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(7)写真とケーキと、知ってしまった事実

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 山形県の取材から帰って来た後は、歩き回った疲労感もあって、すぐにベッドに倒れ込んで十時間あまり夢も見ずに熟睡していた。こんなにしっかり寝たのは久しぶりで、ゆっくり休めたという充実感が身体に満ちているのを感じた。

 もう良いだろうというくらい眠り、すっかり目が覚めて身体を起こした時、時刻は正午をとうに過ぎていた。柳生はコップ一杯の冷水で喉を潤してシャワーを浴び、遅い朝食をとったあとに書斎室に向かった。

 取材に使ったメモやテープレコーダーの資料を見返し、文章の仕上がりまでの構成を考え、おおまかな筋書きを作成するのは時間もかからなかった。しかし、いざ書こうとすると集中出来ず、何度も書斎から離れては縁側で煙草を吸った。

 岡村から、その掲載物の件で何度も電話があった。次第にその内容がずれ始め、次の台詞が彼の口から飛び出した時、柳生は話の途中で電話機のコンセントを引き抜いていた。

「限定販売のケーキがゲット出来たので、先生にもおすそわけしちゃいます!」

 受話器越しに岡村の女子高生のような調子の声を聞いていると、いい歳をした男が半袖パーカーで緊張感もないゆるめのズボンを着用し、人通りの多い町中で携帯電話を耳に当てながら限定販売のケーキが入った袋を下げ、きゃっきゃっ黄色い声を上げている姿が容易に想像出来で、ゾッとした。

 しかも、そのやりとりをしている相手は自分であるのだ。悪寒と嫌悪と恐怖に駆られて、電話を切らない人間がどこにいるだろうか?

 これでは仕事に身も入らないと思った柳生は、諦めて一旦仕事から離れ、先日から気になって仕方なかったことについて行動を起こすことにした。十年ぶりに元妻の実家へ、連絡を取ってみようと計画していたのだ。


 固定電話機の置かれた台の、全く整理のされていない一番下の引き出しにしまった、電話番号が記載されたノートを探すことから始めてみた。そこを開けるのは、実に久しぶりである。
 引き出しの中には、レシートや意味のない走り書きのメモ用紙、利用されることもなかったクーポン券が、離婚時と同じ状況で乱雑して重なり合っていた。紙切れはすっかり黄ばんでインクが薄れて、黴と湿気の独特な匂いを染み込ませていた。


 思えばこの引き出しは、当初から使用の目的を決めていない場所だった。不要になったレシートを放り込んだり、捨てるには惜しいが持ち歩く必要は感じなかった会社の名刺、家電製品の保証書や説明書、時々利用する宅配サービスのチラシだったり、いつか使う必要があるかもしれない水道修理の案内書や防災案内のパンフレットも入れていた。

 柳生は、もうどのくらい手を触れていなかったかも分からない、その引き出しの整理をその場の勢いで始めた。目的のノートを探しつつも、市指定のゴミ袋を脇に置いて引き出しの中身を床にぶちまけ、まずは不要な物を次から次へと入れていった。
 ゴミ袋の中がある程度膨らんだ頃、終わりの見えない紙の山を改めて眺めると嫌気が差したが、他にやる者もいないので渋々作業を続けた。

 首を傾げる分類物も多かった。見覚えのない名刺や、どこの保証書だか見当もつかない黄ばんだ冊子。古い年賀状等はどうすればいいのか迷ったが、思い出として残していても使用することはないだろうと判断し、それらは結局、すべて燃えるゴミの袋へと入れられた。

 ゴミ袋が立派な形に膨れた頃、過去の時代に忘れ去られた紙類の山から、古びた大学ノートがようやく出てきた。何度も開かれた形跡があり、表紙の一部は紙が剥げていた。
 パラパラとめくってみると、堅苦しくてちっとも面白味のない右曲がりの自分の字と、真っ直ぐ丁寧に、そして遠慮がちに空白を残した妻の字が目に留まった。

