精霊魔女のレクイエム

百門一新

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1部 精霊少女と老人 編

28話 休日×祖父と画家 上

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 人口も多くなく、観光地もない田舎町ルファの休日は静かだ。子供がいる家庭の場合だと、駅を利用して町の外に出掛けるのも珍しくはない。

 奥へ行くほど離れて建つ家々も数が減り、パッタリと人と擦れ違わなくなった。エインワースの歩みに合わせて、ゆっくりと進み続けるメイベルも煩わしい視線が減って気分がいい。

 本日、二人はティータイムの招待を受けて、向かっていた。
 辿り着いた場所は、例の画家、エリクトールの家である。

「よぉ、また来てやったぞ『画家の頑固ジジイ』」

 軽く手を挙げ、そう言いながらやってくる彼女を見て、エリクトールがげんなりとした表情を浮かべた。隣に長身の老いた男、エインワースの姿を見付けて久しぶりの来訪に目を輝かせた直後、「おっほんッ」と咳払いして取り繕う。

「おい『エインワースの嫁』。お前さん、ほんとに口が悪いな……『お久しぶりです』『お招き頂きありがとう』くらいの社交辞令も出来んのか?」

 そう言われたメイベルは、目の前まで来たところで見下すような悪党面をして「はッ」と鼻で嗤った。

「私にそれが出来るとでも?」
「なんでテメェが偉そうにしてんだ」

 阿呆じゃないのかい、とエリクトールが頑固な眉間の皺を深める。

「そもそもな、連れてきたやったエインワースを見て、どっかの孫に似た感じで目を輝かせた寂しがり屋のクソジジイに言われたくない」
「べっべべべつに寂しがってないわい!」

 その全力否定が、どこか少年っぽくてまた気持ち悪い。

 メイベルがそう思って薄ら笑いを浮かべた時、エインワースが「仲が良くなってみたいで嬉しいよ」と言った。微笑みかけられたエリクトールが「うっ」「その」と言いかける中、こう続ける。

「エリクトール、メイベルはきちんと社交だって出来るよ。この前、やってみせてと言ったら、一回だけニッコリと笑って社交界の挨拶を再現してくれたんだ。物腰は柔らかいし笑顔は優しくて可愛いし、ホント女の子にしか見えなか――いたっ」

 メイベルは、「ふんっ」と飛び上がってエインワースの頭を叩いた。金色の精霊の目は、本気で切れている様子で殺気立ち『さらっと言ってんじゃねぇよ』と伝えている。
 頭をさすりながら、彼が「ふふっ」と友人に向かって笑みをこぼした。

「見ての通り、彼女恥ずかしがり屋でシャイなところもあるんだ。まだまだ新婚だからねぇ」
「すまんエインワース、今の流れを見ても全くそうは思えん」

 ひとまず惚気って事でいいのか? と、エリクトールが疑問顔で首を捻る。

 そのまま目を向けられたメイベルは、実に信じ難いという表情を浮かべられてイラッときた。

「なんだ、頑固ジジイ。何が言いたい?」
「物腰が柔らかくて笑顔が優しい……、エインワースが言った事が到底想像出来ん」
「あいつは目もおかしいんだ、気にするな」
「新婚にしては随分辛辣だな」

 こうして目の前に『夫婦』としてセットでいても、やっぱりなんだか疑問である。そんな表情で小さなメイベルを見下ろしていたエリクトールが、ふと、今更のように気付く。

「というか、お前さんは精霊なのに、貴族社交界の作法も知っているのかい」
「あんた達より長生きしてるからな」

 言われても絶対にやらんがな、とメイベルはしっかり付け加えてそう言った。

 取引した『精霊の契約主』以外の望みを聞き入れる義理はない。少し困っているとするならば、エインワースは魔法使い側の事情を全く知らないため、それを理解していない事だろうか。

 精霊魔法できちんとした契約をしているわけではない。それでも、願われればしてやらねばという気持ちが起こるのは、自分が精霊であるゆえか。

 あるいは……、そう考えそうになってメイベルは思案を止めた。そうでなくてはならないからだ。

「どうした、エインワースの嫁。珍しく大人しくなっちまって」

 ふと、そんな声を掛けられて気付いた。
 直前までの二人の会話を拾えていなかった。普段は考え耽るのをしないようにしているのに、ココへ来て緊張感がだいぶゆるんでいるらしい。

 エインワースが、まるで自分を『家族』みたいに扱うせいだ。

 メイベルは、そう思いながら目を上げた。こちらを振り返った姿勢でいた彼が、昨夜ベッドで就寝する際と同じく、少し背を屈めて大きな手を差し出してきた。

「君は外の風が好きかなと考えて、エリクトールが外にテラス席を用意してくれたみたいだから、まずは一緒に紅茶休憩をしよう。あとで絵も見せてくれるらしいよ」

 彼は、あんたに絵を見せたいんだよ。

 そんな言葉を呑み込んで「そうか」と答え、躊躇いがちな指先を彼の手に添えた。仏頂面の口も態度も悪い頑固ジジイの癖に、あんたと同じで『優しい』人間ひとだよなぁ。あれだけ奥さんを想った『美味い紅茶』が淹れられる人間が、描く絵を気にならないわけがない……そう思ってしまう。

