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7章 それは、偽りの存在(4)
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エレベーターを出ると、前方と左右に三つの簡素な扉がついていた。スウェンが部屋番号を確かめ、左方向にあった扉を開けた。
部屋の中は小奇麗だったが、室内には化粧台が一つ、真っ白なシーツが掛けられたキングサイズのベッドが一つ、シャワー付きトイレが一つしかなかった。
床は桃色の絨毯一色だった。玄関と思われる一メートル四方のタイル地に、四人分の靴が窮屈に並んだ。エルが、ボストンバッグからクロエを出してやると、クロエは絨毯の上を軽やかな足取りで進み、室内の匂いを嗅いで辺りを観察し始めた。
エルも、改めて室内を見渡した。ワンルームの室内は、大き過ぎるベッド一つだけで埋まってしまっているという、妙な造りをしている。女性物の、甘い香水の匂いに似た香りが室内には充満していた。壁や天井にはベージュ色のシールが貼られ、何故かキラキラと輝くシャンデリアが一つ下がっている。
そこでふと、エルは遅れてようやく状況を察知し、深々と溜息を吐いた。ベッドの四方には、それぞれ少しスペースが空いていたので、とりあえず玄関から一番近い場所にボストンバッグを置く。
スウェンとログが、部屋の様子に目をやり「良い部屋じゃないか」「まぁまぁだな」とそれぞれ感想をもらした。
「もっとドギツイかと思ったけど、結構まともそうで何よりだね」
「ベッドは回転式じゃねぇな」
「君ね、そこは問題じゃないだろう?」
二人がベッドに腰かけてクッション性を確かめる中、セイジが、落ち着かないように佇んでいた。
エルは、居心地悪そうなセイジに小声で話しかけた。
「……他に、普通の宿泊施設とか考えられなかったのかな?」
「……なかったようだな」
セイジは、叱られた子犬のようなか細い声で答えた。
別にセイジを責めているつもりはないのだ。頭が痛くなる状況であるだけなので、エルは、額に手をやりつつ溜息をこぼした。
「道理で、受付の人に変な顔をされる訳だ……」
「まぁ、いいじゃないの」
ベッドの端に腰かけたスウェンが、朗らかに言った。
「ベッドは上等だし、空間の歪みも見られない建物だ。休息にはもってこいの安全地帯だよ」
現実世界で持っている特殊能力の一部、が反映しているらしいスウェンの目は、この仮想空間内の『歪み』と呼ばれる異常性が視認出来るので、その判断は的確で信用があるのだろう。
ログが大きな欠伸を一つしたかと思うと、そのままベッドに横になってしまった。
こちらに背を向けるログを一度確認し、スウェンが「やれやれ」と肩をすくめた。
「仮想空間では、基本的に睡眠は必要ではないのだけれど、彼の場合は破壊の力を使っちゃうと、どうしても休息が必要になってくるんだよねぇ。僕らも気休めにはなるから、食事の摂取は行っているけれど、――エル君、お腹は空いてる?」
「いや、空いてない。けど、クロエには食事をあげるよ」
「うん、それがいいかもね。猫ちゃん、ボストンバッグの前で正座しているし」
スウェンが指を指す方向を見ると、いつの間にか、ボストンバッグの前に姿勢正しく座っているクロエの姿があった。どうやら彼女は、室内に対して危険は感じていないようだ。
エルがクロエを見て、「気が早いなぁ」とぼやくと、スウェンが可笑しそうに笑った。
エルはとりあえず先に、クロエにはミルクをあげる事にした。スウェンは、ベッドの端に腰かけて探査機のブラウザに見入り、セイジは部屋の隅に腰を降ろして、銃の手入れを始めた。
部屋には冷房の稼働音が低く呻っており、窓がないせいで外の様子も窺えなかった。時刻の経過を計るのは難しいが、エルは、以前セイジが言っていた『スウェンの体内時計』とやらを信用する事にした。
室内は天井のシャンデリア以外に見る物がなく、他にやるべき事もみつからなかった。エルは、ボストンバッグの隣に腰を降ろし、クロエがミルクを飲み終えるまで待った。
クロエはミルクを飲み終えると、エメラルドグリーンの瞳を持ち上げて、エルを見た。
「クロエ、ご飯、食べる?」
エルは、柔らかい猫フードを片手に持って尋ねた。しかし、クロエは首を左右に振った。「そうか。うん、ミルクは全部飲んだね。良い子だ」
エルは、クロエをそっと抱き上げた。彼女の少し骨ばった小さな身体を抱きしめていると、エルの身体の緊張も自然と解けた。
「お前は暖かいね、クロエ」
「ニャーン」
エルは彼女に触れながら、その小さな身体に異変がないかどうか、こっそり確認した。
