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(五章)もふもふと頑張ることにしたら、手紙がきて
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「婚約者の体裁をたもって、送ってきたのかしら?」
学院に入る前、長らく顔を合わせなかった時にそのようなことが数回あった。婚約者になったというのに、一度も顔を合わせない状況はまずいだろう、と。
今回も、宰相あたりから言われてそうしたのだろうか?
以前のも全て、どうせ本人が書いているわけではないのだろう、と推測していた。彼をフォローすべく、リリアの休みを知った誰かが、今回も慌てて代筆したのか。
きっと数行、返事も必要がない文章が並んでいるだけ。
「読むまでもないわ。どうせ社交辞令が書かれているだけだろうし」
作業中だったリリア、アサギとカマルの視線の中、封も開けずその手紙を女性使用人に返した。
これは、ただ単に『手紙を送る』という偽装行為が必要だっただけだろう。こちらの返事など必要とされていなくて、リリア自身を思って書かれたわけでもない。
……誰かに想われて書かれた手紙なら、喜んで読むのに。
リリアは、そんな思いが不意に脳裏をよぎって、チクリとする。外の人から、そんな手紙なんてもらえないのだろう。
「そんなのをチェックする暇はないの。しまっておいて」
女性使用人が、頭を下げて屋敷へと戻っていく。
それを少し見送ったカマルが、リリアへと目を戻して言った。
「手紙、いいんですか? 婚約者って聞こえましたけど」
「いいのよ」
「でも、お噂は人間界にいるあやかしにも知れ渡っていて、俺も聞いていますよ。姫様が、この国の人間の王子と婚約したって」
どんどん遠くなっていく女性使用人と、しれっと作業に戻っているリリアへ、カマルが落ち着かない様子で視線を往復させている。
「ただの形ばかりの婚約なの。来年には解消よ」
「えっ、そうだったんですか?」
「姫様と『人間の第二王子』は、仲が悪いんですよねー」
アサギが、口を挟みつつ肩を揺らして笑った。
休憩を挟みながら、その日もつつがなく日中の作業をやり終えた。
外で活動する時には人間に化け、屋敷内では本来の狸姿に戻る。
それが、奇妙な共同生活が始まったカマルの日常だった。妖力を余分に使わないでいられるのは有り難いと、屋敷に入ればリラックスモードだった。
「こうやって、自分の姿で人間の家に過ごせるなんて、不思議な感じです」
狸姿のカマルが、ソファの浅い位置に腰掛けて溜息をもらす。
風呂上がりの心地良さもあるのだろう。ごしごしとタオルで頭を拭っているカマルの顔には、達成感もあってほわほわとした表情が浮かんでいた。
「あともう少しで作業も終わりますね~」
「俺としては、よくその前足で器用にタオルを掴めるな、と不思議な光景に感じて観察しているところです」
確かに。実は、リリアも気になっていた。
アサギが告げたさばから、水を置いていった使用人達が、そのカルマの姿にほっこりとして「それでは、おやすみないさませ」と声をかけて出ていく。
「ねぇアサギ、あと袋一つ分あれば終わりなのよね?」
先に髪もすっかり乾かしていたリリアは、狐耳をぴこんっと立てて顔を向けた。裾の長い寝間着のスカート部分を押さえて、ソファの上に両足を上げる。
アサギが、三人分のカップを用意しながら「はい」と頷いた。
「明日の、午後の早い時間までには仕上がるでしょう。あれだけあれば、あの岩のあやかし分は足りると思います」
「じゃあ、俺っ、明日にはメイに会えるんですか!?」
「そうなるんじゃないですかね。姫様の放電期も終わりそうですし、明日には帰って頂きたいですね」
そっけない言い方だったのに、カマルが「わぁ」と嬉しそうな笑顔になった。
「ありがとうございますアサギ様!」
「あなたの理解力のなさには、ほんとガッカリです。からかい甲斐もない、はぁ」
「まぁまぁ、喜ばしいことじゃない」
ふふっとリリアは微笑ましげに笑った。
なんやかんやと言って、アサギが面倒見いいのは分かっていた。いつも、カマルの世話まできちんとやって寝かしてもいた。
「私も、明日は少しでも早く進められるように、せいいっぱい頑張るわね」
「姫様! ありがとうございますっ!」
途端にカマルの喜びが弾ける。
「俺っ、明日はきっと成功させてみせます! そうしたらメイを迎えに行って、彼女の父親に認めてもらって。必ずや結婚の吉報を姫様に届けにきます!」
リリアは、ただただ生温かい微笑みを浮かべていた。
――正直、内容は頭に入ってこなかった。
もふもふ狸が、人間の言葉を喋って小さな右前足を上げ、もっふもっふとソファの上で小さく揺れている様子を見つめてしまっていた。
