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1部 精霊少女と老人 編
4話 再婚して始まった、老人の精霊のある暮らし
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兎耳を持った珍客が帰ったあと、メイベルとエインワースは紅茶休憩を終わらせてから、どちらも作業用のシャツを着て菜園にいた。
二人の手には軍手がされている。汗だくな彼の隣で、ローブの前を開けている彼女も、少しだけ肌を湿らせていた。
「メイベルは慣れるのが早いなぁ。というより、やった事があるみたいだね」
「精霊界には『なんでもある』から。どの種族も、どの精霊も自分の住処を持てて、必要な分の家と土地と、望む物が全て実るようになってる」
「へぇ、それは凄い」
「精霊王と精霊女王は、全ての『子』を愛しているからな」
喋りながらも、互いに煉瓦で縁取られた隣同士の菜園の作業に当たっていた。エインワースは背を家に向けていて、メイベルの小さなローブ姿の後ろ姿が柵近くにある。彼女は、振り返らないまま手を動かし続けている。
「うーん、これはたまげたな。一体どうしたらいいのだろう」
しばらく沈黙が続いた後、小さなスコップで作業を進めていたエインワースが、ふと手を止めてそう呟いた。
初夏植え時の野菜の種をまくべく、菜園用花壇の一つの空いていた二メートル範囲の雑草を一通り抜いた。それからのんびりと掘り返していた彼の目は、ひっくり返した土の中から覗く、つるりとしたベージュ色の物体に釘付けだった。
「つついたら、ビクッとなるけど動く様子はない……。さては大きな豆かな?」
「豆がビクッと驚くかよ」
メイベルは、その声を聞いて即ツッコミを入れた。隣の菜園畑の、生え始めた雑草をプチプチと抜いていた手を渋々止めて、面倒そうに立ち上がる。
「なんだ、エインワース。今度は一体どうした」
「うわ~、すごく鬱陶しそうな目をしているねぇ」
「作業が淡々と進んだためしがないからな。おかげで、立ったり座ったり……ん? こいつは【土の恵みのモノ】だな」
歩み寄ったメイベルは、「それ、なんだい?」と尋ねるエインワースの隣にしゃがむと「つまり精霊」と答えた。
「彼らは土の中を移動する、地上の空気が肌に合わなくて好まない。めちゃくちゃ恥ずかしがり屋――以上。だから、穴を深く掘ってそこに放り込んでおけ」
「それ、また『人間界の魔法図鑑』からの抜粋かな?」
「素人向けの精霊図鑑の生態事項。お前には、それくらいで十分だろ」
エインワースは、立ち上がってローブの裾を払うメイベルから土へと目を戻した。じぃっと見下ろして、自分が手に持っているスコップを見て、それから彼女に再び問い掛けた。
「ちなみに、引っ張り出してみたらどうなるんだい?」
「その顔を見た人間は、心臓発作を起こす」
「よし。速やかに君の言う通り、実行に移そうかな」
これといって恐れた様子もなくそう言って、エインワースは隣に穴を掘り出した。手伝ってとも言われていないメイベルは、監督するようにそばに立って眺めている。
「ねぇ、ふと思ったのだけどメイベル? これがうっかり私の方に顔が向くなんて事は、ないだろうね?」
「ない。【土の恵みのモノ】も、顔を必死に下にしているだろ。これは習性みたいなものだけれど、彼らが与える効果は精霊にとっても同じく作用する。だから落ちる瞬間ですら、彼らは必死に顔を下に向け続ける」
「あらま。それは大変だねぇ」
一体どんな顔をしているんだろうなぁ、と言いながらエインワースは、そのつるりとしたベージュ色の『デカい豆』にスコップをあてた。目を閉じると、掘った深い穴に向けてそれを押し出すようにして落とした。
メイベルは、その様子を目に留めていた。一見すると十二歳くらいの幼い孫と、しっかりとしたガタイを持った祖父の老人が、庭作業にあっているような組み合わせだ。それを客観的に考え、妙な構図だと今更のように思う。
「――エインワース。もう、目を開けていい」
ふわりと初夏の風が吹いた後、メイベルはそっと声を掛けた。
