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1部 精霊少女と老人 編
2話 結婚した二人
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妻にならないかと言われて連れて来られたのは、大都会ルーベリアから列車で数時間の距離にある、長閑な地方都市サーシスだった。老人の家は、そこを奥に行った緑豊かな土地ルファの町にあった。
ルファは、ぽつりぽつりと家々が立ち並ぶ田舎町だ。両隣を緑に囲まれた彼の家は、小さな煙突が一つある屋根の低い煉瓦造りだった。
門扉から玄関先まで、色々な植物が植えられた良い庭があった。二人暮らしにしてはやや大きい造りは、子が産まれた時に増築し直したからだと説明された。妻がなくなってから、ずっと一人で暮らしているという。
連れて帰られたその日に、婚姻届を書いて役場に提出した。老人の名前は、エインワース。そして彼女は、そこに『メイベル』と記した。
「そういえば、これって君の精霊名なのかい? それとも、精霊魔女としての活動名?」
「ただの私の名前だよ、エインワース」
契約して手を貸してやった人間には、メイベルと呼ばせていた、とだけ彼女は答えた。魔法にも精霊世界にも詳しくないエインワースは、「そうなのかい」と笑顔で相槌を打っただけだった。
結婚して三日ほどで、だいたいの暮らしのリズムには慣れた。
初夏である今、エインワースは朝の五時には起床する。いつも朝食は少なめで、昼食は主食を多めに軽くパンと食べる。そして夕食は、スープまで作ってたっぷりのご飯を食べ、夜の九時には消灯して就寝した。
庭先にある家庭菜園で半ば自給自足をしているから、食材は足りない分とパンを買う。
ルファの町には、野菜や魚や肉といった専門店が数軒あった。小さいながら商店街があり、商業組合が建て各商人が出張店を構える大型スーパーも存在し、緑多い田舎地方ながら買い物には困らない。地方列車の駅もある。
ルファの町の住人となって四日目、午前十一時。
メイベルは、片手に食材やパンが入った茶袋を抱えて、徒歩三十分もかからない買い物から帰宅した。玄関から入ってすぐそこの食卓には、老眼鏡を掛けて、エンドウ豆の皮むき作業に当たっているエインワースがいた。
「メイベル、おかえり」
彼は気付くなり顔を上げて、そうにこやかに声を掛けた。手元の作業を続けながら老眼鏡を少しずらして、真新しい厚地ローブに身を包んでいる彼女を見つめ返す。
「今日は、初めての一人買い物だったね。どうだった?」
「どうだった、と感想を聞かれてもな」
メイベルは言いながら、金色の目をチラリと宙に向ける。それから、興味もなさそうに作業台化している食卓に茶袋を降ろし、その中身をがさごそと探りつつ答えた。
「あまり事情を知らない一部の人間は、『こんなに歳の離れた子を嫁に迎えるなんて』『エインワースはどうしちまったんだ、とうとうボケちまったのか?』と、ひそひそ話をしているのが聞こえて、そりゃそうだろうなと思った」
「ああ、そういえば先日、君の事を知らなかった役所の人にも『未青年の子供とは夫婦になれませんよ!?』と驚かれたねぇ。あやうく犯罪者扱いになるところだった」
ふふっと吐息をこぼしたエインワースが、自分の口をむぎゅっと手で押さえた。
頬が大きく膨らんでいて、視線をそらしてぷるぷるとしている。その様子を前に、メイベルは食材を淡々と食卓に出していきながら「おい」と言った。
「心底おかしそうに笑うな。自分の事だっていうのに」
「いやはや、若い彼女は私達を見て、夫婦生活まで想像しちゃったのかなと思ってさ」
「嫌な爺さんだな。少しは恥じらいを残しておくべきだぜ、エインワース」
「事実がそうであれば、私も面白おかしくは感じなかったと思うのだよ」
彼が言い訳のようにしれっと言って、背を起こした。悠々と元の作業に戻ろうとしたところで、ピタリと止まる。
「あっ。しまった、自分の口許からエンドウ豆の香りがする」
「自業自得だ」
「メイベルは手厳しいねぇ。これ、君が昨日希望したら、夕食分として仕込んでいる豆なのに……」
