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5章 第三のセキュリティー・エリア(3)
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呼吸の乱れが収まってすぐ、エルは重い腰を持ち上げて、人形や人で混雑するメイン通りを覗いてみた。
特に異変はいようだった。派手な衣装を身にまとった仮装人が、人混みに多く紛れていて色鮮やかだ。ふと上り坂の途中に目を向けたエルは、そこにログとスウェン、セイジの姿を見付けた。
「なんだ。やっぱり目立つんじゃん」
エルは知らず胸を撫で下ろし、三人と合流しようと通りを抜けた。
その直後、不意に目の前が真っ暗になり、エルは驚いて足を止めた。そろりと顔を上げると、全身を黒いマントで覆い隠した仮面の男が立っていた。仮面は、口許だけが覗く西洋の舞踏会を思わせるもので、男はやけに整った口許をしている。
男が大きな身体を伸ばして、飛び出して来たエルをしげしげと覗きこんで来た。
エルは、思わず緊張で身体が強張った。かなり長身の男だ。黒いマントを着た身体が目の前に立ち塞がり、通りの向こうの様子が全く見えないほどだった。
その時、男の身体をすっぽりと覆っている真っ黒いマントの下から、白い手袋をした大きな手が伸びて来た。
「迷子ですか?」
男が柔和な声でそう問い掛けて来た。
通りには、魔女や絵本のキャラクターに扮した仮装者もたくさん紛れており、ここにファントムらしき仮装人がいたとしても、このテーマパークでは作品を忠実に再現した素晴らしい役者の一人に過ぎない。
しかし、エルは、唐突に現れたこの登場人物に警戒を覚えた。
歩いている他の仮想人や通行人とは違い、この男が、独特の意思を持って動いているような気がしたのだ。まるで、大きな闇が目の前を立ち塞いでいるような威圧感もあった。
「……えっと、大丈夫です」
強がってみたものの、エルは思わず後ずさりしていた。
仮面の男は、こちらに伸ばしていた手をピタリと止めると、わずかに小首を傾げて見せた。
「大丈夫、という顔には見えないのですけれどねぇ。一人で歩かれていては、すっかり迷子になってしまいますよ」
そう言って、やけに形の良い薄い唇が微笑した。
エルが更に一歩後退すると、男が咄嗟にエルの手首を掴んだ。エルは思わず甲高い短い悲鳴を上げかけたが、強く引き寄せられ、あっという間に口を素早く塞がれてしまった。
「大丈夫、大丈夫、どうか逃げないでください。怖がらせてしまったのなら謝ります。今、来た道を戻るのは危険ですよ。歪みが発生していますから、本当に『永遠の迷子』になってしまいます」
「……?」
エルは、混乱しつつそろりと男を見上げた。一瞬強い力で引っ張られたものの、掴まれた手首の力は既に緩んでいた。
口許を塞ぐ大きな手は、手袋越しにも関わらず冷たかった。
男が掴んだ腕を更に引いて、顔を寄せてエルの眼前で唄うように囁いた。男の囁き声は辺りの賑やかな音に紛れてしまったが、エルは、彼が発しようとした言葉を、間近に見た彼の唇の形から理解してしまった。
その時、男が顔を離して通りの向こうを見やり「あらららら」と困った様子もなく笑った。エルを引きとめていた手を離し、素早く距離を取る。
「残念ですねぇ、見つかってしまいました」
通りの向こうから一つの怒声が上がった。
仮面の男は、人の波の間から怒声を発したログに向かって微笑を返すと、エルに視線を戻して「ばいばい」と言い残し、マントを翻してメイン通りを下りていった。その際、彼は一度だけエルを振り返り、唇の前に人差し指を当てた。
奇妙な黒い仮想男の姿は、あっという間に人混みに紛れて見えなくなってしまった。
しばしエルが呆けていると、遠くから「おい、クソガキッ」と乱暴な声がした。反射的に声のする方向へ顔を向けると、遊園地には場違いな空気を放つ大きな男の姿があり、それは仏頂面を下げたログで、彼は人の波を押しのけてこちらに向かって来た。
ログはエルの正面まで辿り着くと、仮面の男が消えた方向を数秒睨みつけた。それは、ひどく苛立っているような顔だった。
「なんだ、ただのエキストラだったのか?」
彼はそう言うなり、睨む先をエルへと移し替えた。
「おい、何があった。つか、お前迷子になってんじゃねぇよ。手間かけさせんな」
「……迷子じゃないし。ちゃんと見失わずについてきたもん」
迷子になったのは事実だったので、エルは唇を尖らせて小さく反論した。
すると、ログのこめかみにピキリと青筋が立った。
「『もん』じゃねぇよッ、セイジが向こうに気を取られているお前を目撃してんだ。スウェンは大丈夫だっつってたけどな、結局しばらく迷子になってただろうが。それとも何か? お前が小さいせいで俺達に見えていなかっただけなのか? あ?」
「ぐぅ、言わせておけばこの野郎! お前らがデカ過ぎなんだよッ、それに俺はこれから伸びる予定なの!」
畜生、野郎め。俺を完全にガキ扱いしてやがる。
エルは、下からログを睨み返した。喧嘩なら買ってやると体勢を構えたが、ログが先に短い息を吐いて諦めたように踵を返し、「行くぞ」と歩き出してしまった。
もう一度はぐれてしまったらと考えると、エルは先程の恐怖もあって、慌ててログの後ろを追い駆けた。他の人々の流れに揉まれないよう、ログの大きな背中の後ろに出来たスペースに収まり、しっかりとついて歩き。
足の長さが違うせいで、大股で渋々歩く彼を追うエルは自然と小走りになっていた。