気のせいか、仮想空間に巻き込まれる前よりも少しだけ肉付きが良くなり、毛もふっくらとしていたような気がした。クロエの脇の下に手を入れて、肉球の色を確認すべく手を持ち上げると、クロエが楽しそうに鳴いた。
「遊んでいるわけじゃないんだよ、クロエ」
「ニャ?」
「まぁ、クロエが楽しんでいるのなら、いいけどさ……」
ボストンバッグの中で激しく揺られる事もあっただろうが、クロエに関して、現状体調も機嫌も良さそうだった。
エルは安堵しつつ、改めて彼女を両腕で抱きしめた。クロエが楽しそうに顔をすり寄せてくるたび、暖かい毛並みがエルの頬に触れた。
その時、スウェンが「よし」と相槌を打った。
「ほら、エル君。せっかくの休息なんだから、君も少しは眠らなきゃ駄目だよ」
「俺、眠くないよ」
エルがスウェンに目を向けると、クロエも、エルの腕の中から彼へ顔を向けた。
「確かに睡魔はないだろうけど、君は生身の身体なんだから、少しでも寝た方がいいよ。僕らだって精神的な疲労はあるから、少しは寝るつもりだよ。横になって目を閉じるだけでも、睡眠と同じ効力はあるからね」
エルは、思わず特大サイズ級のベッドへ目を向けた。身体の大きな男が三人並んで寝るというむさ苦しい想像には、正直気が引ける。
その中に飛び込めと? うわぁ、勘弁して欲しい……
エルは、腕の中のクロエと目配せした。小声で「お前なら、あの中に飛び込む勇気はある?」と問うと、クロエは両耳をやや後ろへとそむけた。
クロエのエメラルドグリーンの呆れた眼差しは、あんな暑苦しいスペースで寝られないわよ、と言っているような気がした。それは、エルも同意見だった。
「――あの、俺、別に眠くないから、ここでクロエを抱っこして目でも閉じてるよ。それにさ、そこのベッドで四人並んで寝るのは、さすがにスペース的な問題もあって、ちょっときついかなと思うけど」
「大丈夫だよ。君は小さいし、皆で横になれば暖も取れるじゃないか。ほら、ベッドもふかふかだよ」
スウェンはそう言って、ベッドの上を数回叩きクッション性をアピールした。
エルが困惑している間に、セイジがベッドへと上がり、さも当然そうに横になった。軍で同じチームだったというぐらいだから、三人での共同生活には慣れてしまっているのだろう。見本といわんばかりに、続いてスウェンも横になった。
ログとセイジの間には、子供一人分ほどの空きが作られていた。しかし、やはりベッドは満員状況だ。エルは、男三人というむさ苦しい光景に、彼らが全く疑問を抱かない事が少し心配になった。
寝る事は、特に強制でもないらしい。スウェンもセイジも、数秒後には規則正しい寝息を立て始めた。
彼らが本当に眠ってしまったのかは定かではないけれど、一先ず、場は落ち着いたということだろう。
部屋の中は小奇麗だったが、室内には化粧台が一つ、真っ白なシーツが掛けられたキングサイズのベッドが一つ、シャワー付きトイレが一つしかなかった。
床は桃色の絨毯一色だった。玄関と思われる一メートル四方のタイル地に、四人分の靴が窮屈に並んだ。エルが、ボストンバッグからクロエを出してやると、クロエは絨毯の上を軽やかな足取りで進み、室内の匂いを嗅いで辺りを観察し始めた。
エルも、改めて室内を見渡した。ワンルームの室内は、大き過ぎるベッド一つだけで埋まってしまっているという、妙な造りをしている。女性物の、甘い香水の匂いに似た香りが室内には充満していた。壁や天井にはベージュ色のシールが貼られ、何故かキラキラと輝くシャンデリアが一つ下がっている。
そこでふと、エルは遅れてようやく状況を察知し、深々と溜息を吐いた。ベッドの四方には、それぞれ少しスペースが空いていたので、とりあえず玄関から一番近い場所にボストンバッグを置く。
スウェンとログが、部屋の様子に目をやり「良い部屋じゃないか」「まぁまぁだな」とそれぞれ感想をもらした。
「もっとドギツイかと思ったけど、結構まともそうで何よりだね」
「ベッドは回転式じゃねぇな」
「君ね、そこは問題じゃないだろう?」
二人がベッドに腰かけてクッション性を確かめる中、セイジが、落ち着かないように佇んでいた。
エルは、居心地悪そうなセイジに小声で話しかけた。
「……他に、普通の宿泊施設とか考えられなかったのかな?」
「……なかったようだな」
セイジは、叱られた子犬のようなか細い声で答えた。
別にセイジを責めているつもりはないのだ。頭が痛くなる状況であるだけなので、エルは、額に手をやりつつ溜息をこぼした。
「道理で、受付の人に変な顔をされる訳だ……」
「まぁ、いいじゃないの」
ベッドの端に腰かけたスウェンが、朗らかに言った。
「ベッドは上等だし、空間の歪みも見られない建物だ。休息にはもってこいの安全地帯だよ」
現実世界で持っている特殊能力の一部、が反映しているらしいスウェンの目は、この仮想空間内の『歪み』と呼ばれる異常性が視認出来るので、その判断は的確で信用があるのだろう。