 大学ノートの一ページから、二つの種類の字によって一つのオリジナルの電話帳として出来上がっていた。妻は名前と電話番号以外にも、彼が見てすぐに分かるようにと、どこの誰であるのかもメモをしてあった。

 PTAの関係で親しくなった茶飲み友達、学校の先生、妻方の遠い親戚やその兄弟、いつもお世話になっていた魚屋や肉屋……それは途中でプツリと切れると、何も書かれていないページが続いた。寂しげに罫線だけを連ねているノートの残りに、彼は気付かない振りをしてノートを冒頭頁に戻した。

 彼女の実家の電話番号は、ノートの最初のページに載っていた。それに対して、柳生と血縁のある者の番号は一つもない。

 風の便りで、縁を切った実家の会社運営が上手くいっていることだけ知っていた。顔もろくに覚えていない父親がどうやら会長職に退いて、社長の席を長男に譲ったらしいことは、十数年前に新聞でチラリと見掛けた。両親は共に健在であったが、実家という言葉で彼が思い出すのは、セピア色の記憶に残る洋館と、他人行儀の生活風景だけだった。

 柳生は、見つけ出したその電話帳を脇に置いた。まずは床に散乱したままの、紙の山の残りを片付けなければならなかった。よく分からない走り書きのメモや、レシートの大半を大雑把に掴んでゴミ袋に入れる。

 その時、床が見え始めた紙類の中に、いくつもの写真が紛れこんでいることに気付いた。解像度もかなり悪い、薄っぺらで小ぶりな写真の中に、柳生は数十年前の自分の姿を見つけて、思わず手にとってじっくりと眺めてしまった。

 この世の誰よりも幸福に笑う若き日の妻と、その腕に抱えられた赤ん坊。そして、やや誇らしげな顔に浮かぶ照れ臭さを、顰め面で隠そうと装った黒髪の男が、寄り添い写っている。
 家族の写真を撮る時は、大抵は柳生がカメラを抱えていたから、この写真には覚えがなかった。彼の友人や妻の家族や、そして通りすがりの人や居合わせた人に撮ってもらったり、送られてきた写真ならいくつもあったので、その中の一つなのだと思い至るまでにしばらく時間がかかった。

 今でもそうだが、柳生はあまり写真という物が好きではなかった。撮影することを頼まれるのは構わなかったのだが、自分が撮られるというのは、どうも慣れない。
 数少ない友人達は「勿体ないよ、今のこの瞬間を、しっかり残しておかなきゃ」と言って、自前のカメラを彼に向けてシャッターを切った。忘れかけた頃に送られてきた写真や、ついでにと玄関先で渡された写真をこの引き出しにしまっていたことを、今まですっかり忘れてしまっていたことを思い出した。

 何せ数冊に及ぶアルバムについては、すべて妻がまとめていたし、すっかり彼女の物でもあったので、出ていく際にすべて持たせていたからだ。

 柳生は、家の中には必要な私物以外は置かない男だったから、今更出てきた写真の扱いについて悩んだ。とりあえず一ヵ所にまとめてみたものの、次にこれをどうすればいいのか分からない。
 大きさもまばらな写真を指の腹で探り、しばらく眺めた。ランドセルを背負ったショートカットの髪型をした娘の姿が映し出された写真に、ふと手が止まった。

 ふっくらとして幼さのある丸い顔、笑う瞳と、けれど照れてむっつりと小さな唇を引き結んだ彼女は、小学校の入学式当日、憧れのランドセルを背負った喜びを出すまいと、カメラに精一杯の反抗意識を示した。柳生が用意を忘れてしまって、お気に入りのフリルの靴下を履けなかったせいだ。

