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1部 精霊少女と老人 編
3話 兎みたいな精霊の訪問
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ドアの扉が叩かれたのは、午後三時の紅茶休憩だった。
昨日に引き続き、本日も外の買い出しに行って『妻として認識されている』『一人でもこの町を出歩ける』という確認の目処が立った。だから早速、今後の動きについて話している最中――での訪問だった。
「結婚した人がいるよ、って聞いたから来てみれば……」
そう言って、兎耳をはやした少年の頭が、目の前でガックリと項垂れる。
「なぁんだ、【精霊に呪われしモノ】じゃん…………。はぁ。ご高齢で再婚しためでたい人間を祝福にきたのに、玄関を開けて全て理解した。連れ帰った噂のご老人って彼なの。はぁ、悲しい」
玄関前に立っていたのは、十六、七歳といった外見の細身の少年だった。その頭には長い兎の耳があり、瞳は美しい金緑をした【精霊の目】をしている。
メイベルはこの直前、初の訪問の知らせを聞いて「仕方ないが、今は私が『妻』だしな」と半切れで席を立っていた。客を迎えるという一回のそれを見届けるため、にこにことついてきたエインワースの前で、とうとう額に青筋を立てた。
「おい。私が美味しいアップルパイを食っていた中で、わざわざ手を止めて出てきてやったというのに、露骨にガッカリしないでくれるか」
「ガッカリもするよ。だって君ら夫婦じゃないじゃん」
というかさ、なんでそう食い地がはっているんだよ【精霊に呪われしモノ】……と彼が残念そうな目を向ける。
「普通さ、人間の食べ物とか意味な――」
「精霊界より、人間界の方が食べ物の種類が圧倒的に多い」
「そっち? なんだかまた珍しいタイプの【精霊に呪われしモノ】だなぁ……」
「兎耳の【お告げ精霊】も珍しいだろう、しかも失礼だし」
言い返された彼は「まぁね」と答えて、項垂れていた肩を戻した。頭についた細長い兎耳を、ひょっこりと右へ傾げて尋ね返す。
「ところでさ、こんなところで何してんの? 住処から離れているって事は、契約にのっとった何かしらの『頼まれ事』中?」
メイベルは、「まぁそんなところ」とだけ答えた。
その時、一通り会話が済んだらしいと察したエインワースが、自分の前にいる小さな彼女の肩を、つんつんと指先で叩いた。
「獣人かい?」
「違う。コレは【お告げ精霊】の一種で、【子宝を祝う精霊】だ」
「へぇ。子宝はコウノトリの方がイメージも強いのだけれど、効果あるの?」
彼は、不思議そうに首を捻って尋ねた。兎耳の少年が「勿論あるよ!」と口を挟み、わざわざ挙手までして主張する様子へ目を向ける。
「そういえば君とメイベル、随分親しげだね。もしかして、同じ精霊同士、前からの知り合いだったりするのかい?」
「いいや、初見だけど?」
少年の姿をしたその【子宝を祝う精霊】は、「そもそもさ」と愛嬌たっぷりに言って続ける。
「【精霊に呪われしモノ】を嫌っているのは、人間と神様だけだよ」
彼は、そうにこやかに答えた。
エインワースが、よく分からないように目をパチクリとする。そのそばで、メイベルは小さく息を吐いた。けれど、またしても何も言わず黙っていた。
すると、精霊の彼はにっこりと笑う。
「お爺さんってさ、これまで精霊と縁がなかった癖に、僕を見てもあまり驚かないんだね。それに、とてもキレイな空気をまとっている」
「縁がなかったって、分かるのかい?」
「分かるよ。僕らは目だけでなく、鼻もいいからね」
精霊は得意げに教えて、愛想たっぷりにウインクまでした。まるで人懐っこい動物みたいだった。
「ここに【精霊に呪われしモノ】もいる事だし、僕はお爺さんも気に入ったから、ちょくちょく様子を見に来てあげるよ。僕の事は『グリー』とでも呼んでくれ。本当の名前は、人間には教えられない種族だからね」
「そうなのかい。分かったよ、よろしくねグリー君。私はエインワースだよ」
つられたようにエインワースが愛想よく答えて、差し出された華奢な手を握り返した。
メイベルは、ここは黙っていられんという顔で「おい」と低い声を出した。