まるで当然のように声を待っていた彼が「そうなのかい?」と緊張感もなく言って、老いで薄くなったブルーの目を開く。その様子に、彼女は少し呆れた。
「お前、とことん子供みたいだな」
「君の方が、孫みたいなのだけれどねぇ」
何故そんな事を言われてしまったのか、とエインワースが首を捻る。しかし、彼は思い出したように深く掘った穴に目を落とした。
穴の底には、つるりとした大きな豆が、突っ伏しているような後ろ姿があった。
「これ、土をかけるのになんだか罪悪感がわくなぁ」
「土を掛けてやらないと恥ずかしさで死んでしまうから、とっとと土をかぶせろ」
「どこかの小動物みたいだね」
「【土の恵みのモノ】に寂しさはない。人間やこっちの動物と同じように考えるな」
メイベルは、「もういい、貸せ」と言って、不思議がってばかりにいる彼の手からスコップを取った。しゃがんですぐ、むっつりとした表情でザクザクと雑に土を掛けていく。
「メイベルって、むっつりすると男の子みたいな喋り方になるね。癖なの?」
「とくに変えているつもりはない」
「え~、でも素直な時は女の子っぽい気が――いたっ」
横顔を覗きこまれたメイベルは、頭を「ふんっ」と振ってエインワースの顎下から打った。彼は少し痛かったそこを押さえ、「私の歳を考えて」と震える声をこぼす。
しばらく、穴に土をかけていく音だけがしていた。ややあってから、顎から手を離したエインワースが、彼女の手元を眺めつつこう言った。
「君が来てからというものね、『不思議な郵便配達屋さん』やら『煙オバケ』やら『謎の走るアボガド』やら、さっきは『子宝の精霊』も見たけれど、うーん、これまで精霊を見た事もなかったのになぁ」
「ここの土地は、基本的に精霊とは交流がなかったらしいな。どの家も『精霊の招きを許していない』中、この家だけがそうなった事で通り道になったんだろ」
またしても難しい言い回しだ、とエインワースは首を捻る。それから、表情そのままにピッと軍手の人差し指を立てた。
「つまり、君を家族としてここに迎え入れたから、精霊が当たり前のように現れるようになった、という事かな?」
「お前、見た目的に似合わない軽いノリの指の感じは、癖なのか……?」
メイベルは、エインワースの方に顔を向けた。大きなままの土の固まりが放り込まれ、穴の下から「ぐぇっ」と声が上がるが、気にせず手だけ動かし続けて答える。
「まぁ解釈はそれで正解だ。私を迎え入れたから『それなら精霊がオーケーな家なんだな』と、ざっくり認識されたわけだ。自業自得だな、御愁傷様」
「どうして『御愁傷様』になるんだい? 私は、とても面白いと思うけどねぇ」
そう答えた彼が、暇を潰すように指先で柔らかくなった土を掘り返して「あ。今、土の中に何か見えた」と瞳を輝かせる。その横顔を、メイベルは目に留めていた。
ルファの町にあるのは、精霊には縁のない家々。
それは、交流を持とうとするタイプの精霊がいない土地柄ゆえだ。彼らは人里よりも、森や緑の地が多くあるから事足りていて、わざわざ人の所有地に訪問する意思はない。
そして本来、【土の恵みのモノ】も【子宝を祝う精霊】も住処はここから離れている。こうして現れる方が、少し異常なのだと――魔法使いであれば気付く。
「エインワースは、本当に子供みたいだ」
思わず、ぽつりと呟いた。
その声を聞いた彼が、彼女へ目を戻した。少し考えるような表情を見せた後、エインワースは思い至った様子でパッと笑顔になってこう言った。
「ははは、私はすっかりお爺さんだよ」
「誰も『若造りですね』と褒めたわけじゃないんだが?」
「おや、よく分かったね」
「この数日間で、お前の性格はだいたい把握した」
メイベルはそう答えると、またしても「ぐはっ」と聞こえた場所に『いちいち煩いな今度はなんだ』という目を向けた。すると、勢いをつけすぎて手から離れたスコップが、そこに落ちてしまっていた。
「あ、なんだ。すまんな、うっかりしていた」
「…………ぐすっ」
半分以上埋まった穴の向こうから、小さなぐずりが聞こえてきた。
「この【精霊に呪われしモノ】すんごい雑……容赦がない…………、優しさが必要だよ女の子でしょ」
メイベルは、人間よりも鋭い精霊の聴覚で聞こえて、額にこっそりピキリと青筋を立てた。苛々した様子でスコップを拾い上げ、先程よりも早く土を掛け出していく。
