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「毎週、休日のドライブが楽しみだ」
そんなことを口癖のように言っていたその始まりというのは、高校二年生の頃に、自動二輪の免許を取ったからだ。
初めて父に買ってもらった荷物の乗らないマニュアル車。それを乗ることは少なくて、学生の頃はもっぱら原付バイクが私の交通手段だった。そうして働き出し、自分で稼いだ金で、今の一人のツーリングの愛車であり、相棒となったサンヤンのRV125のバイクを買ったのだ。
半年間、いろいろなバイクを見て回ったあと、ブルーが眩しいコンパクトなボディとゆったり腰かけられる様が気に入って購入を決めた。
六十キロの走行でトルクが安定するRV125の呼吸はどこまでも心地よかった。
耳元で切る風にも構わずに、ふと浮かび上がったメロディを口ずさんでは、走行を楽しんだものだ。その時の私にもう怖いものなどなかった。
だからこそ、一人ツーリングが当時はできたのだろう。
もちろんそれからはバイト、その後の仕事の行き気だってずっとそのビックスクーターだった。
その相棒のバイクとの印象的な思い出だって語り尽くせないほどあるが、昼だけでなく夜も心強いパートナーだった。
深夜の走行は、車も少なく快適だ。
学生時代から那覇市の330号線はすっかり慣れてしまった道になっている。
そこではいつも浦添市向きへ進路を変えようとサイドミラーを覗き込む。間が悪い時は、コンパクトな鏡に宙から下がった男の首から下が揺れ、後ろを走る数台の車の様子をすっかり遮る。
そのたび私は「やれやれ」と後ろへ首をひねり、走行車との車間距離を確認する。
そうして、充分な距離を取ってから車線変更へと移るわけだ。
バイトからくたくたになって帰る夜、それがまぁとくには珍しくない私の日常の光景の一つではあった。
(ったく、邪魔だなぁ)
そう思いながら当時も車線変更していた。
ハンドルを少し切れば、私の愛車は滑るように第一車線へと入り、そのまま浦添市方面へと下っていく。
バックサイドを確認しようと逆方向のサイドミラーを見やると、同じように宙からぶら下がった男の死体が邪魔だった。
颯爽と快適な走行を続けるRVちゃん――私は愛車をそう呼んでいた。彼はきっと意気投合のできる男の子のはずだが、どうにも後輩のように思えて「ちゃん」をつけるのがしっくりときていたのだ。今も、昔を思い出すと彼、つまりはそのバイクが懐かしくなるよ――の姿は心強い。
怖いものだって、ぐんぐんと引き離してくれるような気がした。
私はバイク一つでどこまでも行った。
週に一度、平日の休日を利用して、その日の気分に応じて北部か南部を目指す。
決まって海岸沿いを走り抜け、急ぎの車に進路を譲っては快適なドライブを楽しんだ。
ついでに好物の沖縄そば巡りをし、知らない道をどこまでもRVちゃんと堪能する。
北部の行きつけスポットは今帰仁、辺戸岬、古宇利島。南部の場合は南風原の野菜市場に寄りつつ、佐敷方面から久高島を眺め、糸満を抜けて那覇から浦添へと戻るコースだ。
十九歳を数カ月ばかり越えたこの日も、朝一番にRVちゃんを洗うと丹念に磨き上げ、一通りの点検を済ませたあとに一人ツーリングへと出発した。
美味しいそば屋の情報を掴んでいたので、昨日から行き先は南部だと決めていた。
平日のため、渋滞する反対車線を悠々と眺めながら私はわざと南部への大周りコースを進んだ。
一度大きく迂回するように浦添市役所通りに出ると、そのまま坂田交差点へ向けて真っ直ぐの道を下り始める。
もちろん、サイドミラーには余計なモノは映り込まない。
快適なドライブのスタートだと思った。
対向車に角のはえた人間が乗っているのには驚いたが、まあ初めてではないので動揺も小さかった。
中学校の頃はぎょっとして、思わずじっと目で追ってしまったものだが。
本当に、あれはなんだったのだろうなぁ。
私は物心ついた頃から、難しいことは考えないようになっていた。
難しい思考を放り投げるのは、実に容易い。