「…………」
メイベルは仏頂面のまま、すぐそこの流し台で布巾を濡らして彼に手渡した。エインワースが拭いながら、買ってきた食材を目で確認していくそばで、再び茶袋の中に手を突っ込む。
「だから私は、頭を隠さない事にしたんだけどな。他の種族も稀な色のモノがいるが、緑色の髪だって精霊しかいないからな」
おかげで、役所での誤解はすぐに解けた。しかし、今度は別の問題が持ち上がった。地方によって結婚の法律は若干違っているのだが、この地では異種族との婚姻は例がなかったらしい。
あの時、エインワースは笑顔で「私に任せてくれ」と告げて、新しく来た担当者と一旦奥の部屋に入っていった。メイベルは待っていたから、その経緯は知らないでいる。
ただ、戻ってきた彼は「受理されたよ」と言って、婚姻届の控えを振って見せてきた。興味がなかったから、書面の文までは確認してはいない。
「一番の噂話は、あんたが【精霊に呪われしモノ】を連れ帰った事だったよ。スーパーでも商店街でも、『悪い精霊魔女』にどうにかされている、という話で持ちきりだった」
「ははは、そりゃあ面白いねぇ。君はだいそれた魔法なんて、これっぽっちも使えないのに」
人と同じ姿をして、それでいて人の魔法を使えて、日中でも好きな場所を自由に出歩いているモノを人間は『魔法使い』にも分類する。
メイベルはそう思い返しながら、何も言わなかった。おかしそうに口にしたエインワースが、その話題よりも食材に気を引かれたようだと察して、空になった茶袋を小さくしてゴミ箱に入れる。
「おっ、いいカボチャを買ってきたね」
そう言って手に取った彼が、ずっしりと重いそれをポンポンと叩く。
「メイベルは、野菜の目利きも出来るのが意外だったなぁ。あと、味にも結構煩い」
ここ四日分の考察を口にする声を聞きながら、メイベルは彼の向かいにある椅子に腰を降ろした。その際にローブから白いシャツと茶色いジャケットとズボン、といった少年服が覗いた。
エインワースが、ちょっと不思議そうに首を傾げる。
「それにしても、自分で衣装まで出せてしまうなんて、魔法とは便利なものだねぇ。ローブ、外さないのかい?」
「私には、日中の初夏の風はまだ寒い」
「ああ、夜の風がちょうどいいんだっけ? やっぱり不思議だなぁ、精霊に【昼種族】と【夜種族】があるなんて知らなかったよ」
「昼は精霊王、夜は精霊女王が治めている。力が強いモノ、または抵抗力がないモノは、その時間帯は活動せずじっと眠っているのも多い」
「君は適応力があるんだね、料理の好き嫌いもないし」
言われたメイベルは、答えなかった。子供みたいな目をしたエインワースが、明るい表情を浮かべているのを見つめていた。
彼がこれまで精霊に関わった事がなく、魔法の知識もほとんどないというのは出会った初日のやりとりだけで分かっていた。
この男は、用事があって足を運んだ大都会ルーベリアで【精霊に呪われしモノ】を目にした。一体なんだろう、と話を訊いた人間が、偶然にも『精霊を深く正確に知っている魔法使い』だった。
そこでどんなやりとりがあったのかまで、メイベルは訊いていない。ただ、危険であると教えられたはずの彼が、迷いなくこちらに手を差し出したのは確かだ。
「――あんたは無知で、子供みたいな人だ」
メイベルは頬杖をつくと、そう口にした。耳が隠れる程度しかない緑の髪が、幼い輪郭を残した白い頬に、サラリと音を立てて柔らかに触れる。
「ほんと、馬鹿な男だねぇ」
ほんのちょっぴり金の目がくしゃりと細められて、その唇が己を嗤うかのような皮肉を描く。
唐突な感想をされたエインワースが、薄いブルーの目をきょとんとさせた。それからのんびりとした様子で「そうなのかもしれないね」と微笑んでカボチャを置くと、その話を終わらせるみたいに、老眼鏡を外してから席を立った。
「さて、そこで君に質問だ。これが何か分かるかな?」
彼は茶化すようにそう切り出すと、冷蔵庫から型に敷かれた生の生地と、その残りが入ったビニール袋を取り出してカボチャの横に並べ置いた。ヒントと言わんばかりに大きなオーブンを指すと、こう続ける。
「午後の紅茶休憩用に焼こうと思っているんだ」
「知ってるよ。パンプキンパイだろ」