ログが大きな欠伸を一つしたかと思うと、そのままベッドに横になってしまった。
こちらに背を向けるログを一度確認し、スウェンが「やれやれ」と肩をすくめた。
「仮想空間では、基本的に睡眠は必要ではないのだけれど、彼の場合は破壊の力を使っちゃうと、どうしても休息が必要になってくるんだよねぇ。僕らも気休めにはなるから、食事の摂取は行っているけれど、――エル君、お腹は空いてる?」
「いや、空いてない。けど、クロエには食事をあげるよ」
「うん、それがいいかもね。猫ちゃん、ボストンバッグの前で正座しているし」
スウェンが指を指す方向を見ると、いつの間にか、ボストンバッグの前に姿勢正しく座っているクロエの姿があった。どうやら彼女は、室内に対して危険は感じていないようだ。
エルがクロエを見て、「気が早いなぁ」とぼやくと、スウェンが可笑しそうに笑った。
エルはとりあえず先に、クロエにはミルクをあげる事にした。スウェンは、ベッドの端に腰かけて探査機のブラウザに見入り、セイジは部屋の隅に腰を降ろして、銃の手入れを始めた。
部屋には冷房の稼働音が低く呻っており、窓がないせいで外の様子も窺えなかった。時刻の経過を計るのは難しいが、エルは、以前セイジが言っていた『スウェンの体内時計』とやらを信用する事にした。
室内は天井のシャンデリア以外に見る物がなく、他にやるべき事もみつからなかった。エルは、ボストンバッグの隣に腰を降ろし、クロエがミルクを飲み終えるまで待った。
クロエはミルクを飲み終えると、エメラルドグリーンの瞳を持ち上げて、エルを見た。
「クロエ、ご飯、食べる?」
エルは、柔らかい猫フードを片手に持って尋ねた。しかし、クロエは首を左右に振った。「そうか。うん、ミルクは全部飲んだね。良い子だ」
エルは、クロエをそっと抱き上げた。彼女の少し骨ばった小さな身体を抱きしめていると、エルの身体の緊張も自然と解けた。
「お前は暖かいね、クロエ」
「ニャーン」
エルは彼女に触れながら、その小さな身体に異変がないかどうか、こっそり確認した。
気のせいか、仮想空間に巻き込まれる前よりも少しだけ肉付きが良くなり、毛もふっくらとしていたような気がした。クロエの脇の下に手を入れて、肉球の色を確認すべく手を持ち上げると、クロエが楽しそうに鳴いた。
「遊んでいるわけじゃないんだよ、クロエ」
「ニャ?」
「まぁ、クロエが楽しんでいるのなら、いいけどさ……」
ボストンバッグの中で激しく揺られる事もあっただろうが、クロエに関して、現状体調も機嫌も良さそうだった。
エルは安堵しつつ、改めて彼女を両腕で抱きしめた。クロエが楽しそうに顔をすり寄せてくるたび、暖かい毛並みがエルの頬に触れた。
その時、スウェンが「よし」と相槌を打った。
「ほら、エル君。せっかくの休息なんだから、君も少しは眠らなきゃ駄目だよ」
「俺、眠くないよ」
エルがスウェンに目を向けると、クロエも、エルの腕の中から彼へ顔を向けた。
「確かに睡魔はないだろうけど、君は生身の身体なんだから、少しでも寝た方がいいよ。僕らだって精神的な疲労はあるから、少しは寝るつもりだよ。横になって目を閉じるだけでも、睡眠と同じ効力はあるからね」
エルは、思わず特大サイズ級のベッドへ目を向けた。身体の大きな男が三人並んで寝るというむさ苦しい想像には、正直気が引ける。
その中に飛び込めと? うわぁ、勘弁して欲しい……
エルは、腕の中のクロエと目配せした。小声で「お前なら、あの中に飛び込む勇気はある?」と問うと、クロエは両耳をやや後ろへとそむけた。
クロエのエメラルドグリーンの呆れた眼差しは、あんな暑苦しいスペースで寝られないわよ、と言っているような気がした。それは、エルも同意見だった。
「――あの、俺、別に眠くないから、ここでクロエを抱っこして目でも閉じてるよ。それにさ、そこのベッドで四人並んで寝るのは、さすがにスペース的な問題もあって、ちょっときついかなと思うけど」
「大丈夫だよ。君は小さいし、皆で横になれば暖も取れるじゃないか。ほら、ベッドもふかふかだよ」
スウェンはそう言って、ベッドの上を数回叩きクッション性をアピールした。
エルが困惑している間に、セイジがベッドへと上がり、さも当然そうに横になった。軍で同じチームだったというぐらいだから、三人での共同生活には慣れてしまっているのだろう。見本といわんばかりに、続いてスウェンも横になった。
ログとセイジの間には、子供一人分ほどの空きが作られていた。しかし、やはりベッドは満員状況だ。エルは、男三人というむさ苦しい光景に、彼らが全く疑問を抱かない事が少し心配になった。
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