7 / 15
旦那様、私は人間ですのでほんと勘弁してくださいっ
しおりを挟む
脇に抱えてさらっていったロジャーが向かったのは、屋敷の裏口だった。
「わぁ……」
そこを出た途端、緑の香りがフェリシアの鼻孔いっぱいに入り込む。
そこには柵の向こうを遮るように木々も植えられていた。広がった芝生に飛び出るようにして一つだけ、一際目立つ大きな木があった。それは西日のこぼれ日をきらきらと泳がせた緑の葉を、たっぷりとつけてある。
「お前が実家で好きだった木だよ。覚えているか?」
本気で『長らく迷子になっていた』と思っているらしい。
フェリシアは、ロジャーの問いかけにがっくりと脱力感を覚えた。
けれど――その木がなんなのか知れてよかったと思えた。彼女は新緑色の瞳にそれを映し出す。
(やはり特別なものだったのね)
わざわざこちらの屋敷でも植えたのだろう。
どれほどの年月が経てば、こんなに大きくなるのか。
「実家の木の一つを持ってきたのですか?」
そんな想像が起こった時には、尋ねていた。
「同じ木がたくさんあって、そのうち若いものを運んだ。みるみるうちに土地に馴染んで、大きくなった」
「そう……」
――会話が、成立している。
(それなのに気付く気配がないわ)
無意識のうちに彼は拒絶しているのだろうか。
愛犬にまた会いたい、町中で見かけた〝ジャスミンと同じ色〟に、抱いてはいけない夢を見た。
だから愛犬は死んでいないと思いたくて?
二年も落ち込んでいたロジャー。久しぶりに笑顔が見られて嬉しいと使用人たちは言っていたが、フェリシアのせいで悪い状況になってしまってはいないだろうか。
悲しい気持ちは胸に刻まれて、消えることはない。
けれど、それを抱えて強さに変えて前を進んでいく。
(大好きなおばあ様を失った時がそうだったわ)
このまま改善してくれるのなら役に立てると思える。
けれど、どうなのだろう。フェリシアは心配になって、地面から離れている自分の足へと視線を落とす。
「……私がいて、ケアにならないようなら」
「なると思いますよ。医師から話を聞いてまいりましたので、信じてよいかと」
「きゃーっ」
突然、イヴァンの声が聞こえて驚いた。
「心が疲弊しきっているのなら、一時的な代わりでも『楽しい』という気持ちは治療薬になるそうです」
「そ、そうなのですか」
どっどっと心臓の鳴る音を聞きながら肩越しを見ると、ブランケットと白い敷物を片腕にかたイヴァンがいた。
一時的に姿が見えない時間帯があったが、どうやらわざわざ世話になっている医師を訪ね、話を聞いてきたようだ。
「ただ、医者も今回のことは首を捻っていましたね。暗示もまるで聞きそうにない騎士伯爵なのに、いったいどういうことかと逆に興味津々で尋ねられました」
「……あの、私研究材料になったりしませんよね?」
「しませんよ。当家の大事なお客様です」
旦那様を働かせる大事な犬役、と実直なイヴァンの顔に書いてある気がした。
自分の世界にとって不都合な情報のせいか、ロジャーが反応する様子はなかった。
(聞こえてもいないみたいだわ)
不思議に思ってフェリシアは彼の横顔を眺める。
実に奇妙な〝症状〟だ。
するとイヴァンが前に出て、木の下に敷物を置いた。そこにロジャーが腰を降ろし、ひょいとフェリシアを持ち上げて座らせる。
綺麗なサファイアの目で見つめられ、彼女は緊張した。
そこは木陰になっていて気持ちよかったが、異性と向き合って座っているのが落ち着かない。
「あ、あの――」
「今日もいい毛艶だね。きちんとブラッシングされているようでよかった」
ロジャーがにっりと笑い、両腕を伸ばす。
彼の端正な顔がぐんっと近くなる。腕が自分を囲い、フェリシアが「あ」と思った時には引き寄せられ、一緒になって横向きに敷物の上に倒れ込んでいた。
「なっ、な……!?」
背を抱いているのは男の大きな手だ。
フェリシアの至近距離には、男の整った顔がある。
真っ赤になって声が出ないでいると、ロジャーがフェリアの頬に落ちた髪を後ろへとやった。咄嗟に顔を後ろへと引いたが、彼が後頭部を手で押さえてしまう。
「だ、旦那様っ」
「ん? どうした?」
「近いです!」
「それが何か?」
きょとんとして言われ、フェリシアは衝撃を受けて固まった。
「僕の可愛いジャスミン、いつもみたいに鼻をこすりつけてきても構わないんだよ」
「そ、そんなことできませんーっ!」
フェリシアは涙目で、首をぶんぶん横に振って伝えた。
さすがに無理だ。
いや、犬役の行動を望まれたとしても初心なフェリシアにはこの距離だって自分からは絶対にできない。
(近い、近いんです、イヴァンさーん!)
