精霊魔女のレクイエム

百門一新

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1部 精霊少女と老人 編

18話 寝静まった家で

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 消灯してすっかり寝静まった寝室のベッドで、エインワースはふっと目を覚ました。
 時計を確認してみると、孫との楽しい話を午後九時までたっぷり過ごしてから二時間も経っていない。隣の枕は空いていて、手を触れてみるとすっかり冷たくなってしまっていた。

 彼はベッドから降りると、少しばかり肌寒い夜風を考えて、薄地のブランケットを肩に掛けて寝室を出た。縁側が開いているのを見て、眩しい月明かりを頼りにそちらへ足を進める。

「メイベル、眠れないのかい?」

 庭先に、ぺたりと座り込んで空を見上げている女の子の後ろ姿を見付けて、そう声を掛けた。足すら超える長い緑の髪が、芝生の上に美しく広がっている。

 彼女が、声に気付いたように金色の『精霊の目』を向けてきた。前髪も同じくらい長くて、一見するとその雰囲気は、就寝前までの『男の子』とは別人のようだ。


「今夜は満月だ。月光浴をしていた」


 メイベルが、いつも通り淡々とした口調で言う。色合いが際立った金の瞳のせいか、その無表情はいつもより人外さを感じる空気を漂わせていた。

「お前、驚かないんだな」
「急に髪が伸びた事かい?」

 そう相槌を打ちながら、エインワースは庭用の椅子を移動した。

 そちらに腰を下ろしてから改めて、自分の庭に不自然なくらい幻想的な光景を作り出している女の子に目を留める。

「とても綺麗な光景だと思うけれどね。月の光りが、キラキラと反射しているみたいに見えるよ」
「私の目と髪が、僅かに光っているんだよ」
「そうかい。そうしていると、まるで精霊みたいだねぇ」
「私は精霊であって、人間ではないよ、エインワース」

 メイベルは、当たり前のようにそう口にする。

 リラックスした様子で座り込む彼女を見つめたまま、エインワースは肩にかけていたブランケットを、膝にセットしながら尋ねた。

「それが、精霊としての本来の君の姿かい?」
「満月の光は、夜の精霊にとってほんの少しだけ『祝福』になる。自分に魔法をかけていたら、それを『取り込む』事が出来ないのさ」

 だから魔法を解いた、と簡単に教えた彼女が、前髪かも区別が付かない足元の緑の髪に目を落とす。

「それになんら変わらないだろう。髪が邪魔なくらい長いだけだ」
「顔はほとんど変えていないんだねぇ」
「だから言っただろう、、と」
「うん。なんとなく分かっていたよ」

 エインワースがにこやかに答えると、メイベルが真っ直ぐ目を向けてくる。それは、知っているのか否かと見定める眼差しであると、彼は以前から気付いていた。

 それでも、彼は明確な事は何も言わず、にっこりと笑ってこう言った。

「すごく調子が良さそうだね、メイベル」
「一時の凌ぎとはいえ、精霊としての腹はそれなりに満たされる」

 メイベルはそう答えた。それに対して、またしても何も答えずただ微笑んでいるエインワースを見て「やっぱりそうか」と察した様子で首を傾げる。

「やっぱりお前は、『知っている』んだな。だから私を平気で連れて来たのか?」
「確かに私は、君が頭に浮かべているだろう事柄を知っている。でもそれが理由ではないよ。――君だから、私は選んだんだ」

 真っ直ぐ向けられた言葉を受け止めて、メイベルは「ふうん? よく分からないな」と言って、チラリとよそへ視線を流した。

「やっぱりエインワースは、変な男だ。この姿を見ても、ずっと普通にしているし」
「ふふっ、だって君は君だろう。髪の長さが違うだけで、私にとってはずっと『可愛い女の子のメイベル』だよ」

 人間じゃないのに?