 後の楽しみが一つ出来たところで、仕事用のガラス張りの部屋の裏手へと案内された。そこには、上品な装飾のされた白いテラス席が用意されていた。

「ついでにクッキーも焼いてみた。形はアレだが、味はなかなか悪くない」

 先に、菓子の乗った三枚の皿を室内から持ってきたエリクトールが、テーブルに出しながらそう言った。

「いちおうハーブと檸檬のクッキーも用意した」
「ありがとうエリクトール。メイベルの事を考えてくれたんだね」
「うっ。別にワシは、この前の礼を意識している訳ではな――」

 その時、メイベルの真面目な声が、二人の間に割って入った。

「ハーブも檸檬もいい味が出てるな。両方同時に食っても美味いとは、驚きだ」
「お前さん何勝手に食っとるんだ。空気を読んで『待つ』という事が出来んのか?」

 エリクトールは、両手にクッキーを一枚ずつ持っているメイベルを見て呆れた。彼女は小さな口でクッキーをパクパク食べ進めながら、右手、続いて左手と忙しなく動かして口にクッキーを運んでいる。

「私が先に試食して、エインワースと頑固ジジイにクッキーの感想を伝えてやろうと思ってな。そうしたら安心して食えるだろ」
「なんだ、その毒味みたいな言い返しは? まぁ味を気に入ってもらえたのは嬉しいが、女の子が『食う』なんて言うじゃな――」
「私はこのぎこちない形は嫌いじゃないぞ、実にクッキーっぽくていい。皿に大盛りなのもいいな。それからこっちのプレーン味もかなりレベルが高いぞ。お前、もしやエンドウ豆クッキーとかも出来るのか? 出来そうなら今度作ってみないか――」
「ああああもうッサクサクサクサクうるっせぇわい! 食べながら喋るなッ」

 後半、恐ろしいくらいに速いクッキーの咀嚼音で、半分以上言葉が聞き取れなくなった。プチリと切れたエリクトールが、用意していた濡れ布巾をメイベルの口に押し付ける。

「一旦手と口を拭え。まったく、こんなに食い意地のはった精霊がいるかいッ」

 そう文句を言う様子を見ていたエインワースが、「あははは」と楽しげに笑った。

 続いて紅茶が運ばれてきて、テーブルには途端にいい香りが満ちた。エリクトールがドカリと椅子に腰を下ろす音を聞きながら、メイベルはティーカップから漂う匂いをたっぷり吸いこむ。

 とてもイイ香りだと思った。今回は、甘い菓子にぴったりな味の予感がする。

 招待主であるエリクトールの用意も整ったところで、エインワースが「お招きありがとう」と改めて礼を口にした。こうしてゆっくり話すのは久方ぶりだと、今更のように実感が込み上げたみたいに会話を続けながら、彼らがティーカップに触れた。

 それを見てようやく、ティーカップを手に取った。もう一度鼻先を寄せて香りを堪能してから、美しいカップの縁に唇を付ける。

「――うん、やっぱり美味しい」

 意地悪な風でもなく、ほんのり口許に笑みを浮かべてそう呟く。もう一度また飲みたいと、ずっと思っていたのだ。上機嫌になって、ティーカップを両手に抱えたまま、香りの余韻を楽しむみたいに「ふんふん」と鼻歌をやる。

 その様子に気付いて、エリクトールが「おや」と物珍しそうに見やった。声を掛けようとした彼に向かって、エインワースが唇にそっと人差し指を立ててを浮かべる。

「ねぇメイベル、それって君が以前歌ってくれた外国劇のものかい?」

 訝ってエリクトールが見守る中、エインワースがそう尋ねる。

「そうだよ、人間が作った風変わりな劇の歌」

 ティーカップを見下ろしたまま、メイベルはそう答えた。金色の精霊の瞳が、水面の揺らぎを映してゆらゆらと光っているみたいだった。

「少し聞かせてよ」
「いいよ、エインワース。せいれいにそれを望むなら」

 そう答えて、メイベルは小さく息を吸い込んだ。すうっと開かれた唇から、少年とも中世的な少女とも思える独唱オペラがこぼれ落ち、――場に漂う空気が一瞬にして呑まれた。


※※『ああ、たった一つの呪いを解くために……。でも違うのよ、あなた、言葉だけでは意味がないの。口付けでもこの呪いは解けはしないわ。ああ、なんて哀れな人なんでしょう……』

※※『お伽噺に憧れるか小娘。哀れや哀れ、愛されぬよ』

※※『魔王はケラケラと彼女を嗤う。人々はガラガラと嫌な声で嗤い立てる』

※※『道化も道化よ、救われない定めだと決まっている。さて、物語も開幕や。ここからが面白い。滑稽なり。娘は喉元にナイフを突き立てて、ようやくとっととおっちんだのさ――』


 異国の言語で、彼女が台詞でも言うかのようにティーカップを片手に白い手を動かし、温度のない小奇麗な笑みを浮かべて小さく歌う。

 風がない。空気がピタリと息を潜めたみたいに静かだ。

 まるであらゆる精霊が、身じろぎもせず聞き耳を立てているみたいだった。
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