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「ナンバー4」の里帰り(4)蒼緋蔵邸

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 外と敷地内を隔てる第一の門扉の左右には、茂った森に半ば隠れるようにして、どこの戦争時代の名残だと言わんばかりの、数メートルの高さの塀が続いている。

 そこをしばらくずっと進むと、森の中とは思えない開けた場所に出る。そこは白いコンクリートの地面が広がる大庭園で、その先に蒼緋蔵邸の本館があった。

 改築改造を繰り返しながら、昔からその規模を拡大していった蒼緋蔵本邸は、まるで西洋の城を思わせる外観をしていた。本館は三階建てで、上に複数の尖塔も見える。
 巨大な城のように佇む建物正面には、時代の名残がある大窓が並び、大きな金細工の厚い玄関扉を持っている。手前には、客人が車から乗り降りするためのスペーが設けられており、広々とした正面玄関前は、公園かと目を疑う噴水や花壇が美しい。

「うわぁ……。相変わらず、家とは思えない豪華さだ……」

 下車した雪弥は、十数年ぶりに足を踏み入れた蒼緋蔵邸を見回して、うっかりそんな感想をこぼした。無駄にスペースの取られた広場の噴水では、像の白馬が今にも飛び立とうとしており、それを取り囲むようにしてある庭園も素晴らしい。

 本館自体が、美しいデザインの彫刻がされている事もあって、玄関前だけで美術館顔負けの光景を作り出している気がする。しかし、振り返った先に見える第二の門扉の高い塀には、犬とも狼とも取れない禍々しい生き物の銅像もあった。

 それは凶悪なほど鋭い牙をむき出しにし、入って来る人間を睨み降ろすようなデザインがされていた。今にも噛み殺そうと言わんばかりに大きな口を開け、鋭く大きく突き出た爪が、今にもこちらに振り降ろされんばかりの迫力である。

「う~ん、なんだかちょいちょい、客人を怖がらせる置き物があるんだよなぁ」

 雪弥は、宵月が蒼緋蔵邸の玄関の大扉を開ける中、玄関前の広場に立ち尽くしたまま首を捻った。古い時代から、この一族は西洋文化を取りこんでいるというし、だから悪魔を模したような像やデザインも、たびたび見受けられるのだろうか。

「雪弥様」

 玄関扉から声を掛けられて、雪弥は思考を中断すると「ああ、うん」と曖昧に返事をした。こちらを待っている宵月へ目を留め、唯一持ってきた荷物の一つである携帯電話が、スーツの内側のポケットに入っていることを無意識に確認しながら、辺りを見回しつつよそよそしく足を進めた。

 玄関の内側には、赤い高級絨毯が敷かれた場所が広けていた。西洋風に土足で上がる形式の家となっているのだが、絨毯外の大理石の床も磨き上げられていて、高い天井には豪勢なシャンデリアも見える。

「これがホテルのロビーでもなく、家というのもなぁ……」

 思わず足を止めて呟くと、その横で宵月が「どうぞ、その足をお上げください」と促してきた。幼い頃、母の紗奈恵と共に出て以来だった雪弥は、恐る恐るもう数歩進んだ。

「お、お邪魔しま~す……」

 ぎこちなくそう口にしたら、隣から宵月の「ご自身様の実家でございますのに」という指摘が聞こえてきた。そんな事を言われても、どこからか蒼慶の説教の声が飛んできやしないかとドキドキして、初めての場所を訪れた猫みたいに臆病になってしまう。
 蒼緋蔵邸の本館は、改装されて少し物の配置が違っているだけで、あの頃とあまり変わりはないようだった。綺麗に磨かれた窓ガラスからは、太陽の眩しい光が差し込んで室内を明るく照らし出している。