 全く誰に似たんだか。彼女は頑固なところがあって、そのため彼女が幼い頃は、なかなか大変だったと柳生は思い出した。


 男か女かも分からなかった赤子は、小学校へ上がってからは、驚くほどのスピードで成長を見せた。女の子は成長が早いとは言うが、なるほどと思ったものだ。

 髪が伸び始め、自分専用のヘアブラシで毎朝毎夕鏡の前で髪を梳くようになり、服装や髪形を気にし、ポケットには常にリップクリームを常備するようになった。何気ない仕草や、ふと見せる物静かな横顔は、見るたび少しずつ大人びていった。


 そういえば、どことなく娘は若き日の妻に似ていた。彼女が大人しくしている間だけの話であって、性格はまるで違うけれど。
 あの子は、いつも落ち着きなく走り回っていたし、本や勉学からは遠い子だった。景色を楽しむよりも、次々に遊びを開発して楽しむ性格は男児のようで、いつも怪我が付いて回り、何度妻を心配させて、何度彼を妻に叱らせたか分からない。

 妻は物静かな生活を好む女だったが、口達者であったせいか、娘の成長に従ってまるで厳しい教育者のように夫を怒るようになった。それは、気付かぬ間に少しずつ、二人の間に流れる空気の性質を変え、現在の二人の関係になった気もした。

 それを思いながら、柳生は一枚の褪せた写真を手に取った。片手で髪を、残りの片方の手でスカートを抑え、海の向こうを眺める若き妻の姿が写っていた。

 アングルは少し斜めで、手振れが認められた。写真を譲渡してくれる友人達は、裏面に必ず場所と日時を記載していたものだが、確認してみても特にメモらしい走り書きもなかった。

 いつ、誰が撮った写真なのだろうか。これでは、まるで盗み撮り――

 そう呟きかけた柳生は、下に隠れていた別の写真に気付いて、これは自分が何気なくシャッターを圧してしまった写真であったと思い出した。二枚目に続いた写真の、こちらに顔を向けて表情を崩して笑う少女のような女の顔に、過去の記憶が呼び起こされた。

「一体何を撮っているの」

 そう言って笑う彼女に、

「さあ、なんでだろうな」

 そう答えた自分と、後に続く彼女の笑い声が耳元に蘇った。

 撮りたいと思ったからシャッターを切った。――それが写真として残るなんて、その時は考えていなかったのだと思う。彼の中に突如として起こった何らかの感情が、ただカメラを構えて、シャッターを切るという行為をさせたのだ。

 今なら、当時の自分の中で起こった心のありようを理解出来る。

 白状しよう。寂しげな情景の刹那に佇む彼女を、心から愛しいと思ったのだ。そして、彼女の視線に亡き祖父を想う哀愁を察して、痛いほどに胸が詰まった。

 彼女を失いたくないと切望した。けれど、人間は必ず老いて死んでいくのだと分かってもいたから、いずれ別れは来るのだろうと想像して寂しさを覚えた。酒と煙草と不規則な生活をしていたから、きっと俺の方が先に死んでしまうだろう、とそれを知らず考えていた時、心は既に彼女と結婚する未来を選んでいた。

 あの頃は若く、何もかもが青すぎた。考えが熟した二人は、十年前、あの頃とは違う道を冷静に導き出した。二人の人生が、この先で再び交わることは想像し難く、もう共に暮らしてはいけないほど、お互いの心は離れてしまっていた。

 だからこそ、彼女がなんの気まぐれで手紙を寄越してくるのか、全く予想がつかないでいるのだ。
 それと同時に、手紙が届いていないかと郵便受けを覗き、届いたその便りを手元に置いている自分の行動も不可解だ。いまだに、返事を書く気にもなれないでいるというのに――。


 今更考え込むなんて、性に合わない。
 柳生は、どこに片付けてよいのか分からない写真を、一つにまとめて棚の上に置いておくことにした。


 床に散乱する残りの私物を手早く仕分けした後、ゴミ袋の口をしっかりとしめて掃除機を引っ張り出し、埃や小さなゴミが散布された廊下をキレイにした。埃が付着してしまっているような手触りが床に残っていたので、ついでに雑巾もかけた。

