上 下
20 / 159

5章 第三のセキュリティー・エリア(3)

しおりを挟む
 呼吸の乱れが収まってすぐ、エルは重い腰を持ち上げて、人形や人で混雑するメイン通りを覗いてみた。

 特に異変はいようだった。派手な衣装を身にまとった仮装人が、人混みに多く紛れていて色鮮やかだ。ふと上り坂の途中に目を向けたエルは、そこにログとスウェン、セイジの姿を見付けた。

「なんだ。やっぱり目立つんじゃん」

 エルは知らず胸を撫で下ろし、三人と合流しようと通りを抜けた。

 その直後、不意に目の前が真っ暗になり、エルは驚いて足を止めた。そろりと顔を上げると、全身を黒いマントで覆い隠した仮面の男が立っていた。仮面は、口許だけが覗く西洋の舞踏会を思わせるもので、男はやけに整った口許をしている。

 男が大きな身体を伸ばして、飛び出して来たエルをしげしげと覗きこんで来た。

 エルは、思わず緊張で身体が強張った。かなり長身の男だ。黒いマントを着た身体が目の前に立ち塞がり、通りの向こうの様子が全く見えないほどだった。

 その時、男の身体をすっぽりと覆っている真っ黒いマントの下から、白い手袋をした大きな手が伸びて来た。


「迷子ですか?」


 男が柔和な声でそう問い掛けて来た。

 通りには、魔女や絵本のキャラクターに扮した仮装者もたくさん紛れており、ここにファントムらしき仮装人がいたとしても、このテーマパークでは作品を忠実に再現した素晴らしい役者の一人に過ぎない。

 しかし、エルは、唐突に現れたこの登場人物に警戒を覚えた。

 歩いている他の仮想人や通行人とは違い、この男が、独特の意思を持って動いているような気がしたのだ。まるで、大きな闇が目の前を立ち塞いでいるような威圧感もあった。

「……えっと、大丈夫です」

 強がってみたものの、エルは思わず後ずさりしていた。

 仮面の男は、こちらに伸ばしていた手をピタリと止めると、わずかに小首を傾げて見せた。

「大丈夫、という顔には見えないのですけれどねぇ。一人で歩かれていては、すっかり迷子になってしまいますよ」

 そう言って、やけに形の良い薄い唇が微笑した。

 エルが更に一歩後退すると、男が咄嗟にエルの手首を掴んだ。エルは思わず甲高い短い悲鳴を上げかけたが、強く引き寄せられ、あっという間に口を素早く塞がれてしまった。

「大丈夫、大丈夫、どうか逃げないでください。怖がらせてしまったのなら謝ります。今、来た道を戻るのは危険ですよ。歪みが発生していますから、本当に『永遠の迷子』になってしまいます」
「……?」

 エルは、混乱しつつそろりと男を見上げた。一瞬強い力で引っ張られたものの、掴まれた手首の力は既に緩んでいた。

 口許を塞ぐ大きな手は、手袋越しにも関わらず冷たかった。

 男が掴んだ腕を更に引いて、顔を寄せてエルの眼前で唄うように囁いた。男の囁き声は辺りの賑やかな音に紛れてしまったが、エルは、彼が発しようとした言葉を、間近に見た彼の唇の形から理解してしまった。

 その時、男が顔を離して通りの向こうを見やり「あらららら」と困った様子もなく笑った。エルを引きとめていた手を離し、素早く距離を取る。


「残念ですねぇ、見つかってしまいました」


 通りの向こうから一つの怒声が上がった。

 仮面の男は、人の波の間から怒声を発したログに向かって微笑を返すと、エルに視線を戻して「ばいばい」と言い残し、マントを翻してメイン通りを下りていった。その際、彼は一度だけエルを振り返り、唇の前に人差し指を当てた。

 奇妙な黒い仮想男の姿は、あっという間に人混みに紛れて見えなくなってしまった。

 しばしエルが呆けていると、遠くから「おい、クソガキッ」と乱暴な声がした。反射的に声のする方向へ顔を向けると、遊園地には場違いな空気を放つ大きな男の姿があり、それは仏頂面を下げたログで、彼は人の波を押しのけてこちらに向かって来た。

