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 リリーローズ・エルボワは、情報通り父のエルボワ子爵とラジニオ子爵らとの談笑のグループにいた。

 王都に出てきたことを知り合いたちは喜んでいるようで、会話は楽しげだ。

「リリーローズも、同年代の子達と話してくるといいのに。滅多にない機会だぞ?」
「いえ、私は……」

 大人達の集まりの中で、ただ一人若いリリローズは柔らかな苦笑を浮かべていた。

 明確な回答を避けているのだろう。

 けれど、彼女の父や彼女をよく知る大人達の意見はもっともだ――とエステルは思った。

「少し、よろしいかしら?」

 毅然としつつ、威圧感を与えない声色を心掛けて声をかける。

 ワインを楽しんでいたエルボワ子爵が、こちらを「ん?」という感じで見た。

 そして、彼はパチリとエステルと芽があうなり、口に少し含んでいた酒を吹き出した。

「まぁ大変っ」

 妻らしき夫人が、慌ててエルボワ子爵の口元を拭う。

 後ろでにこにこと見守っていたアルツィオが、エステルに後ろから耳打ちする。

「お見事です」
「どういう意味の『お見事」なのかしら?」
「迷いがないところ、躊躇しないところ――ですかね? いい妃になりますよ」
「冗談はよしてください」

 二人、小声で手早く会話は済ませる。

 エルボワ子爵も、彼といた貴族達も大変恐縮した様子だった。

「こ、これはエステル・ベルンディ公爵令嬢。あなたの父君である閣下には、我々も世話になりました――」
「堅苦しい挨拶は不要ですわ」

 大丈夫ですから、とエステルは優しく微笑みかける。

「事故についてもお気遣いは不要です。この通り回復しておりますから。今夜は友人と共に、気晴らしに」
「な、なるほど」

 信じてはいないのか、彼らはアルツィオの方を分かりやすいほど何度も確認する。

「私達はプライベートで参加しておりますの」
「は、はぁ、それで、いったいこちらはどういうご用件で……?」
「リリーローズ・エルボワ嬢とお話をしてもよろしいですか?」
「んぅ!?」

 エルボワ子爵が、今度は空気を詰まらせたみたいな顔をした。

 アルツィオが後ろから「愉快な方ですね」なんて言って、場の空気を和ませてくれる。

 だがエステルは、彼の視線ははじめからずっとリリーローズしか見ていないことには気づいていた。

(――そう、露骨に見たらバレますわよ)

 そう言ってやりたいのだが、相手達の緊張と、そして彼のうまい作られた態度や仕草で誰も気づいていないようだった。

 母が気にしつつ、リリーローズをそっと前に連れ出す。

 リリーローズは俯きがちに歩み出てきた。あま目立たないようにと配慮したのか、背中に流した緑の髪を、自分でもかぶれる留め具つきの薄いヴェールで後頭部から覆っている。

(ああ、やはり――とても綺麗だわ)

 長いヴェールからこぼれる緑の髪は、艶があって美しい。

 魔力の属性の影響で髪質がとても艶やかになるとは調査書でも見たが、羨ましいくらい見事だ。

 そのせいか、おずおずと見つめ返してきたエメラルドの瞳に、エステルはますます神秘的だという感想を抱いた。

「私のこと、覚えていらっしゃいますか?」
「え、ええ、もちろんです。私に話しかける令嬢なんていませんでしたから」

 こくこくとリリーローズが頷く。

 一見すると大人びているが、素直そうな反応が可愛い。

(……後ろでアルツィオが、猛烈ににこにこしているのを感じるわ)