「私は反対だ。ちょくちょく見にくるな、仲良くするな。今すぐ帰れ兎野郎」
「ひっどい。それって女の子が口にする事じゃないよ。君、とても貴重な【精霊に呪われしモノ】なのに…………。あ、ところで名前は?」
「この流れで教えると思うか?」
メイベルは腕を組むと、意地悪な笑みを浮かべて見せた。
すると、そのそばから、エインワースが顔を覗かせて口を開いた。
「彼女は『メイベル』だよ、グリー君」
「畜生エインワース、人の名前をポコポコ名乗るんじゃない」
役所でもそうだったが、一緒に買い物に回った三日間も、道端で近所の人達と擦れ違うたび「私の妻の『メイベル』だよ」と紹介していた。メイベルは、それも気に入らなかった。
グリーは、ギロリと睨み付けつつも手を出さない彼女と、にこにこしている老人の様子をどこか感心したように見つめていた。青年未満といった容姿をした少年にしては、可愛らしい感じで小首を傾げて見せる。
「なんやかんやで上手くやれているのもビックリだなぁ。それに男の子っぽく化けてはいるけど、そもそも【精霊に呪われしモノ】の女の子も珍しい」
「そうなのかい? 珍しいの?」
私には髪が短い女の子にしか見えないけれど、と言いながら、エインワースがメイベルを見下ろす。彼女は若干苛々した様子で、「小さいみたいに見て来るな」と唇を尖らせた。
グリーは「珍しいよ、だいぶね」と答えつつも、よくは分からないように首を捻る。
「『エインワースのお爺さん』は知らないと思うけど、精霊界には女の子にしか見えないオスも沢山いるからね。三百年前にいた【精霊に呪われしモノ】も、男の子だって聞いてる」
「数は極端に少ないとは聞いたけれど、まるで当時はその一人しかいなかった、みたいな言い方だねぇ」
「当時は、その一人だけだよ? そして、今は彼女だけだろうね。僕は他に【精霊に呪われしモノ】がいるというのは、『風の噂』で聞いていない」
笑顔のまま、グリーが彼を見つめ返す。
その金緑の精霊の瞳は、愛嬌がありながら奥が読めないくらいに深い。人外に見据えられたエインワースは、――けれど気圧される事もなく微笑んでいた。
「なんだ、ある程度は知ってるのか」
わざとピリピリとした精霊らしい空気を放っていたグリーが、威圧を解いてつまらなそうに言う。
「それでいてそばにおいているなんて、やっぱり『エインワース』は変わってる」
「ふふっ、君達『精霊』も変わっていると思うよ」
「そりゃ人間とは、思考も常識も違うからね」
先程の一瞬、本当に圧力をかけた事を詫びもせず、彼がニパッと人懐っこい笑みを浮かべて「エインワースのお爺さん」と呼んだ。
「まぁ、というわけで、向こうの地から離れて【精霊に呪われしモノ】が一時的にここへ移動しているのなら、せっかくだから僕が様子を見に来てやろうと思って」
「グリー君が『珍しい』というのが、その理由だったりするのかな?」
「人間に分かりやすく言えば、もう縁が出来て友達になったからさ」
グリーは、またしても意図が読めない笑顔を浮かべた。
精霊特有の気質だ。メイベルは、うんざりしたような溜息をもらすと、明るいクッキリとした緑色の前髪をかき上げながら「やめろ」と口を挟んだ。
「エインワースは無知だ、魔法使いのように言葉遊びにも付き合えない」
「だからだよ、『メイベル』。無知であるのなら尚更、僕らは完全なる沈黙とやらは好まない。もしその相手が、君と縁が出来た人間でなかったとしたら少し違っていたけど」
上から確認するように覗き込まれたメイベルは、チッと舌打ちした。自分より頭一個分以上も背の高い彼を、手で押しのける。
「勝手にしろ」
「うん、勝手にする」
回答を受けたグリーは、そう返してにっこり笑うと、ずっと不思議そうにしているエインワースへ目を戻した。
「さっきも言ったけど、わざわざ【精霊に呪われしモノ】なんて名まで付けて嫌っているのは、人間とこの世界の神様だけなんだよ。僕らは祝福されし精霊であれば尚更、『親愛なる弟』『親愛なる妹』として見守る義務がある」
それを聞いたエインワースは、少し考えた。やっぱり分からないなぁというように首を傾げただけで、尋ねる疑問はないというようにのんびりとしている。
