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(六章)リリアと王子 下
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しばらく、サイラスの方から反応はなかった。
彼は、頬杖をついたまま車窓の向こうを眺めている。待つコンラッドは、やはり胃がキリキリした。あの狸、殿下は知っているようだったが、一体何者だったのか。
そう思っていると、サイラスの声が上がった。
「……あんな顔、見たことがない」
ぼそり、と苛々した表情で呟く。
「本当に『騎士』が好みであるらしい――良かったな、コンラッド。婚期がくるかもしれんぞ」
「ごほっ」
そのようやくかけられた第一声に、コンラッドは咽た。
「あの、以前、薔薇園での話はお聞きしましたが、それはただの憧れとかそんなのでは……僕も、もう三十を超えたいい大人ですからね。それくらいは分かります」
話してくれた時と同じくして、無駄にある話術でぐちぐち続けられてもたまらない。そのまま言葉を続け、先手を打って話を振る。
「先日、お見舞いに行かれたんでしょう? 城でも噂になっていますし――少しは話せましたか?」
尋ねてみると、またしても無言を決め込まれてしまった。
やれやれと、コンラッドは座り直しがら少し考える。
「まさか三年前、殿下が僕に教えを願ってくるとは思っていませんでした。誰かに頭を下げるということをやらなかったあの王子が、まさか、と騎士団が一時騒がしかったですね」
いやぁ懐かしい、とコンラッドは空気を和らげるように雑談を交えた。とんとん拍子で話が進んで、第二王子に付きっきりになった。
「お見合いから戻ってきた直後、魔法をもっと鍛えてくれといっのは、殿下ですよ」
まだ沈黙を続けられてしまって、コンラッドはそう振って、しばし待った。
すると、サイラスが頬杖を解いて足を組み直した。
「――気が強い令嬢だと聞いていた。そうしたら、泣いたんだ」
物憂げな表情で、彼が思い返し呟く。
「大嫌いだと言われて、泣かれた」
「そうですね。あの日、十二歳のあなたから、そう聞きました」
当時、第二王子殿下サイラスは、誰よりも才能に溢れ、申し分ない実力も持ち合わせていて生意気な王宮の〝問題児〟だった。
あの日、唐突に騎士団の扉を魔法で吹き飛ばして、飛び込んできた。
けれど、飛び込んできた彼が浮かべていたのは、困惑。
そして罪悪感で胸を締めつけられたような、とても苦しそうな顔をした小さな少年が、そこにはいた。
――集まっていた団長クラスの誰もが、普段のような茶化しもできなかった。
魔法部隊軍の指導責任者にして、最年少で騎士団の統括をし、師団を一つ持ってもいたコンラッドも、咄嗟に魔法防衛に出られなかった出来事でもあった。
『何かあったのですか、殿下?』
『確か本日は、我が師団の小隊も護衛に連れての、お見合いだったのでは』
問えば、幼い彼は、胸元をぎゅっとしてこう述べてきた。
『なんたが、とても胸が痛いんだ。よく分からないくらいに、動揺してる。とてもとても落ち着かない』
どうか俺を鍛えて欲しい、と十二歳のサイラスは言った。
そんなもやもやとしたモノを吹き飛ばすくらい、忘れるくらいに、誰よりも強く、と。
もっと、もっととサイラスは異例のスピードで才能を伸ばしていった。最強の魔法使いの称号を得ても、こんなんじゃまだまだダメだと言った。
――だって、妖狐は、年月を重ねるごとに強くなるんだろう?と。
対等でいるために技を磨き続けた。けれどそれは、対等ではなく上回るくらいでなければダメなのだと、しばらくもしないうちに目的は変わった。
その強さの根源には、いつだってリリアという伯爵令嬢の存在があった。