台詞は立派なのだけれど、落ち着きがない子供みたい小動物が、そこにいる。
アサギが、かなり呆れた感じで小さく溜息を吐いていた。
今夜もリリアの大きなベッドに、用意されていた枕がアサギの手で三つ並べられた。真っ先「わーい!」とカマルがベッドへ飛び込んで、アサギに無言で拳骨を落とされた。
「……学習しないわねぇ」
「彼は狸の中でも、一番の阿呆なんでしょうね」
リリアは、自分もまだちょくちょく同じことをやって叱られているので、それ以上は何も言えなかった。
大きいベッドにボフンッとやる。それが楽しいのは仕方ない。
「姫様は仔狐ですからね。まぁ、仕方ないのは認めます。でもこいつはダメです。立派な大人なのに、この落ち着きのなさ」
どうやらアサギは、そこも許せないでいるらしい。
すると、ベッドでうつ伏せになったまま動かないでいたカマルが、復活した様子でのそのそと頭を上げた。リリアは毎度、彼の打たれ強さと回復力には感心していた。
と、カマルの目がこちらを向いた。
「何?」
「姫様って、『人間の王子』とは婚約のフリだったんですよね。そういえば以前から、ちょっと気になっていたんですが」
言いながら、カマルがよいしょと立ち上がって、とてとてとベッドの上を移動する。そして一番近くの本棚で、何冊か表紙を見せるように置かれてある本のヒーローを指した。
「もしかして姫様は、こういうオスがタイプなんですか?」
直後、リリアは狐の耳もビーンッと立つくらいに驚いた。
「いぎゃ――――っ、バレた!」
家の人以外にバレるのは初めてだ。もう恥ずかしくって、ソファにあったクッションを抱えて熱くなった顔に押し付けた。
アサギが、何を今更、と呆れた目を向ける。
「そりゃ、こんだけ偏って集められていたら、気付くでしょう」
「だってカマルは可愛い狸じゃないっ、本の内容には気付かないと思ったの!」
それを聞いたカマルが、ベッドの上でうーんと首を傾げる。
「姫様、俺、いちおう結婚する予定の大人なんですけど……。あ、でも了解しました。つまり姫様って、こういう人間のイケメン騎士様が心底タイプなんですね!」
「うわぁっ、カマルお願いイイ笑顔で言うのやめて! すごく恥ずかしいから!」
「なんで恥ずかしいんですか? 伴侶が欲しくなるのは当たり前ですよ、子作りの相手候補ってことでしょ――ふげっ」
「動物思考で姫様に語らないでください」
またしてもアサギが、カマルの頭をもふっと掴んで、ベッドに沈めた。
学院に入る前、長らく顔を合わせなかった時にそのようなことが数回あった。婚約者になったというのに、一度も顔を合わせない状況はまずいだろう、と。
今回も、宰相あたりから言われてそうしたのだろうか?
以前のも全て、どうせ本人が書いているわけではないのだろう、と推測していた。彼をフォローすべく、リリアの休みを知った誰かが、今回も慌てて代筆したのか。
きっと数行、返事も必要がない文章が並んでいるだけ。
「読むまでもないわ。どうせ社交辞令が書かれているだけだろうし」
作業中だったリリア、アサギとカマルの視線の中、封も開けずその手紙を女性使用人に返した。
これは、ただ単に『手紙を送る』という偽装行為が必要だっただけだろう。こちらの返事など必要とされていなくて、リリア自身を思って書かれたわけでもない。
……誰かに想われて書かれた手紙なら、喜んで読むのに。
リリアは、そんな思いが不意に脳裏をよぎって、チクリとする。外の人から、そんな手紙なんてもらえないのだろう。
「そんなのをチェックする暇はないの。しまっておいて」
女性使用人が、頭を下げて屋敷へと戻っていく。
それを少し見送ったカマルが、リリアへと目を戻して言った。
「手紙、いいんですか? 婚約者って聞こえましたけど」
「いいのよ」
「でも、お噂は人間界にいるあやかしにも知れ渡っていて、俺も聞いていますよ。姫様が、この国の人間の王子と婚約したって」
どんどん遠くなっていく女性使用人と、しれっと作業に戻っているリリアへ、カマルが落ち着かない様子で視線を往復させている。
「ただの形ばかりの婚約なの。来年には解消よ」
「えっ、そうだったんですか?」
「姫様と『人間の第二王子』は、仲が悪いんですよねー」
アサギが、口を挟みつつ肩を揺らして笑った。
休憩を挟みながら、その日もつつがなく日中の作業をやり終えた。
外で活動する時には人間に化け、屋敷内では本来の狸姿に戻る。
それが、奇妙な共同生活が始まったカマルの日常だった。妖力を余分に使わないでいられるのは有り難いと、屋敷に入ればリラックスモードだった。
「こうやって、自分の姿で人間の家に過ごせるなんて、不思議な感じです」
狸姿のカマルが、ソファの浅い位置に腰掛けて溜息をもらす。
