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サイラスの心

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 王都は、再び朝を迎えた。

 学院が稼働を始めた頃、王宮の勤務も本格的に動き出していた。サイラスは、これから公務へと乗り出すため、自身の執務室で資料とスケジュールを確認していた。

 必要があったので、学院は急きょ休んだ。

 ――この機会は逃せない。

「最近、アグスティーナ嬢は大胆になってきてるな」

 思案気に机の上をトントンと指で叩きながら言えば、近くにいるコンラッドから返事が返ってくる。

「焦りがあるんでしょう。隣国との縁談話が上がっているようですから。彼女の父としては、侯爵家ではなく、王族に嫁がせたい考えのようです」

 話を聞きながら、サイラスの目が別件の集まりの案内状へと向く。

 これは、今から足を運ぶ軍のものとは関係がないものだった。わざわざ自ら開催有無を確認しに行き、父と兄も出るついでに自分も出せ、と言って参加権を取ってきたものだ。

『父君と兄君からも、お忙しいとは聞いております。……ご多忙なのによろしいんですか?』

 あの時、家臣が目を丸くしていたのを覚えている。

 多忙ゆえ、なかなか顔を合わせる機会がない相手だ。そいつが出るからこそ参加するんだよ、とサイラスは苛々しながら思ってもいた。

 ピリッとした空気を感じたのだろう。公務同行のための支度を整えていたコンラッドが、サイラスへ目を向けて、個人的な思いから溜息をもらした。

「それにしても、まだ観念できないんですか? 先日も、慌てて屋敷の方へご訪問されていたでしょう」
「……分かってる」

 コンラッドが言っているのは、ずっと以前からと同じく『素直になれ』ということだ。

 ぐぅと呻き、サイラスは一度言葉を詰まらせた。

 ふんっと顔をそむけてみるが、一番信頼しているコンラッドの視線がいたたまれない。気づけば彼は、ぼそりと小さく打ち明けていた。

「普通に話せたら話せたで、それだけで胸がいっぱいになったんだよ」

 どれだけ彼女が特別なのか、身にしみて実感した一件だった。

 これまでリリアは、落ち着いて話してくれたことなんてなかった。会えば毛を逆立てた猫みたいに、威嚇という喧嘩の第一声を放ってくる。

 でも、それは自分のせいだとは分かっている。

 初めて会った見合いの日に敵認定されて以来、徹底して睨まれ警戒されていた。

 ――だというのに、だ。

 焦りもあって、プライドも何もなかった。こちらの方が丸くなって接してみたら、まるでもう許しているみたいに、リリアはあっさり普通に話してくれたのだ。

 遠目からは見ていたが、睨んでいない顔を自分に向けられたのは初めてで。……じーっと近くから見てくる大きな金色の目が、意外と素直全開で余計に可愛い。

 そう思い返していると、自然とゆっくり頬が熱くなってきてしまった。

 サイラスがぐいっと腕で隠すと、コンラッドが心底同情します、というような表情を浮かべてくる。

「殿下、なんか可哀そうですね……これまで素直になれなかった反動ですか」
「言うな」

 ここでサイラスにずけずけ言えるのは、コンラッドくらいなものだ。ただ最近は、妙な形で巻き込まれたこともあって、言う度合いにより遠慮がなくなってきた。

 それと似たようなことになっている男が、もう一人。

 そちらに関しては反感しかなくて、サイラスは思い出すと、ぶすっと頬杖をついてしまう。

「あの狐め。最近分かっていて面白がってるのも、苛々する」
「狐? ああ、伯爵家の執事、アサギ様ですか。確かに、笑った感じも狐っぽい雰囲気が少しありますよね。でも良かったじゃないですか、反対はされていないようですし」

 伯爵家と、彼が所有するという妖怪国領地のモノ達の反対があれば、引き続きの婚約、そして結婚も難しい。

 思い返したサイラスは、物憂げに頬杖を解きながら呟く。

「……彼女の好きなように。幸せならそれでいい、と、いうようなことを言っていたからな」

 彼女が選ぶ相手が、彼らの全て――なのだろう。

 あのアサギが言うには、本人が好いて選んだ男であるのなら、一緒にいたいと望む相手であるのなら、祝福し見守る姿勢のようだった。

 あやかしの考えるところは、よく分からない。あれは怨恨とはならないのか。

 同様の意思を示したレイド伯爵もまた、切れどころが短いのか、懐が広いのか分からない男だった。

 訪問の後日、サイラスが改めて謝罪の手紙を送った。すると、どちらもあの頃は子供同士でありましたからと、遅れた当時の謝罪を受け止めてくれた。どういう結果をリリア自身がくだすのかは分からないが、彼女が思うようにさせたい考えだ、と。

 契約の期限である十六歳を迎える前に、改めて話す席を設けたい。

 そして叶うなら、今度は本当の意味で、サイラスとリリアと婚約者としてありたかった。

 ……まさかレイド伯爵が、『庶民派でのんびり温厚』というイメージを覆す、まさかのまんま庶民派寄りだった、というのも驚いたのだが。

 でも嘘ではない。どちらも、確かに『庶民派』と言いくくれる。

 リリアより喧嘩っ早い。下町でよくあるような仲良しな乱闘や取っ組み合いにも、手慣れた感があったなと、サイラスは実のところ、胸倉を掴まれた時はヒヤッとしたのを思い出した。

「その前に、アグスティーナ派の最後の者達を黙らせる」

 カチリと目先に意識を切り替えて立ち上がる。

 サイラスが動き出したのを見て、脇に荷物を抱えてコンラッドが続く。

「殿下って、見栄っぱりなところもありますよねぇ。そして意外にも甘くいらっしゃる。学院を卒業したら、彼女を王宮に呼ぶからでしょう? ここまで徹底して反対派を抑えていっているところをみると、詫びも含めて、大丈夫だから嫁に来い、とでも告白したい考えですかね?」

 サイラスは、そう口にした彼を軽く睨み付けた。

「だから、いちいち言うな」
「ふふっ、こう見えて年齢は重ねている身ですので、殿下のことは弟子としても幸せを願っているんですよ」

 ……そんなのは知ってる。

 サイラスは、コンラッドほど、バカに人がいい男を知らなかった。当時、騎士団の方へ飛び込んだのは失礼だったのに、誰もが戸惑う中で一人だけ冷静に考えて。

『つまり〝師〟をお探しされている、と。いいですよ殿下。ご指名を受けたこの僕が、あなた様の魔法と剣の腕を磨きましょう』

 にこっと笑って、コンラッドはあっさりと引き受けた。

 彼は、持ち前の高位の魔法能力を自分の武器としなかった。魔法剣士団からも推薦があったのに断って、必要でない時はと剣技一本で好んで騎士団にいた男だった。

 それが三年前の話だ。あの笑顔での了承があってから、ずっと、今では魔法部隊をみているサイラスの副官としても、仕事のサポートもしてくれている。

 この先も、ご結婚されたら〝ご家族〟の護衛を任せてくれませんか、と言っていた。

 気の早い話だ。

 でもリリアと接触した後日の彼に、そんなことを言われたのを思い出したサイラスは、また若干赤くなってしまった頬を腕でぐいっと拭ったのだった。
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