宙に浮いていた黒い翼のモノも、塀に佇んでいた青銅肌のすらりとした動くシーサーも――綺麗だったり不思議だったり、奇妙だったりよく分からないモノだったり。逆にゾッとするほど怖いモノでも、あまり語ってしまってはいけないような気がして、口を閉ざす。
それでも初めて心の底から恐怖したことと、それと一緒に起こった不思議な出来ごとを吐き出したくて、私はようやく、ここにそれだけは書き記すことにした。
それは、とあるツーリングの日のことだ。
初夏の天候はよく晴れていた。
この日も、一段と暑い日差しが降り注ぐ。信号で車体が止まると、バイクにまたがった私は車内に冷房をかける人間をむっつりと眺め、
「なんて初夏だよ」
と、熱気に眩暈を覚えつつ愚痴った。
しかし、ひとたびバイクが走り出すと様子はずいぶんと変わる。
私は頭上に広がる清々しい青を褒めたたえ、涼しい風に身体を打たれながら一人RVちゃんに語りかけるのだ。
「夏はいいなあ」
普段走ることのない道に差しかかると、やはり赤信号でも機嫌は良いままだ。
ジャケットの袖をぞんざいにめくるものだから、帰宅する頃には、すっかり肌が焼けてしまっている。
南部は寄り道をしても二時間で周れるコースである。
寝坊した時や、手軽に海岸の旅を楽しみたい時はいつも南部を巡っているので、北部を周るよりもその回数は自然と増える。
同じようにバイクでツーリングを楽しむ者もいて楽しい。
面白いことはあるもので、時々若い少年や青年に、私は誰かと間違われることもよくあった。
「先輩、先輩! 俺っすよ! いやあ驚いたな。今日は仕事じゃなかったんすか?」
大抵そう声を掛けられるが、私は彼らにまったく覚えがない。
「人違いじゃないか?」
私がそう尋ねてやると、まじまじとこちらの顔を覗き込んだ二人乗りの彼らは、間もなく「あっ」という顔になる。
私は「やれやれ」「またか」なんて思ってしまうのだが、まぁ誤解が解けたあとの空気は、嫌いではない。
「すみません、人違いでした。そちらはドライブっすか?」
「南部を一周。それでいて、一番美味い沖縄そばを食べる」
短い会話は、信号が青に変わることには終わる。
そんなことを口癖のように言っていたその始まりというのは、高校二年生の頃に、自動二輪の免許を取ったからだ。
初めて父に買ってもらった荷物の乗らないマニュアル車。それを乗ることは少なくて、学生の頃はもっぱら原付バイクが私の交通手段だった。そうして働き出し、自分で稼いだ金で、今の一人のツーリングの愛車であり、相棒となったサンヤンのRV125のバイクを買ったのだ。
半年間、いろいろなバイクを見て回ったあと、ブルーが眩しいコンパクトなボディとゆったり腰かけられる様が気に入って購入を決めた。
六十キロの走行でトルクが安定するRV125の呼吸はどこまでも心地よかった。
耳元で切る風にも構わずに、ふと浮かび上がったメロディを口ずさんでは、走行を楽しんだものだ。その時の私にもう怖いものなどなかった。
だからこそ、一人ツーリングが当時はできたのだろう。
もちろんそれからはバイト、その後の仕事の行き気だってずっとそのビックスクーターだった。
その相棒のバイクとの印象的な思い出だって語り尽くせないほどあるが、昼だけでなく夜も心強いパートナーだった。
深夜の走行は、車も少なく快適だ。
学生時代から那覇市の330号線はすっかり慣れてしまった道になっている。
そこではいつも浦添市向きへ進路を変えようとサイドミラーを覗き込む。間が悪い時は、コンパクトな鏡に宙から下がった男の首から下が揺れ、後ろを走る数台の車の様子をすっかり遮る。
そのたび私は「やれやれ」と後ろへ首をひねり、走行車との車間距離を確認する。
そうして、充分な距離を取ってから車線変更へと移るわけだ。
バイトからくたくたになって帰る夜、それがまぁとくには珍しくない私の日常の光景の一つではあった。
(ったく、邪魔だなぁ)
そう思いながら当時も車線変更していた。
ハンドルを少し切れば、私の愛車は滑るように第一車線へと入り、そのまま浦添市方面へと下っていく。
バックサイドを確認しようと逆方向のサイドミラーを見やると、同じように宙からぶら下がった男の死体が邪魔だった。
