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三章(7)白騎士様が私に甘すぎる

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(昨日は大会議があったばかりだし、少し疲れているのかしら?)

 と思っていたら、誰もが近づきがたいと遠巻きで見ている中、彼が老いた執事を突き飛ばしかけたのが見えてシルフィアは慌てて割って入った。

「もしっ、そこのあなた様」
「あ?」

 バクザが不穏な空気をまとったまま振り返る。

「お前は誰だ?」

 てっきり言葉だけでまず一蹴されることを覚悟していたので、シルフィアはほっとした。執事も驚いたみたいに視線を双方に往復させる。

「私はハルゼル家の――いえ【白騎士】クラウス・エンゼルロイズの婚約者、シルフィア・マルゼルと申します。あなた様も彼のことはご存じかと」

 こういう時に婚約者であることを口に出すのも申し訳なく思ったものの、バクザは案の定敵意を緩めた。

「なるほど、クラウスの。俺はバグザだ、彼とは同じく聖女の護衛兼教育係だから名前は知っているんだな」
「はい、そうです」
「それで白騎士の婚約者が、俺になんの用だ?」

 シルフィアは笑顔が今にも緊張でとけそうだったが、そこではらはらと待っている店主や執事のためにも密かに深呼吸して続けた。

「皆様が少々困ってらしている様子でしたので、何かあったのかと思いまして」

 バクザは自覚がないのか「はあ?」と顔を顰める。

 こういう相手には笑顔が有効だ。前世の仕事を思い出して、シルフィアはこちらのペースに引き込むべくこにやかに言う。

「よろしければ、私に話してみませんか?」
「お前に何ができると――」
「ないものはないで仕方ありませんし、私なら、聖女様と同じ女性としての立場で素敵な代案の菓子店も出せるかと思うのです」

 悪くない代案だったようだ。彼が考え、大人しくなる。

 シルフィアは『行って』と店主に目配せした。バクザの後ろで店主が何度も頭を下げて素早く店を畳み、繋いでいた馬で移動する。

「このまま立っているのもなんですから、移動しましょう、ね?」

 執事が慌てて馬車の方へ誘導に入る。シルフィアがバクザの手を取ると、彼は抵抗を見せようとして自分で止めた。

「…………わ、悪かった」

 視線と共に彼が雰囲気から棘を抜き、どこか血色悪くなる。

 バグザは大人しくついてきた。前を歩く執事が、彼を気にしてちらちら何度も見つつシルフィアに囁く。

「す、すごいですね、まるであなた様のお声だけは不思議と心に響いているようです」
「大袈裟ですわ」

 本来、ゲームの彼は兄貴分的に便りがある器の広い男なのだ。

(思えばゲームで【召喚師】バクザが怒ったのを見たのは、修業に苦戦した主人公が悪口を言われて『努力するやつをばかにするのだけは許さない』と説教した場面だけね)

 よほど疲れていたか、それとも恋は盲目か――。

 考えて、それかもしれないとシルフィアは心の中で自分の溜息を聞いた。

(運命を受け入れたはずなのに、クラウスを拒絶できない……)

 たった一言、シルフィアが彼の『チャンス』にお断りの返事を出せば、この関係を終えることができる。

 それなのに、自分から終止符を打てる気がしない。

 先日までずっと、シルフィアはただ彼が終わらせてくれるのを待っていただけだから。

「嘘だろ……俺が菓子を……?」

 馬車の影に入って足を止めた時、呆然とした声が聞こえた。

 手を離して振り返ると、バクザが愕然とした様子でゆっくりと視線を合わせてくる。

「なぁマルゼル伯爵令嬢、俺、何をしていたんだ?」
「……はい?」

 向き合った途端、意味不明なことを聞かれた。

「いやそもそも、なんで俺がレイニア嬢への菓子を買うんだよ」
「え?」
「エビシティオ、悪かったな。俺、なんかとんでもなくいくつも迷惑をかけたような……」

 バクザが額にてのひらを押し当ててよろける。執事が目を潤ませて「とんでもございませんっ」と言った。

「ああ、よかったっ、坊ちゃまが元に戻ってくださった!」
「も、元に?」

 シルフィアは話が見えず困惑した。

「実は、話すのはレイニア嬢だけだとおっしゃって仲のいい女性召喚師を突っぱねたり――」
「うわあぁあぁまずい! サラたちを怒らせた! 俺、なんだってあんな喧嘩売るみたいに追い返したんだっ、報復される!」

 急にバグザが頭を抱えて叫び、シルフィアはビクッとした。だが彼は、ハッと一層深刻そうな表情を浮かべた。

「待て……確認したい、俺はどれくらい召喚師団に立ち寄ってない?」
「教育係にと王宮へと上がって、一週間も経たないうちからずっとです」
「はっ? 嘘だろ!?」

 この反応は――覚えていないのだ。シルフィアは背筋が冷えて、思わず彼の召喚師団のマントコートを握って引っ張った。

「お、お待ちくださいっ、どういうことなのですか?」
「いや、それは俺が聞きたい。お前に話しかけるまでのことは、頭にもやがかかったみたいで曖昧なところが多いというか……」

 どこかで聞いたような話だ。シルフィアは、確信して絶句する。

「なんでさっき、あんなにも人を怒鳴り散らしていたのか分からない」

 バクザはそう告げた。

 執事が馬車を止めたことから彼に短く説明する。バクザきやや驚きを浮かべ、その彼の目は正気に戻ったみたいに真っすぐで――。

(――クラウス)

 同じだ。シルフィアはようやく違和感を思い出した。君とは結婚しないと言いに来た日、クラウスの目は険悪に感じるくらい淀んでいた。

 それは、先程対面したバクザの瞳とかなり似た感じに思える。

(私……とんでもない勘違いをしていた?)

 結婚しないなんて本来の自分なら言わない言葉、おかしくなっていた、信じて欲しいとクラウスは告げて『チャンスを』と乞われた。

 破局後に再会したパーティーでのやりとりも、思えばやりとりに違和感があった。

 途中彼の様子が変だったのは、怪訝さからではなく、本当に理解していなかったのではないだろうか。

 今、目の前で起こった信じがたい一変は、現実だ。

(でもそうだとすると、……いったい何が起こっているの?)

 ゲームでは主人公に恋をするのだから、きっと言い訳だとシルフィアはクラウスを頭ごなしに疑った。彼の真摯な言葉を受け止めてあげなかった自分の対応に、ショックを覚えて胸がどくどくと鳴っている。

 だがその時、突然大きな声が上がって心臓が止まりそうになった。

「よかったバクザ! お前も正気に戻ったのかっ」

 駆け寄ってくる上等な衣装の紳士の顔を見て、シルフィアは今度こそ驚きの悲鳴が出そうになった。

 それは王宮へ出席する必要があった時に、玉座の王家の席に見ていた美丈夫――この国の第一王子アードリュー・クロレツオだ。

 自分は魔法が使えないからと、未来の王政を弟の第二王子に託した。

 王位継承権第一位を弟に譲った聡明さは、数年経った今も熱く語り継がれている。

「で、殿下。どうしてこちらへ」

 バクザが激しく狼狽える。

「全然王宮に来ないと思ったら、クラウスが正気に戻ったと聞いた。白騎士部隊へ行こうかと思ったらお前が別の人間と話しているのが見えた」
「ま、まさか俺は……」
「ああ、私とも話そうとしなかったよ。二言目が『レイニア嬢』だった」

 バクザがさーっと蒼白になる。その言葉はクラウスからも聞き覚えがあって、シルフィアも血の気が引いていくのを感じた。
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