「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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終わりへと向かう殺戮の夜(3)

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 平気な顔で人をバラすなんて、人間が平気で出来ることじゃない。

 奴は悪魔だ、化け物だ。怖い、恐ろしい。

 藤村は中庭の中央通路へ躍り出ると、息も絶え絶えに「俺をあの化け物から守ってくれ、助けてくれ」と彼らに訴えた。

 倉庫前にいた尾賀、富川の二人が振り返ったが、力のない吐息交じりの叫びが届かず「何事だ」と悠長に顔を顰められてしまう。藤村は二丁の銃をすでに放り捨て、自分が殺意を持っていたことすら忘れて仲間に助けを求めていた。


「…………藤村組のリーダー」


 死神のように佇む人影が、小さくなっていく後ろ姿を見て、そう言葉を発した。

 写真で確認していた「藤村組のリーダー」の姿を認め、雪弥は疼く手先で、転がっていた肉片を更に引き裂いた。藤村が向かう中庭倉庫には、標的リストの主犯格である尾賀と富川の姿もある。

 見つけた、というように、彼の瞳孔が更に収縮して碧の冷たい光を放った。

 開け放たれた倉庫からは、大柄な肉体を持っただけの人形のような三人の大男たちがヘロインを運び出している。その様子を見物するかのように、鼠のように小さい尾賀と、ずる賢そうな富川が並んで立っていた。

 人間がいる、殺すべき人間があと三人残っている。

 雪弥は、肉体ばかりが生きている人形には興味がなかった。まるで、自分のテリトリーを犯されるのを嫌う番犬のように、ざわり、と強い殺気を覚えて、ゆっくりと藤村たちのいる方へ向き直る。

 極度まで敏感になった神経は、生きた人間の気配を勝手に探った。学園敷地内には、二人の少年と一人の元エージェントを校舎に残し、あとは倉庫側に集まっている人間で最後だという理解に至った。

 駆ける藤村と二人の人間を捉えていた雪弥の碧眼は、侮蔑と憎悪を彷彿とさせる強く冷酷な光を帯びた。

 この恨み忘れるものかと血が騒ぐ。月明かりさえも煩わしいほど眩しく、そこに生きる人間が憎くて仕方がなかった。いいようのない殺意が噴き出し、苛立ちに似た感情が身体の中で暴れ狂う。

 しかし、それは同時に悦びとなって全身を駆け巡ってもいた。

 やつらを殺せるのだ。一人残らず、この首一つになるまで――

 わけも分からない強烈な衝動に疑問を抱く間もなく、残されていた冷静な思考能力と理性がぷつりと途切れた。「殺す」ことだけを思った雪弥の長い爪先が、嫌な音をたてて鋭利さを増しながら伸びる。その爪は既に血液が絡みついており、鋭い先端を赤に染めて血を滴らせていた。

 そのとき、不意に、右耳にはめていた小型無線マイクが音声を受信した。

『ナンバー4、血に酔い過ぎでは?』
「元ナンバー二十一、お前が何を言っているのか皆目見当もつかん」

 雪弥は、まるで古風な言い回しで威圧的に告げた。その美麗な唇は引き上がっており、声には愉快さが滲んでいた。

 藤村が倉庫前の人間と合流する様子を、雪弥は、ただひたすら凝視していた。無線で矢部が『ほら、その喋る感じ。話に聞いていた通りですね、ボスからは注意されていましたが――駄目ですよ、暁也と修一が不安がります』と言った言葉も聞かずに、彼は地面を抉るほどの瞬発力で前方に飛んでいた。

 地面が強い圧力を受けたように押し潰れ、瓦礫を舞い上げる。その瞬間、彼の身体は砲弾を発射したように地を弾き、宙を直進していた。


「だからッ、奴が来るんだ!」
「藤村さん、少し落ち着――」

 駆けてきた藤村は、ひどく動揺していた。どうしたんだ、と富川は訝しがりかけてギョッとした。

 黒を纏った人間が、こちらに向かって飛んでくることに気付いたのだ。

 鎌のような長い凶器が月明かりに照らし出され、殺気を帯びた碧眼が浮かび上がった。富川が恐怖し「ひぃ」と喉を震わせたとき、尾賀は総毛立って反射的に部下へ怒号していた。

「奴を殺せ!」

 ヘロインを運び出していた三人の大男たちが、鞭に打たれたように一斉に駆け出した。彼らは尾賀、富川、藤村の脇を通り過ぎると、それぞれが懐の銃へと手を伸ばす。

 重々しい巨体が迅速に動く様は心強く、萎えていた藤村の闘争心を呼び起こした。素早く銃を取り出した尾賀が予備の銃を投げて寄こし「殺すね!」と声を尖らせる声に、それを受け取った藤村は「おう!」と強気に答えて敵へと視線を戻した。しかし、銃も死闘も経験がなかった富川は、懐の銃も取り出せないまま狼狽して後ずさりしてしまう。

 そのとき、ぼっと低い響きが一同の鼓膜を打った。

 三人の大男の首が、一瞬にして消し飛んでいた。司令塔を失った巨体がぐらりと崩れ落ち、噴水の如く勢いを保ったままの血飛沫が傾度を変えて、辺りを赤黒く染め上げた。

「く、くそぉぉぉぉ!」

 藤村がはち切れんばかりに叫び、錯乱し銃を乱射した。夜の下で発砲される光りが眩しくて煩わしいとでもいうかのように雪弥が黒いコートを翻し、その直後に三人の視界から彼の姿が消えた。

