上 下
40 / 159

7章 それは、偽りの存在~『エル』の想い出、そして~(3)

しおりを挟む
 これから全員で目指さなければならない場所は、真っ直ぐ伸びる道の先に堂々と聳え立っていた。

 動く物が何もなくなってしまった大通りの先に、行く先を塞ぐように一つの建物が不自然に鎮座している。

 建物までの距離は、随分と離れていた。すっかり夜に溶け込む建物の細長い全貌は、目を凝らしても影のシルエットがぼんやりと浮かぶ程度で、三人の目の先を追わなければ、エルはしばらく、その建物に気付けなかっただろう。

 四人と一匹は、自分たちが向かう先を、数十秒ほど眺めた。

 そこまで真っ直ぐ敷かれた街の道路は、魔王の城に客人を招き入れるかのように、嫌な静けさをまとっていた。目指す建物は、まるで廃墟のように一つの光りも確認出来ない。

「武器は?」

 ログが目も寄越さずに訊いて来たので、エルは、腰の後ろに手をやり、銃の存在を確認した。

「持ってるよ」
「問題なく済むといいが」

 セイジが眉根を寄せつつ、準備運動のように右腕を回した。すると、スウェンが実に爽やかな笑顔を浮かべて、ガチャリと武器の用意を整えた。

「それじゃ、行こうか」

 いつ用意したのか、スウェンがバズーカ砲を後ろ手に背負い「鍵が掛かっている建物だったら、強硬突破だね」と告げたタイミングで、四人は同時に歩き出した。


 幅の広い公道は、寸分の狂いもなく直線に続いていた。左右に佇む建物は、一定の距離を進むと、来た道と同じ街並みが始まる。長いと思っていた通りは、実際のところ、同じ風景を何度も繋ぎ合せただけのお粗末なものだった。

 登場人物のない空間内を、エル達は歩き進んだ。仮想空間を見やったエルが、随分寂しい人だったのかなと呟くと、セイジが困ったように微笑んだ。同じ道を何千回と通っていても、誰の顔も覚えていない人間だっているんだよと、彼は悲しそうに呟き返した。

 殺し合いも、人間同士として認識しないからこそ出来る事なのだと、セイジが遠回しに告げているような気がした。

 同時に、自分の毎日に必死な人間にとっても、誰かを受け入れるほどの余裕はないのだろうとも思えた。エルも、旅に出て多くの人と擦れ違い、言葉を交わす機会もあったが、思い出せる顔は一つもなかった。

 大きな道路の行く道を立ち塞ぐ建物に到着したのは、随分も歩き続けた後だった。暗黒の空に真っ直ぐ伸びる、黒いコンクリート造りの建物の正面は平面形で、まるで大きな壁のようだ。

 それは窓もなければ、階の区切りも分からない建物だった。

 建物の両サイドで中途半端に街並みが途絶えているせいか、奥行を持った建物というよりは、一枚の大きな絵が立てかけられているようにも見えた。建物には、出入り口が一つだけあり、それはハートの形をした装飾造りの黒い扉をしていた。

 その扉の前に、一人の男が腰を降ろして項垂れていた。

 男の背中には、大きく膨れた風呂敷があった。彼は、この風景には似付かない燕尾服を来ており、時々、蝶ネクタイをいじっては、盛大な溜息をこぼしていた。白いシャツと質の良いスーツパンツ、胸元には金色のホテル名が入ったプレートがある。

 エルは、彼が誰であったかを思い出して「あ」と声を上げた。ログが心底嫌な顔をし、スウェンが小首を傾げつつ記憶を辿り、セイジは、自分が起こす行動をすっかり見失って立ち尽くした。

 そんな四人を余所に、ホワイト・ホテルの社員であるホテルマンが、あからさまに胡散臭い嘘泣き顔を上げた。

 建物の扉前で座り込んでいたホテルマンは、視界が見えているのか不明瞭な例の細い目で、まずは三人の印象的な男達を見て小さく眉根を寄せ、それから、エルを見て片方の眉を少し上げた。

「おやおや、こんな所でどうしたのです、小さなお客様。もしや、この男達に手篭めにでもされ――」
「んな訳ねぇだろ」

 ログが、すかさず否定した。

「お前、俺たちの事なんだと思ってんだ? 馬鹿じゃねぇのか」

 エルはログを押しやり、「あの、貴方の方こそ、どうしたんですか」と訊いた。記憶が確かであれば、ホテルマンは、二番目のセキュリティー・エリアにいたエキストラのはずだった。

 ホテルマンは、エルの問いかけを優しさと受け取ったのか、大袈裟にシクシクと声を上げて語り始めた。

「勤めていたホテルが、何者かの襲撃に遭いまして、とても大きな損失が発生してしまったのです。アルバイトやパートの一部を解雇するのは仕方のない事ですが、なぜ……なぜ長年勤めて来た優秀な私を真っ先クビにしたのか、全くもってあのクソ社長の意図が分かりません! いずれ私の手で社長の座から引きずり降ろしてやろうと、毎日毎日、こんなにも身を尽くして勤め、励んで来たというのに!」

 ホテルマンは、どこから取り出したのか、蝶の刺繍が入った貴婦人向けのハンカチを歯で噛み、悔しそうに引っ張った。彼の演技臭い悲しみは止まらず、地面を叩いて咽び泣いた。