「正解」
「馬鹿にするもんじゃないよ、エインワース。私はそれくらいの事は知っているんだ」
普段は無表情のメイベルが、そこでニヤリと笑い返す。
エインワースは「そっか」と言って、ちょっと肩を竦めてカボチャを手に取った。それを流し台へと持って行くと、皮をむきに取り掛かる下準備に入る。それを見た彼女は「おい」と呼んだ。
「このエンドウ豆、どうするんだ」
「君の方が上手だし、残りはやっておいて」
「七割も残っているところを見ると、エインワースはこの作業が苦手らしいね」
買い物に出る前に着手していたのは覚えているから、間違いないだろう。
メイベルはそう推測しながら、それらを引き寄せる。肩越しに見やった彼が、困ったように眉を下げていた。
「四日目にして、そこまで分析されてしまった……。ねぇメイベル、君、少し利口過ぎないかい?」
「子育てが終わるまで、奥さんに家事を任せっきりだったのが悪いよ」
「うーん。まるで頭は大人な人間の子供に注意されているようで、私としては複雑だなぁ――いたっ」
「すまん、エインワース。手が滑ったようだ」
メイベルは目を向けないまま、上げた手をエンドウ豆へと戻した。
頭にソフトな感触で当たったその皮部分を、エインワースは拾い上げた。ふと、唐突に思い出し笑いのように「ふふっ」とこぼす。
「メイベルは、始めからずっと呼び捨てだよね。なんだか変な感じだ」
「嫌なの?」
「いいや、妻と夫らしくていい」
「ふうん? 形ばかりなのに、それこそ変だ」
彼女は顔を上げると、そもそも、と言うように彼を見つめ返した。
「だってエインワースよりも、私の方が生きてる」
年上が、年下を呼び捨てにしても問題はないだろう。
その回答を受けた彼は、「そうか」となんでもないように言ってカボチャへと向いた。メイベルは、慣れたようにエンドウ豆の作業を再開しながら、その大きな背中に問い掛ける。
「そもそもさ、どうして妻にしたの。亡くなった奥さんを、エインワースは今でも愛しているだろ。その『やりたい事』なら、養子だって構わなかったと思うのだけれど」
するとエインワースが振り返り、手の人差し指をぴんっと立てた。
「養子よりも、妻の方が家族っぽい」
ズバリと彼が言い切った。
メイベルは興味がなくなったような顔で、途端にひらひらと片手を振ると「あっそ」と言った。
ルファは、ぽつりぽつりと家々が立ち並ぶ田舎町だ。両隣を緑に囲まれた彼の家は、小さな煙突が一つある屋根の低い煉瓦造りだった。
門扉から玄関先まで、色々な植物が植えられた良い庭があった。二人暮らしにしてはやや大きい造りは、子が産まれた時に増築し直したからだと説明された。妻がなくなってから、ずっと一人で暮らしているという。
連れて帰られたその日に、婚姻届を書いて役場に提出した。老人の名前は、エインワース。そして彼女は、そこに『メイベル』と記した。
「そういえば、これって君の精霊名なのかい? それとも、精霊魔女としての活動名?」
「ただの私の名前だよ、エインワース」
契約して手を貸してやった人間には、メイベルと呼ばせていた、とだけ彼女は答えた。魔法にも精霊世界にも詳しくないエインワースは、「そうなのかい」と笑顔で相槌を打っただけだった。
結婚して三日ほどで、だいたいの暮らしのリズムには慣れた。
初夏である今、エインワースは朝の五時には起床する。いつも朝食は少なめで、昼食は主食を多めに軽くパンと食べる。そして夕食は、スープまで作ってたっぷりのご飯を食べ、夜の九時には消灯して就寝した。
庭先にある家庭菜園で半ば自給自足をしているから、食材は足りない分とパンを買う。
ルファの町には、野菜や魚や肉といった専門店が数軒あった。小さいながら商店街があり、商業組合が建て各商人が出張店を構える大型スーパーも存在し、緑多い田舎地方ながら買い物には困らない。地方列車の駅もある。
ルファの町の住人となって四日目、午前十一時。
メイベルは、片手に食材やパンが入った茶袋を抱えて、徒歩三十分もかからない買い物から帰宅した。玄関から入ってすぐそこの食卓には、老眼鏡を掛けて、エンドウ豆の皮むき作業に当たっているエインワースがいた。
