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8章 迷宮の先(14)
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「――まぁ、その考えについては、僕の方でも既に考えてはいるんだけど……現実的な可能性としては低いから、なんとも」
セイジが二人の向かい側に膝を折り、背中を丸めるように正座した。ログが片膝を立て、スウェンに向かって「どうなんだよ」と話を促す。
「うん。プログラムの意思については判断し難いけど、マルクの目的については、例えば仮想空間は造り直す事が出来ないから、そこから『メイン・プログラム』だけを移動させられるような、新たな仮想空間システムを作り直すという説はどうだろうか」
かなり非科学的な仮説だけれど、とスウェンは曖昧に語った。
「人間の肉体を使う事によって仕上げられる『仮想空間』があると仮定すると、強力な『エリス・プログラム』を丸ごと移動させられる何かを、マルクは造っている、とかね」
「プログラムを移し替えるって訳か? 確かに面白い発想ではあるな。目的は分からねぇが、成長している人工知能も、最終的に手足を得て動き回るようになりたいとか考えているんだろうな」
ログが投げやりに言って、鼻を鳴らした。
その様子を見たスウェンは、苦笑を浮かべて「まぁ、君の反応は予想出来ていたけどさ」と指先で顎を触れ、話を続けた。
「プログラムの意思とやらが、自由になれる手足を求めているのかはさて置き、――つまりマルクが、そうしなければ叶わない目的が謎だからこそ、こちらもそれ以上の推測の立てようながないという事に変わりはない」
今回の事件に関しては、動機とその目的が一番の謎だった。『仮想空間エリス』が秘めている可能性から考えると、絞り込むのはかなり至難となっている。
「軍事兵器としての利点だけを追求すれば、ここでは何でも用意出来る訳だし、どんな世界でも構築可能だ。これがマルク本人の意思だけによる物なのかによっても、先読みは大きく変わって来るよ。マルクに関しては、擁護する声もあるし? とすると、他にも何者かが自分の都合の良いように、マルクをそそのかした可能性も上げられる訳で」
「ああ、共犯説か」
そこで、ログが思い出したように呟いた。
「考えたら、カーチェイスした時も、あいつ一人が相手だったな」
「ふふ、ログの発想が当たっているとするならば、もしかしたら本当に、人工知能である『エリス・プログラム』が、彼を誘惑したのかもしれないね」
スウェンは不敵に笑ったが、すぐに「冗談だよ」と付け加えた。
そんな事ありはしないだろう。研究はすでに停止されており、外部の協力者なしには、一人でここまで事を運べないだろうから。
会話はそこで途切れてしまい、しばらく、それぞれが考えに耽った。
ログが欠伸を三度噛みしめ、スウェンが二回背中を伸ばし終わっても、訪れる者の気配はなかった。
セイジが落ち着きなく立ち上がり、入口に何度も目を向けながら右左へ足を動かせた。時々、彼はスウェンとログを盗み見ては、暇を持て余したように、自分の靴先へ視線を落とす。特に気にもならない靴の土埃を、意味もなく手で払ったりもした。
「でも、ちょっと安心したな」
セイジが、珍しく独り言をもらした。スウェンが「何がだい?」と反応すると、セイジは寛いで座り込む二人を振り返り、少しだけはにかんだ。
「エル君を置いていったりは、しないんだなと思って。だって、いつもなら任務には含まれない事だからといって、構わずに行ってしまうだろう?」
そう言って、セイジは少しだけ寂しそうに笑った。
現地でせっかく知り合えた友人や、協力者に別れも告げずに去っていった経験は、数え切れないほどあった。組織として活動していた頃、エリート軍人としての徹底教育を施されていなかったセイジは、特に辛い思いをした。彼が感情に揺らいで発言する意見など、誰も受け入れてはくれなかった。
戦場下や、失敗の許されない任務で、一時の感情は命取りになる。そう学んでいたから、セイジは仲間や上官を責める事は出来なかった。
それでも、セイジの良心は、後悔の痛みを忘れられないでいた。きちんとお別れをしておけば良かったと、その相手が既に他界したのだと後になって知るたび、静かな諦めに似た胸の痛みに苛まれるのだ。
