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8章 迷宮の先(12)

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「どうだろう。僕らは、このエリアで『ゲーム』に参加させられていてね。しばらく離れ離れだったんだ。セイジが戻って来たら訊いてみるよ」
『そうでしたか。こちらでは大まかな座標特定しか出来ないものですから……あ、そちらから報告頂いていた少年の件ですが、報告された場所の近くで、妙な噂を聞きました』
「妙な噂?」

 スウェンとログは、そこで、お互いに目配せした。

「ふうん――一体、どんな?」
『数人の人間が、目の前で子供が消えたと証言しているらしいのですが、どうも、その少年は消える直前に、誰もいない場所に向かって話しかけていたようです』
「どういう事だい?」
『はぁ。その、なんというか、近くの店の主人は、少年が僧侶と話しこんでいる姿を見たというし、数人の目撃者は、少年がたった一人で、まるで誰かがいるように話し掛ける姿があったと。今回の件と関わりがあるのかは不明ですが……』

 スウェンは「分からないなぁ」と頭をかきむしった。彼が見る限りでは、エルは精神的な疾患もない健康体そのものだった。

「何か関連性はあると思うかい?」
『あまりないように思われますが、今回の件については謎が多いですから、用心はしています。こちらでは、少年が消えた正確な位置を特定しているので、近くに防犯カメラが設置されていれば、正確な詳細も得られるでしょう』

 スウェンは話しを聞きながら、嫌な気持ちを覚えて自己嫌悪した。

 通信相手のハイソンとは知った仲でもなく、彼という人間性をそれほど嫌ってもいないはずなのだが、やはり相手が科学者と思うだけで嗤ってしまいたくなるのだ。

 これからの支柱が難所でしょう、と心配性なハイソンは続けて説明した。この時点でメンバーが一人でも欠けてしまう事があれば、先が難しくなってくる可能性が高い。

 ハイソンはそう説きつつ、セイジの安否も確認したがったが、スウェンは冷たく断っていた。

「済まないが、セイジが来るまでに君と世間話をして、仕事を遅らせる訳にはいかないからね」
『わかりました。次のエリアまでは少し距離があるようですので、移動用の乗り物を転送させましょう。そうですね、今一番早く用意できるのは……あ、以前の実験で残っていたデータがありますので、近くに鍵のついたハーレーであれば、すぐに用意が出来ます。そちらの処理後に確認して下さい』

 その声を最後に、スウェンは早々に通信を断った。ハイソンという男が、彼の知っているような性質の悪い科学者でない事は理解しているつもりだが、毛嫌いに似た憎しみが腹の底で煮え滾ってしまう。

 今でもスウェンは、時々過去の怨念を夢に見た。生命を弄ぶ行為のなれの果てを、その目で多く目撃して来たせいだろう。

 失敗した実験の最悪な結末を、部下達の末路を、スウェンは忘れられない。現場にいた科学者たちの保護は許可されていたが、生きていた被験者達が苦しまないよう、一思いでこの手で処分してやる事しか出来なかった絶望が、彼に忘れるなと呪いの言葉を囁き続けている。

「結局のところ、この件に関しては、向こうでも進展はないようだね」

 通信機器を片付けた後、スウェンはログにそう告げた。

 ログはスウェンの胸中を察したのか、擦れ違い様に彼の肩を軽く叩いた。

「あいつらの仕事は、いつも悠長なんだよ。現場と比べたら、奴らの苦労なんてちっぽけなもんさ」

 ログは、さっそく左手で支柱に触れた。静電気のように発した光と共に、赤黒い紋様が彼の腕に浮かび上がる。

 心臓を貫かれた生き物ように、支柱が一際大きな稼働音を上げた。数秒ほど部屋全体が振動したかと思うと、すべての機器が一斉に動力を失い、部屋は静寂に包まれた。

 四つ目の支柱と、それに関わる機器が徐々に灰となって崩れ始めた。音の無い崩壊が、次第に吹き荒れる風をまとって激しさを増してゆき、とうとう支柱の中に残っていた男の顔も見えなくなっていった。

 部屋中を、白い花弁のような残骸が舞った。

 スウェンは、その光景をじつと見つめていた。支柱となった男は、この世界でどんな『夢』を見ていたのだろうか。全ての機器が消える刹那、眠る男の顔が、一瞬だけ微笑んだような気がした。


「……本当はさ、ずっと悩んでいたんだ。どこまで、僕らの事を明かせばいいのか」


 スウェンは、唐突に小さな声でそう打ち明けた。

「エル君は賢い子だ。自分が生身の身体である事も気付いていた彼に、嘘を吐くのもなんだか億劫で」
「お前の事だから、本当は教えないでおくつもりだったんだろ。妙に勘ぐられて、パニックを起こされても任務に支障をきたす。そんな判断を、お前は嫌う」
「うん、そうだったんだけど……エル君は、強い子だね。多分あの子は、最悪の状況まで考えていて、それでも弱音や我が儘一つ言わないんだろう。利口過ぎるのか、背伸びし過ぎているのか、どうも僕は、彼を簡単に切り捨てられないみたいなんだよ」
「お前が参ってどうすんだ。あいつがアリスと同じなら、一緒に最終エリアまで連れていけば脱出できるんだろ」

 スウェンは、すぐに言葉を返せなかった。

 もしエルの小さな身体が、先に取り返しのつかない大きなダメージを受けてしまったら。もしくは任務の遂行を第一優先ととなければならない状況が発生し、どうしても助けられないような事態に陥ってしまったら、と、スウェンの中では思考がループしている。

 冷酷無情な隊長として、スウェンは、これまで仲間以外の全てを簡単に切り捨てて来た。

 巻き込まれた民間人や、盾となった見知らぬ部隊の軍人。命乞いをする標的の友人や恋人の死を目にしても、痛む心はとうに失っていた。エルに対しても、同じ覚悟を持っているつもりだった。

 それなのに今、スウェンの心は不安定だ。エルの落ち着きぶりには、何故か警戒心すら覚える。

 後悔のないように行動するエルの姿勢は、最期の瞬間に易々と死を認めてしまう恐ろしさが潜んでいるようにも思えるのだ。その時が来てしまったら自分はどうすればいいのか、スウェンは未だに判断が付かないでいた。
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