それくらいに、彼にとっては特別な存在なのではないかと尋ねたが、サイラス自身は納得してくれなかった。
そして、ちょうど一年後に再会した。もうとっくに、出会い頭から普通の令嬢の枠を飛び越えてきた彼女が、自分にとって特別だったのだとようやく気付いた。
その当時を思い出して、コンラッドは少し笑ってしまう。
「他の妻をとるのは、嫌だとおっしゃっていましたもんね」
サイラスはぶすっとして黙っていた。
けれど、ふっと思い返す目を車窓へと向けた。
「あいつが、化けの皮でもはがれたみたいに泣いたのを見た時、……人間を嫌いになりたくないんだろうなって、そう思ったんだ」
変わったきっかけになった、あの三年以上も前のことを回想する。
どうせ平気だろう、と思って投げた、子供ながらに癇癪を起した言葉だった。
――でもサイラスは、とても後悔した。
父親の腕に抱かれ、一度もこちらを振り返らなかった彼女。何事も思い通りにしてきた自分が、これまでどれほど傲慢に生きてきたのか呵責の念にかられた。
「ふっ、家臣共は言っていたな――『あなたに、妖狐の妻を娶るのは重過ぎる』と」
結婚に反対する派閥だった。最強の魔法使いの称号を得たのち、魔法力のトップに居座り続け、記録を更新し続けて、ようやく何も言わなくなった。
でも反対する一部の者達の理由は、今更リリアを欲するところにもあるのだろう。
学院での彼女の評価は、高い。そして、だんだんと美しくなっていくさまに、つい目を奪われる男女もできてきた。
授業を受け持っている教授らからも、リリアは絶賛されていた。
『はい、大変優秀な生徒です。本人は物覚えが悪いなどとチラリと口にしたりしていますが、とんでもない。あやかしが持つ妖力ゆえの産物なのでしょうか』
度胸があり、基礎を教えれば、発想の転換からすぐ応用へと利かせられもする。
貴族の妻としては、十分すぎる素質だ。
「――やるつもりはないがな」
ぎり、と、サイラスが頬杖をついた手に拳を作る。
これから向かう先も、魔法部隊軍の代表としての仕事だった。彼は自分がどれほど優秀であるのか、徹底して古株らの反論の一つさえも潰しにかかるだろう。
彼女が十六歳の誕生日を迎える前に、全員一致で婚姻を認めさせるのが目標だった。自分以外に相応しい国の者など、いないだろう、と。
正直、空気がおっもい。
コンラッドは、考えてますます顔が引き攣った。
彼の頑張りを、これまでずっとみてきた。あの狸の一件で、また新たな問題が浮上するのは、まずい。
学院の方が、少し騒がしくなる予感もした。
これは自分がフォローせねばと、コンラッドは明日の学院同行を決めた。
◆
どうしよう、嫌だなと思っているうちにも、翌朝はきてしまった。
リリアは、寝付くのにもうんうん悩まされた。いつのまにか寝てしまっていたようだけれど、気持ちよく寝られた感じは全くない。
カマルの騒ぎの一件は、心配されるかもしれないと考えて父には伝えられなかった。アサギもそこには協力してくれて、リリアはほっとした。
父のツヴァイツァーが出掛けた後、学院へ行く時、アサギからこっそり一匹の狐を紹介された。
「どうも姫様、わたくし妖狐のフィンです。ちなみにオスです。このたびはサポート役にお供させて頂くことになりました。よろしくです」
それは、ふさふさの毛並みをした狐だった。きちんとお座りしたうえで、丁寧に右前足を上げて挨拶してきた。
リリアも、つられて挨拶を返した。
「あ、これはどうも、よろしくお願いします」
「やだなー、姫様。別に頭なんて下げなくていいんですよー。わたくし、下のクラスの妖狐なんで。長らく人間に化けてもいられませんし」
何が面白いのか、そう自分で言ってフィンはけらけらと笑った。
「姫様、ご安心ください。フィンはこういう奴です」