ログが「ふん」と鼻を慣らし、面倒臭そうに頭をかいた。
「スウェン隊長が待つって決めたんなら、俺も付き合うさ。あのガキには協力すると断言されたし、ああ見えて結構根性もあるから、十分役にも立つだろ」
スウェンは、何事か言い掛けてログを見つめ返したが、結局言葉にはせず、最後は困ったように微笑んで、他まだ二迷い続ける視線をそっとそらした。
しばらく待った頃、ようやく二組の足音が聞こえ始めた。ログとスウェンも足音に気付いたが、一番に顔を向けたのはセイジだ。
セイジは振り返り様、到着したばかりのエルと目が合った。日本人にしては明るい茶色の色素が際立つ、大きな瞳を持った華奢な顔をしたエルと、数秒ほど視線が絡まった。
不意に、セイジは強い既視感を覚えた。頭がグラリと揺れるような、鈍い痛みに目が眩んだ。それは本当に一瞬の事で、セイジは自分が思い出しかけていた事について、すぐに忘れてしまった。
到着を待たれていたエル当人は、閑散とした空間内に足を踏み入れたところで立ち止まった。
エルは、既に事が終わってしまったらしい事について、何も無い空間を見てすぐに理解していた。真っ先にセイジと目が合ったが、彼からは戸惑う様子が見受けられた事を不思議に思った。
どうしたんだろう、と首を傾げたところで、エルは、姿勢を楽にして座り込むログとスウェンからも視線を向けられ、居心地の悪さを覚えた。
どうやら、自分達が最後の到着だったようだと思いながら、改めて今の状況について考える。遅れてしまった事については謝ってやってもいいが、待てないほど急いでいるのであれば、先に進んでいてくれても構わなかったのだ。
エルは、非難でもなく安堵でもない、他に何か言いたい事でもあるような男達の表情を眺め、ますます困惑した。
「――お前ら、揃いも揃ってどうしたの? なんか妙なもんでも食ったのか?」
本人にはまるで自覚はないが、開口一番、失礼な物言いである。そんなエルの怪訝そうな顔を見て、ログが「俺はパス」とスウェンに振った。
スウェンがぎこちなく笑みを作り、立ち上がり様に右手を上げてエルに応えた。
「ははは、相変わらずだねぇ、エル君。無事で何よりだよ」
「そんなに俺は弱くないって行ったじゃん。クロエは絶対に取り戻すって、そう決めていたもの」
エルのボストンバックから、クロエが顔を出して「ニャーン」と楽しげに鳴いた。
セイジが二人の向かい側に膝を折り、背中を丸めるように正座した。ログが片膝を立て、スウェンに向かって「どうなんだよ」と話を促す。
「うん。プログラムの意思については判断し難いけど、マルクの目的については、例えば仮想空間は造り直す事が出来ないから、そこから『メイン・プログラム』だけを移動させられるような、新たな仮想空間システムを作り直すという説はどうだろうか」
かなり非科学的な仮説だけれど、とスウェンは曖昧に語った。
「人間の肉体を使う事によって仕上げられる『仮想空間』があると仮定すると、強力な『エリス・プログラム』を丸ごと移動させられる何かを、マルクは造っている、とかね」
「プログラムを移し替えるって訳か? 確かに面白い発想ではあるな。目的は分からねぇが、成長している人工知能も、最終的に手足を得て動き回るようになりたいとか考えているんだろうな」
ログが投げやりに言って、鼻を鳴らした。
その様子を見たスウェンは、苦笑を浮かべて「まぁ、君の反応は予想出来ていたけどさ」と指先で顎を触れ、話を続けた。
「プログラムの意思とやらが、自由になれる手足を求めているのかはさて置き、――つまりマルクが、そうしなければ叶わない目的が謎だからこそ、こちらもそれ以上の推測の立てようながないという事に変わりはない」
今回の事件に関しては、動機とその目的が一番の謎だった。『仮想空間エリス』が秘めている可能性から考えると、絞り込むのはかなり至難となっている。
「軍事兵器としての利点だけを追求すれば、ここでは何でも用意出来る訳だし、どんな世界でも構築可能だ。これがマルク本人の意思だけによる物なのかによっても、先読みは大きく変わって来るよ。マルクに関しては、擁護する声もあるし? とすると、他にも何者かが自分の都合の良いように、マルクをそそのかした可能性も上げられる訳で」
「ああ、共犯説か」
そこで、ログが思い出したように呟いた。
「考えたら、カーチェイスした時も、あいつ一人が相手だったな」
