精霊魔女のレクイエム

百門一新

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1部 精霊少女と老人 編

17話 満天と夜と二人

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 メイベルは家を出ると、のんびりと夜道を進んだ。

 虫の泣き声が響いていて、頭上には雲一つない夜空があった。時間を置けば少しは落ち着いてくれるだろう事を推測して、風景を眺めつつ、彼が通っただろう道をゆっくりと歩く。
 細い砂利道を進んで、低く細い木々の中に入った。月光が照らし出す畑が見渡せる傾斜に、胡坐をかいて座り込んでいる男の後ろ姿があった。

「口喧嘩みたいに言い放って家を飛び出すとか、お前は思春期の子供か?」
「うるせー俺は二十七歳だ、子供じゃねぇよ」

 いっちょ前に、減らず口を叩く元気はあるらしい。

 そう思いながらそばに立ち止まる。メイベルが見下ろしたタイミングで、座っていたスティーブンが見つめ返してきて、ますます顔を顰めた。

「なんでココが分かったんだよ。こっちに座ってから、そんなに時間も経ってねぇぞ」
「精霊はんだ。近くに他の人間もいない場所だと、どこにいるのかくらい

 メイベルは淡々と答えた。スティーブンが「そうかよ」と唇を尖らせて顔をそむけるのを見て、面倒そうにこっそり息をつく。腕を組むと、沈黙を破るように声を掛けた。

「前ばかりを見ているから、時々そうやって視野が狭くなるんじゃないか?」
「いきなりなんだよ、説教か? そもそもお前は、俺の何を知っているっていうんだ」
「ほとんど何も知らないさ」

 迷わずハッキリと答え、わざとらしく肩を竦めた。まだほんの少し水分を含んで下がっている彼女の緑の髪先が、華奢な肩に触れている。

「でも、お前が『らしくない、いつもの元気がない』ってのは、エインワースが気付いてる。ここ数ヶ月、届く手紙を読むたび心配になるんだと、私は話を聞かされた」
「…………いつも通り俺は元気にやっていると、手紙で書いたつもりなんだけどな」
「ずっと一緒に過ごしてきた『大切な家族』なんだろ。なら、紙の上の嘘だって、あっさり見破られるもんだ」

 メイベルはそう言いながら、チラリと目をよそに向けて思案した。それから、ずっと自分の足元を見つめているスティーブンの隣に腰を下ろす。

 同じように胡坐をかいて座った。気付いたスティーブンが、チラリと目を向ける。

「お前って精霊の癖に、どっかの頭が固い教師か、利口過ぎて面倒な助手みたいだな」
「私が【精霊に呪われしモノ】である事は知っているだろう。私はあの場所で、ほとんどの時間をずっとな」

 わざわざ姿を見に来る者はいない。たまに、風変わりな魔法使いが力を借りたいとしてやってくるだけだった。それなのに、エインワースが来たのだ。

 そう思い返していると、スティーブンが先程よりは『少しマシになった顔』を向けてきた。学者なりに尋ねたい疑問でも出来た様子で、こう質問を投げかけられた。

「精霊ってのは、移動してどこにでも現われる奴と、その場所に留まって『契約して連れ出す人間』がない限り移動出来ないタイプがいるだろ。その違いはなんだ?」
「精霊界の生息域が、そのままこっち側に反映しているんだよ」
「反映? なんだそりゃ」
「二つの世界は、全く違うようでいて別次元で重なり合っている。他の異界と違って、精霊界はほぼ人間界と領域の大きさが同じくらいだ。そして、基本的に【飛べるモノ】【地の中にあるモノ】は自由に移動出来る」

 なんだ、そんな簡単な事なのか、とスティーブンが呟いて下を見る。

 メイベルは、ここ一番の凛々しい表情を浮かべると『よしきた』と言わんばかりに拳を固めた。そして、躊躇なく彼の頭をガツンと叩いた。

「だから、そうやって俯くな」
「いてっ。てんめぇッ――」
「ほら、満点の星だぞ」

 そう言って、メイベルは空を指した。つられて見上げたスティーブンが、ハッとしたように目を見開いて息を呑む。

 しばらく言葉はなかった。風が何度か通り過ぎる音が聞こえた後、ようやく彼が身じろぎして、足元に置いていた手をぎゅっと握りしめた。

「…………最後にこっちに来た時と、何も変わってねぇな」

 降り注ぐような大小無数の光だ。見上げていると落ちていきそうなほど壮大で、町明かりのもないここからだと、普段は見えない小さな星々までが宝石のように煌めく。

 その光景を、目に留める余裕もなかった。スティーブンが星空を見つめたまま、そう気付いたようにぽつりぽつと語り出した。

「初めて爺さんの家から眺めた時、こんなにすごい景色があるんだなと感動したっけな……。二年前に何気なく見上げた時の夜空も、あの頃と全然変わっていないんだなと気付いて、こうやって同じように目に留めていたんだった」
「きっと、お前が産まれる少し前とも変わらんだろうさ」

 メイベルは、興味もなさそうな無表情で淡々と言う。

「世界にとって、地上の生き物や生活の変わりようなんて瞬きの間だ。生命の危機に陥るような現実的な問題や根拠もないのに、ないかもしれない他人の評価や未来を考えて一人で勝手にくよくよしているような悩みなんて、壮大な星空の前にはちっぽけに見えてくるだろ?」
「相変わらず偉そうに語るよなぁ……」