パニックが増して、もう執事のほうを見ようとした時だった。
「寝る時も一緒だ。戻ったばかりでお前も心簿細いだろうから、今日からしばらくはベッドで眠っていいからな」
「一緒に寝るんですか!? うそっ」
「本当です」
イヴァンが間髪を入れずそう言った。フェリシアは、信じられない思いで仕事しか頭にない冷徹執事――じゃなくて彼を見た。
「……あの、いつそのようなことが決まったのでしょうか」
「あなた様を『犬役』として連れかえることを決めた時からこうなるとは分かっておりましたが?」
ひどい、そんなこと聞いてない。
イヴァンが平然とロジャーとフェリシアの足元にブランケットをかけるのを、彼女はふるふると涙目で見守る。
「ジャスミンはいつも旦那様と一緒でしたから」
「で、でも、私は淑女なのですが」
「旦那様は犬一筋の変態、いえ愛犬家なのです。犬だと思っているのですから、間違いなどないかと」
間違いがあったりしたら困る。
ずっと一緒にいた執事のお墨付きとはいえ、フェリシアはもう声も出てこなくて口をぱくぱくしていた。
(そんな無情な……)
というか年頃の女性と添い寝することに対して、屋敷の誰もが『旦那様は絶対に手を出さないので問題ない』と言い切れるのも、問題な気がする。
二十九歳の立派な紳士なのに?
美人でなくともだめだ、気を付けるようにと兄からも散々フェリシアは忠告を受けた。
(彼らにとって『旦那様』っていったい)
失礼な憶測も頭の中に浮かんだものの、フェリシアとしてはメイドとして快適な宿を得られたどころか、まさかの就寝先が『旦那様のベッド』ということに慄いたのだった。
「わぁ……」
そこを出た途端、緑の香りがフェリシアの鼻孔いっぱいに入り込む。
そこには柵の向こうを遮るように木々も植えられていた。広がった芝生に飛び出るようにして一つだけ、一際目立つ大きな木があった。それは西日のこぼれ日をきらきらと泳がせた緑の葉を、たっぷりとつけてある。
「お前が実家で好きだった木だよ。覚えているか?」
本気で『長らく迷子になっていた』と思っているらしい。
フェリシアは、ロジャーの問いかけにがっくりと脱力感を覚えた。
けれど――その木がなんなのか知れてよかったと思えた。彼女は新緑色の瞳にそれを映し出す。
(やはり特別なものだったのね)
わざわざこちらの屋敷でも植えたのだろう。
どれほどの年月が経てば、こんなに大きくなるのか。
「実家の木の一つを持ってきたのですか?」
そんな想像が起こった時には、尋ねていた。
「同じ木がたくさんあって、そのうち若いものを運んだ。みるみるうちに土地に馴染んで、大きくなった」
「そう……」
――会話が、成立している。
(それなのに気付く気配がないわ)
無意識のうちに彼は拒絶しているのだろうか。
愛犬にまた会いたい、町中で見かけた〝ジャスミンと同じ色〟に、抱いてはいけない夢を見た。
だから愛犬は死んでいないと思いたくて?