「で。さっきは何ともなかったのか」
「は? 何が?」
「――何もないなら、いい」
ログは仏頂面で押し黙った。ついてゆくのに必死で、エルも黙ったまま小走りを続けた。
特に異変はいようだった。派手な衣装を身にまとった仮装人が、人混みに多く紛れていて色鮮やかだ。ふと上り坂の途中に目を向けたエルは、そこにログとスウェン、セイジの姿を見付けた。
「なんだ。やっぱり目立つんじゃん」
エルは知らず胸を撫で下ろし、三人と合流しようと通りを抜けた。
その直後、不意に目の前が真っ暗になり、エルは驚いて足を止めた。そろりと顔を上げると、全身を黒いマントで覆い隠した仮面の男が立っていた。仮面は、口許だけが覗く西洋の舞踏会を思わせるもので、男はやけに整った口許をしている。
男が大きな身体を伸ばして、飛び出して来たエルをしげしげと覗きこんで来た。
エルは、思わず緊張で身体が強張った。かなり長身の男だ。黒いマントを着た身体が目の前に立ち塞がり、通りの向こうの様子が全く見えないほどだった。
その時、男の身体をすっぽりと覆っている真っ黒いマントの下から、白い手袋をした大きな手が伸びて来た。
「迷子ですか?」
男が柔和な声でそう問い掛けて来た。
通りには、魔女や絵本のキャラクターに扮した仮装者もたくさん紛れており、ここにファントムらしき仮装人がいたとしても、このテーマパークでは作品を忠実に再現した素晴らしい役者の一人に過ぎない。
しかし、エルは、唐突に現れたこの登場人物に警戒を覚えた。
歩いている他の仮想人や通行人とは違い、この男が、独特の意思を持って動いているような気がしたのだ。まるで、大きな闇が目の前を立ち塞いでいるような威圧感もあった。
「……えっと、大丈夫です」
強がってみたものの、エルは思わず後ずさりしていた。
仮面の男は、こちらに伸ばしていた手をピタリと止めると、わずかに小首を傾げて見せた。
「大丈夫、という顔には見えないのですけれどねぇ。一人で歩かれていては、すっかり迷子になってしまいますよ」
そう言って、やけに形の良い薄い唇が微笑した。
エルが更に一歩後退すると、男が咄嗟にエルの手首を掴んだ。エルは思わず甲高い短い悲鳴を上げかけたが、強く引き寄せられ、あっという間に口を素早く塞がれてしまった。
「大丈夫、大丈夫、どうか逃げないでください。怖がらせてしまったのなら謝ります。今、来た道を戻るのは危険ですよ。歪みが発生していますから、本当に『永遠の迷子』になってしまいます」
「……?」
エルは、混乱しつつそろりと男を見上げた。一瞬強い力で引っ張られたものの、掴まれた手首の力は既に緩んでいた。
口許を塞ぐ大きな手は、手袋越しにも関わらず冷たかった。
男が掴んだ腕を更に引いて、顔を寄せてエルの眼前で唄うように囁いた。男の囁き声は辺りの賑やかな音に紛れてしまったが、エルは、彼が発しようとした言葉を、間近に見た彼の唇の形から理解してしまった。
その時、男が顔を離して通りの向こうを見やり「あらららら」と困った様子もなく笑った。エルを引きとめていた手を離し、素早く距離を取る。
「残念ですねぇ、見つかってしまいました」
通りの向こうから一つの怒声が上がった。
仮面の男は、人の波の間から怒声を発したログに向かって微笑を返すと、エルに視線を戻して「ばいばい」と言い残し、マントを翻してメイン通りを下りていった。その際、彼は一度だけエルを振り返り、唇の前に人差し指を当てた。
奇妙な黒い仮想男の姿は、あっという間に人混みに紛れて見えなくなってしまった。
しばしエルが呆けていると、遠くから「おい、クソガキッ」と乱暴な声がした。反射的に声のする方向へ顔を向けると、遊園地には場違いな空気を放つ大きな男の姿があり、それは仏頂面を下げたログで、彼は人の波を押しのけてこちらに向かって来た。
ログはエルの正面まで辿り着くと、仮面の男が消えた方向を数秒睨みつけた。それは、ひどく苛立っているような顔だった。
「なんだ、ただのエキストラだったのか?」
彼はそう言うなり、睨む先をエルへと移し替えた。
「おい、何があった。つか、お前迷子になってんじゃねぇよ。手間かけさせんな」
「……迷子じゃないし。ちゃんと見失わずについてきたもん」
迷子になったのは事実だったので、エルは唇を尖らせて小さく反論した。
すると、ログのこめかみにピキリと青筋が立った。
「『もん』じゃねぇよッ、セイジが向こうに気を取られているお前を目撃してんだ。スウェンは大丈夫だっつってたけどな、結局しばらく迷子になってただろうが。それとも何か? お前が小さいせいで俺達に見えていなかっただけなのか? あ?」
「ぐぅ、言わせておけばこの野郎! お前らがデカ過ぎなんだよッ、それに俺はこれから伸びる予定なの!」
畜生、野郎め。俺を完全にガキ扱いしてやがる。
エルは、下からログを睨み返した。喧嘩なら買ってやると体勢を構えたが、ログが先に短い息を吐いて諦めたように踵を返し、「行くぞ」と歩き出してしまった。
もう一度はぐれてしまったらと考えると、エルは先程の恐怖もあって、慌ててログの後ろを追い駆けた。他の人々の流れに揉まれないよう、ログの大きな背中の後ろに出来たスペースに収まり、しっかりとついて歩き。
足の長さが違うせいで、大股で渋々歩く彼を追うエルは自然と小走りになっていた。
「で。さっきは何ともなかったのか」
「は? 何が?」
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