 ログが残念な物を見る目で「それが原因なんじゃねぇのかよ」と呟いた。珍しくスウェンが、苦手な物を見る目を寄越し、さりげなくセイジの後ろに回った。

「ちょっと、落ち着こうよ」

 エルは、少し屈んでホテルマンと顔を合わせた。

「そもそも、どうして『ここ』に来られたの?」
「うん? この『町』までは、就職活動という旅をして来たのですが?」

 ホテルマンは、涙ぐみつつも、エルを真っ直ぐ見つめ返してそう答えた。

「時には路上で、バスで、電車で寝る事を強いられながら、かれこれ一ヶ月も放浪の旅なのです。この町ではきっと、と期待していましたが駄目でした……この町には決まりがあり、一日に七時間しか活動してはいけないのだそうです」

 語るホテルマンの身体が、ふるふると震え始めた。

「それ以外の時間を自分の部屋にこもって過ごすなど、一日十三時間労働がすっかり馴染んでしまった私には、絶対不可能ですよぉ! 過酷な労働環境に追いこんで、私を縛り上げて顎でコキ使って罵ってくれなきゃ、この身体はもう満足出来ないのです!」

 ホテルマンは手で顔を覆うと、声だけで「おうおうおう」と再び咽び泣いた。

 ログが腕を組み「危ねぇな」と言う隣で、セイジが「うわぁ……」とぼやいて一歩後退した。

 すると、セイジの後ろで冷静さを取り戻したスウェンが、少し考えて「――夢の住人にとっては『町』という区切りになっているのかな」と口の中で訝しげに呟きつつ、ホテルマンを遠巻きに覗きこんだ。

「君たちにとっての常識が、『外』から来た僕らには少し分からないのだけれども、……君は、『ここ』の事はよく知っているのかな?」
「お客様は、遠い外国からいらしたのですか?」

 ホテルマンが顔を上げ、不思議そうに問い掛けた。

「……えっと、まぁ、そんなところかな。遠いところから来ているから、いろいろな『町』には少し驚かされているというか」

 答えるスウェンの顔には、改めて正面から見てみると、やっぱり胡散臭い顔してるなぁこのエキストラ、という感想が浮かんでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完結】間違えたなら謝ってよね! ~悔しいので羨ましがられるほど幸せになります~

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
「こんな役立たずは要らん! 捨ててこい!!」  何が起きたのか分からず、茫然とする。要らない? 捨てる? きょとんとしたまま捨てられた私は、なぜか幼くなっていた。ハイキングに行って少し道に迷っただけなのに?  後に聖女召喚で間違われたと知るが、だったら責任取って育てるなり、元に戻すなりしてよ! 謝罪のひとつもないのは、納得できない!!  負けん気の強いサラは、見返すために幸せになることを誓う。途端に幸せが舞い込み続けて? いつも笑顔のサラの周りには、聖獣達が集った。  やっぱり聖女だから戻ってくれ? 絶対にお断りします(*´艸`*) 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2022/06/22……完結 2022/03/26……アルファポリス、HOT女性向け 11位 2022/03/19……小説家になろう、異世界転生/転移(ファンタジー)日間 26位 2022/03/18……エブリスタ、トレンド(ファンタジー)1位

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

【完結】ちびっこ錬金術師は愛される

あろえ
ファンタジー
「もう大丈夫だから。もう、大丈夫だから……」 生死を彷徨い続けた子供のジルは、献身的に看病してくれた姉エリスと、エリクサーを譲ってくれた錬金術師アーニャのおかげで、苦しめられた呪いから解放される。 三年にわたって寝込み続けたジルは、その間に蘇った前世の記憶を夢だと勘違いした。朧げな記憶には、不器用な父親と料理を作った思い出しかないものの、料理と錬金術の作業が似ていることから、恩を返すために錬金術師を目指す。 しかし、錬金術ギルドで試験を受けていると、エリクサーにまつわる不思議な疑問が浮かび上がってきて……。 これは、『ありがとう』を形にしようと思うジルが、錬金術師アーニャにリードされ、無邪気な心でアイテムを作り始めるハートフルストーリー!

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

悪役令嬢はお断りです

あみにあ
恋愛
あの日、初めて王子を見た瞬間、私は全てを思い出した。 この世界が前世で大好きだった小説と類似している事実を————。 その小説は王子と侍女との切ない恋物語。 そして私はというと……小説に登場する悪役令嬢だった。 侍女に執拗な虐めを繰り返し、最後は断罪されてしまう哀れな令嬢。 このまま進めば断罪コースは確定。 寒い牢屋で孤独に過ごすなんて、そんなの嫌だ。 何とかしないと。 でもせっかく大好きだった小説のストーリー……王子から離れ見られないのは悲しい。 そう思い飛び出した言葉が、王子の護衛騎士へ志願することだった。 剣も持ったことのない温室育ちの令嬢が 女の騎士がいないこの世界で、初の女騎士になるべく奮闘していきます。 そんな小説の世界に転生した令嬢の恋物語。 ●表紙イラスト:San+様(Twitterアカウント@San_plus_) ●毎日21時更新(サクサク進みます) ●全四部構成:133話完結+おまけ(2021年4月2日 21時完結)  (第一章16話完結/第二章44話完結/第三章78話完結/第四章133話で完結)。

処理中です...