二年も落ち込んでいたロジャー。久しぶりに笑顔が見られて嬉しいと使用人たちは言っていたが、フェリシアのせいで悪い状況になってしまってはいないだろうか。
悲しい気持ちは胸に刻まれて、消えることはない。
けれど、それを抱えて強さに変えて前を進んでいく。
(大好きなおばあ様を失った時がそうだったわ)
このまま改善してくれるのなら役に立てると思える。
けれど、どうなのだろう。フェリシアは心配になって、地面から離れている自分の足へと視線を落とす。
「……私がいて、ケアにならないようなら」
「なると思いますよ。医師から話を聞いてまいりましたので、信じてよいかと」
「きゃーっ」
突然、イヴァンの声が聞こえて驚いた。
「心が疲弊しきっているのなら、一時的な代わりでも『楽しい』という気持ちは治療薬になるそうです」
「そ、そうなのですか」
どっどっと心臓の鳴る音を聞きながら肩越しを見ると、ブランケットと白い敷物を片腕にかたイヴァンがいた。
一時的に姿が見えない時間帯があったが、どうやらわざわざ世話になっている医師を訪ね、話を聞いてきたようだ。
「ただ、医者も今回のことは首を捻っていましたね。暗示もまるで聞きそうにない騎士伯爵なのに、いったいどういうことかと逆に興味津々で尋ねられました」
「……あの、私研究材料になったりしませんよね?」
「しませんよ。当家の大事なお客様です」
旦那様を働かせる大事な犬役、と実直なイヴァンの顔に書いてある気がした。
自分の世界にとって不都合な情報のせいか、ロジャーが反応する様子はなかった。
(聞こえてもいないみたいだわ)
不思議に思ってフェリシアは彼の横顔を眺める。
実に奇妙な〝症状〟だ。
するとイヴァンが前に出て、木の下に敷物を置いた。そこにロジャーが腰を降ろし、ひょいとフェリシアを持ち上げて座らせる。
綺麗なサファイアの目で見つめられ、彼女は緊張した。
そこは木陰になっていて気持ちよかったが、異性と向き合って座っているのが落ち着かない。
「あ、あの――」
「今日もいい毛艶だね。きちんとブラッシングされているようでよかった」
ロジャーがにっりと笑い、両腕を伸ばす。
彼の端正な顔がぐんっと近くなる。腕が自分を囲い、フェリシアが「あ」と思った時には引き寄せられ、一緒になって横向きに敷物の上に倒れ込んでいた。
「なっ、な……!?」
背を抱いているのは男の大きな手だ。
フェリシアの至近距離には、男の整った顔がある。
真っ赤になって声が出ないでいると、ロジャーがフェリアの頬に落ちた髪を後ろへとやった。咄嗟に顔を後ろへと引いたが、彼が後頭部を手で押さえてしまう。
「だ、旦那様っ」
「ん? どうした?」
「近いです!」
「それが何か?」
きょとんとして言われ、フェリシアは衝撃を受けて固まった。
「僕の可愛いジャスミン、いつもみたいに鼻をこすりつけてきても構わないんだよ」
「そ、そんなことできませんーっ!」
フェリシアは涙目で、首をぶんぶん横に振って伝えた。
さすがに無理だ。
いや、犬役の行動を望まれたとしても初心なフェリシアにはこの距離だって自分からは絶対にできない。
(近い、近いんです、イヴァンさーん!)