 どこへ行った、と富川と尾賀が身構えたとき、けたたましい銃声音が止んだ。

 途端に二人は、身体に暖かい霧状の液体を受けて反射的に目を閉じかけた。なんだ、と疑問に思って目を向けると、そこには目を見開いて静かにしている藤村がいた。

 藤村の体中には細く赤い線が走り、そこから不自然に霧状の潜血を吹いていた。

 それを理解する暇はなかった。

 見つめていた視線の先で、まず、藤村の手がずるりと腕から離れた。キレイに切断されていたらしい銃を持ったままの手が、地面をバウンドしたかと思うと、それを筆頭に切られた部位がずれ始めて、切断面から次々に激しく血を噴き上げた。


 首、肩下、両腕、胸部、腹部、……と各部位が地面へと吸い込まれるようにして、藤村の身体がぐしゃりと崩れ落ちる。

 そこに残ったのは見慣れた死体などではなく、無残な肉塊であった。


 その光景に見入っていた尾賀と富川は、瞬きの間に自分たちの間に現れた青年に戦慄した。血に濡れた前髪から覗く小奇麗な横顔に、ぞっとするほど冷たい碧が目に留まる。

 険しい形相で尾賀が銃口を向けた瞬間、富川は目の前で激しく舞い狂う黒を見た。冷たい手に首を掴まれ、ぐんっと引き寄せられる。彼は首を掴み締める白い手に宙で足をばたつかせたとき、その身体に連続で銃弾を受けていた。

 尾賀は、黒に身を包んだ暗殺者を狙って撃ったつもりだった。しかし銃を発砲したとき、そこには盾として使われる富川の姿があったのだ。

 発光する冷ややかな碧眼が、銃弾を受けてぐらぐらと揺れる富川越しに尾賀を凝視していた。強い嫌悪感とぞっとするほどの殺気に死を感じ、尾賀は震える手で銃を発砲し続けた。

「このッ、化け物がぁぁぁ!」

 そう声を張り上げた矢先、不意に銃声が止んでカチカチと乾いた音へ変わった。

 尾賀が弾切れに気付き、この世の終わりだといわんばかりに顔を歪めた刹那、富川の死体脇から銃口が突き付けられた。


 最後を飾るにしては、か細すぎるとも思える銃声が、一発、空気を裂いた。


 額に小さな穴を開けた尾賀の身体が、後頭部から粉砕した頭蓋骨と脳の一部を飛び散らせて倒れ込んだ。辺りはすっかり静まり返り、雪弥は持っていたままであった富川の首から、無造作に手を離した。

 殺す人間がいないことをぼんやりと思い、自身の爪を元の長さへと縮ませる。外のエージェントに指示を出そうと携帯電話を取り出して、ふと、雪弥は動きを止めた。

 血で染まった手で持ち上げた携帯電話は、通話中の表示がされていた。電話が切られる事もないまま、相手の人間は押し黙ってこちらの声と音を聞き続けていた。

 ああ、そうか。

 僕は、兄さんと話していたんだっけ。

 爪に肉片が挟まっていることに気付いたあと、雪弥はぼんやりとそう思い出した。携帯電話をそっと耳に当てるが、先程蒼慶とやりとりを交わした記憶も曖昧だった。

「……兄さん、聞いてる?」

 声を掛けると、数秒遅れで『ああ』と返ってきた。ずいぶん黙りこんでいたのか、潜めるような低い声色は少しかすれていた。

「少し、疲れているんだ。あとでいいかな」
『…………分かった』

 珍しく素直に電話が切れる。

 そこにも気が回らないまま、雪弥は新しく番号を探すと別の所へ掛け直した。

「こちらナンバー4、任務完了。処理班と少年たちの保護を許可」
『御意、鉄壁の檻を解除し処理班を入れます』
「あとはお前たちに任せる」

 雪弥は手早く指示を終えると、携帯電話をしまった。続いて、右耳の小型無線マイクへと手を伸ばし「暁也、修一」と柔らかく声を掛ける。

「終わったよ、嫌な想いをさせてごめんね。今から救助の人たちが来るから、大人しく待っていて」
『……俺らは大丈夫だぜ。俺も修一も、先生が来てからほとんど画面見てねぇし』
「そう、それは良かった。そっちにはヘリが向かうと思うけど、君たちに良くしてくれる人たちばかりだから、ちゃんと言うことを聞くんだよ。好奇心が湧いても、決して屋上から下へは行かないで」

 分かった、と暁也と修一は気まずそうに声を揃えた。

 ぷつりと会話が途絶えたあと、雪弥は右耳から小型無線マイクを取った。無造作に地面へと落とし、前触れもなく足で踏み潰した。


 小型無線マイクと共に潰した肉片が、ぷちっと音を立てたが、雪弥は靴底で地面に擦り続けた。その動作を見降ろす碧眼は、強い憎悪を孕んだような光を帯びて揺らいでいた。


 ふっと足を止めて、雪弥は血で濡れたままの手で髪をかき上げた。何かを潰していたような気がするな、とぼんやり考えながら、何気なく腕時計を見やる。

 時刻は、午後十一時十三分を指していた。
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