颯爽と快適な走行を続けるRVちゃん――私は愛車をそう呼んでいた。彼はきっと意気投合のできる男の子のはずだが、どうにも後輩のように思えて「ちゃん」をつけるのがしっくりときていたのだ。今も、昔を思い出すと彼、つまりはそのバイクが懐かしくなるよ――の姿は心強い。
怖いものだって、ぐんぐんと引き離してくれるような気がした。
私はバイク一つでどこまでも行った。
週に一度、平日の休日を利用して、その日の気分に応じて北部か南部を目指す。
決まって海岸沿いを走り抜け、急ぎの車に進路を譲っては快適なドライブを楽しんだ。
ついでに好物の沖縄そば巡りをし、知らない道をどこまでもRVちゃんと堪能する。
北部の行きつけスポットは今帰仁、辺戸岬、古宇利島。南部の場合は南風原の野菜市場に寄りつつ、佐敷方面から久高島を眺め、糸満を抜けて那覇から浦添へと戻るコースだ。
十九歳を数カ月ばかり越えたこの日も、朝一番にRVちゃんを洗うと丹念に磨き上げ、一通りの点検を済ませたあとに一人ツーリングへと出発した。
美味しいそば屋の情報を掴んでいたので、昨日から行き先は南部だと決めていた。
平日のため、渋滞する反対車線を悠々と眺めながら私はわざと南部への大周りコースを進んだ。
一度大きく迂回するように浦添市役所通りに出ると、そのまま坂田交差点へ向けて真っ直ぐの道を下り始める。
もちろん、サイドミラーには余計なモノは映り込まない。
快適なドライブのスタートだと思った。
対向車に角のはえた人間が乗っているのには驚いたが、まあ初めてではないので動揺も小さかった。
中学校の頃はぎょっとして、思わずじっと目で追ってしまったものだが。
本当に、あれはなんだったのだろうなぁ。
私は物心ついた頃から、難しいことは考えないようになっていた。
難しい思考を放り投げるのは、実に容易い。
宙に浮いていた黒い翼のモノも、塀に佇んでいた青銅肌のすらりとした動くシーサーも――綺麗だったり不思議だったり、奇妙だったりよく分からないモノだったり。逆にゾッとするほど怖いモノでも、あまり語ってしまってはいけないような気がして、口を閉ざす。
それでも初めて心の底から恐怖したことと、それと一緒に起こった不思議な出来ごとを吐き出したくて、私はようやく、ここにそれだけは書き記すことにした。
それは、とあるツーリングの日のことだ。
初夏の天候はよく晴れていた。
この日も、一段と暑い日差しが降り注ぐ。信号で車体が止まると、バイクにまたがった私は車内に冷房をかける人間をむっつりと眺め、
「なんて初夏だよ」
と、熱気に眩暈を覚えつつ愚痴った。
しかし、ひとたびバイクが走り出すと様子はずいぶんと変わる。
私は頭上に広がる清々しい青を褒めたたえ、涼しい風に身体を打たれながら一人RVちゃんに語りかけるのだ。
「夏はいいなあ」
普段走ることのない道に差しかかると、やはり赤信号でも機嫌は良いままだ。
ジャケットの袖をぞんざいにめくるものだから、帰宅する頃には、すっかり肌が焼けてしまっている。
南部は寄り道をしても二時間で周れるコースである。
寝坊した時や、手軽に海岸の旅を楽しみたい時はいつも南部を巡っているので、北部を周るよりもその回数は自然と増える。
同じようにバイクでツーリングを楽しむ者もいて楽しい。
面白いことはあるもので、時々若い少年や青年に、私は誰かと間違われることもよくあった。
「先輩、先輩! 俺っすよ! いやあ驚いたな。今日は仕事じゃなかったんすか?」
大抵そう声を掛けられるが、私は彼らにまったく覚えがない。
「人違いじゃないか?」
私がそう尋ねてやると、まじまじとこちらの顔を覗き込んだ二人乗りの彼らは、間もなく「あっ」という顔になる。
私は「やれやれ」「またか」なんて思ってしまうのだが、まぁ誤解が解けたあとの空気は、嫌いではない。
「すみません、人違いでした。そちらはドライブっすか?」
「南部を一周。それでいて、一番美味い沖縄そばを食べる」
短い会話は、信号が青に変わることには終わる。
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