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一章(5)振ったはずの騎士様……が、私に関わってきます

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(……聖女にそれほど夢中なのね)

 部隊内は話に決着がつかなくて微妙な空気なのだろう。そのうえシルフィアは、大事にしていた騎士のことより、レイニアに夢中になっているクラウスに現実を突きつけられたような気がした。また一つ心を彼から離せた。

 聖女が起こしている〝王宮での騒ぎ〟は、始まって間もなく噂になってリューイたちの耳にも届きだしたそうだ。

 第二王子や神官だけでなく、兼護衛の軍人籍の男たちまで夢中になっていく。

「とうとう七人目の最後である〝白騎士〟もハーレム入りしたと噂が出た。まさかと思っていたら婚約の解消を告げたという話が上がってくるし、そうしたら一昨日のパーティーの騒ぎだ」

 シルフィアはどきりとした。

「もう噂になってるの?」
「ああ、クラウスとどんぱちやりあったんだろ? 真面目で従順だった婚約者が、とうとう切れて白騎士に説教したとか」
「ええぇっ、そ、そんなことしてないわ」
「ま、だと思った。周りからみたら意外性がありすぎたんだろうな、シルフィアが男に混じって座学を平気で受ける令嬢だと知らないから。パーティーで見ていた女性陣は『ひどい裏切りをした婚約者を突っぱねていて爽快だった』て高評価だから、安心しろよ」

 何も、安心できない。シルフィアは彼の言い方にも胸が痛かった。

「クラウスはひどくないわ。いい人よ」

 リューイがぽかんとした顔をして、それから小さく息をもらす。

「シルフィア……彼が君を捨てたのは事実だ。悪いとしか言いようがない」
「クラウスは嘘を吐かない。正直な人なの。恋をしたから私と結婚できないと、彼は誠意をもって告げた。彼がそれで幸せだというのなら私は、彼が【白騎士】を目指した時と同じように応援するだけよ」

 シルフィアは『信じて』と友人の手を包み込んだ。

 リューイがそこを見下ろして、痛々しそうに上から自分の手を重ねる。

「シルフィアにそんなこと言われたら殴れなくなった。ったく、昔から優しすぎる、君は少し怒ってもいいと思う」

 仕方ないのだ。嘘を吐かないところをシルフィアも好んでいた。

 白騎士クラウス・エンゼルロイズは超がつく堅物で、彼は『恋心を貫きたい。だから君とは結婚できない』と婚約者に別れを告げるのだ。

 答えないシルフィアの優しい微笑を見つめて、リューイが先に折れたみたいに言う。

「分かったよ。せめて、嫁ぎ先に困っているのなら力にならせてくれ。同期たちの代表としてクラウスのことは改めて詫びる」

 じっと見つめられて、シルフィアは相槌程度の安易な対応はできなくなった。

(あなたが悪いわけではないのに――)

 噂を放っておいたのはクラウスを信じていたからだろう。

 誰も悪くない、そうシルフィアは大切な友人に告げようとして――不意に横から彼と同じ軍服の両手で突っ込まれて驚いた。

 それは見つめ合っていた二人の手をやや乱暴に引き離す。

「見合いは、白紙だ!」

 ぐいっと顔を向けらせられて驚いた。そこに立っていたのは、破局したはずのクラウスだ。

「は……クラウス? いつ戻って来たんだ?」

 リューイもぽかんと口を開けて彼を見つめていた。

「許しを得て王宮から部隊へ足を運んだら、お前がっ、シルフィアと早速見合いすると部下に聞いた!」

 クラウスがリューイの胸倉を掴んで立ち上がらせる。シルフィアは初めて見る気迫に驚いて声が出なくなった。

「待て待て待てっ、部下ってどいつだよっ」
「ギリクだ」
「あー、あいつは今回の件を怒っていてお前の完全な早とちり――て、お前は謝るべきであってシルフィアをどうこういう言える立場じゃねぇぞ!」

 話の途中だったのにクラウスが彼を放り、シルフィアの腕を取って引き起こす。

「やっ、何――」
「シルフィア、とにかく話をしよう」

 見つめられたシルフィアは嫌な気持ちになった。彼は、まるで自分の方が傷ついているみたいな顔だ。

(私の方が、何倍も胸が痛いわ……)

 ずっと前から二人の終わりは知っていた。それなのに、何日も彼のことで胸がざわめく。

「いいえ、エンゼルロイズ卿と話すことは何もありません」

 自分でもびっくりするくらい令嬢然とした他人に対する声掛けが口をついて出た。

 その途端、クラウスがハッと息をのんで目をくしゃりと細める。

 シルフィアは動揺した。これまで彼女にとってクラウスは、八歳も年上の、いつだって模範的すぎる大人の対応をしていた人だったから――。

「そうだよ、ここで話せ」

 リューイが、クラウスからシルフィアを引き離した。

「シルフィアに何したか分かってんのか? 白騎士に結婚前に振られた悲劇の令嬢だって、町の人間も話しているほどだぞ」
「そ、れは……」
「知らなかったってか? お前はマルゼル伯爵も大激怒させた。そこに隠れてる使用人たちも反対するだろうから、話があるんなら俺の前でしろ。あと、発言によってはお前をぶちのめさせてもらうからな」
「追って傷つける真似はしない。誓う」

