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四章 ラビ、相棒の黒大狼と地下空間にて(上)

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 落下は長い間続いた。頭上の穴の光も見えなくなった頃、ノエルの背に乗ったラビは、ふわりと穴の底に着地した。

 そこは、岩肌がごつごつとした薄暗い場所だった。少し肌寒さがあって、空気はしっとりと湿っている。掘られただけの地下通路のようで、辺りは岩に囲まれていて狭く、光の差しこむようなところは何処にもないのに、不思議と視界は真っ暗ではなかった。

「ここ、一体どこだろう?」

 彼の背から降りたラビは、頭上を見上げてそう呟いた。自分の声が鈍く響き渡って消えていく様子と、落ちてきた穴の入口の光さえ見えない事から、随分深い場所まで来たらしいと察した。

 落下している間に足元の小さな振動は止まっていて、耳を澄ましても、一階に残してきたセドリック達の声は聞こえてこなかった。地上の方がどうなっているのか気掛かりだったが、地震のような揺れがやんでくれているのは安心出来た。

 するとノエルが、掘られただけのような手狭な地下通路内を見回して、口を開いた。

『ここは聖域だ。ラビの足元に穴が開いたってのも、何か意味があるのかもしれねぇな』
「どうして?」
『ここは妖獣師のための神殿だ。俺らを見る事が出来る人間も、古い時代に失われて、長い時間を経てようやく、一人がこうして辿り着いた――まぁ信仰心のある連中なら、きっとそう言うんだろうな』

 まるで誰かの言葉を思い出すかのようだった彼が、ふと気付いて、後半で声の調子を戻してそう締めた。

 大昔にはノエルのような妖獣がいて、彼らと共存し生活していた妖獣師がいた。以前の説明で、彼らは『使い手』と呼ばれている不思議な術が使える獣師だった、という話をラビは思い返した。

 けれど自分は、ノエルの姿が見えて、動物とお喋りが出来るというだけだ。他にはこれと言って特別な事は出来ないから、不思議になってしまう。

「俺はどこにでもいる、普通の獣師だよ?」
『そうだな。魔力――っじゃなくて、えぇと術が使えるエネルギーを持っていないから、術者にはなれないな』

 ラビの問いかけを受けて、ノエルは視線をそらして言葉早くそう答えた。話を切り上げるように『こっちの方から術の気配がする。行ってみようぜ』と言い、優雅なたっぷりの毛並みを持った尻尾を揺らして誘った。

 足元は、岩肌がゴツゴツとして歩きづらかった。ラビは転倒してしまわないよう、慎重に歩き進んだ。何度か手をついた壁の岩は、濡れているわけでもないのにしっとりとしていて、まるで磨かれたように滑らかな手触りだった。

「そういえば、光が一切入っていないのに真っ暗じゃないよね。それも不思議な術が働いているからなの?」
『術の中だと、視界を奪う効力をかけられていなければ、こんな感じだな。この場所が崩れてしまわないように守るための結界と、外側から存在を隔離する術が応用されているみてぇだが、場が神聖過ぎて、俺にはちょっと感知しづらい』
「ノエルは凄いね、なんでも知っているんだもの」

 ラビは、感じたままそう口にした。ここにいるのは自分と親友の彼だけで、気を張る必要がないから、強い男の子のようにあろうという普段の意識が外れて、自然と本来の柔らかな口調になっていた。

 それは嘘偽りのない本心からの褒め言葉だ。それを知っているノエルは、先頭を歩きながら少し照れたように尻尾を数回振って、いつもは凛々しい眼差しを和らげた。

『別に凄くはないさ。それを言うんだったら、ラビもそうなんだぜ? 耐性がないと、普通の人間はここに居続けられない。視界は霞むし、記憶が曖昧になって、最後は意識が飛ぶ』
「酸素が足りなくなるってこと?」
『いや、そういう意味じゃないんだが……まぁ確かに昔、洞窟の話を聞かせた時にそうは教えたけどさ……――まっいいか』

 話しながら後ろに顔を向けたノエルは、幼い頃から変わらないラビの大きな金色の瞳に、まるで冒険みたいだね、というキラキラとした輝きを見て説明を諦めた。

 しばらくすると、数人の人間が円陣を組めそうな、円形状の行き止まりに到着した。正面にある壁には、落書きのような記号らしき物が彫られていて、ノエルと共にその前に立ったラビは「なんだろう?」と小首を傾げた。

「ここで行き止まりみたいだけど、もしかして何か秘密の通路を開くために必要な、暗号だったりするのかな」
『あながち間違いじゃねぇな。これも術の一つだ、言葉で発動する仕組みになってる』

 とはいえ、と、ノエルは途端に乗り気でなくなった様子で、どうしたもんかなと首を傾げた。

『これは特定の妖獣を出入りさせるための『扉』だ。宝物庫(ほうもつこ)や書物庫なんかで、それを管理させる程度の小さな妖獣用だから『砂の亡霊が守るほどの宝』の在り処に繋がる可能性については、期待出来ねぇし……このスペースの広さからすると、恐らく一部の金銭的な価値がある物を、保管していた倉庫の一つだったんだろう』

 そう推測を口にして、彼が狭いこの場をざっと見やる。

 ラビは言われた内容を、頭の中で反芻した。それから、ようやく理解したという顔を彼に向けて確認した。

「つまり、ノエルみたいに他の人には見えない、お喋りが出来る妖獣がこの向こうにいるの?」
『岩の向こうというか、妖獣世界の特定の箇所に繋げられている状態というか――あぁ、うん、分からないって顔だな。簡単に言えば、その妖獣が暮らしている家の玄関を、ノック出来るようになってんだ』

 そして、呼び出されたら、人間世界への一時的な出入りを許される。

 思い返すように呟いたノエルが、ふっと冷静な表情に感情を戻して『なんだか嫌な予感がするんだよなぁ』と、不安そうに視線を返してきた。ラビは、どうして彼が期待外れだと言い、そのうえ困ったような表情をしているのか分からなかった。

「ずっとここを出入りしていた妖獣なら、少しは何か知っているかもしれないよ?」
『うん、お前ならそう言うと思ったんだよ』

 先にも言ったが、情報を持っている事は期待出来なくてだな、とノエルは説いた。相手の妖獣が、どんな種族なのかについても嫌な予感が込み上げるのだが、そちらの直感については気のせいであって欲しい、と、つい本音をこぼしつつ続ける。

『いいか、ラビ、特定の役目を与えられる小物の妖獣ってのは、大抵は人間みたいな好奇心は持ち合わせていない奴が多いんだ。ここがどこで、他にどんな秘密が隠されているか、なんていうのは連中にとって重要じゃなくて、一つの役目だけを当然みたいにこなすパターンがほとんどだから、自分の役目に関係ない事は求めな――』
「お話をしない子が多いってこと?」

 昔から動物に好かれる体質だったラビは、自身のこれまでの経験が、一般の獣師にはないものだと疑問に思わないまま、よく分からなくてそう尋ねた。

 話しを遮られたノエルが、思わず一瞬沈黙して『『お話し』……』と、彼女の素直で愛らしい口調を口の中で反芻する。そして数秒ほど、場は完全に静まり返っていた。

 地面に目を落として、じっと黙り込んでいる彼が不思議になって、ラビは、「どうしたの?」と声をかけた。

 伏せていた耳を先に上げて、ノエルがゆっくりとぎこちなく顔を上げた。なんだか引き攣った愛想笑いを浮かべてきたので、よく分からないけれど「ん?」とにっこり笑い返してみたら、何故か途端に、彼が顔を前足で押さえてしまった。

『…………チクショー愛らし過ぎて反対出来ねぇ。なんて十七歳にもなって、チビだった時と何一つ変わらないんだ? ずっと面倒を見ていた『ウチの子』が一番可愛い、って言う親の気持ちが、今ならよく分かる気がする……』

 多分これ親心なのか、と震える声で呟きを落とす。

 ノエルが『ぐぅ』と呻いて、『わけ分かんねぇくらい俺が弱くなってる』と、口の中でぶつぶつ続けた。ラビは、それくらいしか聞き取れなかったから「前半なんて言ったの、ノエル?」と、きょとんとして小首を傾げていた。

『ラビ。なぁ『小さなラビ』』

 しばしの間を置いて、こちらを見たわけでもないのにノエルがそう呼んだ。

「なに? というか、顔を伏せてどうしちゃったの」
『頼むから、セドリック達がいないからって、あんまり緊張感ゆるっゆるで小首傾げるのもやめてくれ……』
「何言ってんの、ノエル。オレ、気を引き締めてここに立ってるよ」

 セドリック達とは離れてしまったけれど、心強くて大好きな親友と一緒なので強い緊張や不安はない。知らない土地で初めての遺跡だ、ノエルとこうして歩いている事にわくわくしている気持ちもある。

 しかし、こうして歩いている地下の探索も、第三騎士団の専属獣師として調査に来ている、という意識は、常に持って行動しているつもりだった。

『仕方ねぇ。分かったよ、その妖獣にまずは話を聞いてみよう』

 顔を押さえていたノエルが、深い溜息を吐いて、ようやく前足を下ろして顔を上げた。壁に向き直ると、そこに刻まれた記号を目で辿り、こちらを振り返った。

『これは、人間だったら誰でも反応するタイプのものだ。ノックを五回して、ここに書かれている名前を復唱すれば、発動する術になっている』
「これって文字なんだね。なんて書かれているの?」
『トーニャリンドン・タイガベルツリー』

 間髪入れず、ノエルが真面目な顔でキッパリそう言ってきた。

 ラビは、教えられたその言葉を聞いて、数秒ほど固まってしまっていた。どうにか頭の中で、その名前を繰り返して記憶に叩きこむ。

「……あのさ、ノエル? なんか聞き慣れない名前というか、発音の組み合わせが変というか、どっちも長いような気がするんだけど」
『そうか? 正式名の一部分だから、短い方だが。まぁこっちで付けられる名前とは、少々事情が違って、そのまま呼ぶ事もないからな。呼び名として使うなら『トーリ』になる』

 どこでどうやったら、トーリ、というあっさりとした名前に短縮されるのだろうか。

 ラビは、法則性がちょっと分からないな、とは思った。けれど頭に入れた呪文みたいな名前が消えてしまわないうちに、暗号のような記号が刻まれた壁へと向き直って、そこを五回ノックして口を開いた。

「トーニャリンドン・タイガベルツリー」

 初めて声に出してみたその奇妙な名前は、不思議と馴染むようにして、すらすらと口から出てくれた。

 すると、記号のようなものが彫られた壁が、まるで鼓動するように強弱を付けて青白く光り始めた。びっくりして手を離したら、ノエルが隣から『心配すんな』と吐息混じりに言った。

『向こうから、反応が返ってきているだけだ。人間でいうところの、玄関をノックしたら鍵が外れて、その後に扉を開けて当人が出てくる、ってやつだな』
「そうなんだ……、なら『出てくるから待ってて』みたいな解釈でいいのかな?」

 実際に扉が目の前にあるわけではないから、ラビはどうにか考えてそう想像し、そこから小さな動物らしき何者かが現われるのを待った。
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