「ああ、そうなの……」
愉快そうなところが、ちょっとアサギに似ているなと思った。
お供にフィンを連れて、アサギに見送られリリアは屋敷から飛び立った。
彼は、頬杖をついたまま車窓の向こうを眺めている。待つコンラッドは、やはり胃がキリキリした。あの狸、殿下は知っているようだったが、一体何者だったのか。
そう思っていると、サイラスの声が上がった。
「……あんな顔、見たことがない」
ぼそり、と苛々した表情で呟く。
「本当に『騎士』が好みであるらしい――良かったな、コンラッド。婚期がくるかもしれんぞ」
「ごほっ」
そのようやくかけられた第一声に、コンラッドは咽た。
「あの、以前、薔薇園での話はお聞きしましたが、それはただの憧れとかそんなのでは……僕も、もう三十を超えたいい大人ですからね。それくらいは分かります」
話してくれた時と同じくして、無駄にある話術でぐちぐち続けられてもたまらない。そのまま言葉を続け、先手を打って話を振る。
「先日、お見舞いに行かれたんでしょう? 城でも噂になっていますし――少しは話せましたか?」
尋ねてみると、またしても無言を決め込まれてしまった。
やれやれと、コンラッドは座り直しがら少し考える。
「まさか三年前、殿下が僕に教えを願ってくるとは思っていませんでした。誰かに頭を下げるということをやらなかったあの王子が、まさか、と騎士団が一時騒がしかったですね」
いやぁ懐かしい、とコンラッドは空気を和らげるように雑談を交えた。とんとん拍子で話が進んで、第二王子に付きっきりになった。
「お見合いから戻ってきた直後、魔法をもっと鍛えてくれといっのは、殿下ですよ」
まだ沈黙を続けられてしまって、コンラッドはそう振って、しばし待った。
すると、サイラスが頬杖を解いて足を組み直した。
「――気が強い令嬢だと聞いていた。そうしたら、泣いたんだ」
物憂げな表情で、彼が思い返し呟く。
「大嫌いだと言われて、泣かれた」
「そうですね。あの日、十二歳のあなたから、そう聞きました」
当時、第二王子殿下サイラスは、誰よりも才能に溢れ、申し分ない実力も持ち合わせていて生意気な王宮の〝問題児〟だった。
あの日、唐突に騎士団の扉を魔法で吹き飛ばして、飛び込んできた。
けれど、飛び込んできた彼が浮かべていたのは、困惑。
そして罪悪感で胸を締めつけられたような、とても苦しそうな顔をした小さな少年が、そこにはいた。
――集まっていた団長クラスの誰もが、普段のような茶化しもできなかった。
魔法部隊軍の指導責任者にして、最年少で騎士団の統括をし、師団を一つ持ってもいたコンラッドも、咄嗟に魔法防衛に出られなかった出来事でもあった。
『何かあったのですか、殿下?』
『確か本日は、我が師団の小隊も護衛に連れての、お見合いだったのでは』
問えば、幼い彼は、胸元をぎゅっとしてこう述べてきた。
『なんたが、とても胸が痛いんだ。よく分からないくらいに、動揺してる。とてもとても落ち着かない』
どうか俺を鍛えて欲しい、と十二歳のサイラスは言った。
そんなもやもやとしたモノを吹き飛ばすくらい、忘れるくらいに、誰よりも強く、と。
もっと、もっととサイラスは異例のスピードで才能を伸ばしていった。最強の魔法使いの称号を得ても、こんなんじゃまだまだダメだと言った。
――だって、妖狐は、年月を重ねるごとに強くなるんだろう?と。
対等でいるために技を磨き続けた。けれどそれは、対等ではなく上回るくらいでなければダメなのだと、しばらくもしないうちに目的は変わった。
その強さの根源には、いつだってリリアという伯爵令嬢の存在があった。
それくらいに、彼にとっては特別な存在なのではないかと尋ねたが、サイラス自身は納得してくれなかった。