 お願いだから変に今は目立たないで、とエステルは願ってしまう。

「私もあまり気を張らないで話した経験はなくて。よろしければ、ご一緒しませんか?」
「えっ、い、いいのですか? ですが」

 リリーローズの目が、戸惑いがちにアルツィオを見る。

 彼女のエメラルドの瞳に自分が映った瞬間、彼の笑顔がにこーっと輝いたのをエステルは見た。

 というか、全員が目撃していた。

 エルボワ子爵も、妻らしき夫人も、一緒にいた貴族達も訳が分からないという表情を浮かべていた。

 ただ、とても友好的だとは伝わったみたいだ。

「ベルンディ公爵令嬢がそうおっしゃってくださっているのだ。お相手してあげなさい」
「は、はい、お父様……」

 リリーローズも、エステルににこっと笑みを返されて、ようやく安心したみたいにこくんと頷く。

(可愛い。私とは全然違うわ)

 こう、不慣れな感じがまた可愛いのだ。

 そこはユーニとはまた違っているところでもあるのかもしれない。

 エイテルはリリーローズを案内しながら、そう考えてしまって、また心が沈んだ。

『君よりも可愛げがある』

 アンドレアの、ふいっとそらされた視線。

 可愛いとは、感情豊かに笑ったりねだるみたいに行動できること、だろうか。

 そんな子供らしいことをしてはいけないと教わった。

 だからエステルは、王太子であるアンドレアに相応しい令嬢になろうと、彼と出会った時に思った。

(それなのに、そのすべてがだめだったの?)

 悔しい、という気持ちが込み上げた

 その努力が、さらに自分をアンドレアから遠ざける結果になってしまったのか。

 エステルだって、したかった。

 年頃の女の子みたいに、会えて嬉しいですと、もう少し一緒にいたいですと思いを伝えたり――。

(それを、ユーニ嬢はしているのかしら)

 醜い、嫉妬だ。
 エステルは悲しくなってしまった。

「エステル?」

 ひょいと横から覗き込まれて、エステルは悲鳴を上げた。

 眼前にぱっと現れたのは、アルツィオの美しい顔だ。

「な、なっ」
「おや、気のせいだったようですね」
「アルツィオ!」

 思わず大きな声を上げて両手で突っぱねてしまったのは、あろうことか彼が近い位置に顔を寄せていたからだ。

(そもそも婚約者ですらないのですけれど!)

 未婚なのにこの距離まて近づけるなんて、あり得ない。

 エステルの両手は、けれどアルツィオに触れもしなかった。彼は憎たらしいことに、軽い身のこなしでよけた。さすがは軍人だ。

「おっと、エステルもこういうことができるんですね。感心です」
「当たり前です!」

 好きでもない男に、我慢して婚約したわけでもない相手にこの距離を許すはずがない。

 あくまで悪い言い方をしないのは彼の才能だが、なんだか遊ばれているようにも感じてむかむかする。

 見た目が好青年なだけに、嫌味っぽい感じが一切しないのも、なんだか悔しい。

(見初めた相手の信頼を得るためだけに、私を使っている人だから、腹黒いところもあるのでしょうけれどっ)

 そう、諦め気味に思った時だった。

 思わず感情的になってしまったと気づき、エステルはハッとした。

「あ、あの、これは……」
「ふっ、ふふっ」

 振り返って、あら、と驚く。

 リリーローズが口元に手を寄せて、こらえきれなくなったみたいに笑っていた。

「エステル様も、怒ったりされるのですね」
「それは……当然です。私だって人間ですわ」
「でも、出会った時もそうは思えなかったものですから」

 ふふふと笑っていたリリーローズが「あっ」と声を上げた。アルツィオも彼女を注目する。

「お名前を勝手にごめんなさい、最後のご挨拶したのも何年か前で……」
「構いませんわ。私のことは、どうぞエステルと。リリーローズ様とお呼びしても?」
「ええ、もちろんです」

 そう話している間にも、目的地だったバルコニーのガラス扉の近くまで来た。

 エステルは、そこに用意されていた円卓を囲む一人掛けソファに、リリーローズを勧めた。

 自分は向かい側に、そしてアルツィオはもちろんリリーローズに近い位置に配置する。

(これで、話しはしやすいわね)
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