって、君は一番の友達だ」
「!?」

 続いて告げられた言葉を聞いて、エリクトールは感激のあまり、直前まで考えていた事が頭の中から全部飛んだ。ただただ「こうしてまた会えるようになって良かった……」と、嬉し過ぎて涙目になった。



 数年振り顔合わせだ。少しは二人きりにしてやるかと離れていたメイベルは、テラス席へと戻ろうとして途中で足を止めてしまった。

 何故か、頑固ジジイの仏頂面が崩壊している。

「…………何があったのかよく分からんが、やっぱりなんだか『あの残念な孫』と近いモノを感じるな」

 思わず、ポツリとそう呟いた。
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