 すっかり元通りの廊下になったことを確認して、リビングに戻った時、既に外の日差しは色をやや濃くしており、午後の珈琲タイムの時間を過ぎてしまっていた。

 冷蔵庫の扉を開けて、ペットボトルのまま水を多めに飲んだ。肌に服がしっとりとまとわりつくような汗を覚え、縁側に腰を降ろして煙草をゆっくりと吸いながら、しばらく風にあたった。
 じわじわと込み上げる緊張を、少しでもほぐそうと思って空を仰いでみたが、厚い雲の群れが漂っているだけだった。なんだか雨を含んでいるような不穏な群雲は、彼の気がかりを少しも軽くはしてくれなかった。

 そのまま二本の煙草を消費した柳生は、縁側に腰かけたまま、棚の上に所在なく置かれた写真の束と、固定電話機の横に用意した例の電話帳の方へ顔を向けて、元妻の両親は在宅だろうかとぼんやり考えた。

 出来れば、彼女の母親の方が電話に出てくれれば有り難い。父親は寡黙で気難しい人間で、結婚の際も離婚の際もジロリと睨まれ、手短な説教と確認事項で会話が終了したのだ。父親の方が出てしまう事を考えると、どの時間が一番失礼がないだろうかと思案してしまう。

 まずは珈琲を淹れよう。

 それからタイミングを見て、電話をかければいい。

 勇気がないわけではないと自分に言い訳して、柳生は理由を作って重い腰を上げた。けれど新しい珈琲豆の袋を開けた時、玄関の呼び鈴が響き渡った。

 こんな中途半端な時間に一体誰だろうか、と心当たりのない突然の訪問を思っていると、瞬きをする間もなく呼び鈴が立て続けに鳴らされた。その時点で、既に思いあたる人間は一人しかいなかった。

「せんせーッ、先生、僕ですよ岡村です~! せんせー、ケーキを一緒にたべましょうよ~!」

 そういえば数時間前に電話で、人気のケーキがどうのと岡村が言っていたことを思い出した。
 柳生は無視できないやかましい呼び鈴と、小学生が友達を呼ぶような調子の呼び声に、たまらず珈琲豆の入った袋を投げ出して玄関に向かった。

「やかましいッ」

 玄関を開けて一番にそう告げたら、岡村がコンマ二秒ほどだけ小首を傾げた。

「先生せんせい、そんなことより見て下さい! 限定版のケーキなんですよッ、僕ほんとに超並んでようやくゲット出来て大興奮ですよ! ――あれ? 先生、なんだか重々しいオーラが出てますねぇ、執筆中だったんですか?」

 岡村はそこで、何やら思い至ったような顔をした。ほんの一秒ほど思案したかと思うと、荷物のない空いた方の手で指をパチンと軽快に鳴らした。

「さては、アイドルのビデオでも視聴してたんでしょ、ヒュ~」
「口笛が出来ないからといって、台詞にするんじゃない。今すぐ会社に送り返してやってもいいんだぞ」

 柳生があの女編集長を思い浮かべて指摘してやると、岡村は途端に情けない表情をして「そんなぁ」と言った。

「暑い中、精一杯急いで駆けつけた僕に水を一杯出して、いや出来れば冷房の効いた室内のソファで寛がせてもらいながらケーキを食べさせてくれて、その後少しだけでもテレビ番組を見る時間をくれたっていいじゃないですか」

 岡村という男は、根本的に遠慮や礼儀を知らない男だ。自分の欲望にここまで忠実な人間というも、逆に珍しい気はする。

 どうせ会社の方には「先生の原稿の件で」とかなんとか言っているのだろうな、と柳生はいつものパターンを考えつつ、結局は汗だくでニコニコと立っている岡村を追い払えず家に上げた。


 午後三時の菓子休憩には少し遅い時間だったが、男二人でケーキを食べることになった。デザート持参のおしかけは過去に何度もあったので、岡村は勝手知ったるキッチンと言わんばかりの的確さで準備を整え、柳生を心底呆れさせた。