その様子に気付いたエインワースが、「あっ、もしかして」と口にした。
「この数日間で、私に惚れてしまった……?」
「んなわけあるか」
「いたっ」
メイベルは、隣の彼に頭突きをして黙らせた。ようやく、菜園の土がほぼ平らになったところで、スコップを返しがてらエインワースに目を向けた。
「エインワース、いきなりどうしてそんな事を訊く?」
「うーん。家族として好きになってもらえるのなら、光栄なのだけれど」
そう口にした彼は、受け取ったスコップに目を向け、先の言葉を続けなかった。
彼の本当の妻は一人だけだ。今でも、亡くなったその女性を愛している。だから困るのだろう。そう推測したメイベルは、「ふんっ」を鳴らした。
「阿呆、私の方が長く生きているんだから、下手な悩みなんて抱えるな。それにな、恋が出来る精霊は限られてる」
「あ、そうなんだ……。もしかして、君はしない種族なの?」
「なんでそこで残念そうな顔をするんだよ……」
メイベルは、予想していた反応と違うエインワースを見つめた。こいつが何考えてるのか、ますます分からんな、と思う。
すると、こちらを覗き込んでいる彼が、首を傾げてからこう言った。
「私は晩婚だったけれど、恋して結婚して夫婦になるのは、良いものだよ?」
「言葉を交わしたその日に、見た目幼女なモノと婚姻届けを出しに行ったお前の説得力は、地に沈むよ」
間髪入れず言い返されたエインワースが、「ふむ?」と頭を少し揺らした。それから、また彼女を見下ろす。
「それで、メイベルは恋をしない精霊なのかい?」
「お前、私の言い分も全くダメージになっていないようだな。正直苛々する」
「なんというか、ここまで歳を重ねると大抵の事は『まぁいっか』となるというか、気にならないというか。そもそも君が、気難しい感じで何を言っているのか半ば理解も追い付かない時は、いつも『いーか』ってなるよ」
「お前の奥さん、大変だったろうなぁ……」
なんだ、ただのとんでもなく呑気な野郎じゃないか。
そう思いながら、メイベルは青い空を見上げた。どこかの魔法使いに動かされているのか、袋をくわえた一羽の鳥が、都市の方向に飛んでいく姿があった。
「私は」
そう口にして、すぐ言葉を切る。空を仰いだその大きな金色の瞳には、空に浮かぶ白い雲まで映っていた。
メイベルは、しばらくしてから口を開いた。声は出さないまま少し動かされた唇を見て、エインワースが「そうか」と静かに微笑んだ。少し待っていても、何も尋ね返してこなかった。
ああ、やっぱり。あなたは知っているんだね。
なんとなく気付いてはいたけれど、そうであるとしたのなら余計に謎だった。どうして連れて帰ったのか、ますます分からなくなる。
「――そもそも精霊と人間の結婚だなんて、ほとんどの場合、結末が知れてるよ」
どこかロマンチックな先程の問いを思い出して、メイベルはそう口にした。
「エインワース、彼らに人間のような思考と行動をあてはめない方がいい。まれに人間寄りの思考を持った精霊もいるけど、恋をして、ようやく気付いて両者が苦しむ――だから魔法使いが、魔力無しの人間に教える『精霊は怖いモノである』というのは、多くの場合は正しい」
「それも、実際に見てきた中での結論?」
「いや、実際に目にしてはいないよ。私はほとんど、あそこから動かなかった。全部『風の噂』や、精霊達お喋りだ」
後半を口にした際、彼女は空から菜園へと目を向け、知らず手をぎゅっと握りしめていた。
その横顔を見つめて、エインワースは「なるほど」と適当に相槌を打った。そっとしておくかのようにスコップを土にさくりと入れ、作業を再開する。
「メイベル。私はあまり利口な人間ではないから、『多くの場合』やら『多くの意見や常識からすると』というものは、よく分からないんだ。自分で見聞きした全てと瞬間的に感じた事が、私にとっては正しい真実で、選択で、未来だよ」
メイベルは、こちらに対して、どこか老年らしい事を口にしてきた彼を見やった。
「ふうん。エインワースが思い描いたその未来とやらに、私の姿もあるのかい?」
思わず、少しだけ意地悪な笑みを浮かべて問い掛けた。