「メイベル、おかえり」
彼は気付くなり顔を上げて、そうにこやかに声を掛けた。手元の作業を続けながら老眼鏡を少しずらして、真新しい厚地ローブに身を包んでいる彼女を見つめ返す。
「今日は、初めての一人買い物だったね。どうだった?」
「どうだった、と感想を聞かれてもな」
メイベルは言いながら、金色の目をチラリと宙に向ける。それから、興味もなさそうに作業台化している食卓に茶袋を降ろし、その中身をがさごそと探りつつ答えた。
「あまり事情を知らない一部の人間は、『こんなに歳の離れた子を嫁に迎えるなんて』『エインワースはどうしちまったんだ、とうとうボケちまったのか?』と、ひそひそ話をしているのが聞こえて、そりゃそうだろうなと思った」
「ああ、そういえば先日、君の事を知らなかった役所の人にも『未青年の子供とは夫婦になれませんよ!?』と驚かれたねぇ。あやうく犯罪者扱いになるところだった」
ふふっと吐息をこぼしたエインワースが、自分の口をむぎゅっと手で押さえた。
頬が大きく膨らんでいて、視線をそらしてぷるぷるとしている。その様子を前に、メイベルは食材を淡々と食卓に出していきながら「おい」と言った。
「心底おかしそうに笑うな。自分の事だっていうのに」
「いやはや、若い彼女は私達を見て、夫婦生活まで想像しちゃったのかなと思ってさ」
「嫌な爺さんだな。少しは恥じらいを残しておくべきだぜ、エインワース」
「事実がそうであれば、私も面白おかしくは感じなかったと思うのだよ」
彼が言い訳のようにしれっと言って、背を起こした。悠々と元の作業に戻ろうとしたところで、ピタリと止まる。
「あっ。しまった、自分の口許からエンドウ豆の香りがする」
「自業自得だ」
「メイベルは手厳しいねぇ。これ、君が昨日希望したら、夕食分として仕込んでいる豆なのに……」
「…………」
メイベルは仏頂面のまま、すぐそこの流し台で布巾を濡らして彼に手渡した。エインワースが拭いながら、買ってきた食材を目で確認していくそばで、再び茶袋の中に手を突っ込む。
「だから私は、頭を隠さない事にしたんだけどな。他の種族も稀な色のモノがいるが、緑色の髪だって精霊しかいないからな」
おかげで、役所での誤解はすぐに解けた。しかし、今度は別の問題が持ち上がった。地方によって結婚の法律は若干違っているのだが、この地では異種族との婚姻は例がなかったらしい。
あの時、エインワースは笑顔で「私に任せてくれ」と告げて、新しく来た担当者と一旦奥の部屋に入っていった。メイベルは待っていたから、その経緯は知らないでいる。
ただ、戻ってきた彼は「受理されたよ」と言って、婚姻届の控えを振って見せてきた。興味がなかったから、書面の文までは確認してはいない。
「一番の噂話は、あんたが【精霊に呪われしモノ】を連れ帰った事だったよ。スーパーでも商店街でも、『悪い精霊魔女』にどうにかされている、という話で持ちきりだった」
「ははは、そりゃあ面白いねぇ。君はだいそれた魔法なんて、これっぽっちも使えないのに」
人と同じ姿をして、それでいて人の魔法を使えて、日中でも好きな場所を自由に出歩いているモノを人間は『魔法使い』にも分類する。
メイベルはそう思い返しながら、何も言わなかった。おかしそうに口にしたエインワースが、その話題よりも食材に気を引かれたようだと察して、空になった茶袋を小さくしてゴミ箱に入れる。
「おっ、いいカボチャを買ってきたね」
そう言って手に取った彼が、ずっしりと重いそれをポンポンと叩く。
「メイベルは、野菜の目利きも出来るのが意外だったなぁ。あと、味にも結構煩い」
ここ四日分の考察を口にする声を聞きながら、メイベルは彼の向かいにある椅子に腰を降ろした。その際にローブから白いシャツと茶色いジャケットとズボン、といった少年服が覗いた。
エインワースが、ちょっと不思議そうに首を傾げる。
「それにしても、自分で衣装まで出せてしまうなんて、魔法とは便利なものだねぇ。ローブ、外さないのかい?」
「私には、日中の初夏の風はまだ寒い」
「ああ、夜の風がちょうどいいんだっけ? やっぱり不思議だなぁ、精霊に【昼種族】と【夜種族】があるなんて知らなかったよ」