 確かに「勝手にやれ」とは言ったものの、ティータイムに必要な物の置き位置を、男に把握されているというのも、なんだか気持ちが悪い。


 開店の数時間前から並ばなければいけなかった、と岡村は自慢したが、こいつは一体どんな理由で会社に連絡を入れて、その行動についてカモフラージュしたのだろう、と柳生は気になって仕方がなかった。

 一日五十個限定だという『ブルーベリーのクリームチーズタトル』は、確かに美味かった。だからといって、ケーキを半ホール食べるなど柳生は考えていなかったので、残ったケーキを岡村がすべて胃に収めてしまったのには吐き気を覚えた。

 食欲が満たされると、岡村は近くの自動販売機で購入してきたらしい炭酸ジュースを飲みながら、アイドルが出演しているテレビの音楽番組を見始めた。「普段は見られないんですよねぇ」と感慨深そうに語ったが、普段から見られるという方が問題である。
 岡村がテレビに映るアイドルのミニスカートを真剣に見つめている間に、柳生はリビングを出て、電話帳を確認しながら元妻の実家に電話をかけてみた。

 電話番号が変わっていたら、と番号の最後を入力した時には心配になったが、受話器から問題なく発信音が鳴り始めてほっとした。

 しばらくも待たずに、電話が繋がって「はい」と女性の声で応答が上がった。一瞬、どう切り出してよいのか分からなくなったものの、どうにか「柳生ですが」と戸惑いつつ述べると、向こうから「あ」とやや驚いた感じの声が返ってきた。

 声は少しばかり細くなっていたが、電話の相手は、元妻の母親であった。柳生はリビングでくつろぐ岡村を警戒しつつ、単刀直入に妻と娘について尋ねてみた。

 彼女の母親は困惑と小さな驚きを見せたが、ぽつりぽつりと話してくれた。話の間、柳生は少し相槌を打つ以外は言葉を発しなかった。通話時間は五分もなかったが、まるで世界が呼吸を忘れてしまったかのように、一秒ごとが重々しく感じた。


「――それは、本当ですか?」


 話をすべて聞き終えた後、柳生は、まずそう訊き返していた。どうしてか、問い掛ける声が息苦しかった。彼女の母親は肯定するばかりで、否定は一切してくれなかった。
 柳生が電話を終えて受話器を置いたところで、リビングから一つの落胆の叫びが上がった。

「ああああああぁぁ、とうとうアイドルのパンツは拝めませんでした……!」

 そう事後報告のように言って、岡村が全力で苦悶する。リビングに戻った柳生は、いつもするように呆れて笑って見せたつもりだったが、その表情が作れているのかは自信がなかった。さっさと本社に戻れ、という普段の言葉をどうにか返した。
 視線を向けた岡村が、数秒ほど変なものを食ったような顔で柳生を見た。

「先生、なんか――悪い物でも食わされて今にも釘付き金属バットで相手をボコりに行く番長みたいな顔してますけど、ケーキ、お口に合いませんでしたか?」
「俺の地顔は、そんな凶悪面なのか」

 ほんと、お前って空気読まないよな。

 柳生が肩の力を抜いてそう苦笑すると、岡村は消化不良を起こしたような顔をして「そんなんじゃないんですけど、なんだろう?」と小首を傾げた。

「まぁ問題ないんならいいんですけど。あ、僕が片付けますね」

 そう言って立ち上がり、岡村はテーブルの上を片付けにかかった。

 柳生は、岡村がキッチンに消えていくのを確認した後、ソファに腰を落とした。まずは落ち着かなければいけない。そう頭では分かっているものの、心がぐらぐらと揺れて吐きそうだった。今は一人で考える時間が必要だった。

 何故なら、今でも手紙が届く元妻と娘は、八年前には亡くなっていて、二人とも、もうこの世には存在していないのだという真実を、己の中で整理しなければならなかったからだった。
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