すると、彼が「勿論さ」と言って小さく笑った。メイベルはやれやれと頭を振ると、「私の未来は、人のように変わる事はないよ」と言った。
二人の手には軍手がされている。汗だくな彼の隣で、ローブの前を開けている彼女も、少しだけ肌を湿らせていた。
「メイベルは慣れるのが早いなぁ。というより、やった事があるみたいだね」
「精霊界には『なんでもある』から。どの種族も、どの精霊も自分の住処を持てて、必要な分の家と土地と、望む物が全て実るようになってる」
「へぇ、それは凄い」
「精霊王と精霊女王は、全ての『子』を愛しているからな」
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「うーん、これはたまげたな。一体どうしたらいいのだろう」
しばらく沈黙が続いた後、小さなスコップで作業を進めていたエインワースが、ふと手を止めてそう呟いた。
初夏植え時の野菜の種をまくべく、菜園用花壇の一つの空いていた二メートル範囲の雑草を一通り抜いた。それからのんびりと掘り返していた彼の目は、ひっくり返した土の中から覗く、つるりとしたベージュ色の物体に釘付けだった。
「つついたら、ビクッとなるけど動く様子はない……。さては大きな豆かな?」
「豆がビクッと驚くかよ」
メイベルは、その声を聞いて即ツッコミを入れた。隣の菜園畑の、生え始めた雑草をプチプチと抜いていた手を渋々止めて、面倒そうに立ち上がる。
「なんだ、エインワース。今度は一体どうした」
「うわ~、すごく鬱陶しそうな目をしているねぇ」
「作業が淡々と進んだためしがないからな。おかげで、立ったり座ったり……ん? こいつは【土の恵みのモノ】だな」
歩み寄ったメイベルは、「それ、なんだい?」と尋ねるエインワースの隣にしゃがむと「つまり精霊」と答えた。
「彼らは土の中を移動する、地上の空気が肌に合わなくて好まない。めちゃくちゃ恥ずかしがり屋――以上。だから、穴を深く掘ってそこに放り込んでおけ」
「それ、また『人間界の魔法図鑑』からの抜粋かな?」
「素人向けの精霊図鑑の生態事項。お前には、それくらいで十分だろ」
エインワースは、立ち上がってローブの裾を払うメイベルから土へと目を戻した。じぃっと見下ろして、自分が手に持っているスコップを見て、それから彼女に再び問い掛けた。
「ちなみに、引っ張り出してみたらどうなるんだい?」
「その顔を見た人間は、心臓発作を起こす」
「よし。速やかに君の言う通り、実行に移そうかな」
これといって恐れた様子もなくそう言って、エインワースは隣に穴を掘り出した。手伝ってとも言われていないメイベルは、監督するようにそばに立って眺めている。
「ねぇ、ふと思ったのだけどメイベル? これがうっかり私の方に顔が向くなんて事は、ないだろうね?」
「ない。【土の恵みのモノ】も、顔を必死に下にしているだろ。これは習性みたいなものだけれど、彼らが与える効果は精霊にとっても同じく作用する。だから落ちる瞬間ですら、彼らは必死に顔を下に向け続ける」
「あらま。それは大変だねぇ」
一体どんな顔をしているんだろうなぁ、と言いながらエインワースは、そのつるりとしたベージュ色の『デカい豆』にスコップをあてた。目を閉じると、掘った深い穴に向けてそれを押し出すようにして落とした。
メイベルは、その様子を目に留めていた。一見すると十二歳くらいの幼い孫と、しっかりとしたガタイを持った祖父の老人が、庭作業にあっているような組み合わせだ。それを客観的に考え、妙な構図だと今更のように思う。
「――エインワース。もう、目を開けていい」
ふわりと初夏の風が吹いた後、メイベルはそっと声を掛けた。
まるで当然のように声を待っていた彼が「そうなのかい?」と緊張感もなく言って、老いで薄くなったブルーの目を開く。その様子に、彼女は少し呆れた。
「お前、とことん子供みたいだな」
「君の方が、孫みたいなのだけれどねぇ」
何故そんな事を言われてしまったのか、とエインワースが首を捻る。しかし、彼は思い出したように深く掘った穴に目を落とした。
穴の底には、つるりとした大きな豆が、突っ伏しているような後ろ姿があった。