そして、ちょうど一年後に再会した。もうとっくに、出会い頭から普通の令嬢の枠を飛び越えてきた彼女が、自分にとって特別だったのだとようやく気付いた。
その当時を思い出して、コンラッドは少し笑ってしまう。
「他の妻をとるのは、嫌だとおっしゃっていましたもんね」
サイラスはぶすっとして黙っていた。
けれど、ふっと思い返す目を車窓へと向けた。
「あいつが、化けの皮でもはがれたみたいに泣いたのを見た時、……人間を嫌いになりたくないんだろうなって、そう思ったんだ」
変わったきっかけになった、あの三年以上も前のことを回想する。
どうせ平気だろう、と思って投げた、子供ながらに癇癪を起した言葉だった。
――でもサイラスは、とても後悔した。
父親の腕に抱かれ、一度もこちらを振り返らなかった彼女。何事も思い通りにしてきた自分が、これまでどれほど傲慢に生きてきたのか呵責の念にかられた。
「ふっ、家臣共は言っていたな――『あなたに、妖狐の妻を娶るのは重過ぎる』と」
結婚に反対する派閥だった。最強の魔法使いの称号を得たのち、魔法力のトップに居座り続け、記録を更新し続けて、ようやく何も言わなくなった。
でも反対する一部の者達の理由は、今更リリアを欲するところにもあるのだろう。
学院での彼女の評価は、高い。そして、だんだんと美しくなっていくさまに、つい目を奪われる男女もできてきた。
授業を受け持っている教授らからも、リリアは絶賛されていた。
『はい、大変優秀な生徒です。本人は物覚えが悪いなどとチラリと口にしたりしていますが、とんでもない。あやかしが持つ妖力ゆえの産物なのでしょうか』
度胸があり、基礎を教えれば、発想の転換からすぐ応用へと利かせられもする。
貴族の妻としては、十分すぎる素質だ。
「――やるつもりはないがな」
ぎり、と、サイラスが頬杖をついた手に拳を作る。
これから向かう先も、魔法部隊軍の代表としての仕事だった。彼は自分がどれほど優秀であるのか、徹底して古株らの反論の一つさえも潰しにかかるだろう。
彼女が十六歳の誕生日を迎える前に、全員一致で婚姻を認めさせるのが目標だった。自分以外に相応しい国の者など、いないだろう、と。
正直、空気がおっもい。
コンラッドは、考えてますます顔が引き攣った。
彼の頑張りを、これまでずっとみてきた。あの狸の一件で、また新たな問題が浮上するのは、まずい。
学院の方が、少し騒がしくなる予感もした。
これは自分がフォローせねばと、コンラッドは明日の学院同行を決めた。
◆
どうしよう、嫌だなと思っているうちにも、翌朝はきてしまった。
リリアは、寝付くのにもうんうん悩まされた。いつのまにか寝てしまっていたようだけれど、気持ちよく寝られた感じは全くない。
カマルの騒ぎの一件は、心配されるかもしれないと考えて父には伝えられなかった。アサギもそこには協力してくれて、リリアはほっとした。
父のツヴァイツァーが出掛けた後、学院へ行く時、アサギからこっそり一匹の狐を紹介された。
「どうも姫様、わたくし妖狐のフィンです。ちなみにオスです。このたびはサポート役にお供させて頂くことになりました。よろしくです」
それは、ふさふさの毛並みをした狐だった。きちんとお座りしたうえで、丁寧に右前足を上げて挨拶してきた。
リリアも、つられて挨拶を返した。
「あ、これはどうも、よろしくお願いします」
「やだなー、姫様。別に頭なんて下げなくていいんですよー。わたくし、下のクラスの妖狐なんで。長らく人間に化けてもいられませんし」
何が面白いのか、そう自分で言ってフィンはけらけらと笑った。
「姫様、ご安心ください。フィンはこういう奴です」
「ああ、そうなの……」
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