 そう口にしたスティーブンは、ふっと苦笑を浮かべると「確かに」と認めた。

「何かきっかけがあった訳でもないのに、以前の熱意と自信はどこに行ったんだというくらいに、これが正しいだとか間違いかもしれないとか、自分を疑うのも俺らしくないよな」
「若気のなんとやらというやつだな」
「おいコラ。お前さ、幼い姿でそういう事を口にするのは、やめた方がいいぞ。違和感がすさまじいんだって。それなら相応の背格好に変身しろ」
「魔法も使えない人間が、いっちょ前に変身魔法の文句か」

 メイベルはニヤリとすると、隣から自分に指を向けてきた彼を見た。

「なんだよ、その悪党みてぇな笑顔は?」
「いいや? 元気になったみたいだなと思ってな。これで『完全復活』と取ってもいいか?」

 そう言われたスティーブンは、「あ」と声を上げた。思い至った顔をすると、罰が悪そうに頭をガリガリとかく。

「ああ、おかげで吹っ切れた」

 そう渋々認めるようにして答えた。

「お前がたまに見せる、心底人を馬鹿にしたような笑顔は腹が立つが、なんかこの数ヶ月の自分の方が馬鹿らしく思えるしな。全く、らしくねぇ」
「一人で勝手にくよくよするからだろ。そう言う時は、素直になって爺さんにでも甘えればいい。それに、お前にはいい友達だっている」

 メイベルは、フッと笑みをこぼして立ち上がった。ブカブカのシャツと柔らかな髪先をふわりと揺らして、傾斜に座り込んでいるスティーブンを振り返った。


「――なら、もう今度は一人でも立てるよな、?」


 口角をくいっと引き上げてそう言い、彼に向って手を差し出した。
 初めてきちんと名を呼ばれたスティーブンが、その小さな白い手を目に留めた。すぐに視線を上げ、手ではなくメイベルの不敵な笑顔をじぃっと見つめる。

「…………なんだか、もう『こうして引き上げてくれない』みたいな言い方だな」

 どこかぼんやりとした様子で、彼がぽつりと呟いた。

 メイベルは、なんだか子供っぽく見えるなと不思議に思った。こうしていられるのも、エインワースがいる間だ。もし彼に次の人生の節目が訪れたとしても、迷い悩んでいるそばに祖父はいないだろう。そして、はずだ。
 
 孫は巣立つものなのだと、彼の祖父が言った言葉が頭に浮かんだ。沢山の人に囲まれているのを、精神的に若いスティーブンは気付かず忘れてしまいがちである事を、エインワースは少し心配していた。

 でも、あれだけ想ってくれているイイ友達だっているのだ。それに、わざわざ口で教えてやったのだから、もう

 そう思ったメイベルは、少しからかってやろうかと考えてニヤリとした。

 ぼんやりとしているのも彼らしくはないし、もう少し元気になってもらわないと、家で待たせているエインワースを安心させられないのも困る。なら、彼が反論してくるような言葉を吹っかけてみよう。

「ふうん? なんだ、危ないだとか色々と警戒しておきながら、そんな私にこうやって世話を焼かれて、また手を握られたいのか?」
「お前の手なら握りたい」

 そう言いながら、スティーブンにパシリと手を取られた。

 大きな手にぎゅっと握り締められる。引くでも押すでもない温もりを感じたメイベルは、その予想外の反応に「は……?」と呆気に取られた声を出した。

 すると、それを耳にした彼が、我に返ったようにハッとした。バッと手を振り払うと、素早く立ち上がって少し怒ったようにこちらを見下ろす。

「別に一人でも立てるッ!」
「へ? ああ、うん、それは分かるんだけど、お前なんかパニックになって若干涙目な気がするんだが……――一体どうした?」
「俺の方が訊きたいッ、直前の自分がよく分からん……!」

 勝手に切れた彼が、そう叫んで頭を抱えた。呻くようにこう続ける。

「俺は、お前を信用していない」
「信用しない方がいい。そのままでいてくれて構わない」

 通常時の冷静な無表情に戻り、メイベルは間髪入れず答えた。

 頭に浮かんでいたのは、阿呆みたいに呑気な顔で『妻にならないか』と手を差し出してきた、エインワースの姿だった。

「人間は警戒心を持っている方が、きっと、ちょうどいいんだろう。だから――」
「ッそういうところもムカツクんだよなぁ!」

 突然、スティーブンが頭を起こして大きな声を出した。ギロリとメイベルを睨みつけると、自分に怒っているのか相手を叱っているのか分からない勢いで、指を突きつけて怒鳴る。

「テメェも魔法使いみてぇな『ハッキリ言わない言葉遊び』の気があるよなッ。精霊の癖に人間みてぇに説教して、エンドウ豆がやたら好きで、めちゃくちゃ食い地も張っていて、利口なのに全然ちっとも空気が読めねぇし!」
「おい。私は空気を読んで行動する派だぞ」
「嘘ぶっこくんじゃねぇよ! 今、真面目な顔でそう主張する事自体タイミングを間違えてるからな!」
「まるで私が『空気が読めない系精霊』みたいに言うなよ。ひどい言い掛かりだ」
「ああもう煩ぇっ! つまりだなッ、俺だって『警戒心を持て』っていうのは分かってんだよ! くそっ」

 スティーブンが、勝手に怒って足元の草を蹴り上げる。

 メイベルは、よく分からなくて「はぁ、なるほど……?」と適当に言った。彼がズカズカと歩き出してしまったので、その方向がエインワースの家であると分かって、ひとまず一緒に帰るべく後をついていったのだった。
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