「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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終わりへと向かう殺戮の夜(2)

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 澤部が、ようやく自分が煙草を落とした事に気付き、新しい煙草を取り出しながら「ほんと、とんでもねぇな」とやや諦め気味に言った。

 尾崎が、おおらかな性格を見せつけるように穏やかに笑んだ。それを見ていた内田の顔に、「奴は狸じじぃに違いない」と言うようなげんなりとした表情が浮かぶ。

「まぁ、もう少しで終わると思いますよ。我々は、気楽に待っていましょう」

 尾崎はそう告げ、人懐っこい微笑みを浮かべた。彼は長時間立っていられない片足に負担を掛けないよう、それとなくステッキに体重を預けて、夜の学園を仰いだ。

                ※※※

 両校舎内に生存者の標的が残っていないことを確認した雪弥は、三階廊下からヘロインがある中庭の倉庫へと向かいかけたところで、不意に足を止めた。

 音に気付いて窓を覗きこむと、中庭の大学校舎近くで喚き散らす小さな人影があった。窓ガラスに血の手型を一つ残し、雪弥は一目散に中庭へと向かった。


 これまで殺した中には、リストに載っていた李、藤村、富川、尾賀、といった四人の中心人物は入っていなかった。取引の現場に集っているのだろう、と雪弥は推測していたから、校舎外側は最後に取っておいたのだ。


 生徒たちの教室がある東階段を飛ぶようにして下ると、校舎一階で一気に加速し、中庭へ抜けられる裏口へ向けて高等部校舎中を南方向へと突き進んだ。

 辿りついた裏口の鉄の扉を、蹴り飛ばして吹き飛ばした。

 すると開いた裏口の向こうに、肉体強化を施された四人の大男たちがいるのが目に留まった。同じくこちらの存在に気付いた彼らが、すかさず銃を構えて荒々しく突進してくる。

 雪弥は校舎の外へと躍り出ながら、一瞬にして全員の喉を手で切り裂いた。筋肉と皮だけが残った切断面から血が噴き出したが、男たちと入れ違うように先へと進んでいた雪弥は、返り血を浴びることもなかった。異様に伸びて武器のように太さを増したた彼の鋭利な爪先だけが、真っ赤な血に染まっている。

「一体どういう手品なんだ、小僧?」

 声が上がった先に目を向けると、そこには肩で荒々しく呼吸をしている白衣の老人がいた。正面からその顔を見た雪弥は、リストで確認していた李であることに気付いた。先程喚き散らしていたのも彼である。

 李は、小さな両手に口が広い銃を持っていた。どうやら、実験体用に引き取るつもりだった学生たちの件に対して、ひどく怒りを覚えているらしい。血走った老人の瞳は、今にも噛みつかんばかりにこちらを凝視していた。

「僕の爪は、少々頑丈でして」

 爪先がいびつな音をあげて二センチまで縮み、雪弥は済ました顔で肩をすくめて見せた。強靭な凶器と化す爪の伸び縮みに関しては、雪弥にとって眩しさに目を細めるくらい普通のことだったのだ。

 いつからそうだったのか、と言われても分からない。

 この爪で誤って自身を傷付けた事はなく、どれほどまで堅いものであれば切断出来るのか、本能的な勘のようなもので分かる説明し難いものだった。それに加えて、歯もナイフや銃口を砕くほど頑丈である。

 老人は、許し難い怒りで顔中の皺を深く刻み込んだ。二つの銃口を雪弥へと向け、血走ったひどい形相で凝視する。しかし、対する雪弥は、ぼんやりと別のことを考えていた。

 新しいブルードリームを配合した李は、この薬について何か知っているはずだ。殺す前に話を聞き出した方がいい。ここはまず穏便に――

 そう雪弥が構えようとしたとき、しゃがれた怒号が落雷のように響き渡った。


「よくも、わしの実験体をぉぉぉおおおおお!」


 李が引き金に掛ける指先に力を入れた瞬間、雪弥の身体は否応なしに反応していた。

 コンクリートを砕くように地面を蹴ると、彼はコンマ一秒で李の頭上を舞っていた。鎌のように鋭く伸び上がったその爪が、空気を切り裂いた瞬間、李の頭が勢いよく吹き飛んでいた。

 頭を切断された胴体から、弾け飛ぶように赤の鮮血が噴き出した。一気に流出した血飛沫が高く舞い上がり、切断面からねっとりとした赤黒い液体を溢れさせて李の白衣を染め上げる。

 頭部を失った胴体がよろめき、痙攣するように全身の筋肉を振動させた。その近くに着地した雪弥の背中で、転がり落ちた李の首は怒りに歪み、その顔は恨めしげに彼の背中へと向いて動きを止める。

 自身の血で重たく濡れ、頭部のなくなった老人の身体だけが、おぼつかない動きでしばし歩き続けていた。その死を確認するように、黒いコートが振り返りざま翻る。

「――ああ、殺すつもりじゃなかったのにな」

 冷ややかな声色が、ぼんやりとした様子で呟かれた。

 血飛沫を上げる老人の身体を見つめる雪弥の顔に、表情はなかった。始めから殺さない気などなかったように、淡く光る碧眼には微塵の情も見えない。


 李のあとを追っていた藤村が、大学校舎から三歩踏み出した先で、李の最期を目撃していた。青年が纏う冷たい気配と狂気に押し潰され、自身が持っていた殺気すら委縮して彼は震え上がっていた。

 ここへ出る直前まで、藤村は先程の大学生たちの死にざまに精神が狂いかけ、李を殺すつもりで追い駆けていた。しかし、発砲しようと構えていたその銃は、頭部を失ってふらつく李の首のない身体を前に、情けないほど揺れ動いた。


 そんな藤村の目の前で、漆黒の服に身を包んだ青年が、足元がおぼつかないまま未だ地面の上を歩いている李の身体に向かって、無造作に左手を振り上げた。

 赤く染まった衣類ごと、李の身体が更にバラバラになる様子を見て、藤村は三十六人の学生たちが惨殺された方法を知った。獣のように五本の凶器を指先から伸ばした彼が、まるで紙をさっくり切るように、あっさりと、を切るたびに、弾かれた肉片がキレイに切断されていたのだ。

 死神の鎌を持った、身の内に得体の知れない獰猛な獣を宿した悪魔だと思った。

 そう察した瞬間、藤村は悲鳴を上げて逃げ出していた。締まった喉からひゅっと息が漏れ、もつれそうになった足にバランスを崩し掛ける。それでも必死に手足を動かせて体勢を立て直し、藤村は富川たちのいる倉庫へと向かった。
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