 まるで本当の孫みたいな言い方だ、と呟いたメイベルが、少しだけくしゃりとして皮肉そうに笑う。けれどエインワースは、ちっとも躊躇わずに「後ろ姿も『まんま君』だった」と自信たっぷりに言いながら、ピンっと人差し指を立てた。

 彼女はそれを数秒ほどじっと見つめて、コテリと小首を傾げた。長い緑の髪がサラリと揺れていて、顰められてもいない大きな金色の目は愛らしい。

「今思えば、そうしていると、どこかスティーブンを思わせるな」
「彼は、私の孫だからね」
「あいつがそのノリで人差し指を立てるのは、想像出来ないけどな」
「あははは、スティーヴはああ見えて、すごく真面目なところがあるからねぇ。だから幼い頃、娘夫婦が心配して私たちのところに連れて来たんだよ」

 するとメイベルは、先程よりも柔らかな笑みを、フッと浮かべた。

「エインワースの『奥さん』がいた時か。彼女、とても大らかで優しい人だったんだろう? 写真からも伝わってくるよ」
「毎日、写真立ての一つ一つまで埃を払ってくれて、ありがとう」
「いえいえ、掃除も『妻』の役目だからな。――それに彼女がいる風景の写真は、とても温かくて好きだよ」

 話を聞くのも、だから嫌いじゃないんだ。

 そう口にするメイベルの横顔を、エインワースは深い愛情を込めて見つめていた。肘当てに頬杖を付くと、軽く指を向けて言う。

「ほらね。君、怒っていない時は口調も柔らかくなるんだ」
「そんなの知らないよ。エインワースが、勝手にそう思っているだけさ」

 そう言いながらも、メイベルは小さく笑っていた。足元の草を幼い白い手の指先で、意味もなくそっと撫でている。

「その服を着ているとワンピースみたいに見えるし、やっぱりスカートを履いてみるのはどうだろう?」
「普段『奥さんごっこ』で人をからかって、要エプロン着用にしているだろ。だからスカート案まではしてやらない、却下だ」
「え~、似合うと思うんだけどなぁ」

 エインワースは、椅子の背にゆったりと身体を預けた。どうして駄目なんだろう、という目を満天の星空にある満月へと向ける。

 メイベルは目も向けないまま、小さく口を開いた。

「エインワースは、子供みたいだ」
「メイベルは、ずっとそればかり口にしているね」
「本当の事だよ」

 彼女はそう答えると、そっと顔を上げて星空を見た。
 長く美しい緑の髪を地べたに広げたその後ろ姿は、やっぱり現実的ではなくて、それでいて独りぼっちの迷子の幼い女の子のようだった。

「気分がいい。精霊世界の、とある子守歌を聞かせてやろう」

 そうしたら、きっとすぐに眠れる。

 そう言って、メイベルがすぅっと息を吸い込んだ。エインワースはこっそり微笑んで「やっぱり君は、とても優しい女の子だねぇ」と呟いて目を閉じた。

          ※※※

 静まり返った寝室で、スティーブンはふっと目が覚めた。枕許に置いてあった腕時計を確認して見ると、ようやく午後十一時になったばかりだった。

 深くきちんと眠れなくなって、もう随分と経っていた。毎日が忙しくて、しっかり二時間以上眠れた試しなんてない。

 今日もまた、寝返りを打ちながら短い睡眠を繰り返すんだろう。

 せっかく尊敬している祖父の家にきたというのに、ぐっすり眠れないなんて知られたら、心配させてしまうかもしれない。水を一杯飲むのも諦めて、うつ伏せになって枕に片頬を押しあてた。

 その時、閉められた窓の向こうから、とても綺麗な歌が聞こえてきた。
 囁くようにしていながら、どこか異質な『音』として空気を震わせてくる。低くもなく高すぎでもない不思議な響きを持った女の声が、メロディーを奏でていた。

「オペラか……?」

 思わず、そう呟いてしまった。それほどまでに美しい本格的な歌声だった。外国曲なのか、一体どんな歌詞なのか聞き取る事が出来ない。


 じっとして耳を澄ませた。

 歌詞のない間奏音を口ずさむ声が聞こえて、――ぞわりとした。一瞬、美しい唇を少しだけ開いて、一人の女が夜の中で歌っているという想像が脳裏を過ぎった。


 一体、何者が歌っているんだろう。もっとハッキリ聞きたくなって、窓を開けてしまおうかと考えた。しかし、不思議と身体の緊張が解けてしまって、勝手に瞼が重くなった。

 とても穏やかなその歌は、どこか悲しさを孕んでいるようにも聞こえた。
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