「昼は精霊王、夜は精霊女王が治めている。力が強いモノ、または抵抗力がないモノは、その時間帯は活動せずじっと眠っているのも多い」
「君は適応力があるんだね、料理の好き嫌いもないし」
言われたメイベルは、答えなかった。子供みたいな目をしたエインワースが、明るい表情を浮かべているのを見つめていた。
彼がこれまで精霊に関わった事がなく、魔法の知識もほとんどないというのは出会った初日のやりとりだけで分かっていた。
この男は、用事があって足を運んだ大都会ルーベリアで【精霊に呪われしモノ】を目にした。一体なんだろう、と話を訊いた人間が、偶然にも『精霊を深く正確に知っている魔法使い』だった。
そこでどんなやりとりがあったのかまで、メイベルは訊いていない。ただ、危険であると教えられたはずの彼が、迷いなくこちらに手を差し出したのは確かだ。
「――あんたは無知で、子供みたいな人だ」
メイベルは頬杖をつくと、そう口にした。耳が隠れる程度しかない緑の髪が、幼い輪郭を残した白い頬に、サラリと音を立てて柔らかに触れる。
「ほんと、馬鹿な男だねぇ」
ほんのちょっぴり金の目がくしゃりと細められて、その唇が己を嗤うかのような皮肉を描く。
唐突な感想をされたエインワースが、薄いブルーの目をきょとんとさせた。それからのんびりとした様子で「そうなのかもしれないね」と微笑んでカボチャを置くと、その話を終わらせるみたいに、老眼鏡を外してから席を立った。
「さて、そこで君に質問だ。これが何か分かるかな?」
彼は茶化すようにそう切り出すと、冷蔵庫から型に敷かれた生の生地と、その残りが入ったビニール袋を取り出してカボチャの横に並べ置いた。ヒントと言わんばかりに大きなオーブンを指すと、こう続ける。
「午後の紅茶休憩用に焼こうと思っているんだ」
「知ってるよ。パンプキンパイだろ」
「正解」
「馬鹿にするもんじゃないよ、エインワース。私はそれくらいの事は知っているんだ」
普段は無表情のメイベルが、そこでニヤリと笑い返す。
エインワースは「そっか」と言って、ちょっと肩を竦めてカボチャを手に取った。それを流し台へと持って行くと、皮をむきに取り掛かる下準備に入る。それを見た彼女は「おい」と呼んだ。
「このエンドウ豆、どうするんだ」
「君の方が上手だし、残りはやっておいて」
「七割も残っているところを見ると、エインワースはこの作業が苦手らしいね」
買い物に出る前に着手していたのは覚えているから、間違いないだろう。
メイベルはそう推測しながら、それらを引き寄せる。肩越しに見やった彼が、困ったように眉を下げていた。
「四日目にして、そこまで分析されてしまった……。ねぇメイベル、君、少し利口過ぎないかい?」
「子育てが終わるまで、奥さんに家事を任せっきりだったのが悪いよ」
「うーん。まるで頭は大人な人間の子供に注意されているようで、私としては複雑だなぁ――いたっ」
「すまん、エインワース。手が滑ったようだ」
メイベルは目を向けないまま、上げた手をエンドウ豆へと戻した。
頭にソフトな感触で当たったその皮部分を、エインワースは拾い上げた。ふと、唐突に思い出し笑いのように「ふふっ」とこぼす。
「メイベルは、始めからずっと呼び捨てだよね。なんだか変な感じだ」
「嫌なの?」
「いいや、妻と夫らしくていい」
「ふうん? 形ばかりなのに、それこそ変だ」
彼女は顔を上げると、そもそも、と言うように彼を見つめ返した。
「だってエインワースよりも、私の方が生きてる」
年上が、年下を呼び捨てにしても問題はないだろう。
その回答を受けた彼は、「そうか」となんでもないように言ってカボチャへと向いた。メイベルは、慣れたようにエンドウ豆の作業を再開しながら、その大きな背中に問い掛ける。
「そもそもさ、どうして妻にしたの。亡くなった奥さんを、エインワースは今でも愛しているだろ。その『やりたい事』なら、養子だって構わなかったと思うのだけれど」
するとエインワースが振り返り、手の人差し指をぴんっと立てた。
「養子よりも、妻の方が家族っぽい」
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