「これ、土をかけるのになんだか罪悪感がわくなぁ」
「土を掛けてやらないと恥ずかしさで死んでしまうから、とっとと土をかぶせろ」
「どこかの小動物みたいだね」
「【土の恵みのモノ】に寂しさはない。人間やこっちの動物と同じように考えるな」
メイベルは、「もういい、貸せ」と言って、不思議がってばかりにいる彼の手からスコップを取った。しゃがんですぐ、むっつりとした表情でザクザクと雑に土を掛けていく。
「メイベルって、むっつりすると男の子みたいな喋り方になるね。癖なの?」
「とくに変えているつもりはない」
「え~、でも素直な時は女の子っぽい気が――いたっ」
横顔を覗きこまれたメイベルは、頭を「ふんっ」と振ってエインワースの顎下から打った。彼は少し痛かったそこを押さえ、「私の歳を考えて」と震える声をこぼす。
しばらく、穴に土をかけていく音だけがしていた。ややあってから、顎から手を離したエインワースが、彼女の手元を眺めつつこう言った。
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「ここの土地は、基本的に精霊とは交流がなかったらしいな。どの家も『精霊の招きを許していない』中、この家だけがそうなった事で通り道になったんだろ」
またしても難しい言い回しだ、とエインワースは首を捻る。それから、表情そのままにピッと軍手の人差し指を立てた。
「つまり、君を家族としてここに迎え入れたから、精霊が当たり前のように現れるようになった、という事かな?」
「お前、見た目的に似合わない軽いノリの指の感じは、癖なのか……?」
メイベルは、エインワースの方に顔を向けた。大きなままの土の固まりが放り込まれ、穴の下から「ぐぇっ」と声が上がるが、気にせず手だけ動かし続けて答える。
「まぁ解釈はそれで正解だ。私を迎え入れたから『それなら精霊がオーケーな家なんだな』と、ざっくり認識されたわけだ。自業自得だな、御愁傷様」
「どうして『御愁傷様』になるんだい? 私は、とても面白いと思うけどねぇ」
そう答えた彼が、暇を潰すように指先で柔らかくなった土を掘り返して「あ。今、土の中に何か見えた」と瞳を輝かせる。その横顔を、メイベルは目に留めていた。
ルファの町にあるのは、精霊には縁のない家々。
それは、交流を持とうとするタイプの精霊がいない土地柄ゆえだ。彼らは人里よりも、森や緑の地が多くあるから事足りていて、わざわざ人の所有地に訪問する意思はない。
そして本来、【土の恵みのモノ】も【子宝を祝う精霊】も住処はここから離れている。こうして現れる方が、少し異常なのだと――魔法使いであれば気付く。
「エインワースは、本当に子供みたいだ」
思わず、ぽつりと呟いた。
その声を聞いた彼が、彼女へ目を戻した。少し考えるような表情を見せた後、エインワースは思い至った様子でパッと笑顔になってこう言った。
「ははは、私はすっかりお爺さんだよ」
「誰も『若造りですね』と褒めたわけじゃないんだが?」
「おや、よく分かったね」
「この数日間で、お前の性格はだいたい把握した」
メイベルはそう答えると、またしても「ぐはっ」と聞こえた場所に『いちいち煩いな今度はなんだ』という目を向けた。すると、勢いをつけすぎて手から離れたスコップが、そこに落ちてしまっていた。
「あ、なんだ。すまんな、うっかりしていた」
「…………ぐすっ」
半分以上埋まった穴の向こうから、小さなぐずりが聞こえてきた。
「この【精霊に呪われしモノ】すんごい雑……容赦がない…………、優しさが必要だよ女の子でしょ」
メイベルは、人間よりも鋭い精霊の聴覚で聞こえて、額にこっそりピキリと青筋を立てた。苛々した様子でスコップを拾い上げ、先程よりも早く土を掛け出していく。
その様子に気付いたエインワースが、「あっ、もしかして」と口にした。
「この数日間で、私に惚れてしまった……?」
「んなわけあるか」
「いたっ」
メイベルは、隣の彼に頭突きをして黙らせた。ようやく、菜園の土がほぼ平らになったところで、スコップを返しがてらエインワースに目を向けた。
「エインワース、いきなりどうしてそんな事を訊く?」
「うーん。家族として好きになってもらえるのなら、光栄なのだけれど」
そう口にした彼は、受け取ったスコップに目を向け、先の言葉を続けなかった。
彼の本当の妻は一人だけだ。今でも、亡くなったその女性を愛している。だから困るのだろう。そう推測したメイベルは、「ふんっ」を鳴らした。
「阿呆、私の方が長く生きているんだから、下手な悩みなんて抱えるな。それにな、恋が出来る精霊は限られてる」
「あ、そうなんだ……。もしかして、君はしない種族なの?」
「なんでそこで残念そうな顔をするんだよ……」
メイベルは、予想していた反応と違うエインワースを見つめた。こいつが何考えてるのか、ますます分からんな、と思う。
すると、こちらを覗き込んでいる彼が、首を傾げてからこう言った。
「私は晩婚だったけれど、恋して結婚して夫婦になるのは、良いものだよ?」
「言葉を交わしたその日に、見た目幼女なモノと婚姻届けを出しに行ったお前の説得力は、地に沈むよ」
間髪入れず言い返されたエインワースが、「ふむ?」と頭を少し揺らした。それから、また彼女を見下ろす。
「それで、メイベルは恋をしない精霊なのかい?」
「お前、私の言い分も全くダメージになっていないようだな。正直苛々する」
「なんというか、ここまで歳を重ねると大抵の事は『まぁいっか』となるというか、気にならないというか。そもそも君が、気難しい感じで何を言っているのか半ば理解も追い付かない時は、いつも『いーか』ってなるよ」
「お前の奥さん、大変だったろうなぁ……」
なんだ、ただのとんでもなく呑気な野郎じゃないか。
そう思いながら、メイベルは青い空を見上げた。どこかの魔法使いに動かされているのか、袋をくわえた一羽の鳥が、都市の方向に飛んでいく姿があった。
「私は」
そう口にして、すぐ言葉を切る。空を仰いだその大きな金色の瞳には、空に浮かぶ白い雲まで映っていた。
メイベルは、しばらくしてから口を開いた。声は出さないまま少し動かされた唇を見て、エインワースが「そうか」と静かに微笑んだ。少し待っていても、何も尋ね返してこなかった。
ああ、やっぱり。あなたは知っているんだね。
なんとなく気付いてはいたけれど、そうであるとしたのなら余計に謎だった。どうして連れて帰ったのか、ますます分からなくなる。
「――そもそも精霊と人間の結婚だなんて、ほとんどの場合、結末が知れてるよ」
どこかロマンチックな先程の問いを思い出して、メイベルはそう口にした。
「エインワース、彼らに人間のような思考と行動をあてはめない方がいい。まれに人間寄りの思考を持った精霊もいるけど、恋をして、ようやく気付いて両者が苦しむ――だから魔法使いが、魔力無しの人間に教える『精霊は怖いモノである』というのは、多くの場合は正しい」
「それも、実際に見てきた中での結論?」
「いや、実際に目にしてはいないよ。私はほとんど、あそこから動かなかった。全部『風の噂』や、精霊達お喋りだ」
後半を口にした際、彼女は空から菜園へと目を向け、知らず手をぎゅっと握りしめていた。
その横顔を見つめて、エインワースは「なるほど」と適当に相槌を打った。そっとしておくかのようにスコップを土にさくりと入れ、作業を再開する。
「メイベル。私はあまり利口な人間ではないから、『多くの場合』やら『多くの意見や常識からすると』というものは、よく分からないんだ。自分で見聞きした全てと瞬間的に感じた事が、私にとっては正しい真実で、選択で、未来だよ」
メイベルは、こちらに対して、どこか老年らしい事を口にしてきた彼を見やった。
「ふうん。エインワースが思い描いたその未来とやらに、私の姿もあるのかい?」
思わず、少しだけ意地悪な笑みを浮かべて問い掛けた。
すると、彼が「勿論さ」と言って小さく笑った。メイベルはやれやれと頭を振ると、「私の未来は、人のように変わる事はないよ」と言った。
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最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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