一瞬だけ警戒したメイベルは、途端に小さな溜息を吐いて「だから言っただろ」と呟いた。グリーが「この人間、なんか珍しいくらい呑気すぎる感じが面白い」と言って、笑いを堪えてぷるぷるとした。
昨日に引き続き、本日も外の買い出しに行って『妻として認識されている』『一人でもこの町を出歩ける』という確認の目処が立った。だから早速、今後の動きについて話している最中――での訪問だった。
「結婚した人がいるよ、って聞いたから来てみれば……」
そう言って、兎耳をはやした少年の頭が、目の前でガックリと項垂れる。
「なぁんだ、【精霊に呪われしモノ】じゃん…………。はぁ。ご高齢で再婚しためでたい人間を祝福にきたのに、玄関を開けて全て理解した。連れ帰った噂のご老人って彼なの。はぁ、悲しい」
玄関前に立っていたのは、十六、七歳といった外見の細身の少年だった。その頭には長い兎の耳があり、瞳は美しい金緑をした【精霊の目】をしている。
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「おい。私が美味しいアップルパイを食っていた中で、わざわざ手を止めて出てきてやったというのに、露骨にガッカリしないでくれるか」
「ガッカリもするよ。だって君ら夫婦じゃないじゃん」
というかさ、なんでそう食い地がはっているんだよ【精霊に呪われしモノ】……と彼が残念そうな目を向ける。
「普通さ、人間の食べ物とか意味な――」
「精霊界より、人間界の方が食べ物の種類が圧倒的に多い」
「そっち? なんだかまた珍しいタイプの【精霊に呪われしモノ】だなぁ……」
「兎耳の【お告げ精霊】も珍しいだろう、しかも失礼だし」
言い返された彼は「まぁね」と答えて、項垂れていた肩を戻した。頭についた細長い兎耳を、ひょっこりと右へ傾げて尋ね返す。
「ところでさ、こんなところで何してんの? 住処から離れているって事は、契約にのっとった何かしらの『頼まれ事』中?」
メイベルは、「まぁそんなところ」とだけ答えた。
その時、一通り会話が済んだらしいと察したエインワースが、自分の前にいる小さな彼女の肩を、つんつんと指先で叩いた。
「獣人かい?」
「違う。コレは【お告げ精霊】の一種で、【子宝を祝う精霊】だ」
「へぇ。子宝はコウノトリの方がイメージも強いのだけれど、効果あるの?」
彼は、不思議そうに首を捻って尋ねた。兎耳の少年が「勿論あるよ!」と口を挟み、わざわざ挙手までして主張する様子へ目を向ける。
「そういえば君とメイベル、随分親しげだね。もしかして、同じ精霊同士、前からの知り合いだったりするのかい?」
「いいや、初見だけど?」
少年の姿をしたその【子宝を祝う精霊】は、「そもそもさ」と愛嬌たっぷりに言って続ける。
「【精霊に呪われしモノ】を嫌っているのは、人間と神様だけだよ」
彼は、そうにこやかに答えた。
エインワースが、よく分からないように目をパチクリとする。そのそばで、メイベルは小さく息を吐いた。けれど、またしても何も言わず黙っていた。
すると、精霊の彼はにっこりと笑う。
「お爺さんってさ、これまで精霊と縁がなかった癖に、僕を見てもあまり驚かないんだね。それに、とてもキレイな空気をまとっている」
「縁がなかったって、分かるのかい?」
「分かるよ。僕らは目だけでなく、鼻もいいからね」
精霊は得意げに教えて、愛想たっぷりにウインクまでした。まるで人懐っこい動物みたいだった。
「ここに【精霊に呪われしモノ】もいる事だし、僕はお爺さんも気に入ったから、ちょくちょく様子を見に来てあげるよ。僕の事は『グリー』とでも呼んでくれ。本当の名前は、人間には教えられない種族だからね」
「そうなのかい。分かったよ、よろしくねグリー君。私はエインワースだよ」
つられたようにエインワースが愛想よく答えて、差し出された華奢な手を握り返した。
メイベルは、ここは黙っていられんという顔で「おい」と低い声を出した。
「私は反対だ。ちょくちょく見にくるな、仲良くするな。今すぐ帰れ兎野郎」
「ひっどい。それって女の子が口にする事じゃないよ。君、とても貴重な【精霊に呪われしモノ】なのに…………。あ、ところで名前は?」
「この流れで教えると思うか?」