風呂上がりの心地良さもあるのだろう。ごしごしとタオルで頭を拭っているカマルの顔には、達成感もあってほわほわとした表情が浮かんでいた。
「あともう少しで作業も終わりますね~」
「俺としては、よくその前足で器用にタオルを掴めるな、と不思議な光景に感じて観察しているところです」
確かに。実は、リリアも気になっていた。
アサギが告げたさばから、水を置いていった使用人達が、そのカルマの姿にほっこりとして「それでは、おやすみないさませ」と声をかけて出ていく。
「ねぇアサギ、あと袋一つ分あれば終わりなのよね?」
先に髪もすっかり乾かしていたリリアは、狐耳をぴこんっと立てて顔を向けた。裾の長い寝間着のスカート部分を押さえて、ソファの上に両足を上げる。
アサギが、三人分のカップを用意しながら「はい」と頷いた。
「明日の、午後の早い時間までには仕上がるでしょう。あれだけあれば、あの岩のあやかし分は足りると思います」
「じゃあ、俺っ、明日にはメイに会えるんですか!?」
「そうなるんじゃないですかね。姫様の放電期も終わりそうですし、明日には帰って頂きたいですね」
そっけない言い方だったのに、カマルが「わぁ」と嬉しそうな笑顔になった。
「ありがとうございますアサギ様!」
「あなたの理解力のなさには、ほんとガッカリです。からかい甲斐もない、はぁ」
「まぁまぁ、喜ばしいことじゃない」
ふふっとリリアは微笑ましげに笑った。
なんやかんやと言って、アサギが面倒見いいのは分かっていた。いつも、カマルの世話まできちんとやって寝かしてもいた。
「私も、明日は少しでも早く進められるように、せいいっぱい頑張るわね」
「姫様! ありがとうございますっ!」
途端にカマルの喜びが弾ける。
「俺っ、明日はきっと成功させてみせます! そうしたらメイを迎えに行って、彼女の父親に認めてもらって。必ずや結婚の吉報を姫様に届けにきます!」
リリアは、ただただ生温かい微笑みを浮かべていた。
――正直、内容は頭に入ってこなかった。
もふもふ狸が、人間の言葉を喋って小さな右前足を上げ、もっふもっふとソファの上で小さく揺れている様子を見つめてしまっていた。
台詞は立派なのだけれど、落ち着きがない子供みたい小動物が、そこにいる。
アサギが、かなり呆れた感じで小さく溜息を吐いていた。
今夜もリリアの大きなベッドに、用意されていた枕がアサギの手で三つ並べられた。真っ先「わーい!」とカマルがベッドへ飛び込んで、アサギに無言で拳骨を落とされた。
「……学習しないわねぇ」
「彼は狸の中でも、一番の阿呆なんでしょうね」
リリアは、自分もまだちょくちょく同じことをやって叱られているので、それ以上は何も言えなかった。
大きいベッドにボフンッとやる。それが楽しいのは仕方ない。
「姫様は仔狐ですからね。まぁ、仕方ないのは認めます。でもこいつはダメです。立派な大人なのに、この落ち着きのなさ」
どうやらアサギは、そこも許せないでいるらしい。
すると、ベッドでうつ伏せになったまま動かないでいたカマルが、復活した様子でのそのそと頭を上げた。リリアは毎度、彼の打たれ強さと回復力には感心していた。
と、カマルの目がこちらを向いた。
「何?」
「姫様って、『人間の王子』とは婚約のフリだったんですよね。そういえば以前から、ちょっと気になっていたんですが」
言いながら、カマルがよいしょと立ち上がって、とてとてとベッドの上を移動する。そして一番近くの本棚で、何冊か表紙を見せるように置かれてある本のヒーローを指した。
「もしかして姫様は、こういうオスがタイプなんですか?」
直後、リリアは狐の耳もビーンッと立つくらいに驚いた。
「いぎゃ――――っ、バレた!」
家の人以外にバレるのは初めてだ。もう恥ずかしくって、ソファにあったクッションを抱えて熱くなった顔に押し付けた。
アサギが、何を今更、と呆れた目を向ける。
「そりゃ、こんだけ偏って集められていたら、気付くでしょう」
「だってカマルは可愛い狸じゃないっ、本の内容には気付かないと思ったの!」
それを聞いたカマルが、ベッドの上でうーんと首を傾げる。
「姫様、俺、いちおう結婚する予定の大人なんですけど……。あ、でも了解しました。つまり姫様って、こういう人間のイケメン騎士様が心底タイプなんですね!」
「うわぁっ、カマルお願いイイ笑顔で言うのやめて! すごく恥ずかしいから!」
「なんで恥ずかしいんですか? 伴侶が欲しくなるのは当たり前ですよ、子作りの相手候補ってことでしょ――ふげっ」
「動物思考で姫様に語らないでください」
またしてもアサギが、カマルの頭をもふっと掴んで、ベッドに沈めた。
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