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6章 迷路と残酷な一つの事実(9)

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「どうしてそんな事を聞くの、エル君。僕は、好き嫌いなんてしないよ。医者も科学者も先生も、すごく尊敬している。僕ら軍人にとっては、偉すぎるぐらいの人たちさ」
「うん、俺も尊敬はすると思う。だけど、関わる過程によって人が持つ印象は違うとも思うんだ。だから、無理に話さなくてもいいよ」

 エルは、困惑するスウェンの瞳を真っ直ぐ見つめて、先を続けた。

「つまり俺たちが置かれている現状には、未知数の危険が多くあるって事だよね? やるべき事は理解出来たし、俺は自分の意思で手助けをしようと思ったから、俺に全部話さなくても大丈夫だよ。俺は皆の邪魔にならないように、俺がやるべき事をやる。俺はただの部外者で、全部を知る必要なんてないんだから」

 クロエとこのような冒険をし、少しでも一緒に過ごせる時間が引き延ばされている事を、もしかしたら喜ぶべきなのかもしれない。現実世界の数十分、数時間を、ここではもっと長く過ごせるのだから。

 良いように考えてみれば、クロエと一緒に、女の子を救い出して悪党をぶっとばすなんて大冒険には、もう巡り合う事なんて出来ないだろうとも思える。それは、きつと最高の思い出にもなるだろう。

 老猫に残された少ない時間は、既にそこまで迫っている。エルは別れに怯えながら、クロエの優しい嘘に騙された振りをしているのだ。

 エルは、スウェンからの言葉を――彼の反応を待った。

 きっと聡い彼なら、必要以上の情報を求めないエルの目的に気付いてしまうかもしれない。だからエルは、お願い、何も聞かないで、俺たちは何も求めないから、と眼差しで彼に訴えた。


 そして同時に、偶然与えられたこの時間と、そして、もしかしたら叶うかもしれない浅ましい俺の願いに気付かないで、と祈った。

 

 エルの強い決意を秘めた眼差しを見て、スウェンが僅かに目を見開いた。

 その時、黙って話を聞いていたログが、「それで、どうだったんだ」とぶっきらぼうに言い、スウェンが我に返ったように首を傾けた。

「外部からの報告は?」
「――ああ、外では進展なしだったよ、ログ。支柱の憶測と現状については詳細に報告した。研究チームの分析でも、支柱が一人の人間で出来ている事を否めないようだね」

 スウェンはエルに向き直ると、困ったように笑った。それが、スウェンから答えだった。

 踏み込まれたくない過去を持った者同士が、お互いの距離感を計りながら、それぞれ続く言葉を探す。先に口を開いたのは、スウェンだった。

「ごめんね、エル君。君の身体を至急捜索させたけれど、やはり発見されなかったみたいだ。生身の身体で入ってしまっている以上、無茶は出来ない事を承知で、【仮想空間エリス】まで付き合ってもらうしかない」
「俺とクロエが生身の身体だって事は、何となく分かっていた事だし、俺もアリスを助け出したいって思ってはいるんだ。ログに話を聞いて、実際に会ってみたいなぁとも感じて」
「あれ? ログの奴、君にアリスの事を話したのかい?」

 スウェンが、珍しい事を聞いたといわんばかりに秀麗な眉を引き上げた。彼は「ふうん」とぼやきつつ、ログへ目を向けた。

 エルは、スウェンの読めない眼差しが気になって、言い訳のようにこう告げた。

「あのさ、俺は別に、あいつから詳細を聞いたわけじゃないよ。写真をちょっと見せてもらっただけで――」
「こいつはアリスに一目惚れしたらしい」

 こちらに背を向けたまま、ログが仏頂面で言ってのけた。途端に、スウェンが噂好きのように青い瞳を輝かせて、勢い良くエルを振り返った。

「へぇ! エル君、相手はまだ十二歳だよ? ちょっと早すぎるんじゃないかな」
「は? 別に俺、惚れたなんて言ってな――」
「でも、アリスちゃんは確かに可愛いもんなぁ。僕は会った事がないけれど、もう二、三年待てば、素晴らしい美少女になるだろうねぇ」

 こいつらは、二人揃って人の話を遮ってんじゃねぇよ。

 エルは小さな苛立ちを感じたが、どうやら女性好きの気があるらしいスウェンの台詞を聞いて、ログが警戒する眼差しが少し可笑しくも思えた。

 場は相変わらず穏やかではなかったが、先程まで感じていた緊張感は解けていた。

 スウェンが改めて一同の視線を集め、エルに向き直ってこう言った。

「本題に戻るけど、僕らがやるべき事は変わっていない。アリスを助ける、そして、『エリス・プログラム』の完全破壊。今後、君は僕らと一緒に先へと進まなければいけないから、僕らについて少しだけ話しておいた方がいいだろう。まず仮想空間内では、プログラムでは推し量れない事情までは持ちこむ事が出来ない」
「『推し量れない事情』……?」
「うん、――僕らは軍人で、一人一人がちょっと特異だった、とだけ説明しておくけれど、この世界に、現実世界で持っていた『そういった能力』は完全に反映再現されないんだ。けれど、全部が持ち込めないってだけで、僕らの『能力』が全て使えない訳でもない。僕ら三人が今回の潜入任務を与えられたのも、そこに理由があるからなんだよ」

 スウェンの視線に促され、エルは、セイジとログを順に見た。ログは相変わらず苛立ったような顔をしていたが、セイジは、申し訳なさそうに大きな肩を窄めて立ち尽くしていた。

「さて、僕らがこの世界に持ちこめた『能力』について話そう。例えば僕だと、特異な分析能力の一部が変換されて、この世界の歪みが『感覚的、視覚的に察知し見える』ようになっているみたいだ。恐らく、システム解析で捉えられない、正体不明のバグだろうとは思う」

 スウェンは、そこで一度言葉を切った。

 分析能力、と聞いてもピンと来ないが、かなり頭が切れるという事で良いのだろうか、とエルは首を捻った。

「エル君は、仮想空間内で不利になってしまうような、――例えば低下してしまうような能力はないよね?」
「普通の一般人に、そういったものを求められてもなぁ……」

 なんとなく理解した範囲内で、エルはぼやき返した。恐らく彼が言いたいのは、常識では考えられないような特殊な事柄なのではと勘繰ったのだ。

 スウェンが「ごめん。念の為に訊いておきたかっただけなんだ」と言って、話の先を続けた。
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