 ログはエルの正面まで辿り着くと、仮面の男が消えた方向を数秒睨みつけた。それは、ひどく苛立っているような顔だった。

「なんだ、ただのエキストラだったのか?」

 彼はそう言うなり、睨む先をエルへと移し替えた。

「おい、何があった。つか、お前迷子になってんじゃねぇよ。手間かけさせんな」
「……迷子じゃないし。ちゃんと見失わずについてきたもん」

 迷子になったのは事実だったので、エルは唇を尖らせて小さく反論した。

 すると、ログのこめかみにピキリと青筋が立った。

「『もん』じゃねぇよッ、セイジが向こうに気を取られているお前を目撃してんだ。スウェンは大丈夫だっつってたけどな、結局しばらく迷子になってただろうが。それとも何か? お前が小さいせいで俺達に見えていなかっただけなのか? あ?」
「ぐぅ、言わせておけばこの野郎! お前らがデカ過ぎなんだよッ、それに俺はこれから伸びる予定なの!」

 畜生、野郎め。俺を完全にガキ扱いしてやがる。

 エルは、下からログを睨み返した。喧嘩なら買ってやると体勢を構えたが、ログが先に短い息を吐いて諦めたように踵を返し、「行くぞ」と歩き出してしまった。

 もう一度はぐれてしまったらと考えると、エルは先程の恐怖もあって、慌ててログの後ろを追い駆けた。他の人々の流れに揉まれないよう、ログの大きな背中の後ろに出来たスペースに収まり、しっかりとついて歩き。

 足の長さが違うせいで、大股で渋々歩く彼を追うエルは自然と小走りになっていた。

「で。さっきは何ともなかったのか」
「は? 何が?」
「――何もないなら、いい」

 ログは仏頂面で押し黙った。ついてゆくのに必死で、エルも黙ったまま小走りを続けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

男装獣師と妖獣ノエル ~騎士団で紅一点!? 幼馴染の副隊長が過保護です~

百門一新
恋愛
幼い頃に両親を失ったラビィは、男装の獣師だ。実は、動物と話せる能力を持っている。この能力と、他の人間には見えない『黒大狼のノエル』という友達がいることは秘密だ。 放っておかないしむしろ意識してもらいたいのに幼馴染枠、の彼女を守りたいし溺愛したい副団長のセドリックに頼まれて、彼の想いに気付かないまま、ラビは渋々「少年」として獣師の仕事で騎士団に協力することに。そうしたところ『依頼』は予想外な存在に結び付き――えっ、ノエルは妖獣と呼ばれるモノだった!? 大切にしたすぎてどう手を出していいか分からない幼馴染の副団長とチビ獣師のラブ。 ※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ」「カクヨム」にも掲載しています。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】白い結婚で生まれた私は王族にはなりません〜光の精霊王と予言の王女〜

白崎りか
ファンタジー
「悪女オリヴィア! 白い結婚を神官が証明した。婚姻は無効だ! 私は愛するフローラを王妃にする!」  即位したばかりの国王が、宣言した。  真実の愛で結ばれた王とその恋人は、永遠の愛を誓いあう。  だが、そこには大きな秘密があった。  王に命じられた神官は、白い結婚を偽証していた。  この時、悪女オリヴィアは娘を身ごもっていたのだ。  そして、光の精霊王の契約者となる予言の王女を産むことになる。 第一部 貴族学園編  私の名前はレティシア。 政略結婚した王と元王妃の間にできた娘なのだけど、私の存在は、生まれる前に消された。  だから、いとこの双子の姉ってことになってる。  この世界の貴族は、5歳になったら貴族学園に通わないといけない。私と弟は、そこで、契約獣を得るためのハードな訓練をしている。  私の異母弟にも会った。彼は私に、「目玉をよこせ」なんて言う、わがままな王子だった。 第二部 魔法学校編  失ってしまったかけがえのない人。  復讐のために精霊王と契約する。  魔法学校で再会した貴族学園時代の同級生。  毒薬を送った犯人を捜すために、パーティに出席する。  修行を続け、勇者の遺産を手にいれる。 前半は、ほのぼのゆっくり進みます。 後半は、どろどろさくさくです。 小説家になろう様にも投稿してます。

処理中です...