 クラウスがさっと両手を小さく上げて一歩分距離を置く。

(――確かに傷ついたわ)

 その言葉でシルフィアは悟った。身構えていたはずなのに自分は、レイニアを優先する彼の姿に、確かに傷ついたのだ。

「そもそもなぜ、こちらにいらしたのですか? パーティーでもあなたは私の婚活の邪魔をしました、そして今もです。いったい何がしたいんですか?」

 もう関係ない。そう突っぱねるような声が出た。

 クラウスの顔が緊張に引き締まる。リューイが『おや』という顔をして見守る方向で口を手で押さえる。

「――その婚活の件だが、しないで欲しい」
「あなたにどんな権限があって? 私は別の人と結婚します、だから――」
「だから俺はっ、君に別の人と結婚して欲しくないと言ってる!」

 大きな声にシルフィアはビクッとした。クラウスがハタと気づき「すまない」と言って、それから真剣な表情になる。

「シルフィア、目が覚めた。俺は君と結婚する」
「…………はい?」

 わけが分からない。まったくもって意味不明だ。

 つい数日前、同じようにこうして向き合って、シルフィアは彼に『結婚しない』とはっきり言われたばかりだ。

「いいえ、あなたとは結婚しません」

 二人の中で決定したはずの事実を伝えると、クラウスが激しく動揺しておろおとする。

「お、怒っているのか?」

 シルフィアはいよいよ困惑した。

 振られるのは決まっていた運命だったので、怒ってはいない。

 ただ、ハーレムエンドを迎えたはずなのになぜクラウス戻ってきているのか?

 状況が理解できない。目の前のことは『有り得ない』と頭が否定する。

「……そ、そんなにも君を怒らせたのか……つまり、失望を……」

 長らく黙っていると、クラウスの顔顔色が青くなっていった。

「え? いえ、振られたことは気にしてもいませんから平気です」

 クラウスが完全に動かなくなってしまった。どこか面白そうに眺めていたリューイが「よし」と陽気な声を二人の間に落とした。

「すかっとしたし、終了しようか。シルフィアもちゃんと怒れるじゃないか」
「いえ、私は――」
「さ、家まで送ろう。じゃあなクラウス」

 クラウスが「待っ」と言ったが、シルフィアが警戒したように離れ、リューイに身を寄せると見事に硬直した。

「私はリューイに送っていただきます。さようなら、エンゼルロイズ卿」

 いつの間にか周りの視線を集めていたので、シルフィアは落ち着ける距離までリューイに送ってもらうことにした。

 ◇∞◇∞◇

 見知ったメイドと男性使用人が、ショックを受けているクラウスに困惑しつつ会釈をしてシルフィアたちに続いていく。

「……か、かなり怒っている……」

 シルフィアが一度も振り返ることなく、人込みに紛れていった。

 これまでの婚約期間の中で、彼女にそっけない態度をされことは一度だってなかった。

 でも怒りはごもっともだ。

 聖女のことが落ち着けば結婚かと思いきや、久しぶりの顔合わせで婚約の解消を伝えた。

(なんだって俺は彼女にそんなことを言ったんだ……!)

 クラウスは頭を抱えた。

 婚約者ではない男に堂々送る役目を盗られたこと。そしてその光景が、クラウスの置かれている状況が最悪であることを突きつけてきた。

 シルフィアは、クラウスが十三歳の頃、両親が引き合わせた八歳年下の婚約者だった。

 出会ってから現在まで、二人の関係は良好だったと言ってもいい。

 クラウスも、彼女と結婚するのだろうとずっと思って生きてきた。

 シルフィアは大人びた女の子だった。【白騎士】になるため学校と訓練で忙しいクラウスをよく理解してくれて、だから全力で努力することができ、最年少の二十歳で【白騎士】の名前を継承できたといってもいい。

『振られたことは気にしてもいませんから平気です』

 思い出してクラウスは再び焦燥感がゾッと襲い掛かってきた。

『理解があるというより、見限られてとっくに気持ちはないんじゃないか?』

 騎士仲間にからかいがてら、都合よく考えていないかと指摘されていた。まさに、そうだったみたいだ。

 デートをねだらなかったのも、彼女が手紙さえそんなに寄越さなかったのも呆れていたから。

「…………これは、まずい」

 シルフィアの中で婚約解消は決定事項になっている。

「急ぎ、挽回しないと」

 そうでないと彼女に捨てられてしまう。

 本当に婚約破棄、なんてことになったら、まずい。

 クラウスは、自分以外の男が当然の顔をして彼女をデートに誘い、エスコートする姿を想像するだけで居ても立ってもいられなくなり、考えながらも歩きだす。

(とにかくまずは両親に事情を。それから、マルゼル伯爵家にも知らせを出して――)

 クラウスがまずできることは、正面から真心を込めて謝罪することだ。

 そして、彼女に挽回のチャンスを必死に頼み込もう。
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