「ふふ、ログの発想が当たっているとするならば、もしかしたら本当に、人工知能である『エリス・プログラム』が、彼を誘惑したのかもしれないね」
スウェンは不敵に笑ったが、すぐに「冗談だよ」と付け加えた。
そんな事ありはしないだろう。研究はすでに停止されており、外部の協力者なしには、一人でここまで事を運べないだろうから。
会話はそこで途切れてしまい、しばらく、それぞれが考えに耽った。
ログが欠伸を三度噛みしめ、スウェンが二回背中を伸ばし終わっても、訪れる者の気配はなかった。
セイジが落ち着きなく立ち上がり、入口に何度も目を向けながら右左へ足を動かせた。時々、彼はスウェンとログを盗み見ては、暇を持て余したように、自分の靴先へ視線を落とす。特に気にもならない靴の土埃を、意味もなく手で払ったりもした。
「でも、ちょっと安心したな」
セイジが、珍しく独り言をもらした。スウェンが「何がだい?」と反応すると、セイジは寛いで座り込む二人を振り返り、少しだけはにかんだ。
「エル君を置いていったりは、しないんだなと思って。だって、いつもなら任務には含まれない事だからといって、構わずに行ってしまうだろう?」
そう言って、セイジは少しだけ寂しそうに笑った。
現地でせっかく知り合えた友人や、協力者に別れも告げずに去っていった経験は、数え切れないほどあった。組織として活動していた頃、エリート軍人としての徹底教育を施されていなかったセイジは、特に辛い思いをした。彼が感情に揺らいで発言する意見など、誰も受け入れてはくれなかった。
戦場下や、失敗の許されない任務で、一時の感情は命取りになる。そう学んでいたから、セイジは仲間や上官を責める事は出来なかった。
それでも、セイジの良心は、後悔の痛みを忘れられないでいた。きちんとお別れをしておけば良かったと、その相手が既に他界したのだと後になって知るたび、静かな諦めに似た胸の痛みに苛まれるのだ。
ログが「ふん」と鼻を慣らし、面倒臭そうに頭をかいた。
「スウェン隊長が待つって決めたんなら、俺も付き合うさ。あのガキには協力すると断言されたし、ああ見えて結構根性もあるから、十分役にも立つだろ」
スウェンは、何事か言い掛けてログを見つめ返したが、結局言葉にはせず、最後は困ったように微笑んで、他まだ二迷い続ける視線をそっとそらした。
しばらく待った頃、ようやく二組の足音が聞こえ始めた。ログとスウェンも足音に気付いたが、一番に顔を向けたのはセイジだ。
セイジは振り返り様、到着したばかりのエルと目が合った。日本人にしては明るい茶色の色素が際立つ、大きな瞳を持った華奢な顔をしたエルと、数秒ほど視線が絡まった。
不意に、セイジは強い既視感を覚えた。頭がグラリと揺れるような、鈍い痛みに目が眩んだ。それは本当に一瞬の事で、セイジは自分が思い出しかけていた事について、すぐに忘れてしまった。
到着を待たれていたエル当人は、閑散とした空間内に足を踏み入れたところで立ち止まった。
エルは、既に事が終わってしまったらしい事について、何も無い空間を見てすぐに理解していた。真っ先にセイジと目が合ったが、彼からは戸惑う様子が見受けられた事を不思議に思った。
どうしたんだろう、と首を傾げたところで、エルは、姿勢を楽にして座り込むログとスウェンからも視線を向けられ、居心地の悪さを覚えた。
どうやら、自分達が最後の到着だったようだと思いながら、改めて今の状況について考える。遅れてしまった事については謝ってやってもいいが、待てないほど急いでいるのであれば、先に進んでいてくれても構わなかったのだ。
エルは、非難でもなく安堵でもない、他に何か言いたい事でもあるような男達の表情を眺め、ますます困惑した。
「――お前ら、揃いも揃ってどうしたの? なんか妙なもんでも食ったのか?」
本人にはまるで自覚はないが、開口一番、失礼な物言いである。そんなエルの怪訝そうな顔を見て、ログが「俺はパス」とスウェンに振った。
スウェンがぎこちなく笑みを作り、立ち上がり様に右手を上げてエルに応えた。
「ははは、相変わらずだねぇ、エル君。無事で何よりだよ」
「そんなに俺は弱くないって行ったじゃん。クロエは絶対に取り戻すって、そう決めていたもの」
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