パニックが増して、もう執事のほうを見ようとした時だった。
「寝る時も一緒だ。戻ったばかりでお前も心簿細いだろうから、今日からしばらくはベッドで眠っていいからな」
「一緒に寝るんですか!? うそっ」
「本当です」
イヴァンが間髪を入れずそう言った。フェリシアは、信じられない思いで仕事しか頭にない冷徹執事――じゃなくて彼を見た。
「……あの、いつそのようなことが決まったのでしょうか」
「あなた様を『犬役』として連れかえることを決めた時からこうなるとは分かっておりましたが?」
ひどい、そんなこと聞いてない。
イヴァンが平然とロジャーとフェリシアの足元にブランケットをかけるのを、彼女はふるふると涙目で見守る。
「ジャスミンはいつも旦那様と一緒でしたから」
「で、でも、私は淑女なのですが」
「旦那様は犬一筋の変態、いえ愛犬家なのです。犬だと思っているのですから、間違いなどないかと」
間違いがあったりしたら困る。
ずっと一緒にいた執事のお墨付きとはいえ、フェリシアはもう声も出てこなくて口をぱくぱくしていた。
(そんな無情な……)
というか年頃の女性と添い寝することに対して、屋敷の誰もが『旦那様は絶対に手を出さないので問題ない』と言い切れるのも、問題な気がする。
二十九歳の立派な紳士なのに?
美人でなくともだめだ、気を付けるようにと兄からも散々フェリシアは忠告を受けた。
(彼らにとって『旦那様』っていったい)
失礼な憶測も頭の中に浮かんだものの、フェリシアとしてはメイドとして快適な宿を得られたどころか、まさかの就寝先が『旦那様のベッド』ということに慄いたのだった。
478
お気に入りに追加
1,087
あなたにおすすめの小説

氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました
まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」
あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。
ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。
それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。
するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。
好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。
二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。

次期騎士団長の秘密を知ってしまったら、迫られ捕まってしまいました
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢で貴族学院2年のルミナスは、元騎士団長だった父親を8歳の時に魔物討伐で亡くした。一家の大黒柱だった父を亡くしたことで、次期騎士団長と期待されていた兄は騎士団を辞め、12歳という若さで侯爵を継いだ。
そんな兄を支えていたルミナスは、ある日貴族学院3年、公爵令息カルロスの意外な姿を見てしまった。学院卒院後は騎士団長になる事も決まっているうえ、容姿端麗で勉学、武術も優れているまさに完璧公爵令息の彼とはあまりにも違う姿に、笑いが止まらない。
お兄様の夢だった騎士団長の座を奪ったと、一方的にカルロスを嫌っていたルミナスだが、さすがにこの秘密は墓場まで持って行こう。そう決めていたのだが、翌日カルロスに捕まり、鼻息荒く迫って来る姿にドン引きのルミナス。
挙句の果てに“ルミタン”だなんて呼ぶ始末。もうあの男に関わるのはやめよう、そう思っていたのに…
意地っ張りで素直になれない令嬢、ルミナスと、ちょっと気持ち悪いがルミナスを誰よりも愛している次期騎士団長、カルロスが幸せになるまでのお話しです。
よろしくお願いしますm(__)m

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される
めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」
ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!
テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。
『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。
新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。
アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。


愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

追放された悪役令嬢はシングルマザー
ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。
断罪回避に奮闘するも失敗。
国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。
この子は私の子よ!守ってみせるわ。
1人、子を育てる決心をする。
そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。
さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥
ーーーー
完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。

(完結)王家の血筋の令嬢は路上で孤児のように倒れる
青空一夏
恋愛
父親が亡くなってから実の母と妹に虐げられてきた主人公。冬の雪が舞い落ちる日に、仕事を探してこいと言われて当てもなく歩き回るうちに路上に倒れてしまう。そこから、はじめる意外な展開。
ハッピーエンド。ショートショートなので、あまり入り組んでいない設定です。ご都合主義。
Hotランキング21位(10/28 60,362pt 12:18時点)
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる