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51話 密着のご褒美は勘弁ください、下

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「そんなことはないですよ」

 赤い髪に埋められている彼の唇が、言葉を紡ぐ。

 それがやけにぞくぞくと聴覚からしみ込んできて、エリザは悲鳴を上げそうになった。

(と、というかっ、それ以上くっつかれたら女の子だってバレちゃうんじゃないの!?)

 向かいでフィサリウスは完全に無視して紅茶を飲んでいるが、これは緊急事態ではないだろうか。

 エリザは焦りを覚え、ひとまず見かけは平にしている胸元を死守する。

「あ、あのっ」
「だめですか?」

 すぐそこから、弱った仔犬みたいな雰囲気の声で言われた。

(……そ、そんなこと言われたら私弱いよ!?)

 これまで彼をみてきたせいで抵抗にも出られなくなる。

 本気を出せば『怪力の指輪』でどかせられるだろうけど、公爵令息を怪我させるのもまずいし――。

「えぇと、その、どうして抱擁が必要なのかなぁとか、思ったり……」
「すみません、こうしていると安心するんです」
「……もしかして、不安感を拭うため?」
「はい、そうです。僕は先程頑張ってきたのでまだ不安が残っているんです」

 すぐ横から、髪に顔を埋めた彼が息を吸う音がする。

 適当に言葉を返されている感じかするのは、気のせいなのだろう。彼に掛けられている『呪い』は術者以外の女性を退けるためのものだ。

 つまるころ、そのせいでざわついている胸を鎮めたい、ということなのだろう。

(彼の意見はものすごく尊重してあげたいんだけど、うっかり胸元に触れたら、すがに絶対女の子だとバレるよねっ?)

 服で隠れてしまえる胸とはいえ、サラシなどで固くして隠しているわけではないので、うっかり触られでもしたら確実に女だとバレる。そんなことになったらジークハルトがパニック状態になって、久しく見ていないストレスの爆発とやらを見そうで、怖い。

 しかし緊張に身体を固くしていたら、彼は絶妙に胸を避けてかき抱いてきた。

(あ、なんだ――今のところは大丈夫そう)

 そう思って、身体から力が抜けた時だった。

「ああ、あなたという人は――」

 そんなジークハルトの声か聞こえた気がしたのも束の間、エリザは身体が軋むほどぎゅぅっと抱き締められて「ぐぇっ」と呼気がこぼれた。

「ちょっ、ジークハルト様苦しいです! 骨っ、骨が折れる……!」
「もうちょっとだけ」

 肩と首の間にジークハルトの頭が潜り込んで、髪先がくすぐったい。首筋の匂いを嗅ぐようにすうっと息を吸い込まれた。

 フィサリウスが、額に手を当てて天井を向いた。

 ようやく意識が戻ったのか、寝椅子にいたルディオが頭を持ち上げ、こちらを見たのをエリザは目撃した。

 だが目があって二秒、ルディオが目を回して再びソファに頭を落とした。

「えっ、ルディオ大丈夫――ぐぇっ」
「エリオは甘い匂いがしますね」

 まるで『こっちを意識して』と言わんばかりにジークハルトが深く抱き、肩口に顔を埋める。

「すみません、香水はつけていませんし、私がする匂いもあなた様と同じ公爵邸の石鹸の香りだと思われます!」
「甘い湯にでも浸かっているのですか?」
「は? ……なわけないでしょう! 浸かる時は、モニカさんにもらった薔薇の花弁を浮かべているくらいですっ。あの程度では匂いはつかないかとっ」

 なんとも贅沢な風呂の使い方だとエリザは思ったものだが、モニカだけでなく他のメイド達も『この方が疲れが取れます』、『この国での風呂の楽しみ方の常識です』などと強くすすめられてしまい、二、三日に一回はするようにしていた。

 フィサリウスが、今度は両手に顔面を押しつけていた。

「薔薇の、花弁……」

 ジークハルトがピタリと止まり、呟く。

「モニカさん達に教えてもらったんです。この国では、疲れを取るために香りのついたお湯に浸かるのはよくあることなんでしょう?」

 エリザは不思議に思い、こちらから見えるジークハルトの明るい栗色の頭へ目を向けた。

「……そう、ですね」
「でもあれって、お湯から出て時に肌にくっついてくるからちょっと苦手なんですよね。新しいお湯で流しちゃだめって言われて、そのままタオルで拭きながら落としているんですけど、結局は指で取ったり」

 ピシリ、とジークハルトの身体が硬直した。

「ストップ。待って待って〝エリオ〟」

 フィサリウスが、強く男性名で呼んできた。

「まずはその話題からいったん離れようか。とりあえず、そっとそこから降りなさい」

 珍しく笑顔が強張り気味で、エリザはこくりと頷いてそれに従う。

「よし、いい子だね。さ、それで少し距離を開けて隣に座って……いいかい、エリオ。あらぬ想像を余計に刺激するから、男の前で、いや人前でそういう話をしちゃいけないってことを、君にはまず覚えて欲しいな」

 この国の常識の話をしただけなのに、不思議だ。

 エリザはそう思いつつ、首を右へと傾げる。

「分かりました」
「うん、全然分かってない顔だね」

 フィサリウスが、再び気絶したルディオを憐れそうに見やった。

「うーん、今夜、いや明日がすごく心配だなぁ……」

 今夜か明日と言えば、ジークハルトの呪いが解ける日だ。

 それなのにどうして心配なのだろうと、エリザは紅茶を飲みながら不思議に思ったのだった。

               ◆
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