 後ろで玄関扉が閉められて、どぎまぎしながら足を止めた時、正面奥にあった横幅の広い階段の上から「まぁ!」と、ひどく驚いたような甲高い声が上がった。

「雪弥君じゃないの、待っていたわよ」

 そう言ったのは、現当主の正妻である亜希子(あきこ)だった。しっかり者の猫のような目をした美人顔に、嬉しそうな笑みを浮かべて階段を駆け下りてくる。

 彼女は最後に見た時と変わらず、ショートカットの艶やかな黒髪をしていて、身体のラインが見える品のある服を着ていた。相変わらず若づくりだなぁと思って見つめていると、ヒールで駆けてきた勢いのまま抱きつかれてしまい、加減を調整してその身体を受け止めた。

「お久しぶりです、亜希子さん」

 慣れたように優しく引き離しながら、雪弥はぎこちなく笑って声を掛けた。

 亜希子は「親子の再会なのに、感動が薄いわねぇ」と、すねたような表情を作った。しかし、すぐ顔いっぱいに笑みを浮かべると、成人式以来に見る彼の顔を、目に焼きつけるようにまじまじと見つめた。

「本当、こうして会うのは久しぶりね。お帰りなさい、雪弥君」

 亜希子はそう言って、雪弥の頭にぽんぽんと手を置いた。

 昔から、ずっとこの調子である。雪弥は少し、くすぐったそうに彼女の手を見て、そこからぎこちなく離れた。

「僕が『ただいま』というのも、変でしょう?」
「あら、そんな事ないわよ。だって、ここがあなたの家ですもの」

 亜希子は、持ち前の明るい性格が覗く表情で、あっさりそう言い切った。けれど、ふっと懐かしそうに目を潤ませたかと思うと、ぎゅっと抱きしめ直してきた。それはまるで、母親が息子にするような優しい抱擁だった。

 雪弥は、母の紗奈恵の事を、当主と同じくらい愛していた彼女を思い、されるがまましばらくじっとしていた。亜希子の柔らかなショートカットの髪が頬に触れ、甘い香水の香りが自分の中に広がるのを、ぼんやりと感じていた。

 反応も返さされないまま、亜希子の細い腕には更に力がこもった。彼女は、すっかり大きくなった彼の肩に顎を乗せるようにして、ぎゅっと抱きしめる。

「……お願いだから、まるで知らない人みたいに『お邪魔します』なんて、言わないで」

 そう、切なそうに囁いて、彼女がその腕を離していった。

 雪弥は、視線を再び合わせてきた彼女が、自分からの『ただいま』という言葉を望んでいる事を知った。昔から、共に暮らすことを願っていた人だ。けれど、やはりどうしてもその言葉が言えずに、結局は数秒の沈黙の後、ぎこちない愛想笑いを返していた。

 そんな二人の後ろで、宵月がその様子をじっと窺っていた。彼は亜希子が視線をそらすのを合図に、「雪弥様」と主人の弟の名を呼んだ。

「旦那様はお仕事が入りまして、早朝から家を出ております。蒼慶様からは、到着したらすぐご自分の書斎室へ案内するように、と仰せつかっております」
「えぇ!」

 雪弥は、父を飛ばしてすぐ蒼慶かよ、と思ってしまい、なんのためにここに来たのかも忘れて叫んだ。到着早々、あの兄と面と会うとか嫌だな……そう考えつつ尋ね返す。

「前もって知らせていたはずですけど。父さん、いないんですか?」
「はい。本日のご予定が急きょ詰まったようでして、今のところ、今晩まではお帰りになれないスケジュールかと。その間の訪問者は、すべて蒼慶様が引き受けております」

 淡々と告げた宵月に、亜希子が呆れたように息をつく。

「『引き受けております』と言っても、皆はじめから、あの子を目的にやって来ているじゃないの。少しは、休みも必要だと思うのだけれど」

 亜希子は不満そうにぼやいて、真っ赤な唇をへの字に曲げた。それだけでは足りないというように雪弥を見やると、続けて不満を口にする。

「蒼慶ったら、昔から一緒に遊びにも行ってくれないし、買い物にも付き合わないから、母親としてはつまらないのよね。緋菜と一緒に映画に誘ったら、わざわざその時間に人と会う約束を入れたのよ? 信じられる?」
「えぇと、その、まぁ兄さんの事ですからね。あの性格からすると、買い物とか映画館は、ちょっと難しい気もするというか……」

 雪弥は、口の中でもごもごと言った。あの兄が仏頂面のまま、映画館で炭酸飲料を飲み、デパートで女子の買い物に付き合っている光景を、想像する事が出来ないでいる。

「でも、そうか。父さんとも少し話したかったんだけど……それなら仕方ないか。さくっと兄さんのところに行って、帰ろうかな」
「あら、すぐに帰るつもりなの? 急がないでもいいじゃない、雪弥君。私とお茶しましょうよ」

 そう提案してきた亜希子を見つめ返して、雪弥は「そういうわけにはいかないんです」と続けた。

「長居はしないもりなので、兄さんに話をつけたら、さくっと帰ります」
「雪弥様。わたくしは許可されない限り車を出しませんし、ここにはレンタル車もありませんからね」
「自分の足で帰れるから、平気ですよ」

 言葉を掛けてきた宵月に目を向けず、そう答えた時、「えぇ! お兄様すぐに帰ってしまうのッ?」という可愛らしい声が聞こえてきた。

 雪弥は声の方へ目を向けたところで、リビング側の開かれた大扉からやって来る女性に気付いて、やや遅れて「久しぶり」と少し申し訳なさそうに声を掛けた。すると、彼女がこちらに向かいながら「もうっ」と肩を怒らせる。

「お兄様ったら、まずは他に言う言葉があるでしょ?」

 そう強く言いながら足を進めてくる華奢な女性は、妹の緋菜(ひな)だった。長い黒髪を背中に流した日本美人で、亜希子に似たハッキリと整った小さな目鼻立ちに、怒っても怖さを覚えない、可愛らしい大きな黒い瞳をしている。

 今年で二十三歳になるのだが、童顔であるため十代後半に見える。それでも、彼女が絶世の日本美人である事に変わりはなく、年頃になってからは求婚も絶えないらしい。
 以前、亜希子が「うちの娘は、自分で結婚相手を探すから他を当たりなさい!」と一喝したという話を、雪弥は緋菜の成人式の日に聞いた。緋菜自信も、困ったように「会った事もない女の子に、いきなり求婚の手紙を寄越するのも、変よねぇ」と呟いていたものだ。

 緋菜は、母である亜希子のような気の強い感じはない。大抵は怒っていても可愛らしいのだが、今回は少し違っているようだ。ずっとこちら睨みつけている。

 そのため雪弥は、どんどん距離を詰めてくる緋菜を前に、どこかでヘマをして怒らせてしまったのだろうか、と返す言葉を慎重に考えた。最後に会った成人式や、その後の電話でのやりとりを思い返すものの、これといって身に覚えはない。

「久しぶりだね、緋菜。あ、少し髪も伸びたかな」

 ひとまず空気を変えれば、彼女の機嫌も直るのかもしれない。そう安易に考えて、笑顔で一番無難な言葉を口にしてみた。

 そうしたら、緋菜が片眉を怪訝そうに引き上げた。目の前に仁王立ちしたかと思うと、精一杯怒った表情を作ってこう言い放ってきた。

「雪弥お兄様、私は怒っているのよ? それにっ、まずは挨拶!」

 緋菜は、つま先立ちをして兄の顔を覗きこんだ。雪弥は降参のポーズを取りながらも、やはり出て来ない言葉のかわりに「うん、久しぶり」と返した。

 心底困っているような、下手くそな愛想笑いだった。それを目にした彼女は「仕方ないわね」と言って少し息を吐くと、いつもの穏やかな表情に戻した。

「お帰りなさい、お兄様。本当に久しぶり。……二年も顔を見せないなんて、ひどすぎるわ」
「うん、ごめんね。仕事が忙しかったんだ」

 緋菜は、その言葉の真意を問うように彼の瞳を見つめた。それから、「知ってる?」と幼い表情で続けて、二年ぶりに会う兄を確かめるように、今度はそろりそろりと身体を近づけた。

「私、もう二十三歳になるのよ? 最後にお兄様に会ったのは成人式の日、その前は高校の卒業式だけだったわ」
「僕も、二十四になったよ。兄さんは、来月で二十八歳だね」

 大切な兄妹だ、誕生日や年齢を忘れた事はない。アメリカにいた時も、当日に間に合うようプレゼントを贈っていた。

 すると緋菜が「そんな事じゃないったらッ」と言って、亜希子の後ろに隠れるように踵を返した。彼女の腕に細い両腕を回してから、ちらりと雪弥を見やる。

「毎年、誕生日プレゼントも届くけど…………、でも本当は電話でもいいから、もっとお話したかったし、会いたかったのよ? だって、ここがお兄様の家でしょう? お仕事で忙しいのは知っているけれど、時間を見つけて会いに来るぐらい、いいじゃない」

 そう口にして、緋菜が頬を膨らませて視線をそらす。

 雪弥は何も答えられなくて、困ったように微笑んだ。浮かぶ言葉は、いつも『ごめんね』だ。けれど、またしても彼女を泣かせるかもしれないと思ったら、それを口にする事は出来なかった。

 そんな彼の様子を見て、亜希子が助け舟を出すように、母親らしい笑みを浮かべて自分の腕にしがみついている緋菜を呼んだ。

「緋菜、駄目よ。雪弥君は、自分の力で生活しているのだから、仕事だってとても大切なのよ。それは分かるでしょう?」
「でも、お母様……こんなにお休みもなく頑張っているのに、お兄様が今でも普通のサラリーマンなんて、ひどすぎるわ。あっちこっちに仕事で行かされるなんて、まるでパシリじゃないの」
 
 あ、確かに。

 雪弥は、つい心の中で呟いて、ぽりぽりと頬をかいた。簡単な仕事であると、帰りがけにナンバー1に買い物を頼まれる事も多い。一番面倒なのは「お前今K県にいるな。よし、じゃあ隣のA県にいって、あの名産品を買ってこい。私は今すぐそれが食べたい」という注文である。

 ナンバー1は、遠い場所の買い物を頼む割りに「早急に帰って来い」と言ったりする。他のエージェントに頼めよ、と返せば「お前に頼んだ方が早いから嫌だ」とわがままを言ったりした。全く、とんだ上司を持ったものである。

「まぁ、上司って大半がわがままだから……」

 思い出しながら、雪弥はそう相槌を打った。その視線がそれされた横顔を見て、緋菜が愛らしい瞳を潤ませた。

「お兄様、苦労されているのね。お可哀そう……」

 亜希子が、とうとう堪え切れない様子で「ふふっ」と小さく笑った時、静かに見守っていた宵月が「雪弥様」と声を掛けた。彼が振り返ると、続いて亜希子と緋菜を見やって淡々と口を動かす。

「雪弥様は、蒼慶様と大事なお話しがありますので、この辺りで失礼したいのですが」
「あら、そうだったわね」

 亜希子は思い出しように言うと、雪弥に視線を戻して、少し弱気な笑みを浮かべた。緋菜が「お母様。雪弥お兄様は、蒼慶お兄様となにかお話があるの?」と尋ねる声には答えず、遠慮がちに言葉を続ける。

「昼食ぐらいは、食べて行くでしょう?」

 それは押しつけではない、切実な母親としての希望だった。もう十数年、共に食事を取っていない。

 最後に皆で食事をしたのは、いつ頃だっただろうか。そこには幼い自分がいて、彼の母の姿があって――それすら、もう随分昔なのだと、雪弥は今更のように気付いた。

「兄さんと話してみて、その……タイミングがあえば」

 だから、ぎこちなくそう返した。彼女達を思えばこそ、長居する事は出来ない身だ。迷惑はかけられないと思う。

 亜希子は、その言葉と表情で察したのか「仕方ないわね」と吐息をこぼした。

「お兄様、昼食ぐらい、食べて行って?」

 緋菜が、小首を傾げつつ尋ねてきた。雪弥はとうとう何も答えられなくなって、困ったような優しげな微笑を妹に返すと、その場を後にするように宵月の後ろを歩き出した。
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