メイベルは腕を組むと、意地悪な笑みを浮かべて見せた。
すると、そのそばから、エインワースが顔を覗かせて口を開いた。
「彼女は『メイベル』だよ、グリー君」
「畜生エインワース、人の名前をポコポコ名乗るんじゃない」
役所でもそうだったが、一緒に買い物に回った三日間も、道端で近所の人達と擦れ違うたび「私の妻の『メイベル』だよ」と紹介していた。メイベルは、それも気に入らなかった。
グリーは、ギロリと睨み付けつつも手を出さない彼女と、にこにこしている老人の様子をどこか感心したように見つめていた。青年未満といった容姿をした少年にしては、可愛らしい感じで小首を傾げて見せる。
「なんやかんやで上手くやれているのもビックリだなぁ。それに男の子っぽく化けてはいるけど、そもそも【精霊に呪われしモノ】の女の子も珍しい」
「そうなのかい? 珍しいの?」
私には髪が短い女の子にしか見えないけれど、と言いながら、エインワースがメイベルを見下ろす。彼女は若干苛々した様子で、「小さいみたいに見て来るな」と唇を尖らせた。
グリーは「珍しいよ、だいぶね」と答えつつも、よくは分からないように首を捻る。
「『エインワースのお爺さん』は知らないと思うけど、精霊界には女の子にしか見えないオスも沢山いるからね。三百年前にいた【精霊に呪われしモノ】も、男の子だって聞いてる」
「数は極端に少ないとは聞いたけれど、まるで当時はその一人しかいなかった、みたいな言い方だねぇ」
「当時は、その一人だけだよ? そして、今は彼女だけだろうね。僕は他に【精霊に呪われしモノ】がいるというのは、『風の噂』で聞いていない」
笑顔のまま、グリーが彼を見つめ返す。
その金緑の精霊の瞳は、愛嬌がありながら奥が読めないくらいに深い。人外に見据えられたエインワースは、――けれど気圧される事もなく微笑んでいた。
「なんだ、ある程度は知ってるのか」
わざとピリピリとした精霊らしい空気を放っていたグリーが、威圧を解いてつまらなそうに言う。
「それでいてそばにおいているなんて、やっぱり『エインワース』は変わってる」
「ふふっ、君達『精霊』も変わっていると思うよ」
「そりゃ人間とは、思考も常識も違うからね」
先程の一瞬、本当に圧力をかけた事を詫びもせず、彼がニパッと人懐っこい笑みを浮かべて「エインワースのお爺さん」と呼んだ。
「まぁ、というわけで、向こうの地から離れて【精霊に呪われしモノ】が一時的にここへ移動しているのなら、せっかくだから僕が様子を見に来てやろうと思って」
「グリー君が『珍しい』というのが、その理由だったりするのかな?」
「人間に分かりやすく言えば、もう縁が出来て友達になったからさ」
グリーは、またしても意図が読めない笑顔を浮かべた。
精霊特有の気質だ。メイベルは、うんざりしたような溜息をもらすと、明るいクッキリとした緑色の前髪をかき上げながら「やめろ」と口を挟んだ。
「エインワースは無知だ、魔法使いのように言葉遊びにも付き合えない」
「だからだよ、『メイベル』。無知であるのなら尚更、僕らは完全なる沈黙とやらは好まない。もしその相手が、君と縁が出来た人間でなかったとしたら少し違っていたけど」
上から確認するように覗き込まれたメイベルは、チッと舌打ちした。自分より頭一個分以上も背の高い彼を、手で押しのける。
「勝手にしろ」
「うん、勝手にする」
回答を受けたグリーは、そう返してにっこり笑うと、ずっと不思議そうにしているエインワースへ目を戻した。
「さっきも言ったけど、わざわざ【精霊に呪われしモノ】なんて名まで付けて嫌っているのは、人間とこの世界の神様だけなんだよ。僕らは祝福されし精霊であれば尚更、『親愛なる弟』『親愛なる妹』として見守る義務がある」
それを聞いたエインワースは、少し考えた。やっぱり分からないなぁというように首を傾げただけで、尋ねる疑問はないというようにのんびりとしている。
一瞬だけ警戒したメイベルは、途端に小さな溜息を吐いて「だから言っただろ」と呟いた。グリーが「この人間、なんか珍しいくらい呑気すぎる感じが面白い」と言って、笑いを堪えてぷるぷるとした。
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